since 2001-12-24
いい言葉ねっと いい言葉に、人は癒される、生かされる、動かされる。
いいコトバ このサイトから生まれた本の「いい言葉」
自分がどういう人間であるかと、自分がどう
見られているかは、必ずしも一致しない。

(読めばたちまちハッピーになるいいコトバ、皆川修一) »

いい言葉メニュー

いい言葉コレクション

いい言葉サブメニュー

Amazon商品ガイド

スポンサード・リンク

関連リンク

QRコード

Powered by
Movable Type 4.1
常識は、それほど常識じゃない。 Common sense is not so common.  (Vortaire、訳:Shu)

« 08.長生き・健康 | メイン | 10.ネット小説 »

2010年3月 2日

面白くない気分と、食欲

なんか、面白くないことがあったり、
ちょっと不満の残るやりとりがあったりすると、
なんか、食べたくなるのは、

自分の精神が未熟なせいかな、
と考えたりする。

昨日も、ツイッターを見ていたら、
マクドナルド、ケンタッキーに
食べ放題させてくれるところがある、
って話題を見つけて、

あんまりお金がないころに、
けっこう食べた
シェーキーズのピザ食べ放題を思い出した。

話題にしたら、
けっこう同じように盛り上がってくれる人が
いたもんだから、
(テストが終わった日の解放感に、向かうって人が多かったな)

なんていうんだろう、
あんまりお金がない頃に食べたものって、
カラダの食嗜好として、
身についてしまうんだろうなぁ、
ってことを感じました。

若い頃に食べたものって、
自分の体ばかりが、
嗜好(思考)までも作るようだ。

うちの娘らは、
何を食べていることが、
嗜好として残るか、
ちょっと心配になった。

親から食べさせたもらったものより、
これから、学生とかになって、
金欠状態のときに、
食べあさるものとかが
カラダの記憶として残るんだろう。

親のせいじゃない、
親のせいじゃない、
そう思うことにしよう。

とはいえ、
肝心なのは、
面白くない気分を、
どんなふうに解決していくか、
ってことを、自分の方法を見つけることが
大切なんだな。

食べるっていうのも、
ひとつの方法としていいだろうけれど、
食べる以外の方法も見つけないと、
ダメでしょ、やっぱり。

ああ、ピザ食べたい。

2010年2月26日

マオ vs ヨナ

今日は、この話題を語らず、
1日は始まらないだろうし、
1日が終わらないだろう、
という気がします。

もちろん、
オリンピックに興味ない人、
女子フィギュアスケートに興味ない人も、
いるだろうとは思うけれど、

そんな人たちでも、
今日は、ところどころで、
この話題にふれさせられるんじゃないか、
って思います。

どうなることでしょう?

メダルの数でいうと、
韓国は、すでに
金x5、銀x4、銅x1。

それに対して、
日本は、
金x0、銀x1、銅x2。

国力という言い方が正しいか、
分かりませんが、
韓国に、大差をつけられている。

きっと、これは、
国の体制とか、国民性とか、
関係しているんでしょうね。

オリンピックのシーズンばかり、
応援されても、こういう結果ばかりは、
どうにもならない。

とは分かっていても、
今日ばかりは、真央ちゃんに、
がんばって欲しいな。

日本が元気になるためにも、
この日本国民の身勝手な応援が、
バンクーバーに届くように、願っています。

でも、キム・ヨナの失敗する姿も、
見たくないんだよな。

なんていうか、実力を出し切ったときに、
どうなるかっていう結果を見てみたい。

もちろん、プレッシャーに負けて、
転んでしまったり、精一杯演技できない状態になる、
っていうのも、実力の一部でしょうけどね。

いいシーンを見たいもんです。

どっちも、がんばれ!!

