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2006年5月31日

また、ムダなHPが増える

朝日新聞サイトに、
「自民党が、インターネットによる選挙運動に
 関する最終報告案をまとめた。
 ホームページ(HP)の利用は解禁するが、
 なりすましメールなどを防ぐために
 電子メールは禁止する。」
という記事があった。

これを機会に、
選挙カーによる選挙運動なども
廃止されたりしたら、
たいへん面白いのだけれど、
あれはあれで、まだまだ続くとすれば、
HPによる選挙運動にどれだけの期待ができるか、
は不透明である。

となると、これを機会に、
田舎にいるHP制作業者が、
「解禁の法律も出来たことだし、
 先生、ホームページを作るのは、
 これからの選挙運動では常識ですよ。」
なんていうセリフで、制作を勧誘することだろう。

結果は目に見えている。

誰に見てもらいたいかも定めずに、
見てくれる人がどれだけいるかも見積もらず、
ちょっときれいに作られたくらいのHPは、
結局、ほとんど見られることはないのだ。

唯一、見られる時が来るとすれば、
悪いことをして話題になった時くらいだろう。

分かっていない人が、
分かっていない人を誘って、
あれこれさせる…

ある意味、ムダな経済。
ムダな経済もなければ、
景気はよくならないかもしれないけれど、
もっと意味のある「お金の循環」が
欲しいものだなぁ…と考えました。

「だまされて作らされてしまった」ような
ムダなHPを見るたびに、
そんなことを思っているので、

この選挙運動HP解禁は、
その感を、また強めました。

だって、見ないでしょ?

民主党の○○議員とか、××議員のHPを
見たのだって、問題を起こしたからでしょうし。

問題を起こした時にしか見られないHPを
作るのは、虚しいですよ。
テレビCMみたいに、
ある瞬間だけ放映されるものとは違って、
ある意味、ずっと、そこにあるものですから、HPは。

2006年5月30日

いい仕事ができるわけがない

「○○さんから、紹介されまして、
 電話をさしあげました。」

こんな電話をいただいた。

数日前には、おそらく、
同じ会社の人なんだろうけど、
メールをいただいていた。

○○さんは、実在する人。
しかし、そんなに近しい人じゃない。
それなのに、私を紹介するあたりに、
○○さんのいい加減なところもあるし、

それを受けて、メールや電話をよこす
その人も、なんか頼りがいがない。

内容は、新しいビジネスを始めるにあたって、
アドバイスを欲しいとのこと。

その新しいビジネスというのは、
人材教育の事業。
行政からの補助金を2,000万円ほどもらい受けて、
新しい会社を設立したらしい。

皮肉った見方をすれば、
行政からの補助金がある分、
自分たちのリスクは少ないわけで、
そんな熱意の低さが、

スタート時からアドバイスを求めるような弱さを
あらわにしている。

まず、自分たちで勉強しろ、
情報を集めろ、と言いたかったけれど、
初対面の相手には、何の恨みもないから、
「忙しいから、協力できない」とだけ
伝えておいた。

何の計画も、企画も、準備されていない。
ただ、予算が入っただけの事業。
行政にありがちかもしれない…

効果は見えなくても、
何かやったという形だけは残さなければいけないから、
予算が確保される。コネで、委託されたりする。

そんなやり方で、
いい仕事ができるわけがない。

仕事のやり方っていうのは、
自分にリスクがない限り、
真剣に変えていくとか、
勉強していくとかはしない。

何か行動しないと、
自分の身が危ない、
このままの自分じゃいけない、
と感じなければ、人間は真剣に変われない。

悲しいけれど、私にとっても事実。

今、目の前に、安心材料を置かれたら、
きっと、自分が変わることを止めるだろう。
残念だけど…

ちょっと、不安がある方がいい。
そう思った。

2006年5月29日

くすぶり続けても、燃え尽きてしまう

燃え尽きるなら、
精一杯の力を
それが必要な時に出し切って、
燃え尽きたい。

怒りでも、やる気でも、
何かのパワーでも、
思いっきり出し切る人生で
ありたいと思います。

そんなふうに生きたい私だからでしょうが、
どことなく、くすぶって生きている人間に、
時おり、腹が立ちます。

イヤなのに、ハッキリとそれを伝えることをせず、
怒っているのに、そんな素振りさえ見せないようにし、
言いたいことも、心にぐっとしまっておいている振りをし、

その実は、カゲで、
何日も、何十日でも、何年でも
話している。

くすぶり…

一度くすぶることを選んだことだから、
今さら、爆発することも出来ないでいる。

現実の「火」であれば、
くすぶれば、ふつうは消えてしまう。
それが燃え尽きることはなく、
燃えてしまわずに残ってしまう。

しかし、人間の場合は、
くすぶっても、すぐは消えない。
ずっと、くすぶり続けることが出来る。
時間ばかりが、どんどんと過ぎていき、
それを一生続けることも出来る。

時間が燃え尽きたら、
人生に中身があったかどうかに関わらず、
終わってしまうのだ。
何も残らないのだ…

くすぶったままで、
いいんだろうか。

今くすぶっている人の中に、
少しでもそんなふうに思い始める人が、
いることを願うばかりです。

2006年5月28日

溺れた子供、それを助けた子供

先週は、子供の卓球大会。
昨日は、子供の運動会。

イベント続きの週末に、
子ども達は、喜んでいます。

親の私たちは、
慣れたというか、
少しトーンがダウンしました。

ある意味、いいことだと思いました。

卓球大会は、全県レベル。
やはり、勝ち進んでいくと、
切磋琢磨の状況にあるだけに、
その興奮は、どんどん高まりました。

勝ち進めば、当然のことながら、
残っている選手の数も限られきますから、
名前を呼ばれる時間の間隔も
短くなり、慌ただしいわけです。

そこへ来ると、
運動会は、少しのんびり。
戦うレベルも、ピンからキリまで。

ゆったりとした気分で、
眺めていられます。

親の私も、心に余裕が出来てきた、
ということでしょうか。

たしかに、なかには、
張り裂けそうな声を上げて、
今にも、子供の代わりに走り出しそうな雰囲気で、
応援しているお母さんも、たくさんいました。

まわりを、そんなお母さん達に囲まれて、
ちょっと落ち着いて見ている私。

卓球大会では、ぜひとも勝たせたい、
と思って応援し、見ていましたが、
運動会では、子ども達が楽しめればいい、
という気分で見ていました。
ビリだろうが、トップだろうが…

