場合によってはいい話
「うちの部下、出来が悪くて…」
なんてセリフは、
部下の出来が良くて、
リストラに追い込まれた人には言えない。
「うちの息子、いつも2位しか取れなくて、
ダメなヤツなんです…」
なんてセリフは、
息子さんの障害と親子ともども戦って、
なんとか学校に行っている人には言えない。
「うちの親、何でも手を出して、
迷惑なんです…」
なんてセリフは、
親が自殺して亡くなった人には、
言えるものじゃない。
人それぞれの背景が
くわしく分かっていれば、
なんとなく言っちゃいけないことって、
見えてくる。
けれど、初対面の人から、
ちょっとした顔見知りまで含めて、
あらゆる人の背景なんて
分かるわけないのだ。
「もしかして、
この人には…」
なんて気にしながら、
話題を選んでいたら、
いい話、もしくは「場合によってはいい話」
が何一つ出来なくなってしまう。
場合によってはいい話、
っていうのがクセモノ。
正直、本人は迷惑している。
あるいは、問題だと思っている。
しかし、立場によっては、
かえって、うらやましがられる話も
あるわけで、
「それって、自慢?」
なんて聞かれて初めて、
そっかぁ、そういう場合もあるのかぁ、
と気づかされる。
あちゃー、失敗した。
と思うのも1つの経験だけど、
ま、しょうががないか。
と思うのも1つの方法だと思う。
自分の話したいことを、
1度は話してみないと、
相手の本当の反応は分からない。
話したくもないことを話して、
相手のウソの反応を見て、
さらに話を続けても、
その会話は、きっと虚しい。
話したいことを話してみて、
喜ばれたり、不快になられたり、
相手の本当の反応を見て、
次の話を見つけていくのが、
面白いと思うのだ。
もちろん、
相手の反応にまったく関心を示さず、
壊れたiPodのように、
(昔なら、ラジオと書くでしょうが…)
シャッフルされた話を
延々としゃべる人もいるけどね。
反応を見られないと、
会話にはならないのだ。
親子でも、恋人でも、夫婦でも、
初対面でも、交渉でもね。
そうすると、そのうち、
いい話だと思っていたことに、
相手の反応を感じとって、
「ですよねー。
私も、あとになって、そう思いましたよ。
前は、喜んでましたけど…」
みたいな切り返しも出来るようになるかも。