2010年1月29日

耳を暇にする

耳が聞こえる人であれば、
ほかの何かをしていても、
耳には、音が入ってくる。

その音に意味があれば、
それが情報となって、
心に留まっているはずなんだが、

ただ入って
流れてしまうことも
少なくなくて、
大切なことを聞き逃している。

何かをしていても、
耳を暇にすることができればなぁ、
なんて、ふと考えた。

耳を暇にするっていうのは、
そんなに難しいことであるわけがないと
思うのだが、「聞こえている」と、
「聞いている」というのは、
かなり違うことなんでしょうね。

ほんとうに、耳を暇にしていないと、
「聞いてないよ」ということが
多かったりもする。

一生懸命話した相手にしてみれば、
聞いていないよ、
ということに、もう話したくなくなったりも
するわけで、

そうすると、今度は、
聞いてないよじゃなく、
聞かせてもらえないことになる。

耳を暇にすることができない人は、
聞かせてもらえる内容が、
どんどん、少なくなっていく。

自分で選んで、
聞かないことにしていることならまだしも、
いちおう、聞いているつもりなのに、
聞いていなかったことは、
自分の集中力などのせいもあるわけだから、
本人としても、ちょっと考えてしまうだろうなぁ。

逆にいえば、耳に入ってくることが、
世の中に、とても多くなっていることも
関係するかもしれない。

昨晩も、
「NTTの代理店の~」
なんていう勧誘電話があった。

わたしは、
「代理店の」と言う言葉を聞いたら、
すぐに「けっこうです」と言って、
電話をきることにしている。

なかには、前置きが長くて、
しばらくしてからでないと、
その言葉を出してこない人もいるから、
ちょっと面倒だ。

耳を暇にするためには、
そういう余計な情報を排除していかないと、
なかなか、暇にできる時間をつくれないのかも。

今日も、ちょっとは、暇にしてみよう。

2010年1月 2日

月と雪

2010年の元日は、
暴風雪の1日でした。

朝に一度、夜にもう一度、雪よせ。

お正月から、
真っ白い雪と付き合っています。

夜には、月も出て、
もう降らないだろう、
と思いながら、

月夜のしたで、
気分よくやっていのたですが、
しばらくして、また、風の気配...

雪よせが終わるころには、
やっぱり、暴風雪。

いやな天候です。

沖縄に生活していた頃が、
むしょうに懐かしく感じられます。

ああ、沖縄に帰りたい。

帰りたいっていうより、
住みたいってことだな。

沖縄ブルーレイ >> okinawa

沖縄、これだもんな。

こっちは、これ。

snow2

差がありすぎる...

月夜は、きれいだったけれど、
つかの間で、写真も撮れなかった...

というより、雪よせで忙しかった。(笑)

歳をとったら、沖縄に住んでやるぞ。

と心に誓い、楽しい気分で、
雪よせをしたのでした。

お正月とは言え、
早朝に、救急車の走る音が
聞こえてきます。

きっと、寒さのせいで、
お年寄りの方の体調に
異変があったりしているんだろう、
と想像します。

たしか、映画「おくりびと」にも、
そんな話題があったな。

気候がゆるいと、
人が死ぬことが少なくなって、
葬儀屋があまり忙しくないって。

今日は、-1℃、-2℃、という世界。
お年寄りでなくても、
堪える気温です。

冬は暑いところへ移住。
これっきゃないです。

2009年12月25日

胃袋、一人一つずつ

忘年会、クリスマスのパーティが
いくつか続いて、
料理をたくさん食べられる機会が
増えていた昨今?

そんなに、あったけ?

わたしの場合は、2回かな。

回数はどうあれ、
その時には、胃袋一つ分しか、
腹に入らないから、

あとになって、
ああ、あれも食べればよかった、
これも食べればよかった、
なんて食い意地が出てきます。

でも、やっぱり、その「もしも」は、
ありえない。胃袋は、一人一つ限定。

昨晩の、わが家のクリスマス夕食は、
そういうパーティのときに比べたら、
ごくふつうの量の夕食にしか並ばないから、
なんか、物足りないなぁ、
と思ったものの、

一人一つの胃袋しかないから、
食べてみれば、みんな満腹になっている。

金持ちだろうが、
そうでなかろうが、
胃袋一つという平等さは、
同じなんだなぁ、と思いました。

大食い芸人さんとか、
大食いの才能のある人になれば、
その一つの胃袋にも、
無限の可能性があるんでしょうけどね。

昨日は、胃袋のことばかりでなく、
時間のことも同じように考えて、
ちょっと後悔した。

ああ、あのときに、
今と同じくらい、あの仕事に
一生懸命に時間を注いでいたら、
もっとうまくいっていたじゃないかな、と。

ちょうど、昔読んだトルストイの
光あるうち光の中を歩め
みたいな感じの後悔だと、
自分には思えてきました。

もっと早く気づいて決心をしていれば、
もっとたくさんの収穫があったのに、
今した決心からは、
最後にこぼれているぶどうしか、
拾えない、収穫できないっていう感じ。

