since 2001-12-24
いい言葉ねっと いい言葉で、人は癒される。いい言葉で、人は生かされる。いい言葉で、人は動かされる。
  いいコトバ

■読めばたちまちハッピーになるいいコトバ
「いい言葉ねっと」から生まれた本。第5刷目に入りました。 »詳細 »Amazonにて購入

メインメニュー

いい言葉メニュー

過去の特集メニュー

スポンサード・リンク

関連リンク

サイト内全文検索

Syndicate(XML)

QRコード

Powered by
Movable Type 4.1

« リラックス | メイン | 世の中・社会 »

2008年12月13日

人間の行動のすべてに...

人間の行動のすべてに
論理的な説明を
つけられるわけじゃないだろ。

むしろ、筋の通らないことの
ほうが多い。

(流星の絆、東野圭吾)

責任をとってくれ、
と言われて
責任をとれるようなことなら
いいのですが、

それが出来ないことも
人間には多いという気もします。

それでも、人間は人間に、
その責任を求める性質があって、
日本人は特にその傾向が強いかな。

わたしも、きっと、その一人。

だから、自分が責められないために、
他人をも責めないという人もいる。

それはそれで、
納得のできる生き方で、
ある意味、筋も通っている。

筋を通せば、
スッキリするように思えて、
感情は、スッキリしなかったりする。

だから、スッキリしない感情が
溜まりに溜まって爆発する、
というシーンも見えてくる。

筋は通らないけれど、
理由は、きっと何かある。

今の世の中の事件でも、
景気の動きでも、
救われる者がいたり、
救われない者がいたりするのも、
そういうことなんじゃないか、
と思います。

今救われる側にいるように
思える自分も、
いつ、救われない側に
回されるかは分からない人生。

その反対もありえるわけで、
筋の通らないことが、
面白く思えてくる時も
あるかもしれませんね。

そんな見方の出来る人間で、
いたいものです。

(参考)流星の絆(東野圭吾)

»友達に、いい言葉カードを送る

2008年10月27日

新しい現実は、チャンスである。

新しい現実は、
チャンスである。

(P・F・ドラッカー)

毎日に、
新しい現実があります。

新しい現実には、
慣れていないことが多いので、
だいたい、慌てふためきます。

最初に慌てふためくことは、
とりあえず、しょうがない。

しかし、問題は、
その後にどう向き合うか。

慌てふためくことが
趣味になってしまわぬよう、
チャンスとして見る目に
切りかえていくことが大切になる。

それが出来ない自分を
発見してしまうと、
新しい現実は
ストレスになるばかりだから、
そのうち、それらを見ることを
避けるようになるだろう。

見ないですむことなら、
そんなに楽なことはない。

新しい現実に付き合うと、
必ずと言っていいほど、
新しい行動を求められますから。

でも、自分から
新しい行動を起こすことを
思いついた時には、
けっこう面白いんですよ。

だから、
新しい現実に出くわしたら、
今度は、どんな新しい行動が
出来るかな?

って楽しめたらいいはず。

うまくいかなくても、
失敗をしても、
新しい行動を考えているうちは、
人間は大丈夫だと思います。

(参考)新しい現実(P・F・ドラッカー)

»友達に、いい言葉カードを送る

2008年9月14日

きっと人にペラペラ話せる努力など、...

きっと人にペラペラ話せる努力など、
努力のうちには入らんのだろうな。

(Mr.FULLSWING、鈴木信也)

達磨さんからの投稿です。

これをがんばったし、
あれにも苦しんだし、
それもやったし、

ってスラスラ出てくるような
努力のリストは、もしかしたら、
途中で投げ出したことのリスト
かもしれない。

「自分は、こんなに
 がんばってるんだよ。」

って人に示したくなること自体が、
もしかしたら、努力じゃなくって、
証拠提出みたいなものになってる。

がんばったことを、
人に示さなくてもすむ気分、
それを手に入れたい。

人に示すことを考え始めた時点で、
努力が、努力じゃなくなるから。

何ごともそうかもしれない。

見せるものと、
見せなくていいものを勘違いすると、
がんばることも変わってくる。

幸せになることと、
幸せそうに見せることも、
まったく違う。

おのずと「努力」の方向も異なる。
お金のかけ方とかも。

だからと言って、
ひたすら隠すっていうのも、
おかしいけれど、

努力は見せるためのもんじゃない、
っていうのは、努力の方向性が
ズレないようにさせるための
助言だったのでしょう。

(参考)Mr.FULLSWING(鈴木信也)

»友達に、いい言葉カードを送る

2008年7月18日

もしここで何も学びとることがなかったなら...

もしここで何も
学びとることがなかったなら、
次の世界もここと同じことになる。

それはつまり、
乗り越えなきゃならん限界、
はねのけるべき鉛の重荷が、
もとのままに残ってしまうことなんだ。

(かもめのジョナサン、リチャード・バック)

凌さんからの投稿です。

新しい環境に飛び込んでいけば、
今までの問題も何もかも解決する...

なんていうのは幻想です。

新しい環境に飛び込んで、
最初に変わるのは、きっと、
自分のモチベーションです。

よし、今度は、がんばってやるぞ!

って思ってスタートするはず。

けれど、しばらくすると、
なんか以前と似たような問題に
めぐりあっているような気がする。

そこで、道は2つに分かれる。

なんだ、ここも同じかよ!

こう思ってしまえば、
もうモチベーションは保てない。
誰かのせいに出来るものを探すばかり。

しかし、

どこに行っても、
同じ問題に遭うのかもしれない。
としたら、自分は何をするべきか。

と考えるようになれば、
次に進む環境、世界では、
また学べる習慣が作られることだろう。

なぁーんて言っている私自身が、
今の環境から逃げようとしていないか、
ちゃんと考えないといけないですね。

失礼しました。


(参考)かもめのジョナサン(リチャード・バック)

2008年6月 3日

お前がつまらないのは、...

お前がつまらないのは、
お前のせいだ。

(映画「アフタースクール」)

yunaさんからの投稿です。
「人生が面白いかつまらないかを
 決めるのは、自分自身なんですね。」

楽しいこと、
刺激的なことが
大好きな人には、
何もないことが耐えられません。

けれど、ゲームでも、イベントでも、
その他の何でも与えられていたもので、
楽しませてもらって、退屈しなかった、
という体験しか持っていないのなら、
きっと、その人は、退屈で、
つまらない人間になることでしょう。

与えられることに慣れた人間は、
創りだすことを忘れてしまう。

創りだすことは、
与えられることの10倍以上も
難しいことで、失敗も多い。

失敗があって、
次にはどうやって成功をするか、
を考えなくちゃいけないから、
退屈するわけがない。

与えられることになれると、
不平、不満ばかりを言うようになる。
前のあれの方がよかった、
今のこれは物足りないとか...

