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井上怜奈 -フィギュアスケート-

生年月日:1976年10月17日。出身地:兵庫県。

天才というより、
努力の天才と言った方が正解かもしれません。

最近の大会、2008年1月全米選手権の演技終了後の氷上にて、
ペアのパートナーであるボルドウィンが、彼女の両手を握って
「残りの人生を一緒に過ごしたいのは君なんだ」と
熱いプロポーズをした。彼女は涙ぐみながら、「はい」と答えた。

彼女がスケートを始めたのは4歳。
喘息を発症した彼女のために、お父さんが何か運動を…と思い、
自宅近くのリンクへ通わせたとのこと。

中学3年生で出場した1992年アルベールビルオリンピックでは、
入賞争いには一歩及ばなかったが、
ペアでは日本人最高位となる14位となった。

高校2年生だった1994年リレハンメルオリンピックでは、
女子シングルで出場。ジャンプをことごとく失敗し、18位に終わった。

2001年シーズンから練習拠点をアメリカに移し、
ジョン・ボルドウィンと組んで活動スタート。

2005年に、アメリカ合衆国市民権を獲得。
オリンピック出場の夢を叶えるための決断だった。
それ以降、アメリカ代表として活躍している。

彼女と、お父さんについてのストーリー。

3回めのオリンピック、
長野オリンピックのシーズンの始めに
お父さんが肺ガンで亡くなる。

お父さんの応援が大きな支えだったことから、
そのお父さんがいなくなったショックで
彼女は長野オリンピックの代表争いに
まったく力を発揮できずに破れてしまう。
スケートもやめてしまう。

お母さんは、そんな彼女の姿を見て、
やめるのはしょうがないと思っていたらしい。
しかし、ある日、突然、彼女が
スケート靴を持って練習に行く。

どうして彼女がスケートをもう一度
はじめる気になったのかということが
お母さんにはずっとわからなかった。

しかし、後になって
彼女が全米の代表になった時に、
いろいろなインタビューで
「お父さんがいなくなって
 落ち込んでいるお母さんを
 元気づけようと思ったから
 もう一度、はじめようと思った」
と答えていた。

スケートを再開した彼女は
ペアを求めてアメリカに行くと言い出す。
しかし、お金がない。そこで、彼女は、
日本のお土産売り場でアルバイトをしながら
そこからレッスン代と生活費をやりくりする。

競技に出るにも衣装が買えないため、
布を買ってきて、自分で縫っていた。
自分で縫ってると、たとえば、ある大会では、
ビーズをつけるのが間に合わなくて
ショートプログラムのときには
半分のビーズをつけて滑って、
その翌日にはビーズが増えてる、
そんな状態で試合に出ていた。

そんな時に、今度は、
彼女が肺ガンにかかる。
抗ガン剤をうちながら、練習を続けたけれど、
最先端の強い抗ガン剤だったゆえに、
ものすごい副作用と戦う必要もあった。

入院しないためにも、
その副作用に耐えながら練習を続けた。
なおかつ、アルバイトをして、
レッスンをしてという、くり返し。

そんな状態であることから、
フラフラしてしまい、
練習中に落下して頭蓋骨を骨折。
前歯がほとんどなくなってしまうような、
5時間くらい意識不明になる大ケガだった。

その後遺症で
心的外傷後ストレス(PTSD)にかかって
わけもなく突然涙が出たり…

それが治ったと思ったら
今度は、落ちたショックで
卵巣を片方破裂させて卵巣摘出手術。

そんな背景を抱えながらの選手生活。
そして、ともに歩んできた人からのプロポーズ。

ハングリーに生きたい、と思わされます。
我が子らにも、ハングリーに生きたくなる環境を
つくってあげたい。

【参考】
ほぼ日「井上怜奈選手の取材」:NHKアナウンサー刈屋さんのお話。
金のA様×銀のA様:トリノの銀板に舞うA様 井上怜奈の愛のA様ストーリー。
Rena Inoue&John Baldwin公式サイト:英語サイトです。



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