けれど、もしも、
なんてことは、やっぱりない。
今の時代で、今のようなことができるから、
こうなだけで、あのときには、
こんな知識も、技術も、もっていなかったし、
そろっていなかった、というのも事実だ、
ということに気づく。

そして、何よりも、
あのときも、今も、
1日24時間という時間は、
限られていて、
それ以上の時間は与えられていないから、
そのときそのときに注げる対象は、
必ず、しぼられてくるのだ。

気づいた、そのときに、
最善を尽くす。

食べられる余裕がある、そのときに、
本当に食べたいものを食べる。

限りがある、ということは、
そういうことだな、って改めて思った。

2009年12月13日

比べてばかり

誰か他人が手に入れたものを見て、
ずるい、と思うことがある。

ずるい、とまでいかなくても、
うらやましい、
いいなぁ...

という感情。

そういう感情を抱く自分は、
やっぱり、未熟なんだな、と思います。

また、自信があるようでいて、
どこかしら、まだ、
自信をもてていない自分があるんだ、と。

何歳になっても、
うらやましがる感情は、
なかなか、消えることはなさそうだ。

でも、他人が手に入れたものを見て、
うらやんだり、嫉妬したり、
ケチつけたりする感情はあっても、

よし、その同じものを
手に入れるために、
俺もがんばるぞ!
っていうことにはならない。

そうはならない、
自分のことも知っている。

結果だけが欲しくて、
努力する熱意がないのだ。
あるいは、最初から、
自分には無理だとか、
相性が合わないとか、
どこかで思って認めているのだ。

面倒くさがりか、
それこそ、ずるい考え方?

自虐的にいえば、
そんな言葉になります。

冷静にいえば、
目移りでしょうか。

今、自分が目指している目標があって、
とってもがんばっているんですが、
なかなか成果に結びつかず、
悶々としている。

そんなときに、
他人が得たものが目に入ると、
いいなぁ、という感情になるわけです。

自分の努力のほうだって、
もう1日、1週間、1ヶ月でもいい、
がんばり続ければ、
得られるものが確かにあるとしても、
まだ、それがカタチになっていない、
目に見えないから、
他人の得たものに目移りしてしまう。

それだけで終わるならいい、
考え込んだり、悩んだりして、
やっぱり、そっちにいこう、
ということで、手がけているものを、
放り出して、目移りを行動に移したら、
どちらも、中途半端になってしまう。

中途半端が山積みとなって、
積んで積まれて、
とてつもない山になっている人も、
世の中にはいるだろう...

私も、そうかもしれないな。

比べてばかりいると、
結局はそうなってしまう。

孔子は、40にして惑わず、
と言ったけれど、
40になってなおさら惑っているような
気がするのは私だけでしょうか。(笑)

2009年12月 6日

悪意の想像はふくらむ

だれか他人の悪意に、
心を向けて、
それを想像し始めたら、
キリがないと思った。

それは、きっと、
自分が誰かに悪意をもったときに、
いろんなことを想像して、
さまざまな仕返し方法とかを
考えたりするから、
そうなるんだろうなぁ、って考える。

だから、当然のごとく、
他人に対して悪意を抱くことのない人は、
他人が抱いているだろう悪意の数々、
仕返しや、その方法のアイデアなんぞには、
なんの思いも浮かばないことだろう。

悪意を抱く者だけが、
他人の悪意も想像できる。

悪意を抱けない者は、
他人のそれも想像できない。

きっと、そうだ。

となると、
悪意を抱けない者は、
だまされ放題、っていうことになる?