つまらなくするのも自分。
面白くするのも自分。

そういうことを
忘れないでいたいもんだ。


(参考)
アフタースクールへようこそ!―映画『アフタースクール』OFFICIAL BOOK

2008年3月17日

人は1対1だと優しくいられるのに…

人は1対1だと
優しくいられるのに
集団に入ると
残酷になるのかもしれない。

(朝日中学生ウィークリー)

人の後ろには、人がいる。

目の前の人を
たいして好きでない時に、
その人からだけ嫌われるのなら
たいした苦痛はないだろう。

しかし、
その人の後ろにいる人々まで
自分を嫌ったり、
自分を敵視するかもしれない、
と思い始めると、怖くなる。

そんな状況においても、
自分の後ろに守ってくれる人が
ちゃんと居るんだ、
と思えば、不安がなくなる。

集団になると心強い。

だから、逆に、
集団から離れることが
怖くなる時もある。

そういう心理が、
集団においての
自分の立場を守るために、
行き過ぎた行動を
生み出したりもする。

人間が、
残酷な存在とは思いたくない。
けれど、弱さゆえの怖さゆえ、
残酷なことをしてしまう可能性を
もっているのが人間。

一人と一人だけで
向き合うことを怖がらなければ、
本当は大丈夫なんだろうけどね。


(参考)狂気とバブル―なぜ人は集団になると愚行に走るのか (チャールズ・マッケイ)

2008年3月12日

やりたいことってなんですか?…

やりたいことって
なんですか?
それは、どうすれば
見つかるんですか?

それが見つかれば
強くなれるんですか?

ハチミツとクローバー(羽海野チカ)

やりたいことをやって、
幸せになった人もいれば、
不幸になった人もいます。

これは、間違いのない事実です。

もし、あなたに、
やりたいことを見つけて、
それを命がけでやれば、
必ず成功して幸せになれる、
という人がいたら、
ウソの可能性も認めたほうがいい。

欲望をあおる商法やビジネスに、
「やりたいことを
 やっていない人生は無意味、
 やりたいことを
 やれていない人は勇気がないだけ。」
という言葉が使われたら、
もう、それは違う話になります。

やりたいことブーム、
に流されてはいけない。

やりたいことは、
まわりに流されて、
あわてて見つけるようなものでなく、

もしかしたら、
何年もかかってしまう人が
いるかもしれない。

それでもいいんです。
人生の正解は、
いろいろ用意されていますから。


(参考)ハチミツとクローバー(羽海野チカ)

2008年2月24日

なんていうかな、ほら、…

なんていうかな、ほら、
あー生まれてきてよかったな
って思うことが何べんかあるだろう?

そのために人間生きてんじゃねえのかな。

(映画「男はつらいよ」)

Noirさんからの投稿です。
「寅さんにそう言われてしまうと
 納得してしまいます。
 何を求めていたんだろう…
 生まれてきてよかったなと思える瞬間を
 引き寄せなくっちゃ、ですね。」

朝から晩まで、
幸せいっぱい、
満足すぎる人生を
求めようとするから、
無理があるのかもしれません。

今度はこれ、次はこれ、
と求めようとする前に、

気づくだけで
幸せになることが
人生にはけっこうある。

もちろん、気づくだけじゃなくて、

「また味わってみたいね、この感覚」

って思えた時には
がんばらなければいけないこともある。

きっと、一度味わった感覚は、
同じレベルでは満足できなく
なっちゃうかもしれない。

同じような幸せに気づいて
感謝できる強さも、

さらに自分を成長させるために
がんばれる強さも、
もしかしたら同じじゃないでしょうか。


(参考)男はつらいよ 寅さん発言集

2008年1月25日

転んだときの光景は、…

転んだときの光景は、
転んだときにしか見られない。

(作者不詳)

スケッチブックさんからの投稿です。

世の中には、
数え切れないほど光景があるから、
生きているうちに
いろんな光景を見たいと思う。

時間がゆるすなら、
あっちこっちに
行ってみたい。

自分が行きたいところ、
っていうのは、だいたいが、
自分がいい気持ちでいられるところ。

それはそれでいい。

しかし、時に、人生は、
いい気持ちでいられないところに
連れて行ってくれる。

そして、
自分がうまくいっていない光景とか、
転んだときの光景、情けない光景を
見せてくれる。

無理やりに近い方法なんだよね…

けれど、
その無理やり見せられる光景に、
自分が見たい光景よりも
もっと見る価値のあるものが
あったりする。

そんな光景も
二度と見られないものかもしれない。

出来ることなら、
もう見なくていいように、
ちゃんと見ておいたほうがいい。

それが光景の眺め方。


(参考)地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」(細谷 功)

2007年8月 1日

雨が降らなきゃ、虹は見られない。

雨が降らなきゃ、
虹は見られない。

(英語)
No rain, no rainbow.

(ハワイのことわざ)

日本語では、
雨と虹の漢字には、
つながりが見えない。

それもそのはず、
虹の文字に「虫」が
あることから分かるように、昔は、
生き物(竜)の一種だと
思われていたらしい。

空に横にかかる七色の竜、
なんて幻想的ですね。

それが英語だと、
rain(雨)+bow(弓)
というように、
ちゃんとつながりが見える。

時には、
恵みの雨でもあるけれど、
雨で濡れるのは、
ほとんどの場合は好きじゃない。

けれど、
虹が出たときには、
きれいだと思う。
虹が出ても、
きれいだと思えないくらい
心の余裕がなくなっていたら、
それは悲しい。

虹(rainbow)の中に、
雨(rain)が隠れているように、

漢字で言えば、
幸せの中には、
辛いことが隠れている。

だから、
最初に辛いことが来たら、
期待して間違いないと考えて
生きていきたいと思います。


(参考)天上の虹(里中 満智子)

2007年7月20日

わしらが不幸なのは、…

わしらが不幸なのは、
自分を敬う気持ちを
失ってしまったからです。

(この世で一番の奇跡、オグ・マンディーノ)