最初は、勝ち負けにこだわる戦いも、
そのうち、いい勝負になる戦いの方に、
心は熱くなるんでしょうね。

そんなことを考えて、
PTA役員として、本部席に座っていたら、
子供が先生に報告に来ました。

「川に落ちた子がいます。」

「川?」

その先生は、慌てて出動。
私もついていきました。

50mばかり行ったところに、
びしょぬれの子供が泣きべそをかきながら、
お母さんらしき人に、
タオルで拭かれています。

事情を聞く先生。
どうやら、川でなく、
グラウンドの横にある、
幅1.5mくらいの堰(せき)に、
落ちた様子。

背の高い草が茂っていて、
ちょっと見えにくい場所にあるので、
遊んでいるうちに、落ちたのでしょう。
まだ入学前の子供。

先生が、
「助けた人は、だれ?」
と聞くと、

「ぼくは、○○した。」

「ぼくは、◆◆した。」

「ぼくは、××した。」

「ぼくは、…」

どうやら、手柄が欲しい子供が、
たくさんいる様子。

秋田の藤里町では、
まだ犯人のつかまらない事件が
起きたばかり。

本当の事故でなかっただけ、
幸いでした。

親は、安心できませんね。
「誰かが見ていてくれる」なんて思ったりして…

2006年5月27日

早起きの価値観

今日は、うちの娘の小学校で、
季節はずれの運動会。

春でもない、秋でもない。
この時期…

この時期が続いている理由は、
1年生が慣れた頃であり、
花見の時期に合わせた場合に
下手すると寒いこともあるから。

昨年、一昨年と、
雪が多い年でしたから、
春休みが終わる頃に、
親たちが早朝に集まって、
グラウンドに残っている雪を砕いて、
溶けやすくする作業を行いました。

朝の6:00〜です。
だいたい50人くらいの人が集まってくれます。
全校生徒450人くらいの学校ですから、
思ったよりも少なめ。

自分たちが遊ぶ、
使うグラウンドだからということで、
私は、娘たちも連れて、
その雪消し作業に行きました。

あれから2ヶ月あまり。
もちろん、雪はありません。

今朝の天気は、いい感じです。

そこで、別の早朝作業があります。
いわゆる、場所取りです。

我が子の晴れ姿を見ようと、
親たちが早朝から、もしくは前日から、
場所取りをするのです。
ロープで縄張りをしたり、
シートを広げたりして…

その場所取りをされている数は、
おそらく200は超えているはず。

私は、元気なお母さんたちにはかなわないと、
いつもあきらめているのですが、それでも、
昼食を食べられるだけのスペースを確保してこい!
という奥さまの命令で、
今朝、車で学校へ行くことになりました。

着いてみれば、やっぱり、
縄張り、シートが並ぶグラウンド。
空いているところはないかなぁ、
と探して見つけたのが、大きな木の影。
我が子の晴れ姿が、見えるはずはありません。

しかし、昼食さえ食べられればいいから、
そこにシートを敷いて帰ってきました。

雪消しには、50人。
場所取りには、200人。

人の、正直な姿です。

我が子「ら」のため、というのと、
我が子「だけ」のため、では違うんですね。
とほほほほ…

私も、そうなんでしょう、
どこかの側面では。

2006年5月26日

分かりにくい人の不機嫌

表情をあまり変えない人が、
ちょっとの変化を見せる時に、
周囲は、すこし気遣いを始める。

「お、不機嫌かな?」

「いや、ちょっと体調が悪いんだろう…?」

「そんなんじゃなくて、実は、
 〜ってなことがあったから、
 考え込んでいるんだよ。」

「そっかなぁ、いつもと
 同じように見えるんだけど…」

「そぉ〜、でも、ほらぁ見て、
 やっぱり不機嫌なんだよ。」

自分の知らないところで、
そんな議論がされているなんて
知らないでいる本人は、
相変わらず、どっちつかずの表情の
ままである。

たまらず、
その人に気遣いをしない唯一の人間が、
話しかけてみれば、結果はいろいろ。

本当に、不機嫌な時もあれば、
体調が悪い時もある。
そして、まったく反対の時も…

他人に分かりにくい人間というのは、
魅力的であるところがある反面、
影でいろいろな評価を受けてしまう面もある。

ちょっとソンかもねぇ。

実は、うちの長女が、
そういうタイプの人間でして、
身内の人間からは、
ちょっとクールなイメージに見えていて、
それでいて、本人は、
そんな図太いわけでなく、
すぐ泣くし、不機嫌にもなる。

ただ、それを人前では見せないようにして、
あとで、それを見せるから、苦しい。

泣くときは、
自分の感情を出せても泣くし、
自分の感情を出せなくても泣く。

性格なんでしょうね…

親の私も、ちょっと気を遣う時があります。

2006年5月25日

不思議なシューズ

昨日のニュースでは、
iPodが、ナイキと連携して、
ランナーのトレーニング状況を
記録するシューズ(システム)を
開発したようです。

ランニングシューズの中敷きの下に
小型センサーが格納されていて、
腕などに装着した「iPod」に
無線でデータを送られます。

それらによって、走った距離や時間、
ペース、消費カロリーが算出されてくる
というわけです。

もちろん、音楽を聴きながら、
ランニングをしていても、
そういう仕事を「iPod」がします。

なんか、不思議なシューズです。
そこまで進化するのか…

音楽とシューズという、
ちょっと距離のあるモノ同士がくっつくと、
いろんな広がりが出てくるんですね。

ある分野のそればかりでなく、
何かプラスアルファで知っていると、
アイデアも、考えも面白くなってくる…

先日、娘たちと、
卓球の世界選手権をテレビで見ていたら、
アナウンサーと解説者のこんなやり取りがありました。

ア「そういえば、卓球は、
  100mをチェスしながら
  走るようなスポーツだというくらい、
  スピードばかりでなく、
  判断力が求められるんですよね。」

解「はい、そうですね。」

ア「高度なスポーツなんですね。」

解「将棋がありますよね。
  自分が駒をさして、
  相手がどう返してくるか、
  そういうカケヒキをしていくことが、
  卓球でも求められるんですよ。」

ア「…」

物事を連想して考える時には、
やはり、自分が分かっているものに
置き換えなくてはいけない。

解説者は、卓球については、
よく知っていたんでしょうけど、
チェスについては、
ほとんど知らなかったのでしょう。
将棋は、なんとなく分かっていても…

会話的には、
チェスのたとえ話のすぐに、
将棋のたとえ話が出てきて、
ダブっているように聞こえますが、

この解説者と同じで、
チェスを知らない人には、
話が分かりやすくなったかもしれません。

雑学が役に立つというのは、
1つのことに行き詰った時。

それが当たるかどうかは、
やってみないと分かりませんけれど、
脇道のことを知っている方が、
自分の道を開くヒントのため、
相手にも何か伝えるためにも、
いいことだと言えるでしょう。

2006年5月24日

合体!!