はずだが、
どうやら、そうじゃないような感じもある。

分からないことを想像するのは、
だいたいが、よくない方向に加速する。

自分の悪意なら、
いや、悪意までいかなくても、
嫌いな感情なら、想像できるけど、

他人のそれとなると、
自分のものでない以上、
ちゃんと見たり、聞いたりしない限り、

ただただ、想像の世界でしかないから、
見えない分、分からない分、
かってにふくらむのだ。

実際のところ、
妄想癖のある人であれば、
現実を見ても、聞いても、
自分の妄想のほうを信じるだろうから、
悪い方向ばかりに、ふくらみ放題だろう。

いずれにしろ、悪いことは、
あんまり考えないほうがいいようだ。

考えた自分が、一番苦しめられる。

2009年11月11日

見つめる

じーっと見つけていたつもりなのに、
実は、なんにも見えていなかった、
ということがあるもんです。

仕事のことでも、
社会のことでも、
身の回りの問題でも、
家族のことや自分のことでも...

意外と、
見つめていなかったんだな、
別のアングル(角度)で
見ることもできたんだな、
ということに気づかされます。

一つの方向から見えた、
というのは、
逆の方向からは
見えていないということの裏返しで、

「見えた」ことばかりに
喜んでいると、
それこそ、見えていない部分の
見落としに、あとに気づかされます。

見えた、と思ったときには、
見えていないことが多い。

これって、事実なんでしょうね。

うーん、ちょっといやなことだけど、
認めざるを得ない。

しかし、考えようによっては、
そんなに嫌なことじゃないかもしれない。

まだまだ、見つめられる部分がある、
っていうことで、楽しめるわけですからね。

人間は、一つのことだけを
じっと見ているのは、
あんまり得意じゃない。

どちらかというと、
次々と新しいものを
見たがる傾向があるでしょう。

だから、
ちゃんと見つめているようで、
実は、見つめていないことが
やっぱり多いんだよな。

他人のことは、
いろいろと見て、
判断できるのに、
自分のことを分かっていない。

分かっていないから、
自分に合わない行動を
意外と多くやっていたりするんです。

考えてみれば、
これは大変なことだ。

そう思いませんか?

見つめる角度を
変えなくちゃいけないな。

2009年11月 3日

初雪

初雪snow

とうとう、初雪です。
文化の日の今日。

天気予報では、午前中いっぱい、
降るらしいです。

気分的には、
ちょっと面倒くさい感じになりますが、

変化があるというのは、いいこと。

そう割り切って、
この初雪を楽しもうと思っています。

例年であれば、初雪前に、
冬タイヤへの交換作業をするところですが、

幸い、今日は、お休み。

お出かけする予定もつくらず、
午後になれば、晴れるということ、
また、今週末には、
気温が19℃までアップするらしいので、

今回の初雪では、
タイヤ交換しないことにしました。

最悪、天気予報がはずれて、
大雪になったら、
自分が交換することを予定しています。

季節の変化につきあうっていうのは、
私たち日本人に与えられた恵みであり、試練でも
あるんでしょうね。

生まれてからずーっと、
四季というものを経験しているので、

この四季がない、
という経験が想像できません。

沖縄に住んでいたときでさえ、
雪はなくても、やっぱり、
冬は冬。

変化があるって、いいもんですね。

これから、3月ころまでは、
雪とのお付き合いが始まります。

今年は、本当に暖冬になるかな?

2009年10月20日

朝から牛か

出張で朝食を食べるときに、
バイキングなどついている場合は、
遠慮せずにそれをたらふく食べるが、
だいたいは食べすぎて、
ちょっと眠くなる私です。

 

バイキングがついていないときは、
外にくりだして、吉野家でも、すき家でも、松屋でも、
牛丼屋に入って、朝食セットを食べます。

そこで、いつも迷うのが、
牛を食おうか、納豆定食にしようか、
ということ。

隣で、朝から、牛丼を食べている人を見ると、
よく、胃がうけつけるなぁ、と思いながらも、
私も、大丈夫かもな、という気もしたりします。

しかし、朝から、
わたしの胃は、あんまり活発じゃない。

バイキングの時ばかりは、
元気に食べるんですがね...