好きなことが出来ないから
不幸と思う人がいる。

欲しいモノが手に入らないから、
不幸だと言い張る人もいる。

友達や仲間がいなくて
注目されないから、
不幸だと感じる人もいる。

でも、そんなことは、
実際のところ、
不幸でも何でも
ないことかもしれない。

そういうことに気づいたときに、
人は、自分を敬うことを
学び始めるんでしょう。

生活しているどこかに、
満足できることがあって、
そうでないことも
どこかにあって当たり前。
そういうことを受け入れながら、
自分の生きている理由を
時間がかかってもいいから探す
っていうのが、
自分を敬うことだと思います。

もしかしたら、
好きなことを見つけるのが
それになるかもしれないし、
反対に、嫌いなことを見つけるのが
それになる可能性もありえる。

自分を敬い始めれば、
自分に大きな自信がつく
という約束すらない。

だから、幸福感も
すぐに味わえるとは限らない。

自分を敬うというのは、
すぐに結果の出ることを
追い求めるとは
話が違うことなのでしょう。

ちゃんと自分と
向き合ってあげること。
それが出来れば、
大切な人とも向き合えるはず。
相手をも敬えるということです。


(参考)この世で一番の奇跡(オグ・マンディーノ)

2007年7月10日

欲求が肥大化するとともに、…

欲求が肥大化するとともに、
心は満たされず、
空虚なものとなっていきます。

(依存症がよくわかる本、榎本稔)

あなたにがんばってもらうのが
私たちの目標です。
なんて平気な顔をして、
言う人がいます。

それって、単なる欲求だろ?

目標っていうのは、自分たちが
どんなふうにがんばるか、
っていうことのはず。

自分ががんばることについては、
自分のレベルや限界を考えながら
取り組むはずだから、
そんなに肥大化することはない。

けれど、
他人から与えられたり、
他人に期待することは、
相手の都合なども考えず、
肥大化する傾向はありえます。

今朝、PHPの雑誌「THE21」で、
こんな言葉を見つけました。

「私はお金に困っている人ほど、
 タダ働きをするべきだと
 考えている。」(斎藤孝)

自分の目標のためには、
それほど努力する気がなく、
自分の欲求のためだけに
かなりうるさい人間は
損得勘定だけは一人前に出来る。

けれど、
その損得勘定が
間違っているから、
お金を利用しているつもりが、
お金に利用されるようになる。

そういう人だからこそ、
欲求とか、お金から離れて、
自分の存在の意味を感じるために
働く時間が必要なのだ。

欲求が肥大化して、
自分でコントロールできなくなる前に、
肝心の「自分の中身」と
向き合わなくちゃいけない。
そのための働き方を見つけるんです。
欲求ばかりに心が占められないように…


(参考)依存症がよくわかる本(榎本稔)

2007年7月 5日

空の袋は…

空の袋は
まっすぐ立たない。

(英語)
An empty bag
cannot stand upright.

(ベンジャミン・フランクリン)

たとえば、
人間で言えば、
中身のない人に、
「しっかりしろ!」
と言われても、
そのしっかりが
よく分からないわけで…

しっかり立てるわけがないのです。

余計なものでも、
ダメな思いでも、
中に詰まっている方が
立っているように見えちゃう。

ただ、
袋の中に入っているものが
ごにょもにょしていたり、
液体だったりすると、
時間が経てば、形が定まらず、
倒れることもあるのです。

それは、人間とて同じこと。

しっかりと自分をつくるものか。
それとも、一時しかもたないものか。

中に入れるときに分かれば、
一番いいのだけれど、
時間が経ってみないと
分からないものもあるから
立てるはずのつもりが
うまくいかないこともあるのです。

そうでなくても、
年をとると腰も曲がってきて、
まっすぐ立てなくなりますからね。


(参考)人生を幸せへと導く13の習慣 (ベンジャミン・フランクリン)

2007年6月25日

10年後の自分からアドバイスをもらう

10年後の自分から
アドバイスをもらう

(きっとよくなる!、本田健)

結局のところ、
あなたという人は、
友人とかに助言されたことを
やってみたりしてます?

逆に、
あなたの友達とかって、
あなたが助言したことを
試したりします?

もし、だいたいにおいて、
その通りだ、と言える人は、
きっと、自分も含めて、
素直な人同士の仲間が
あるんでしょう。

一方、うーん、
思い返してみれば、
助言された通りに
やることはない。

というのが事実だとすれば、
残念ながら、自分の中で
気づく以外に方法がないことになる。

自分という人間は、
どんな人間か。

一番いい方法を探しているか。
本当に正しいことを知りたいか。

多分、そうじゃない。
ほとんどは…

自分がやろうとしている方法が
一番いい方法であって欲しいと
願っている。

自分が信じていることが
絶対に正しいと思い込んでいる。

だから、
それが覆される出来事が
目の前で起きるまでには、
誰からの助言にも
耳を傾けるのが難しい。

だとすれば、
未来の自分に
登場してもらうしかない。

自分が理想と思う自分に
10年後になっているとして、
その自分は、
今の自分に何を助言するか。

これもまた、意外に難しい。
心の中に、10年後の自分を
登場させるのを待っているうちに、
10年なんて、あっという間に
経ってしまうかもしれないからね。


(参考)きっとよくなる!(本田健)

2007年4月22日

偽善と言うだけで人にやさしく出来ない人よりも、…

偽善と言うだけで
人にやさしく出来ない人よりも、

偽善と言われながらも
人にやさしく出来る人の方が、
何倍もすばらしい。

(引用元不明)

ジョーさんから投稿です。

私もどちらかと言うと、
人に優しくないタイプの人間だから、

誰かが人に優しくしていたり、
親切にしていたりすると、
偽善っぽく見てしまう時がある。

自分が優しくされるのは、
悪い気がしないのにね…

勝手なものです。

おそらく、
自分ができないことを
簡単にやれちゃう人間が
うらやましいところも
あるのでしょう。

だったら、自分も
やればいいだけのことですが、
自分の性格、キャラに合わないとか
思っているところもあります。

でも、思い返してみれば、
私がやっている善もあるわけで、

私がやっている善=本物、
他人がやっている善=偽善、

という偏見もいくらか
持っているのかもしれません。

もし、そうだとしたら、
ちょい性格悪いよなぁ…

そういう性格の悪さを隠すために、
他人のやっていることを偽善とする。
偽善というレッテルを貼る人には、
そういうケースもあるでしょう。

本物だったか、偽善だったかは、
あとあと、自分で分かってくるのです。

仮に、偽善だったとしても、
誰かのためになっているとしたら、
それはそれでいいはず。

動機が良ければ
どんな結果でもOKじゃないし、
結果が良ければ
どんな動機でもOKじゃないのだから、
今出来る最善だけを考えることにしよう。


(参考)影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか(ロバート・B・チャルディーニ)