お金をもっている人は、
強いものです。

同じ会社の中においても、
お金を扱っている部門が、
実際の現場や企画部門よりも
強かったりしますからね。

国で言えば、
大蔵省(現:財務省)とか…

しかし、そういう組織とは別に、
自身でお金を持っている人が、
お金よりも欲しいものがあったりします。

もちろん、お金があるからこそであって…

それは、そのお金をさらに増やしたり、
持っている状態を守っているための
「技」であったり、「知」であったりします。

現実の世界では、
そういう「金」をもっている人と、
「技」や「知」をもっている人が出会えば、
何か新しいものが生まれます。

結果はどうであれ、
何かがスタートするのです。

インターネットの世界では、
そういう部分が、もっと簡単に、
(人によっては複雑に)
変わっているようです。

インターネットでは、
実際の「金」が動くことよりも、
「金」の概念が動くだけですから、

「金」なしに、
方法のような「技」をもっている人と、
アイデアのような「知」をもっている人が
合体できる可能性があるわけです。

もちろん、
そこから生まれた「金」については、
どのように分けるか、
という約束事は発生しますが…

「私は、こんな技を持っていますよぉ〜。」
というアプローチが上手に出来る、
本物の職人(もしくは技術者)に、

「私は、こんな知を持っていますよぉ〜。」
という人が出会えば、最小限の「金」で
物事がスタートできるものなのです。

合体!!

合体しなければ、
人は、自分の能力以上のものを
生み出すことは出来ない。

必ずしも、人脈とかが広くて、
合体できそうな相手をたくさん知っていなくてもいい、
という「インターネット的な良さ」もあります。

1人だけで、

変身! 

するには、限界がありますから、やっぱり、

合体!

をしましょう。

もしかしたら、合体の前に、
少しは変身する必要があるかもしれませんが。

2006年5月23日

先立つ子供と過ごす一生分の幸せ

読者の方から紹介されて、
余命の宣言をされた赤ちゃんを
支援するサイトを拝見しました。

→あやかちゃんを救う会

そこにあった、
ご両親からのメッセージを
抜粋して、ご紹介します。

-----本文-----

親愛なる皆様へ

私達の娘、神達彩花は日本で2005年1月10日に生を受けました。生まれたばかりの彩花は、まるで天使のような笑顔で微笑みかけてくれ、私達は幸せの絶頂にありました。しかし、その2日後から私達3人の家族と病気との闘いがスタートしたのです。

日本では、その時その時にてベストの治療をしていただきました。しかし彩花の小さな体を蝕む病は、次第に内臓のほとんどを巻き込む状態になり、2005年9 月にはとうとう余命宣告を受けたのです。生を受け8ヶ月の残暑の日でした。私達家族は希望を捨てず、様々な友人や知人に相談して、一つの道を見出したのです。

その残された道が臓器移植でした。

日本では法律の問題等もあり、万全な医療体制を敷くことがなかなか容易ではなく、1%でも可能性を求めマイアミを選択したのです。既に余命宣告が成された状態から、なんとしても1歳の誕生日を迎えたい、家族3人で祝いたいとの強い信念が、短い時間で日本の方々に伝わったのです。

私達家族は、多くの方のご支援とご協力のおかげでマイアミに来ることができました。そして、アーカンソー州の3ヶ月のお子様から尊い贈り物をいただき、彩花は1歳の誕生日を迎えることができました。彩花の回復は目をみはるものがあり、周りの人達を幸せな気持ちにさせてくれたのです。

彩花は志半ばで天使となりました。
しかし彩花は、皆様の心の中で永遠に生き続けています。私達家族は、今までの人生の中で一番幸せな時間を、ここマイアミにて過ごすことができました。皆様には短い時間と思われるかもしれません。でも私達家族にとっては、マイアミに来てから約5ヶ月もの時間を家族水入らずで過ごせたことが、言葉にできないくらい幸せでした。一生の中で彩花と過ごせた日々は、私達家族には100年に匹敵する時間だったのです。

皆様に親切にしていただき、彩花と私達は幸せです。

たくさんの愛を、ありがとう。

----本文終わり-----

家族水入らずで過ごした5ヶ月を、
幸せといえる「幸せ」。

なんか、私たちは、
いろんなモノに囲まれて、
そんなことを忘れちゃっているかも…
そんな気がしてきました。

たった5ヶ月でも、幸せにする努力ができる。

それなのに、
それ以上に長い年月があると
ばかり思っているから、
幸せにする必要すら忘れちゃっている。

ちゃんと生きている自分の子供を、
ほめてあげなくちゃいけませんね。

なんか、すぐ忘れそうな私ですが…

2006年5月22日

何もしゃべれなくなった私

昨日は、娘たちが、
この1年間練習してきた成果を
出せるかどうかがかかった、
卓球の大会。

去年は、参加者180名の戦いのなかで、
なんとか様になっているような姿で、
1回戦、2回戦を勝つのがやっとでした。

今年の参加者は、
去年よりは少ないですが、
それでも168名。

いちおう、
親子で考えていた目標は、
ベスト8。そこまで進むと、
全国大会も見えてくるから、
という理由でした。

小5、小6の娘とも、
1回戦、2回戦、3回戦、4回戦と勝ち進み、
去年とは違う、上達ぶりを見せてくれました。
夫婦ともども、おぉ〜〜と驚き。

そこで、ベスト16へ進出。
そこでの対戦相手は、
次女が結果的に優勝した女の子。
長女は4位となった女の子。

どちらも、うちの娘らよりも、
早くから卓球を始めていて、
前年から「いい結果」を
残している女の子たちでした。

試合が始まって、
勝負の行く末どうのこうのよりも、
そういう女の子たちと一生懸命
戦っている娘たちを見ていて、
不覚にも、私は涙ぐんでしまいました。

1年間、がんばったんだなぁ〜、なんて。
じ〜んと来ちゃいまして…

1セット目が終わって、
アドバイスを求めにくる娘たちに、
何も言えずに、手だけを握っている始末の私でした。

肝心のアドバイスなんか、
出来るわけがない。

子ども達は頑張っていたのに、
親の方が、力尽きた感じだったわけです。

私が、もっと冷静になっていて、
相手の弱点を見きわめれるくらいの力があれば、
(少ないかもしれませんが、)
勝てたとは言えませんが、
もっといい試合は出来たことでしょう。