そういう選んで、何を食べるか、
ということができるときには、
胃が「おりこうさん」になります。

今朝も、朝食は、何を食べようか、
と迷い、いつもなら、納豆と卵がついている、
納豆定食を注文するところ、

そうだな、1杯のごはんに、
卵と納豆じゃ、濃すぎるな、
ということを、今朝は感じて、
卵だけの「みそ汁定食」を注文しました。

結果的には、正解で、なるほど、
やっぱり、自分の胃には、
朝は、こんな程度がちょうどいいんだな、
と改めて思っているところです。

誰だっけ?
朝からステーキを食べる芸能人。
叶姉妹?杉本彩?

いずれにしろ、見た目からして、
肉食女性っぽい気もするな。

そう言われてみれば、
わたしは「草食男子」に入るだろうから、

朝から牛は、どう考えても、無理という話か。

うちの家族を見ると、
妻が肉食&草食?
長女が草食、次女と三女が肉食?

おもしろい組み合わせが生まれてきています。 

2009年10月13日

願望を支える人

願望の強い人間のまわりには、
願望の強い人間はいらないなぁ、
と思う。

必要なのは、
願望の強い人間の、
その願望を支えて
助けてくれる人。

もちろん、
願望がまったく同じで、
同じ方向に進んでいきながら、
補い合える関係であれば、
問題はないのだけれど、

願望が似てはいるけれど、
少し違うだけで、
あとあとになって、
問題が生じてくる。

まわりから見れば、
ささやかな問題に見えるかもしれないが、
願望が強い者同士の間では、
それが強いだけに、
ちょっとした「違い」が
決定的なものになったりもする。

そういう意味で、
他人の願望に染まって、
それを支えられる人っていうのは、

願望の強い人よりも
貴重な存在かもしれない。

なぜなら、
願望の強い人は、
きっと、たくさんいるから。

世の中に、
願望の数だけ人がいて、
人の数だけ願望があって、
それが入り乱れてしまえば、

きっと、それらは、
微妙に、かみ合わない部分が
たくさんあるから、

本当は、願望の数だけ
それを支える人がいないと、
めちゃくちゃになってしまうだろうなぁ。

求む、願望を支える人。
そんな求人情報があってもおかしくない。
幸い、私の近くにはいるようだ。

2009年10月 4日

そこにある理由

知人に、子供を連れて、
一度行ってみたら、
喜ぶと思うよ、と言われ、

マンガ倉庫という、
リサイクルショップに行って来ました。

これって、中国地方、四国地方、九州と沖縄にしか、
ないお店なんですね。

それが、なんで、
秋田にあるのか、よくわかりませんが、
行ってみて、思ったのは、
ただのリサイクルショップとは違うな、
という感じ。

雑然と置かれている、いろんな商品が、
繁盛感を伝えてきたり、実際に、
群れいている人の多さに、
どことなく、遊び場のような感覚を覚えたり...

とにかく、違っていた。

ある意味、汚さ(?)というか、
手あかが見えるような感じもした。

それが好きな人は、それでいいだろうし、
なかには、そういうものを感じられないきれいな商品もあって、
それを見つければ、まさしく「宝探し」をした気分。

サイトを見てみると、こんなことが書かれている。

「物が平気で捨てられる現在、資源や環境ばかりではなく、
 多くの文化や財産までもが脅かされています。
 私たちは過去の貴重な文化や財産を守り、
 未来に伝えるためにエンターテイメントリサイクルに取り組み、
 資源を有効活用いたします。
 お客様と私たちが売り買いを通じて、
 物や文化を大切に思う心が通い合うことを大事に考えております。」

エンターメントリサイクル。

この言葉が、ぴったりだな、
と今になって考えれば、思います。

それが伝わるお店作り。
田舎にあるお店にしては、
若いスタッフがとても多くて、
活気もある。

対応や態度も、一貫している感じ。
マニュアルも、きちんとあるだろうなぁ...

