愛の定義なんて、
あいまいなものだし、
自分が愛だと信じていても、
それが真実かどうか、
疑いはつきまとうものでしょう?
(
あふれた愛、天童荒太)
自分の愛に、
疑いを感じない人のほうが、
おかしいかもしれない。
愛を貫くことには、
きっと、自分でも疑いを抱くと思うから。
起きたことは、変えられないでしょ。
いくら自分を責めたって、
変えることができるのは、
これから先のことだけだって。
(
あふれた愛、天童荒太)
変えられることに集中しないと、
人は、ストレスが多くなる。
ストレスが悪いとは言えないけれど、
無用なストレスを避けたいとしたら、
変えられる時間に集中したほうがいい。
一緒に生きるって、
単純にひとつ屋根の下で
暮らすことじゃないだろ。
裸の自分を、さらけ出すことにも
なるんだから...それって、怖いし、
不安に感じるのは、しぜんだよ。
けど、それでも一緒にいたいと思うんだ。
離ればなれになることのほうが、ずっとつらい。
ふたりだけで生活するのは、確かに怖いけど...
怖いってことが、わかってるだけ、違うんじゃないかな。
準備をしておけるだろ。
(
あふれた愛、天童荒太)
分かるから怖いことと、
分からないから怖いこと、
っていうのがある。
いずれにしろ、もっともっと知っていって、
怖さの本質が、分かっていった方がいい。
人と一緒に生きるってことは...
大事な相手を傷つけたり、
こっちが傷つけられたりすることも、
増えるってことだから...
本当は怖いことだし、
危うい面も、あるはずだろ?
(
あふれた愛、天童荒太)
誰かと一緒にいられる、
っていうことは、
さびしくないかもしれないけれど、
ほかの問題が浮かび上がってくることもある。
一人でいるのも、みんなでいるのも、
強くないと難しい。
完璧な親も家族もいやしない。
みんなそれぞれの場で一生懸命でも、
ちょっとした行き違いが生じることはあるだろ。
自分や相手を攻めたり、
迷惑をかけることを怖がったりするより、
まず認めることが大事だと思うんだよ。
(
あふれた愛、天童荒太)
それぞれの家族に、
それなりの問題があって、
それぞれが頑張っている。
比較しちゃうこともあるけど、
そんなことは意味ないんだよな。
幻想は、人を
温めることなんてできない。
ぬくもりなんて与えられない。
きみに実際にふれられるのは...
きみを温めることができるのは、
現実に生きてる人間だけだ。
(
あふれた愛、天童荒太)
人と人とがつながる、
心が通じ合うっていうのは、
きっと、幻想的なことで、
それがなかなか出来ない人にとっては、
本当に幻想の中でしか出来ないように
思えるかもしれない。
子どもを愛している
ということの裏返しなんですよ。
愛情が強いほど、
失うことの恐れも大きくなるの。
もしも愛する我が子を失ったらどうしようと考えて、
不安になる。その不安を内側にため込むうちに、
知らぬ間にふくれ上がって、
負の幻想に呑まれてしまうの。
(
あふれた愛、天童荒太)
人の愛情は、完璧でない。
どこか偏っている。だから、
不安になったり、それが
ある瞬間から、憎しみに変わったりもする。
それで痛み、悲しみを感じながら、
愛は成長するんだと思う。