うつ病を「利用」してかなえた願望は、
ほんとうにその人の心を満たすものなのだろうか。
やはりこれは、どこか不自然なことではないだろうか。
(
「私はうつ」と言いたがる人たち、香山リカ)
何かを利用して、
何かを得る。
その代わり、
何かを失う。
病気でもないときに、
病気だと判断されて、
得することもあれば、
得しないこともある。
うつ病と診断してがっかりした人はうつ病、
うつ病と診断して喜ぶ人はうつ病じゃない、
ということじゃないの。
(
「私はうつ」と言いたがる人たち、香山リカ)
病気に逃げたい、
という気持ちの表れ。
それは、
病気でない人の気持ちにあるもので、
本当に、病気の人にはないはずだから。
もちろん、病名がわかって、
ほっと安心する人がいるのは、
命に別状のあることなどを心配している場合には
ありえるとは思います。
いったんマイナス要素を
プロフィールの核にしてしまうと、
最初はそのつもりでなくても、
あるいは「早くここから抜け出たい」と
望んでいたのに、
それはいつしかその人にとって
「手放せないもの」になってしまう。
(
「私はうつ」と言いたがる人たち、香山リカ)
病気です、といえば、
同情してもらえる。
いじめられていました、
虐待されていました、
という言葉にも、きっと同じ効果。
そこから逃れる努力をしている時には、
たくさんの応援が受けられる。
けれど、そこから逃れてしまえば、
もしかしたら、忘れられてしまうかも、
っていう不安が湧いてくる。
だから、そこにしがみついてしまう心理、
分かる気がします。