帰省おみやげを、
いくつか頂いている。
ケーキ、
クッキー、
ミルフィーユ、
などなど。
どれもこれも、
私の好きなものである。
ありがとう。
遠慮なく食べさせていただいて、
ちょっと、体重増にならないよう、
ちゃんと、運動をしなくちゃいけない、
という気持ちも与えてもらえる。
うまいものを食った後は、
必ず、エネルギー消費を忘れちゃいけない。
おみやげは、
そういう機会も、
もれなく付いてくる。
ありがたい、ありがたい。
幸いは、今日は、それほど寒くない1日で、
運動もしやすかった。
明日も、うまいものを食べさせてもらって、
がんばって、運動をしよう。
帰省おみやげは、
ホントに、ありがたい。
年末年始には、食べたら、動く。
これを忘れちゃいけない。
金融危機と騒がれて、
なんだかんだと
難しいことが起きているこの世の中で、
今年も、わずか21日を残すばかりとなり、
こうやって、元気に生活できていることに、
感謝したいと思います。
ホントに、ありがとう。
今年も、いろんなことを学ばせてもらいました。
特に、Sさん、心から感謝します。
たくさん、救われました。
好き勝手にさせてもらいました。
ありがとうございます。
残り21日も、がんばりますよ。
願望が強すぎると、
感謝するべきことが
通りすぎても、
気づかないことになる。
願望は、
ちょっとクセモノ。
自分の子供でも、
期待する誰かでも、
「本当のあなたは、
~なんだよねぇ。」
と暖かい眼で見ているつもりが、
ただ、願望だけが強い、
ということもある。
しばらくすると、
その願望は、思っている側と、
思われている側双方を
つぶすことになる。
そうなれば、
感謝するどころではない。
願望は、強すぎてはいけない。
見えなくなってしまえば、
感謝もできなくなるよ。
人生、生きていて、
本気になれることに出会えている、
ってことは、幸せなことなんだと思います。
感謝です。
で、その本気に慣れることに出会えたから、
ほかの人にも、そういうものが見つかるように、
助けるのが役目だと思ったりする。
特に、自分の子供とかには、
そういうものに出会ってもらいたい。
親が親として、
本気になって応援したいことが、
子供が子供自身として、
本気でがんばりたいこととは限らない。
だから、
この子が本気でがんばりたいことは
なんだろうなぁ...って探す。
それが親の思い、願いとは違っても、
そういうものが見つかることを楽しみにして、
眺めてみる。感謝しながら、見つめている。
そういう気持ちになれないと、
助けられないんでしょうね。
親の自我が強くなれば、
感謝する気持ちも弱くなる。
本気は、そういうことでしか
見つからないかもしれないし...
本気になれることを見つけられるのは、
本当に感謝なんですね。
詐欺事件の小室哲哉被告が、
今晩、保釈されたようです。
保釈金の3,000万円は、
奥さんのKEIKOさんとかが準備したとのこと。
彼いわく、
「自分は裸の王様だった。
今一度チャンスを与えていただき、
音楽でみなさんに償いたい」。
やや疲れた表情でしたが、
報道陣やファンらに何度も頭を下げてた様子です。
これから、どうなるかは、
まだ誰にも分かりません。
チャンスを、チャンスと思って、
本当にがんばれるか、感謝しているか、
みんなに与えられる試しだと思います。
期待していたことが、
かなわなかったという結果を見て、
ちょっと、ガッカリすることがありました。
仕事のことです。
けれど、時間を置いてみたら、
そのガッカリの先で、
意外な展開があって、
いい結果になりました。
これって、
人間万事塞翁が馬、
とか言うんでしょうか。
ああ、ありがとう!!
って感じです。
世の中の出来事は、
どこで変わるか、
本当に分からない。
期待はずれが、
また期待はずれになって、
結局、思い通りになっていたりする。
世の中、捨てたもんじゃないです。
ありがとう!
って気持ちだけ、失わなければ、
いつかは、いいことに巡りあえる。
子供のように、
そんなふうに単純に考えるのも、
悪くない人生だにゃ。
この不景気な世の中、
給料明細書をもらって、
ガックリくる人もいるかもしれない。
でも、給料が0円でなくて、
ありがとう、っても思える。
この狭くて、広い日本。
だれかと比べて、
自分の幸せを確認するのも
なんだけど、
0円でなくて、
ありがとう、幸せ、
と思うこともできるはず。
たしか、逮捕された小室さんの会社には、
預金残高が6,259円弱だったという話。
才能あふれるあの人が、
何十億もの借金を背負って、
なおかつ、その預金残高が6,000円ちょっと。
借金0円で、預金5,000円の方が、
まだ幸せって言えるかもしれないですよ。
もちろん、出所して、
気合を入れて、やり直せば、
いきなり、何億も稼げる才能も
持っている人かもしれません。
そうだとしても、
0円でなくて、ありがとう、幸せ、
って思えることが、
次の幸せにつながるかもしれないですよ。
そんなふうに思えてきました。
娘らが、
どんどん大きくなって、
その成長過程で、
いろんなことをしてくれて、
親たちを喜ばせてくれます。
喜ばせてくれなくても、
やっぱり、かわいいと思える瞬間があって、
それだけで、
「ありがとう」
って思える時があります。
けれども、何かしら、
こちらの期待が大きくなると、
その「ありがとう」
という気持ちが薄まって、
もっと、がんばれ、出来るはずだ、
と押したくなります。
難しいです。
ありがとう、と、
もっと頑張って欲しい、と。
どちらも伝えたいから。
生まれてきてくれただけで、
ありがとう、っていうのは、
何かしら無理がある。
人は、成長するために生きているのは、
事実だから。
かわいいとは言え、
成長させるために、
ありがとうの言葉の後ろから、
ちょっとキビシイことも言わなければいけない。
だから、ありがとう、
といいながら、ちょっと、
ごめんなさいね、とも言ってるような気分。
子育てって、そんな感じに思えます。
「あと、1ヶ月くらいの命です」
と余命宣告されたとして、
「よし、残りの人生、バリバリ仕事をするぞ!」
ってはならないと思います。
きっと、妻や子供たちと、
ふつうに生きる生活を楽しむことだろう、と。
そういう、当たり前の生活に感謝して、
ありがとう、という気持ちを抱きながら、
生きていくんだろうと思います。
だったら、そういう余命宣告の日が来る前に、
そういう気持ちで生きていけたら、
そう思うわけです。
ありがとう、っていえることは、
そんなに探さなくてもあるように思います。