「正しく恐れる」ことからしか
「正しく安心する」は近づいて来ない。

(
いのちの理由、さだまさし)
「分からない」ことをむやみに恐れたり、
ごまかして安心しようとすることこそ、
一番危険なことだと知るべきだろう。
まことに「正しく恐れる」ということは難しいことだ。
ではどうすればよいかというと、
学習するしかないのだ。

(
いのちの理由、さだまさし)
何が怖いか、
何は怖くないのか。
それが分かっていないと、
不安ばかりがつのってしまう。
それでは、生活の質が落ちてしまう。
傍に身を置き、共に悩み、
共に明日を考えることは他人にも出来る。
復興の第一はまず心の復興からだ。

(
いのちの理由、さだまさし)
心と身体、
どちらも元気になれないと、
本当の元気は戻ってこない。
生きている、というだけでは
「生活」ではないのだ。
暮らしとは衣・食・住だけでは成り立たない。
働く場所、家族、友人など、
「生き甲斐」という「こころのはたらき」こそ
生きる上で最も大切なことだからだ。

(
いのちの理由、さだまさし)
大切にすべきものの順番を
間違えてはいけない...。
自然を侮ってはならない。
人間の力など自然に比べたらしょせん、
小さな小さなものなのだ。
自然災害と向き合うときに
その傷口を拡げるものはまた、我々の心なのだ。

(
いのちの理由、さだまさし)
言葉は人を傷つけもするが
人を救う大切な道具だ。
人の心を救うのは
人の言葉の温もりだと思う。

(
いのちの理由、さだまさし)
言葉は力があるから、
武器にもなるし、
薬にもなる。
「無縁社会」とはお金を基準にしか
物を計る事が出来ない我々の心の
「利己主義」という卑しい負のエネルギーが
もたらした価値観のなれの果ての姿なのだ。
お金の代わりに「心の秤」の基準に
何を置くのかという事を学ぶ為に人生があるのだ、と、
きっと誰もが気づいてはいるのだけれど。

(
いのちの理由、さだまさし)
誰でもそうだと思うが、
自分が体験したことや感じたことなどを、
無理に忘れまいとしたり、
逆に忘れようとしたりしても、
心に命令することは不可能なのだ。
たとえば怒り、笑い、涙、
また切なく、悔しく、嬉しく、
恥ずかしい記憶やエピソード。
人の心の中は面白い。

(
いのちの理由、さだまさし)
様々な問題を解きほぐすには
集中力と根気が要る。

(
いのちの理由、さだまさし)
目の前の問題を
できればすぐに
解決したい、楽になりたい、
と思うのが人間ですが、
問題は、長引くことが多いです。
集中力と根気なしでは、
それは乗り越えられない。
嫌いな仕事を愛せよ。
お金も幸せも実は愛するところからしか
動かないのだ。それこそが働くことへの誇りだ。

(
いのちの理由、さだまさし)