私自身の「不覚」が
情けなかった次第です。

ただ、いい経験が出来ました。
子供の成長って、本当に頼もしいですね。

子育てが、やみつきになりそうです…笑

2006年5月21日

分かりすぎて苦しい

自分にとっては、
好きな相手でもないのに、
その人が自分のことを好きなことが
痛いほど分かるから
苦しくなる性格。

苦しいから、そのうち、
自分も好きかもしれないと思うことによって、
相手の願いを叶えてあげれるような状態になり、
その気になってくる性格もあるから、
なんとなく、心が軽くなってくる。

みんな、相手の思いや心を
分かりたい、読みたいと思って
生きているけれど、
分かりすぎてしまって、
けっこう苦しくなる時もある。

それは、叶えてあげられない願いの時、
もしくは、叶えてあげてはいけない願いの時。

叶えてあげてはいけない願い
というものは、あると思う。

それを叶えてしまえば、
その人の中で、甘えが始まる。

甘えが始まれば、
何でもゆるされるような気がする。
叶えてくれた人に依存するようになり、
叶えてくれる人が「善人」、
叶えてくれない人が「悪人」みたいな
考え方をもったりもする。

願いの善し悪しを考える前に、
そんな単純な「人の見方」だけが
定着してしまう。

分からなければ、
そんな苦しみはない。
しかし、その代わり、
分からない苦しみは味わうことになる。

どうして、あの時、
分かってあげられなかったんだろう?
みたいな後悔…

分かりすぎても、
分からなすぎても、
人は苦しいのだ。

と、分からない側の人間である私は、
分かったような気になっている。

2006年5月20日

鼻血ブー

よく、マンガなんかでは、
興奮して「鼻血ブー」のシーンが
描かれていたりしますが、
私は、そんなこと1度もない。

鼻血すら、ここ数年出したことが
ないんじゃないか、というくらい。

多分、冷血動物なんでしょう…?
(関係ないか)

そこにきて、
近頃の三女5歳は、
夜に寝ているとき、
鼻血を出しています。

いわゆる、のぼせ?
もう暖かくなったので、
そんなに布団をかけなくてもいいんじゃないの、
と思うのですが、きっちりパジャマを着て、
自分から布団をかけて眠って、

夜中には、暑くなって、
布団をはだけて鼻血ブーですわ。

きれいに垂らした時は、
ティッシュの助けだけで
用は足りるのですが、
そうでないと、
枕に敷いているタオルでも、
血、血、血…

幸い、多量な方でないので、
布団までは汚れないで済んでいるようです。

子供にもよりますが、子供って、
やっぱり鼻血ブーになること
多いですよね。

私も子供の頃、
遊んでいて、少し暑くなると、
鼻の下に赤く垂れてくる女の子がいました。

体の大きい女の子で、
とても水泳が上手だったのを覚えています。

その頃は、鼻血がよく出ると、
体の血がなくなって死んでしまうと、
本気で信じていたので、
その女の子のことを、もうすぐ死ぬんじゃないか、
と真剣に心配していました。

明日は、子供の卓球大会です。
1年間の練習成果、出せるかな?

鼻血が出るほど興奮して、
応援する日になるのかも。

2006年5月19日

挨拶や礼儀にうるさくなったら…

私は、基本的には、
挨拶や礼儀にうるさくない。

だから、人から見れば、
私自身が、けっこう失礼に
映ることも考えられる。

そんな私が、近頃、
何か、挨拶や礼儀にうるさく
なってきた気がする。

というか、そういう一面を気にして、
人を見るようになったということかな。

なぜ、そうなったか?

考えてみると、いろいろな分析ができる。

1.仕事や何かの面において、
  相手の能力(もしくは魅力)がそれほどないため、
  最低限の挨拶と礼儀でしか、判断しようがない。

2.自分自身が、
  相手よりも能力(もしくは魅力)が薄くなっているため、
  相手のそういうところしか、指摘できない。

3.自分が「何様」という立場で扱われないと、
  その態度がアタマにきてしまう。

4.何はともあれ、挨拶と礼儀を
  メインに教育されてきた時代に生きてきたので、
  どうしても、そこにこだわってしまう。

などなど…

今回の私を考えてみると、
相手が新人ですから、1.のような気がします。

まだ未開発の能力と魅力を前に、
どうやって相手を把握すればいいのか、
分からないから、どうしても、そこに目がいってしまう。

すくなくとも、挨拶と礼儀くらい、
しっかりしろ、それが学ぶ側の姿勢だろ、
みたいな感情。

なんか、我ながら、オヤジくさくて、
イヤですが、そうなりつつある自分は、
やっぱり否定できません。

「仕事ができないのはしょうがないから、
 挨拶と礼儀くらい、しっかりしろ!」

と言われるのがいいのか、

「挨拶と礼儀はできなくてもいいから、
 仕事くらい、ちゃんとやれ!」

と言われるのがいいのか。

仕事をほめられないなら、
挨拶と礼儀をほめる。
挨拶と礼儀をほめられないなら、
何かほめるものを見つける。

育てるというのは、
たいへんです。

2006年5月18日

知らない人からの宅急便

今朝、いただいた投稿をご紹介します。

mmさんより

----本文----

さっきお母さん(和江)からメールが来ました。
北海道から大きな宅急便が届いたって。
送り主は知らない人。
あの人(お父さん)の会社の同僚だそうです。
3月13日。
あたしの誕生日の2日後に死んだそうです。
去年から吐血を繰り返していてそうで
胃がんで亡くなったらしいです。

中身は
昭和61年の通帳と印鑑。
ばんそうこう。
へたくそな子供の絵。
平成13年の合格祈願のお守り。
17年分の誕生日プレゼント。
ぼろぼろの家族写真。
2枚の手紙。
 
あたしが生まれた年にお母さんが作った通帳
小さいとき、お父さんにあげたばんそうこうなんだって。
あたし(美幸)と未来が書いた家族の絵。
平成13年はあたしの高校入試。

【一枚目の手紙 】
何度誤っても足りない。
本当に申し訳ない。
今は幸せか?
何も出来ないお前が心配だ。
美幸は元気か?
あとで荷物送るから。では。

【二枚目の手紙 】
元気か?風邪は引いてないか?
美幸は元気か?
あのときの自分を恥じて頑張ったんだがまだ足りないな。
どうやったら償える?
一生かかっても償う。
和江、美幸、未来 、
今でも毎日愛しく思うよ
もうすぐ2人とも20歳だな
きっと美しく幸せな未来が待ってるだろうな。
和江、美幸、未来、
今でも愛してるよ。

(お父さんからの手紙終わり)

お父さんへ

ずいぶんかかってさっき届いたよ。
ずいぶん無理したんだってね。
ほんとに不器用。
逃げたんじゃなかったの?
ばかじゃないの。今更。逃げちゃえばよかったじゃん。
そんなことするならなんであの時そうしてあげなかったの?