2007年2月19日

…もともとなかったと思えば…

名誉を失っても、
もともとなかったと思えば
生きていける。

財産を失っても
またつくればよい。

しかし勇気を失ったら、
生きている値打ちがない。

(ゲーテ)

「もともとなかったと思えば」

これ、とても大切な
ひらめきだと思います。

運良くというわけじゃない、
なんとか頑張って手に入れた、
というものには、
強い思い入れもある。

だから、失えば、
ガックリと来ちゃう。

お笑い芸人さんは、
離婚でも、破産でも何でも、
ネタにしちゃってるけど、
実際のところ、
心の中がどうかは分からない。

「なかった」と思えるくらいに、
心を切りかえられない限り、
失ったものには誰でも未練があるはず。

あの時、あれをしてなければ、
あそこで、あの決断をしてなければ、
そんな後悔ばかりが思い出される。

しかし、
生まれ変わるまでは
いかなくても、

「なかった」ものに出来る勇気は、
すごいパワーになるはず。

何か新たな決心をする時に、
「そんなことをしたら、
 今までの自分を
 否定してしまうことになる。」
と考えちゃう時もあると思うんです。

でも、守るべき価値のある
「今までの自分」なんて
ないかもしれないんです。

とりあえず、自分の中では
なかったことにしましょう。


(参考)華麗なる一族(山崎豊子)

2007年1月 7日

どの道に進むかではなく、…

どの道に進むかではなく、
おまえの選んだその道を
どう生きるかが大切なんだよ。

(引用元不明)

ある占いを見れば、
2007年は、あなたの厄年。

また、別の占いを見れば、
2007年は、あなたの当たり年。

さらに、ほかを見れば、
2007年は、あなたの
がんばり次第でしょう…

どれを信じるか、
何を信じるかよりも、やっぱり、
何を信じたいかだと思います。

そして、信じたものが、
信じるだけの価値あるものなら、
きっと、結果がどうあれ、
納得がいくことでしょう。

誰のせいにする必要もない生き方。
占いのせいにも、環境のせいにも、
時代のせいにも、運命のせいにも…

何が起きるかなぁ、
と待ってだけいれば、
いろんなものに左右される。

どう生きるかに集中していれば、
自分でコントロールできるものが
見えてくる。

もう、今年の選択は、
1つずつ始まっています。

選んでしまったことを悔やまずに、
今この時に何が出来るかに
思いを注いで、生きていきましょう。


(参考)がばいばあちゃんの幸せのトランク(島田洋七)

2006年10月28日

…ハッピーエンドストーリーにこじつける想像力…

私は、楽観的になれば成功する
という考えには否定的で、
むしろ、

幸せに人生を成功していく人は、
何事がおこっても
ハッピーエンドストーリーに
こじつける想像力が豊かである、
と言い換えたい。

(奥田弘美)

「なるようになるさ」
たしかに、そうかもしれない。

「なんとかなるさ」
たしかに、なんとか、はなる。

けれど、自分から
行動する気のない楽観主義は、
「なんとか」はなっても、
自分の意志が少しでも
反映されたことは起こらない。

ハッピーエンドストーリーに
こじつける想像力って、
けっこう大変だと思うんです。

たとえば、
こんなふうな想像力が
必要ということでしょ?

今朝、うちの妻恒例の
「モノを失くす」という出来事が
発覚しました。

「またかぁ…」と責めながら、
妻といっしょに探しているうちに、
失くしたと思っていた別のものとか、
隠し場所を忘れていたへそくり1万円が
見つかってくれるとか。

たしかに、
そんな想像力を抱きながら、
モノを探すとしたら、
けっこう楽しい気がします。

「どうして、いつも、
 おまえはモノを失くすんだよ。」
とブツブツ言いながら、結局、
見つからないよりも。
(実際は、そうでしたが…)

自分にとってイヤな行動でも、
自分で楽しめるようになる想像力。
これが身についたら、これって、
すごい才能だと思いますねぇ。

ちょっと真剣に、
この想像力を練習しようと
考えているところです。

皆さんも、いかがでしょう?


(参考)ココロ・デトックス~「ココロの洗濯」をすれば、いいことがいっぱい舞い込んでくる!(奥田弘美)

2006年10月20日

みんなによく思われようとして…

みんなによく思われようとして
懸命にやったとしても、人は
たいてい気づいてくれないものだ。

みんな自分のことを
考えるのに忙しく、
自分がどう思われているかを
知るほうにご執心なのだ。

(人の目なんか、気にしない!、デューク・ロビンソン)

気づかれなかったことに
ガッカリとするのなら、
思う順番が違っている。

大人になったら、
なおさら、その順番は
変えなくちゃいけない。

子供の時には、
ほめて欲しそうな顔をすれば、
たいていは、ほめてもらえた。

なかには、
そんな余裕もない大人も
いるけれど…

ほめてもらえそうだから、
がんばるんじゃいけない。

お金になりそうだから、
がんばるというのも、
いつか失望させられる時がある。

懸命になれることだから、
とりあえず頑張ってみる。
その先で気づいてもらえたら
ラッキーだ、くらいがちょうどいい。

だって、そうでしょ。
みんなみんなが、
「頑張っている自分に
 どうか気づいて欲しい」
と思いながら頑張っていたら、
誰が気づいてくれるというのだ。

そういうことだから、
気づいてもらうとか、
よく思われるとかを
目標にすることには、
根本的に無理があるのだ。

いっそ、逆の発想で、
気づいてあげよう、
ほめてあげよう、
ということを目標にした方が
達成されやすいと思うのだが…


(参考)人の目なんか、気にしない!(デューク・ロビンソン)

2006年7月15日

努力しない人は不満を語り、…

努力しない人は不満を語り、
努力する人は希望を語る。

(引用元不明)

ヤマヤマさんからの投稿です。

キビシイことを言えば、
希望や夢を語る人の中には、
今の不満から逃げるために
語る人もいます。

だから、
それを語る姿を見ただけで、
努力する人と評価するのは、
早計というもの。

語るだけで、
夢が叶うわけじゃない。

そして、もっと言えるのは、
誰かに不満を語って
共感が得られたとしても、
事態は何も変らないのだから、
その後も一向に努力しない人は、
また別の人の共感を得るために
ただただ不満を語り続けるのだ。

