光は少しも減ってはいませんでした。光を見るわたしの能力が減退していただけでした。
時々、世界が暗く感じることがあります。
…
何年か前に、わたしは自分の周りが
暗くなりだしたことに気づきました。
やっかいなことでした。
…
最初、電球の品質が
下がったのではないかと思いました。
昔はよいものを作っていたのに
最近のメーカーはどうしたというのでしょう、と。
そこで、明るい電球に取り替えました。
それでも薄暗いままです。照明器具や
電球の設計が悪いのだと思いました。
しかし、太陽までもだんだん薄暗く
感じるようになりました。
そうなると、部屋に光が少ないのが
問題なのではなく、
わたしの目そのものが問題なのでは
ないかと思うようになりました。
眼科医へ行くと、世界が暗くなって
いないことが分かりました。
白内障のせいで薄暗く感じていたのです。
…
わたしはその専門医の技術を
信じることにしました。
水晶体の濁った部分が取り除かれました。
そして生活に再び光がさし込んできました。
光は少しも減ってはいませんでした。
光を見るわたしの能力が
減退していただけでした。
(ジョセフ・B・ワースリン)
この言葉を読んで、今の世の中にも、
同じようなことが言えるような気がしてきた。
こんなご時世でも、多分、光はどこかにある。
そして、以前は、その光の存在を知っていて、
場所もハッキリと分かっていた。
でも、なんか、いろんなものに
惑わされたり、ふり回されているうちに、
自分で、それを見失ってしまった。
あ、現時点では、
自分以外の何かのせいにしていてもいい。
多分、それを見つけた時には、
自分の要因にも気づけるはずだから…
そんな自分に気づかせてくれる「医者」は、
どこにいるんでしょうね?
多分、「いい言葉」も、
その医者の一人とは思いますが、
かかりつけの「医者」、見つけておきましょう。
【参考】
燃えよ剣(司馬遼太郎)