大切さは失ってから気付くもんだけど
それじゃ遅いんだよ
やっぱり自分の気持ちって伝えないといけないんだね。

”言っておけばよかった”
きっとこの後悔の言葉はあなたに元には届かないもん。

「愛してる」って言葉は
"恋愛"だけだって思ってたよ。
そうじゃないんだね。
愛しいって気持ちがなんとなくわかったような気がするよ。

きっと、いっぱい後悔してるんでしょ。
伝えられなかったこと
最後までそばにいれなかったこと

孫の顔みたかったでしょ?

でも死んじゃったらなんもできないよ。
本当はどう思ってたかなんてわかんないよ。
なんも伝わらないよ。

声の記憶がなくなって
顔が思い出せなくなって
どんどん消えていくんだよ。
でも、絶対に忘れられない。

絶対にお父さんって呼ばないと思ってた。
あなたのこと嫌いだった。
あなたが残したものに縛られてあたしもお母さんも苦しんだよ。
すごい辛かった。
でもちゃんとがんばってきたよ。ここまで。
でもあなたのほうが頑張ってたんだね。
何も気付いてあげられなくてごめんなさい。

3歳で離れたあなたの記憶はほとんどない
楽しい思い出はひとつ
お祭りだけ
あとは全部いやなこと
典型的なダメな父親。
酒にギャンブルに暴力。
何かあるたびに暴れて帰ってこない父親で
それでもお母さんは朝まででも待ってた
気に入らないと手を上げて
すぐまた出かける
おさけとおかねとぱぱはきらい
小さいながらに何度も思ったよ。
何度も恨んだ。
岩手に来てからお母さんはずっと未来を心配してた。
あなたは私を置いて未来だけつれていった。
誰もあたしのこといらないんだってそう思ったんだよ。
こんな気持ち知らないでしょ。

ずるいよ。
自分の気持ちだけ残してあたしの気持ちなんも知らないで死んじゃうなんて。
会えたらきっと許せたよ。
多分許してたよ。
きっとお母さんが再婚したのわかってたから
会いにこなかったんだよね。
幸せか?っていっぱい書いてあったってゆってた。
言いたいことも聞きたいこともあった。

でも、もう死んじゃったんだね。
もう会えないだね。
お母さん泣いてたよ。
今のお父さんも泣いてたよ。
お母さん一度でいいから謝りたかったって。
お父さんがあんな風になったのは自分のせいだって
ずっと思ってたみたい。
きっと生きてたら違うっていったでしょ?
もしそうだったとしても、もう許してあげてね。

みんなすごいね。
きっとわかってたんだね。あなたのこと。
だからお母さんずっと我慢したんだね。
だからお父さんも頑張ってたんだね。
あたし本当はわかんなかった
あなたの為にそこまでする意味が。

今は後悔だけしかの残らないよ。
ただただ恨んでいたこと。
あなたを理解しようとしなかったこと。
あなたを探さなかったこと。
あなたに甘えなかったこと。
あなたを愛せなかったこと。
その気持ちをわかってあげられなかったこと。

今まだあたしが小さい子供だったとしたら
あなたとどこに出かけたのかな。
きっと手を繋いで歩くことができたよね。
最後に残してくれた手紙、17年間のプレゼントもお守りも
一生大事にするよ。

あとね、お母さん元気にしてるよ
今はちゃんと大切にしてくれる人もいて
大事にしてくれる人だよ。
ワガママだけど少しは料理も出来るようになったし。
もうなにも心配いらないよ。
十分だよ。
今こうやって生かされてることこんなに感謝できるのは
お父さんのおかげだね。
でも最後に一回は会いたかったよ。

本当は手紙にしようと思ったんだけど
手紙じゃどこにも送れないし
お父さんみたいに遅れて届くこともないでしょ?
電波だったらすこしは届くような気がしたから、
ここに書きました。
多分最初で最後の手紙だと思います。
どうかどうか届きますように。
どうか、今お父さんのいる場所が幸せな場所でありますように。

お父さんが最期言い残してくれた
愛しいも愛してるも全部全部全部それで埋まったよ。
ありがとう。
これできっと美しく幸せな未来になると思います。

3年間一緒にいてくれてありがとう。
17年間変わらない気持ちで愛してくれてありがとう。
これからもずっと私はお父さんの娘です。

----本文終わり----

mmさん、投稿ありがとうございます。

電波(インターネット?)で、
お父さんへの手紙が届くよう、
私もお祈りしています。

2006年5月17日

大声は聞き流し、小声に聞き耳

耳の遠くなったおばあちゃん特有の現象。
大声で言ったことは、
よく聞いていない。
アタマにも入っていない。

しかし、小声で言ったことには、
聞き逃してなるものかとばかりに、
アタマを突っ込んでまで、
聞こうとしてくる。
そのうえ、記憶にも残っている。

人には、自然に働くフィルタが
あるんでしょう。

大声で話すこと=
話し手が、聞き手のニーズの有無に関わらず、伝えたいこと。
だから、聞いても、価値ある話とは限らない。

小声で話すこと=
話し手が隠したいこと、知らせたくないこと。
聞き手にとって、価値ある話である可能性大。

というようなフィルタだ…

だから、大声で話すと、
かえって聞いてもらえない。

広告みたいなものかもしれません。
大々的に目立つような広告にすると、
かえって、「これは広告だ」ということになり、
視界に入っていても、無視をされる。

「ん?これ、何だろう?」

と思わせる工夫が必要。

それは、その時々で変わる可能性がある。
みんな大きな字を使う時には、
小さな字を使う。

赤を使うなら、青っていうような感じ?