なんと虚しいことか…

不満を口にするのは、
クセになる。それも、
なかなか抜けないもの。

自分が止めないことには、
誰も止めてくれないのだ。
自分の心から出てくるものだから。

不満をバネにして努力する人であれば、
もちろん、話は別だけれど…


(参考)無理している人ほど傷つきやすい—満足と不満の心理学 (加藤諦三)

2006年7月 7日

現実はつまらない。…

現実はつまらない。
その現実を前にして、
人には三つの選択肢がある。

つまらない現実に慣れるか、
つまらない現実から逃げるか、
それとも、
つまらない現実を変えてしまうか、だ。

(夢散幻想)

lowさんからの投稿です。
「できることなら、常に
 3番目を選んでいきたい。」

現実が面白い、
楽しくてしょうがない、
と言う人がいるとすれば、

きっと、
いいことがあったばかりの人か、
現実にあわせて自分を変えたり、
自分にあわせて現実を変えたり、
そんなことが出来る感じの人でしょう。

大人であれ、子供であれ、
「つまらない」という口ぐせが出てきたら、
黄信号だと思う。それは、
自分の人生に「受け身」になっている証拠。

たとえば、つまらないからと言って、
ゲームでも何でも、新しいものを、
親が子供に与えたところで、
しばらくすれば、またつまらなくなる。
これは、決まりきったこと。

決まりきった状況に、
決まりきったセリフを言って、
決まりきった反応だけをするから、
いつまでも、つまらないのだよ。

アイデアでも、考えでも、行動でも、
自分の中から何かを出さない限り、
決まりきった状況は変わらない。

仮に、自分の中から何かを出したのに、
結果が変わらないとしても、
自分が何かをした現実だけは残るのだから、
つまらないはずはない。

だけどね、実際、
自分の思い通りにならないから、
「つまらない」と思っちゃう人がいるけど、
すべてのことが本当に思い通りになったら、
それって「つまらない」ことじゃないのかなぁ。

思い通りっていうのは、
自分の狭い心で描いた世界だけが、
ずっと続くってことだよ。

私は、そんなに見識も心も広くないから、
そんなことを考えただけで、
つまらなくなるよ。

つまらない、ってことを
勘違いしちゃダメだよなぁ…

(参考)ドラマCD「夢散幻想ガンパレード・マーチ」

2006年7月 6日

…それは人の目じゃないんだ。…

人の目というが、
それは人の目じゃないんだ。

人に見られている、
と思っているときは、
自分の心が人の目のかわりを
やっていることで、つまり、
キミが人の目と思っているのは、
自分の”目”なんだよ。

(ほぼ日「TAROのひとこと」)

今日のほぼ日手帳にあった言葉。

おぉ~っ、この考え方、
必要だなぁと思って、
皆様におすそ分けです。

この手帳を使っている方々には、
手抜きみたいに見えちゃうかなぁ…

って、この「見えちゃうかなぁ」
というのも、結局、
私自身の目なんですよね。

もしかしたら、
正しいかもしれないけれど、
人の目と思っている
「自分の目」を気にして、
自分の手足ばかりか頭までも
止めてしまったら、もったいない。

やっぱり、思い込み?

そんなふうに思われているかも、
って考えている自分がいるように、

他の人も、自分が
どう思われているかを
考えている、気にしている。

そんな人間だけが集まっていたら、
誰が、他人を見て、批評している
っていうんだろう。

「どう思われているか」
これを考えるのは、

自分の背中を自分で見ようとして、
同じ場所をクルクル回っている、
それに似たようなもんなんだよ。


(参考)強く生きる言葉(岡本太郎)

2006年2月24日

どの答えも、お前にはしっくり…

どの答えも、
お前にはしっくり
くるはずがない。
なぜだか分かるか?

お前の中身が
空っぽだからさ。

(漫画「結界師」、田辺イエロウ)

かむらさんからの投稿です。

自分が空っぽだったら、
どんな答えも響かない。

目の前に、
どんな選択肢が置かれても、
その価値なんか
分かる訳ない。

ブタに真珠、
ネコに小判、
馬の耳に念仏、
というレベルでしょうか。

そもそも、
自分が欲しい答えばかりを
意識しすぎていることに
気づかない原因が
あるかもしれない。

自分が欲しい答え以外の
ところは、空っぽ…

何の受け皿も用意していない。

そうこうしているうちに、
流行を追うとか、
一時の損得とか、
人の真似をするとかだけが
答えになってしまう。

自分の中身ねぇ…

改めて、あるか?
って問われたら、
考えちゃいます。

思い込みしかなかったら、
悲しいです。
空っぽに近いことになるから。

皆さんは、いかがですか?


(参考)結界師(田辺イエロウ)

2006年2月21日

不満を言うほど、人生は悪いものじゃないから。

不満を言うほど、
人生は悪いものじゃないから。

(アシュリーの言葉)

通常の8~10倍のスピードで
体が老化してしまうという
プロジェリア患者さん。

今日の言葉は、その一人、
14歳のアシュリーちゃんが
語ったものです。

「時間よ、遅くなれ!」
と言っても、
周囲の誰よりも速い
時計のスピードは
変わってくれない。

やり残したままのことが、
どんどん置き去りになっていく。
これで、不満が出ない方がおかしい。

以前紹介した「引き算の人生」
という詩を思い出しました。

「人生は足し算だと思っていました。
 学校へ行って新しいことを勉強し、
 できなかったことができるようになる。
 友達をつくる。
 知識や技術を身につける。
 働いてお金をもうける。
 服を買う、車を買う、家を建てる。
 足りないものは足していく。

 …

 (でも、病気になって)
 今までできたことが、
 できなくなりました。
 やりたくてもできないこと、
 どんなにしたくても、
 やってはいけないことも
 増えました。

 それから人生は引き算になりました。
 たくさんあることの中から、
 ほんとうにしなければならない
 ことだけを残す引き算です。」
 (傷つきやすいあなたへ、木村藍)

ポイントは、
人生に不満があるかどうかでなく、
不満を言う人間でいたいかどうか、
だと思うのです。

他人から見れば、
「そんなことなんか」
と思えることにでも、
当の本人は、きっと
不満を見つけられる。

人生って、そんなもの。

だからと言って、
誰かと比べた上で
満足するのも違うけれど、
不満に埋もれた自分だけには、
なりたくないですね。

(参考)アシュリー~All About Ashley~(アシュリー・ヘギ)

