人間、自分の力を生かして働かないと、
社会に噛んでいけないのではないだろうか?
(
やさぐれるには、まだ早い!、豊島ミホ)
社会とつながって生きること、
社会から距離をとって生きること。
結局は、社会がなければ、
人は生きていけない。
ちょうどいい距離と、自分の役割を
見つけられないと、生きるのは辛い。
意志を持つがゆえに、
人は自分がどうなったらいいのか
迷ってしまう-
たったひとつの目的のために
生まれてきたモノたちよりも、
ある意味では弱いのではなかろうか。
結局、私自身が何をすべきか
わからなくなってしまったから、
そう思うんだろうけど。
(
やさぐれるには、まだ早い!、豊島ミホ)
意志があって、
それが定まらずに、
迷ってしまうから、
意志なんかない機械とか、モノよりも、
役に立たなかったりします。
なんだか、情けない気分もありますが、
それが人間の良さ。
それぞれの特性により、
愛される可能性を持ちながらも、
運が悪ければその機会に
恵まれぬままこの正解から消えていく、
そういう儚いもんじゃないだろうか。
(
やさぐれるには、まだ早い!、豊島ミホ)
誰にでもあるはずの、
愛される可能性が、
可能性のまま終わってしまいそうな人は、
たしかにいるだろう。だから、不幸か、
といえば、どうなんだろう。答えは難しい。
行動し結果を出すために
ごはんを食べるんじゃない。
ごはんを食べて、
おいしいって思うことで、
生きているのにじゅうぶんなんだと。
(
やさぐれるには、まだ早い!、豊島ミホ)
生きるために食べているのか、
食べるために生きているのか。
よく分からなくなるような時代。
食べて、おいしいって思えるのは、
そこに喜びを感じられる余裕を作っているから。
人生、そうありたい。
個人は駒。
経済とかそういうのを
まわすための駒で、
いかにその役に立つかで、
お金や地位は分配されていく。
「使える」「使えない」という言葉を、
人に対して言うようになってしまったのは
ここ10年くらいのことじゃないだろうか、
それが象徴するように、
「使えない」人間は捨てられて、
「使える」人間は一応残る。
どっかで「使ってる」人間がいるはずだけど、
それは霧に包まれて見えない。
使われるしかないんだ-というあきらめがまずあって、
その上にやむをえない選択が重なる。
だったら「使える」人間になってやろう、
私の、ほんとの意志なんかどうだっていいから、
この世間で少しでも上に行こう。
(
やさぐれるには、まだ早い!、豊島ミホ)
自己実現を考えすぎると、
世の中からズレすぎてしまうこともある。
世の中ばかりを考えると、流されてしまう。
どんなふうに「使える」人間になるかっていうのは、
人それぞれのテーマだ。
みやげって、
おいしいから買うんじゃなく、
社交のために買うんでもなく、
「私今こんなところに住んでるのよ」
って言うために買うのかも。
(
やさぐれるには、まだ早い!、豊島ミホ)
おみやげに、おいしいものを探せば、
その地の名物を選べなかったりする。
名物をおみやげにすると、
おいしいとは言ってもらえないかもしれないが、
話題にはなったりする。おみやげって、
そういうものであることも多い。
家庭は我慢でできてるんだよ。
それができないなら、
他人と一緒に住むべきじゃない。
(
やさぐれるには、まだ早い!、豊島ミホ)
今の家族との生活が嫌だから、
ということで、新しい家族をつくって、
生活をしようとすることは、
必ずしも、うまくいかない。
家族には、自分が入ったときに、
きっと、同じ問題が顕在化するから。