しかし、失敗すると、
目立つを通り越して、下品になるから、
これまた注意が必要ですよね。

話を戻すと、私も、
耳の遠いおばあちゃん現象に
なりつつあります。

私が本を読んでいる時、
妻や子供たちがふつうの声で話していることには、
何の興味も湧かない。

けれど、ちょっとヒソヒソ声になると、
思わず、

「なに、なに?」

と聞き出してしまう。

そんなことばかりが続くと、
そのうちに、

「聞いて欲しい時に、
 ちゃんと聞いてよ。」

と言われるから、用心、用心。

2006年5月16日

選ばれなかった理由

昨日は、サッカーワールドカップの
代表23名が発表された日。

昨日、今日とずっと
報道されています。

最後の1名が呼ばれる寸前には、
少なくとも2人、実際はもっと多くの人が、
ドキドキしながら待っていたことだろう
と思います。

そして、呼ばれた瞬間に、
23名が決まったわけですが、
名前を呼ばれなかった人は、
「選ばれなかった理由」を
考えただろうと思うのです。

これは、このワールドカップの
ようなものでなくても、
そうだと思います。

何かのコンクール、大会、
会社での昇進発表や表彰なども
そんな感じでしょうね。

なぜ、私は選ばれなかったんだ?

人によっては、
何か不正や不公平を疑う人も
いるだろうね。

そうしないことには、
自分が選ばれなかった理由に、
自分が納得できないから。

しかし、実際には、
自分が納得できること自体が、
本当に難しい。

どんな理由が出されても、
最初から「そうだったか」と納得するのを、
心が邪魔するのが普通だ。

だから、そこから少し離れた時に、
次の目標に向けて、自分が努力を始めた時に、
なんとなく分かり始める。

その代わり、そこで努力をやめてしまった人は、
そこに立ち止まってしまうから、
ずっと分からないまま、
疑いが募ったまま、生きていくことになる。

ワールドカップ代表に選ばれなかった理由と、
私たちが日常に経験する「選ばれなかった理由」を、
同次元で話すのは、かなりオコガマシイことだけど、
いずれにしろ、選ばれなかった、という経験は、
人生の大きなターニングポイントになるんでしょうね。

2006年5月15日

あなただけは黙っていて

会えばいつも、
一人で勝手にしゃべる人から、

「どうしたの?」

なんて聞かれると、
ちょっと調子が狂っちゃう。

そして、今度は、
変にしつこく聞いてきたりする。

なんでだろうねぇ…

空気を読めない人っていうのは、
一人でしゃべるか、
妙にしつこく聞きまくるか、
その2つに1つしかないなんて。

付き合わされるこちらは、
「ああ、しゃべらない時くらい、
 面倒かけないで。」
なんて思ってしまうこともしばしば。

ちょっと思いやりにかけている私ですが、
会話の波長というのは、
あらためて微妙なんだなぁって思います。

飲み会の会話と、
職場での会話と、
友達どうしの会話と、
目上の人との会話と…

それぞれが違っているはずなのに、
絶妙に、勘違いした路線の会話を
選んでしまう人たち。

深刻な会話になった時には、
黙っていればいいものを、
なんとなく「黙っているのがおかしい」空気だけは、
読めたりするもんだから、

会話がすべることも少なくない。

実際、そういう空気はあるのだけれど、
「あなただけは黙っていて」という空気があるのも
事実なわけで、不思議なことが起きるわけです。

本当の友達がいないから、
会話が成り立たないのか。
会話が成り立たないから、
本当の友達がいないのか。
それすらも分かりません…

意外と、仲の良い友達がいて、
その人たちの会話を聞いていれば、
成り立っているのか、
成り立っていないのか、
分からないまま進行していたりしますからね。

2006年5月14日

強さか、協調か

一人勝ちっていうのは、
勝っている本人にしてみれば、
楽しいことだけれど、

周囲に、それを応援する気持ちがなければ、
この上なく、憎らしいことになってしまう。

たとえ、それがチームや組織として、
いいことだとしても、
人間は、そんな心境になっちゃう。

勝つだけの強さは欲しいけれど、
一人だけが強いのではなく、
全体が強くなる「協調性」が
優先される空気…

この空気に勝てないと、
一人勝ちの人も、そのうち、
自分の才能を伸ばすことに、
罪悪感とか、遠慮を感じてしまい、
きっとダメになってしまうんだろうなぁ。

日本には、そんな空気が
かなり、ただよっている気がします。

全体、全体、と騒いでいるうちに、
何の特色も、強さもない集団に
なってしまっているところが多い。

だから、「村おこし」なんて地域活性化の活動が
登場してくるのだけれど、それだって、
飛びぬけようとする存在が見えてくると、
叩かれたりもする。

「村おこし」自体、他の地域に対して、
何か飛びぬけたものをアピールしていこう、
していかなければ注目されないぞ、
という活動だったはずなのに、
結局、無難な「まとめ方」をされて、
終わりを迎えるところもある。

もちろん、一番いいのは、
協調性もあって強いことなんだけど、
そこまでいくには、幾多の経験が
必要なはず。

時に、一人勝ちもあるわけですよ。
それを見て「よし、俺もやるぞ!」みたいな感情が
出てこないと、協調性のある強さは、
生まれない。

いわゆる、なぁなぁ、の空気が、
そのうち、充満しちゃうんですよ。

なぁなぁ、ってね。

2006年5月13日

クスリとコトバ

ほぼ日手帳を使い始めて、4ヶ月も過ぎ、
コンパクトな形態でありながら、
けっこう丈夫なことに満足しています。

昨日の言葉は、これ。

「心臓をどきどきさせることも、
 徹底的にやる気をなくさせることも、
 涙を止まらなくさせることも、
 笑いを呼びこむことも、
 クスリではむずかしいことでも、
 コトバならできる。」
 (糸井重里)

そんなコトバの力って、
他にはないものだよなぁ、
と私もうなずいていました。

意味のあるコトバが、
心を鼓舞することもあれば、
意味のないコトバが、
かえって奮い立たせることもあります。

コトバの意味そのものよりも、おそらく、
生身の人間から出てきたものだ、
ということが効き目のポイントのようです。

やっぱり、コトバには、
言霊があるのでしょうか。

何か、その人間から分かたれて
放たれるエネルギーみたいなもの…

面白いコトバでも、
いやらしいコトバでも、
悲しいコトバでも、
人の口から、あるいは手から出た瞬間に、
どんどん一人歩きをしているものがある。

そのコトバにとても似ているものが頻繁に出てきて、
見分けがつかず、特徴がなくなるまで。

たとえば、新聞でも、ニュース・サイトでも、
最近は「○○殺害事件の△△容疑者が〜」
という見出しが多くなった。

ところが、あまりにも多くて、
○○殺害事件がどんなものだったかさえ、
見出しを見ただけでは、
見分けがつかなくなっている。

そうなると、その事件や社会への感情も、
薄まってしまう…、鈍くなってしまう…。

もう、クスリでも、コトバでもない。
氾濫している文字にすぎない感じ。

鈍ってくるから、みんなが、
刺激あるコトバだけに反応するようになっちゃう。
クスリだか何だか、分からないところもあるけど…

コトバは、やっぱり面白い。

2006年5月11日

自分の仕事が分かっていない人間

皆さんの周りにも、
いるでしょう?