2006年2月20日

…人を人とも思わなくなったとき…

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 

堕ちてゆくのを
隠そうとしても
隠せなくなった人を
何人も見ました

(汲む、茨木のり子)

茨木のり子さんが
亡くなりました。
今朝のニュース報道です。

鋭い詩が多く、
これまで紹介してきたものを
読み直してみても、
やはり気づきがあります。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
 …
 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ」
 (自分の感受性くらい、茨木のり子)

「もはや
 いかなる権威にも
 倚(よ)りかかりたくない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい」
 (倚りかからず、茨木のり子)

子供の目は初々しく、
素直な見方をするゆえに、
時に、グサリと刺さる。

それに耐えられないオトナは、
キレるだろうなぁ…

ただ、同じように見えて、
初々しいと足りないは違う。

初々しいまま、
知恵を加えることは出来る。
そして、賢明になっていく。

しかし、初々しいまんまで、
知恵を加えることをしなかったら、
きっと無思慮になってしまう。
初々しさで許されない行いや言葉が
出てくることだろう。

そういう態度でいながら、
プライドだけは一人前となると、
裏と表のアンバランスが生まれる。

その裏を隠して隠して隠して
生きていったとしても、
どこかで明らかになるんです。

プライドだけは一人前。
そういう人間が
一番始末に負えない。

(参考)自分の感受性くらい(茨木のり子)

2006年2月15日

あなたの内であれ外であれ、…

あなたの内であれ外であれ、
あなたが見るものを
変えることなど全く不要。

あなたが見るものを
見る目だけを変えなさい。

(英語)
Inside yourself or outside,
you never have to change
what you see,
only the way you see it.

(タデウス・ゴラス)

見方を変える訓練は、
見る目を育てます。

何度同じものを見ても、
何度同じ失敗をしても、
見る目が育っていなければ、
それがくり返される。

おそらく、
見る目が育つと、
見ようとするものも
自然に変わってくると思う。

見るものは、
自分の外ばかりじゃ
ないんですねぇ。

内にあるものにも
目を向けないと、
「思い」の置いてけぼりを
してしまうことになる。

置いていかれた「思い」
っていうのは、
どこかで癒されることを
求めるようになります。

なかには、
プラス思考で
うまく解消できる人も
いるでしょうけれど、
そういうことも含めて
自分の内と外を見る目が
欲しいと思う私です。

外は上手に分析する目があっても、
内が分かっていなくちゃねぇ。

範囲を広げると、
リーダーにとっては、
家庭の内と外だったり、
組織の内と外だったり、
いろいろ関連してくる
かもしれません。

ごまかせない瞬間が、
そのうち浮かんでくるもの。

見る目が欲しいぃぃぃぃ~!

(参考)なまけ者のさとり方(タデウス・ゴラス)

2005年10月26日

…気にしたところで、…

他人が、自分のことを
どう思うかなんて
気にしないことです。

気にしたところで、
相手の気持ちを
コントロールすることなんて
できないのですから。

(何かを心配しているときにそっと読む本、アン・ウィルソン・シェイフ)

俊介さんからの投稿です。
「人からどう思われているのかを
 気にして生活していたら、
 何だか苦しい。
 そんなことを気にしないで、
 自分らしく生きていきたい
 と思いました。」

いくら悩んだところで、
いくら考えたところで、
コントロールできるもんじゃないよ。
人の心というものは…

コントロールできないものを
長い時間、考えているよりも、

その同じ時間で、まず、
コントロールできるものは何か、
を探した方がいい。

そして、
それでも時間が余ったら、
コントロールする方法を
考えた方がいい。

さらにさらに、
それでも時間が余ったら、
実際に行動を始めればいい。

結局、気づくのです。
コントロールできるのは、
そういうふうに変えていく
自分の心と、自分の行動だけだと。

それに気づけたら、
ラッキーです。

私も、何度も、
コントロールできないものに
ぶち当たり、最後には、
そういう結論に至り、
いくらか平和に生きることが
出来るようになったと思います。

キツイ言い方をすれば、
他人の考え方、生き方よりも、

まず、自分の考え方、生き方を
よりよくしなければ、
影響すら与えることなど
出来ないのです。

【参考】
何かを心配しているときにそっと読む本(アン・ウィルソン・シェイフ)

2005年10月25日

あなたが正しいときには、だれも覚えていない。…

あなたが正しいときには、
だれも覚えていない。
あなたが間違ったときには、
だれも忘れない。

(英語)
When you’re right,
no one remembers.
When you’re wrong,
no one forgets.

(作者不詳)

他人は厳しいですね。

ただ、これに付け加えたい。
「別の人が間違ったときには、
 自分の間違いを忘れてもらえる。」

人は、誰かの失敗を騒ぎたがる。
多分、私もその一人…

でも、自分の失敗は、
騒いでもらいたくない。
しかし、そんなことは、
自分を見てみれば分かるように、
無駄な望みなのだ。

だから、
何か失敗をした時には、
無理に弁明したり、
証拠を探したりしないで、
黙っているに限る。

弁明や証拠探しに走れば走るほど、
人々からの疑いは強くなる。
だから、じっと待つ。

次に、誰かが大きな失敗をして、
自分への注目が離れていくのを。

こんなことを書くと、
何か他人の失敗を願っているようで、
ちょっと性格が悪いような感じも
しますが、そういうことでもありません。

次に失敗した人も騒がずに、
同じようにすれば、
同じことを学び、
心の平安が戻ってくるのです。

だから、それを
学べなかった人のところにだけ、
いつまでも注目が留まります。
騒ぎ続けるから、疑われ続ける。

失敗は誰もがすること。
大切なのは、その後の対応。
その対応においても、
誰もがする失敗をすると、
もう手がつけられません。

気をつけてくださいね。

【参考】
人生は数式で考えるとうまくいく(大村あつし)

2005年9月 2日

あんたって、ほんとセンス悪いわねぇ。…

妻「あんたって、
  ほんとセンス悪いわねぇ。」

夫「お前を選んだのは、
  (そのセンスをもつ)俺なんだが…」

(投稿)

ミチコさんからの実体験投稿です。
「旦那のファッションセンスが、
 あまりにも悪いので、
 それを口にしたら、
 旦那からこう返されたのです。」

旦那さん、本質を突いていますね。

私たちが
何かを責めたり、
何かを嘆いたり、
何かのせいにする時に、

それは、
さかのぼってみれば、
ずっと以前の自分の選択に
関係していたりする。

伴侶を責めるのは、
最も身近にある一例でしょう。

「選ぶセンス」について、
こんな言葉が思い出されます。

「男が女を選び、
 女が男を選ぶことの中には、
 選んだその人の全人格が現れている。」
 (愛子の女大学、佐藤愛子)

やっぱり、そうだろうなぁ、
と思っちゃいます。

「選ぶ(見る)目のない人すべてが
 もっている欠点は見栄である。」
 (借りのある人・貸しのある人、
 フランチェスコ・アルベローニ)

おそらく、何度も、
いろんなものを選ぶ経験を
していけば、普通は、少しずつ
知恵が加わるはずなのです。

しかし、いつまでも、
見栄という視点ばかりを
持っていると、その選ぶセンスは、
そこで停滞してしまうのです。

選ぶのは、
偶然のことでない。
選ぶことには、
人格のすべてが現れる。

そう考えると、選ぶって、
かなりスリルなことなんですね。
何を選ぶにしても…

【参考】
ぼくらはみんな生きている―18歳ですべての記憶を失くした青年の手記 (坪倉優介)

2005年7月31日

われわれ一人一人が、「変化の扉」の門番。…

われわれ一人一人が、
「変化の扉」の門番。

その扉は、
内側からだけ開けられる。

(英語)
Each of us guards a gate of change
that can only be opened from the inside.

(マリリン・ファガーソン)

世の中、
セキュリティというものが
かなり厳しくなっています。

いろんなところに、
警備会社のガードマンが立っていて、
その業界の繁盛ぶりがうかがえます。

いざという時には、命をかけて
何かを守らなければいけない職業。
必死さが要求されることでしょう。

わたしたちが「変化の扉」を
守っている時にも、かなり
必死になっています。

何を守っているのか?

おそらく、
「今までの自分」です。
言葉をかえれば、
「変わらないで済むこと」を
守っているのでしょう。

効き目のある言葉を
思い出しました。

人は、自分のなかに
「変わらなくてもいい素晴らしい部分」
があると気づいたとき、
安心して変化を受け入れる
(コンサルティング能力、佐々木直彦)

ぜんぶを一度に変えるのは、
ふつうは難しいです。

まれに、それが必要な時もありますが、
だいたいは、まず、
「変わらなくてもいい素晴らしい部分」
を見つけることによって、
いくらか自分を安心させてから、
「変化の扉」を開けさせるのがいいです。

ただ、自分という門番は、
そういう頑固な面もありますが、
弱点となる「ある誘惑」に対しては、
とても弱いということを
忘れてはいけません。

守る自分も人それぞれ、
弱い弱点も人それぞれです。

【参考】
頭脳の果て(ウィン・ウィンガー)

2005年6月 3日

人は自分のことすら理解できないのです。

人は自分のことすら
理解できないのです。

(9つの性格、鈴木秀子)

そっか、あの人と私には、
利害関係しかなかったのかもな、
と思うことがあります。

一つは、以前の会社の
同僚と再会したとき。
懐かしさを、自分の心の中に
呼び起こそうと思っても、
そんな気分になれない自分がいる。
(もちろん、相手によっては、
 意気投合する場合もある…)

もう一つは、
自分では、親しくしていた、
あるいは、面倒を見ていた、
と思っていたけれど、相手が
そんなふうに思っていない
という事実が分かった時。

考えてみれば、簡単なこと。
自分自身が、利害関係だけで
付きあっていた、もしくは
相手をしていただけだから、
そうなるのです。

乱暴な言い方かもしれませんが、
もしかしたら、会社だけでなく、

家庭をも、
利害関係以外にありえない、
と見る人がいるかもしれない。

養う、養われるという経済力。
愛する、愛されるという心の力。
こんな感じのものです。

もちろん、
何も問題が起こらないときには、
生活がゆがむことはありません。
しかし、何か起こった時には…

さっき、窓から広がる青空を見て、
沖縄は、この時期、
気持ちいいだろうなぁ、

と思いながら、又吉おばぁ、
と私が呼んでいる一人の女性を
思い出しました。

お互いに、
何の得があるわけでもなく、
それぞれの感性に惹かれて、
ちょっとした出会いから、
今でも交流が続いています。

何の利害関係もない彼女には、
なぜか、私の魅力を
理解してもらっている、
という確信があるように思います。
(思い込みかもしれませんが…)

不思議なものです。

もちろん、利害関係を悪者扱い
するつもりはありません。

利害関係だけを見て、
人それぞれの魅力に気づかない、
私や人間の方に、問題があるのでしょう。

それに、いくらか利害関係がなくては、
誰も責任をもって、生きることを
考えなくなるのも事実です。

ただ、何か息詰まった時には、
利害関係のない誰かに対して、
「自分のことを理解してもらえて、
 気づきを与えてくれるかも…」
と思うのは、差し支えないでしょう。

そのかわり、
利害関係のないところだけに、
逃げるのはやめましょう。
それは賢明じゃないです。

【参考】
9つの性格(鈴木秀子)

2005年4月12日

絶望と希望(川嶋あい)

絶望と希望(川嶋あい)の歌詞

人は心に~の部分

人と何かの交渉をする時には、
力で押して、すべての逃げ道を
ふさぐよりも、

気づかれないように、
「ここが残っていて良かったぁ」
と思えるような逃げ道を
用意しておいた方がいい。

そして、その先で、
こちらが望むものを
通過するような仕組みに
なっているだけでいい…

なかには、
逃げ道があっても、
自分で新たな道を創り出して、
前進していける人もいる。
しかし、そういう意欲のある人は、
ごくわずか、3%もいるだろうか。

ただ、その3%の人たちでさえ、
別の場面では、
逃げ道を探すことだってある。

何からも、どんなものからも、
逃げたくない人なんて
いないはずだから。
仕事からは逃げないが、
家族からは逃げたい人がいるように。

「出来れば、逃げたい。」
人がもつ、そんな心理状態を理解すれば、
自分に対しても、他人に対しても、
もっと賢くなれるかもしれない。

逃げたい「本質」、
理解してみよう。

【参考】
絶望と希望(川嶋あい)

2005年1月28日

意地ばっかり張ってると、幸せが逃げちゃうよ?

意地ばっかり張ってると
幸せが逃げちゃうよ?