自分の仕事を分かっていない人間…

特徴は、これです。

「疑問をもたない。
 その代わり、
 問題にぶち当たってから、
 あたふたとする。」

文書を書かせてみると、
よく分かります。
まず、足りないことが多い。

読んでいる側の人間が、
え? これは? すると?
と次々と疑問が湧いてきます。

そして、思うのです。
この文書を作った人間は、
何の疑問も持たずに、
この文書を作り上げたんだろうか?ってね。

で、そんな疑問をぶつけられると、
自分の仕事が分かっていない人間は、
あわてて動き始めるのです。

しかし、言われたことしか
やらないで済ませようとします。

ふつう、仕事というものは、
1つの問題に向き合って、
解決策を見出そうとすると、
見つかったと思った矢先に、
次の問題が見つかったりするものですから。

言われたことだけで済む、
なんてことは、めったにない。

それで済ませたまま、
はい、どうぞと仕事の成果を出せば、
それを見た側は、きっと「え?」と
思うはずなのです。

自分の仕事が分かっていれば、
そんなことはしないはずなのに、
分かっていないから、そんなことを
平気でやってしまう。

昨日、とある仕事の関係で、
1つの文書が回ってきたのですが、
まれに見る「自分の仕事が分かっていない」文書
でした。

今朝、それに対する質問で、
文書1枚が出来上がり、早速、
FAX送信したところ…

今ころ、あたふたしていることでしょう、その人は。

2006年5月10日

弱っているところに、つけこむ男

(断れない女・亜衣です。「結婚生活の人間関係」サイト運営中。)

失恋して…悲しい、
なんか…達成感がなく虚しい、
遠距離恋愛で…寂しい、など、
人間誰しも、「弱っていること」ってある。

そんな時、
優しくされたり、
何度もアプローチされたりすると
「まぁ、一度食事するくらいなら…」
と気を許してしまうかもしれない。

それが重なって、
いつの間にか、ズルズルと
付き合いだしてしまうことだって、
ないとは言えない。

私が遠距離恋愛をしていた時に、
そんな感じのことがあった。

彼と離れていて寂しいのと、
彼と結婚できないかもという不安と、
仕事やプライベートの悩み、
などが渦巻いていた私でした。

そうすると、たいてい、
獲物のスキをねらっているような、
怪しい男(女)が近づいてくるもんです。

私にも…ビンゴ〜〜!!

全く好みじゃない人だったのに、
そのしつこさに、まず1敗。

かなり年上で敬遠していたはずなのに、
接する機会がけっこう多くなってしまい、
無下に断る事も出来なかったことで、2敗目。

付き合いが始まってしまいました。

友達には
「なんであんな人と付き合ってるの?
 あの人に、eyeはもったいないよぉ〜。」
などとも言われてしまいました。

そうかぁ〜と思いつつも、
自分でも何がなんだか、
よく分からないうちに
事が進んでいるということってあるんですねぇ。

そりゃそうです。
「弱っているところ」に近づかれて、
主導権を握られたうえに、
こちらは正常な思考回路がないんですもの。

どんぶらこ〜、どんぶらこ〜、
と流されている感じです。

知らず知らずのうちに、
勢いづいている相手のアタマの中では、
「結婚」の妄想まで出来てしまっている。

親もすでに若くない人でしたから、
「結婚」について考えるのも
無理ありません。

でも、私にしてみれば、

へ? けっこん?
結婚〜〜〜!?

そこで、目が覚めました。
ああ、ヨカッタァ〜〜。

今思えば、まかり間違って、
その人と結婚していた可能性もなきにしもあらず…(怖!)

つけこまれて、人生が
変わってしまいそうになったeyeでした。
23歳の秋のこと。

→結婚生活の人間関係

2006年5月 9日

離婚の危機!

一族のなかに、
離婚する人々が多いと、
そういう話題には、ある意味、
敏感にも、鈍感にもなりますね。

最近、結婚したばかりの娘をもつ知人のお宅も、
そういう感じの一族。
なかなか、良い縁の結婚に恵まれない…

だから、結婚したばかりの娘についても、
大きな期待と、大きな心配を抱いて、
見守っているところ。

私も、その人たちと話す時には、
その娘さんの近況がとても気になります。
先日は、ちょうど電話しているところに、
そのお母さんと出くわした。

「誰と話していたの?」

と聞くと、娘の名前を口にした。

そして、その後、

「ダメなんだよ。」という言葉。

「え?」

「ダメだって…」とくり返す。

「え、ダメになったの?」

「お父さんがウツになっちゃって、
 調子が悪いから、電話して
 相談してたんだよ。」

なぁ〜〜んだって思ったのですが、
お父さんのウツも、困ったことである。

しかし、それにしても、私のアタマの中には、
「離婚」の可能性ばかりが心配されていたものだから、
思わず、それを想像していて、聞き返してしまった。

幸いにも、
「結婚がダメになったの?」
と聞かなかったことだけが救いだが…

ところで、そのお父さんは、
娘の行く末を案じて、
ウツになったわけではないけれど、
今の時流にありがちな、
会社の組織を離れて退職してから、
年に数回、そういう症状が出るようになった方。

会社に勤めている時には、
そんな症状は少しもなかった。
会社の役員なんてやっていた人らしく、
話す言葉や態度は、ちょっと「尊大」が入っていた。

それなのに、組織を離れてからは、
そういう態度が時おり出てくる反面、
ガラっとウツな症状を見せたりするのだ。

お母さん(奥さん)は、
もう娘の結婚を心配している場合じゃない。
いまいち調子の出ないお父さん(旦那さん)の面倒に、
身も心も疲れている様子でした。

一難去ってまた一難、
というのは、こういうことを言うのでしょうか。

2006年5月 8日

忘れないための「しるし」

よく忘れないために、
手帳や手首に書いたり、
別に書いた紙を貼り付けたりします。

いわゆる「しるし」ですね。

しかし、時々、
達筆(笑?)すぎたり、
あまりにも簡略化して書いてしまって、
その「しるし」が何だったか、
忘れてしまう年頃になってしまいました。

まだ、30代なのですが…

考えてみたのですが、おそらく、
忘れないようにしたいものが、
増えすぎたのでしょう。

だから、本当に
忘れちゃいけないものを絞り込む前に、
次々と忘れてしまうのかな…

その証拠に、
忘れてソンしたものもありますが、
忘れてもたいしたことがなかったことも
かなり多く、「忘れないための」努力が、
無駄に終わっているところもあるようです。

人間は、忘れるように出来ている。
それは、幸せになるため。

人間は、忘れないようにも出来ている。
それも、幸せになるため。

パソコンのように、
これは消して、これは残すみたいな
記憶選択の機能が、
脳についていれば便利な気もしますが、

果たして、それが
本当に幸せかと言えば、
ちょっと保証できない。

「忘れる」ということの
リスクとラッキーにはさまれながら、
私たちは、幸せと不幸を味わっていくんでしょうね。

これすら、忘れるだろうなぁ。

2006年5月 7日

建て前から離れたところ

建て前は、
本音と反対の言葉として、
使われるけれど、
本当はつながっていると思う。

ほとんどの「建て前」は、
何かの本音を守るために生まれる。
その本音を前面に出すと、
理解されなかったりする場合のために…

たとえば、会社や企業は、
とにかく儲けたい。
これが本音だと思う。

この本音を持っているのは、
誰もが知っている。
人間誰しも、そういう本音を
持っているのだから…

しかし、人には、
妙なところがある。
自分が持っている本音を、
他人が持つのをゆるしたくない、
という願望だ。

他人には、きれいに、
あわれみ深く、博愛精神で
生きていって欲しい。
その愛に、自分がくるまれたい。

そういう生き方をしない人間に対しては、
真っ向から反対をする、批判をする。

会社や企業は、組織だから、
そういう人間の本質を知っているわけで、
「儲けたい」という本音を、
時には隠すことも必要になってくる。

だから、本音を分かっていて、外側には、
わざと「建て前」を見せることになる。
もちろん、すべての会社ではない。

本音がある限り、
それと同じ数だけ建て前もある。
そう思っていた方がいい。

建て前のないところというのは、
本当に、わずかしかないだろう。

それに、実際のところ、
みんなが本音だけで生きていたら、
おそらく、その本音というのは、
何一つコントロールされずに乱れるだろうから、
同じ人間が、それを本音で扱ったら、
多分収拾がつかなくなるだろうし。

時には、建て前で受け入れたように見せる、
ということも必要になるんでしょうか。

それが、最終的に、本音を通すための工夫。
だから、やっぱり、つながっているわけだ。

2006年5月 6日

美容院から理容院へ

去年までは、
妻と同じ美容院へ行って、
ヘアカットしていました。

だいたい、2年くらいは
行っていたかなぁ…

その前は、理容院でした。
お婿さんになってすぐ、
私より少し年上の男性が
やっているところはないかなぁ、
と思って探して見つけたところ。

なぜかと言うと、
私は天然パーマのゆえに、
ひげにまで、いくらかクセがあって、
ひげの扱いになれていない理容院の女性に
カミソリをあてられて、そのクセを逆なでされ
血だらけになったことがあるのです。

別に、肌を傷つけられたわけじゃなかったのに、
クセを逆なでしすぎて、
ひげが肌ごと起こされてしまったんでしょうね。

それ以来、男性の理容師さんに
やってもらっていました。

ところが、その時の理容師さんは、
ヘアカットから顔そりまで、
ものすごく時間がかかった。
だいたい1時間半。
ていねいにやってくれていたんでしょうね。

でも、せっかちな私は耐えられず、
ヘアカットだけをやってくれる美容院へと
心変わりしました。

それが、妻と同じ美容院へ行くようになった理由です。
女性の美容師さんでしたが、
ひげそりもないから、
血を流す心配もなし。
30分ほどで終えられることもOK。

で、今度は、
30分で終わるくらいシンプルな
私のヘアスタイルに対して、
料金がなんか高い気がしてきた。

そんな時、知人が、
なかなかいいヘアスタイルをして、
私の前に現れた。

「お!どこの美容院でやったの?」

と聞くと、

「小さい頃から行っている理容院だよ。」

とのこと。

ほぉ〜、理容院でもうまい人がいるんだね。

聞いてみると、おばちゃんがやっているお店。
つまり、女性。

あちゃー、と思ったのですが、
そっかぁ〜、ひげそりをしてもらわなければいいんだ、
ということに気づき、早速、行くことになりました。

それから数回行ったのですが、
けっこう気に入っています。

ヘアカットも、美容院以上に早く終わるし…
いいですねぇ。

先週ヘアカットした私のアタマは、
今日もシンプルです。

2006年5月 5日

若い人が死んでいく

ゴールデン・ウィーク真っ只中の今、
外は、かなり危険な気がします。

今朝も、交通事故のニュースが
ありました。ケガ人2人、死者4人。
すべて、18歳の人たちでした。

夜通し運転していたのでしょうか。
ゴールデン・ウィークに解放された心が、
こんな事故という結末を迎え、また、
その若さに、とても残念な思いがしました。

たしか、統計上でも、
ゴールデン・ウィークには、
交通事故の割合が増えるとかきいたことがあります。

自分は安全運転をしていても、
夜通し運転して疲れているドライバーや、
ハメをはずしているドライバー、
酔っ払っているドライバーにぶつかられたら、
どうしようもありません。

みんながハメをはずしやすい時期には、
自分の過失だけでなく、
他人の行動にも注意しておかなくちゃ
いけませんね。

それにしても、
若い人が死に急ぐ姿には、
やはり、気が重くなります。

自分の娘たちも、いつか、
そんな年頃になった時に、
どれだけ自分をコントロールできるか、
不安なせいもあるでしょう…

考えてみれば、37歳の今まで
私が生きているというのは、
ラッキーなことかもしれません。

たしかに、デートとか、遊びに行って、
帰宅の運転中に、居眠りしかけたことは
何度となく、ありますからね。

そんな居眠りしかけた人々のすべてが、
交通事故に遭って、命を落とすわけではありませんが、
確率的に言えば、居眠りしていない人々よりは、
事故率がグンと高いわけであって、
それなのに「生きている」のは奇跡としか言いようがありません。

せっかく生かしてもらったこの命を、
大切にするべく、
ちゃんと生きなきゃいけないなぁ、
と思う次第です。

今日生きている「あなた」、
幸せをかみしめて、
残りのゴールデン・ウィークも、
気をつけて、お過ごしください。

周囲の事故にも注意して…

2006年5月 4日

お花見

こちらの桜は、ちょうど満開です。

よくもまあ、
このゴールデン・ウィークに合わせて、
咲いてくれるものです。

ちょっと近くの角館という街には、
このゴールデ