(NANA、矢沢あい)

今話題のマンガより、
いい言葉を見つけました。

もちろん、
意地をとおして、
うまくいくこともあるでしょう。

でも、ある一線を越えた時、
それまでの意地をとおすか引くか、
どうするかっていう瞬間が、
誰にも訪れます。

よく意地を張る人の話を
聞いてみると、本当は、
意地なんか張りたくないって、
言います。

「じゃあ、どうして?」と聞けば、
意地を張るのをやめると、
自分が壊れそうな気が
するんだそうです。

それまでの自分が、
ガタガタと崩れて、
何も残らなくなるような気が
するらしいのです。

かと言って、
今のままでいいとも
思っていない。

新しい幸せ、
新しいチャンスに
飛びつきたいのに…

意地を張り続けているうちに、
足が、その地から離れなく
なっちゃっている。

意地を張るのって、
うまくいっても、
うまくいかなくても、
苦しいんですね。

どうしましょうか?

なんか、年を重ねると、
壊したくない自分が多くなって、
ますます意地を張りたくなりそうです。

気をつけねば…

【参考】
NANA(矢沢あい)

2005年1月26日

あなたの許可なくして、誰も、あなたを…

あなたの許可なくして、
誰も、あなたを
傷つけることはできない。

(エリナー・ルーズベルト)

ルナさんから、
「受け止め方のことですよね。
 なるほどと思いました。」
というコメントとともに、
投稿をいただきました。

「傷ついた、傷ついた。私は、
 こんなに傷ついているのよ。」
と騒ぎ立てる人に、
この言葉を見せたら、
どんな反応を示すでしょうね。

おそらく、
「何よ、人の気も知らないで!」とか、
「人の気持ちを理解できない人ね。」とか、
言われて、おしまいだろうなぁ。

これ、人に、
言ってはいけない言葉の
ように思います。
かなり親しく、信頼関係が
ある場合を除いて…

自分で、気づかなきゃいけない
ことなんですよね。

と言いながら、ほとんどは、
顔も心も知らない皆さまに、
今日、この言葉を紹介している私は、
いったい何者よ、という気もしますが、
ここは、おゆるしください。

ぜんぶぜんぶとは言いませんが、
もし、自分の心に傷を感じたら、
それは、心をむき出しにして、
傷つかせるままにしていた可能性が
自分にもあるということ。

たとえば、冬の雪国。
カチカチに凍っている雪道を、
肌をむき出しにしたまま歩いたら、

ちょっと人にぶつかって、
転んだだけでも、
多分、血が流れますよ。

防備を堅めすぎる心も
何だとは思いますが、
防備のない心は、危ないです。
いろいろな面で…

凍える世の中を、
無防備な心で歩くことなど、
ありませんように。

最近は、ドクハラなんていうことも
よく聞くくらいですから。

【参考】
ドクターハラスメント(土屋繁裕)

2005年1月 8日

生きるというのは、手に入るものに絶望しない習慣。

生きるというのは、
手に入るものに絶望しない習慣。

(英語)
To exist is a habit
I do not despair of acquiring.

(E・M・シオラン)

生きていれば、
いろんなものが手に入ってくる。

手に入れたくないものもあれば、
手に入れてはみたものの
思った通りでなかったものもある。

それにも2つある。
喜べるもの、ガッカリするもの…

手のひらにのせられたら、
それをうまく使う方法を
考えなくちゃいけない。

何かに出会うと、
「もう、どうしようもない」
という考え方に
心が占められてしまう人がいる。

良いことでも、
悪いことでも、
それこそ習慣的に
そう考えてしまうのだ。

いつも、負担が増えてしまう
ということばかりを考えるから。

世の中に生きていて、
負担やストレスが増えることを
恐れたり、避けてばかりいたら、
多分、何も望まない方がいい。

望みをもつ限り、絶望もありえる。
でも、そこで止まらないような
習慣を見つけなければいけない。

気分転換でも、
リラックスでも、
何でも自分なりの方法で。

習慣を考えましょう。

(追記)正しい直訳は、以下になります。

「生きるというのは、
 手に入れることをあきらめない習慣。」

【参考】
絶望に効くクスリ 1―(山田玲司)

2004年9月29日

人は、耐え切れない、対処できないと…

人は、耐え切れない、
対処できないと感じると、
事実を否定しようとします。

(マーリーン・S・ウィリアムズ)

そんなはずはない…、
なんで私の人生にそんなことが…、
うちの子に限って…

心は、自分を守る方法を知っています。
ですから、時おり、
否定することによって、
いったん、その事実と自分を
ひき離そうとするのです。

しかし、事実は事実。
それをしっかりと見つめる時が来ると、
人の心は、意外にも受け入れることが
出来たりします。

自分が思っていた以上に、
すんなりと…

ただ、心がいつまでも、
「そんなはずはない、そんなはずはない」
と拒否ばかりしていると、
その不安定な心は、
ますます落ち着きを失うことでしょう。

私も、そんなふうに、
じたばたすることがあります。
身内の病気などに遭遇して、
お医者さんやスタッフの方々に、
「多分、もう治らないでしょう。」
と言われると、

「いや、そんなことはない。
 絶対に、治してやる。」
と思い込んだりします。
それが、自分なりのポリシーを
築いたりするんです。

おそらく、それが、
自分の病気であったら、
そういう考え方を持てるのは、
いいことでしょう。

しかし、それが、
自分のことでないことに、
勝手な思い込みをつくるのは、
時に、その相手をからめた、
新たな問題をつくることにもなります。

必ずしも、というわけではありませんが、
自分を立たせるためのポリシーと、
相手を幸せにするためのポリシーというのは、
ちょっと違うことに気づきます。

事実によって生まれた自分の感情と、
その事実の解決方法の扱いを
間違ってはいけないということでしょう。

【参考】
あなたは、あなたであるから素晴らしい(ウィンディ・ドライデン)

2004年4月28日

およそ惨めなものは、…

およそ惨めなものは、
将来のことを不安に思って、
不幸にならない前に
不幸になっている心です。

(セネカ)

ただ、
「前向きになれ、前向きになれ」
と騒がれるのは、私も好きでないです。

それは、前向きというより、
プレッシャーに近い場合もあるから。

そして、無理して
前向きにならなくてもいい時も
あるんじゃないかと…

そんな無理より、
起こっている出来事を受け入れて、
見る側面を変えるだけで、
「なんだ、それだけのことか…」
という気分になれたらいい。

大切なのは、自分のアタマが
フル回転できる状況になること。
前向きでなくても、
それは出来ると思う。

逆に、フル回転できなくなるほど、
心に「不幸の前の不幸」を
詰めこみ始めたら、
やっぱり、そちらの方向へ
進んでしまう可能性は高いと思う。

人それぞれ…<