そんな印象でした。

「エンターメントリサイクル」

これ、いい言葉だな。

ところで、子供と私とだけで行って、
私はレディース服のコーナーも見ていたが、
「お、これ、うちの奥さんに着せてみたい!」
と思う、おしゃれなパーカーがあって、

値段もお手ごろだったから、
買ってあげようかどうか、
と迷い始めた瞬間がありました。

しかし、しばらくして、
「この服が、ここにある理由って何だろう?」
と考え始めたら、

おしゃれなんだけど、
買った人にしてみれば、
意外と着ていけるシーンがなかったんじゃないか、
という考えに至った。

なるほど、何にも、
そこにある理由があるんだな。

マンガ倉庫が、秋田にある理由。
繁盛しているらしい理由も、間違いなく、あるんだろう。

2009年4月 7日

食べ物を育てる

なんでもいいから、
自分たちの口に入るものを、
育てたという経験をしたのは、
一番最近でいつだろう、

と考えてみました。

その結果、まったく、
思い当たらないことが判明。

ちょっとショック。

毎日毎日必要としているものなのに、
それを、自分で育てていない。

義父は、毎年、
何かしらを育てています。

出荷して売るためとかではない。
わが家で食べる分と、
隣近所におすそ分けしたりする分。

そんなことを思って、
パソコンの前に座って、
仕事をすることの多い自分を振り返ると、

生身の人間として、
ダメかもなぁ...という気がしてきた。

やっぱり、自分の食べるものくらい、
自分で育てあげられなくては、人間じゃないと。

もちろん、向き不向きもあるだろうから、
そういう農業を仕事にして食っているレベルまでは
必要ない。

自分たちが食べるために、
少しでも、食べ物を育てる、
っていうことに携わっているのが、
人間らしいことに思えたんです。

農業をバカにしちゃいけないと思う。

食糧危機が来たときに、
一番困るのは、自分で育てていない人たちだから。

今は、そういう恐れがないから、
農業のポジションは高くないように思われているけど、
本当は、一番高いんだよね。

けれど、私もそうだけど、
食えりゃあいいみたいに、
自分が食べるものを選んでいることも多いから、
価格は、どんどん安くなる。

今朝も、テレビでは、
298円のお花見弁当が話題になっていた。

そんだけ、食べるものが安くされたら、
原材料そのものの値段なんか、
とんでもないレベルまで下げられることだろう。

自分で育ててみないと、
本当に体にいい、おいしい食べ物が出来るのが、
どんだけ大変なことか、分からないんだよね。

時間を作って、食べ物を育てられるようになりたいな。

2009年3月 5日

食べない方がいい

食べれば食べるほど、
食欲が出てくる。

そういう現象を、
自分のカラダで
体験している人はいないかな?

私は、最近、
自分について、
そんな気がした。

もしかして、そんなことを自分ばかりかと思ったが、
フジテレビの「笑っていいとも!」で、
タモリさんも言っていた。

人間の食欲は、
それが必要かどうかに関わらず、
食べれば食べるほど、
刺激されて、食べたくなる。

きっと、
欲しいものを買えば買うほど、
次に新しいものを欲しくなるのと、
同じなんだろう、という気がする。

私の場合は、特に、朝ごはんがダメだ。

朝から気合を入れるために、
がんばって食べるぞーってやって食べると、
まず、消化が追いつかない感じ。

それでも、食べたくなるから不思議だ。

そして、その日1日は、
どことなく、食生活が乱れる。

1日いっぱい、
何かを食べたい気持ちに駆られてしまう。

数日、そんなことを続けると、
心も体も、こりゃあダメだなぁ、と自覚して、

果物と果物ジュースだけの朝ごはんにする日を
設けることにしている。

すると、まず、お腹のものがスッキリと出て行く。

もし、お昼ご飯までに、
空腹を感じるようであれば、
果物と果物ジュースだけを飲むようにする。

お昼頃までには、胃袋から腸にかけて、
何も入っていないような感覚になれます。

こうなったら、気分もいい。

人間は、やっぱり、食べすぎだ。
食べない方がいい時もあるんだな、
って改めて思うわけです。

2009年2月24日

棚に上げたり、下げたり

自分のことだけ、
棚に上げて...とは、
私もよく言われる。

言われた瞬間には、
そんなことはないよ、
と否定するのだけれど、

しばらく経ってみれば、
たしかに、そんなに変わりないなぁ。

自分を棚に上げられるほど、
ほかの人がしていることと
区別なんて、たいして付かないなと。

世の中が変になると、
いろんな商売が出てきて、
そんな商売を見ていると、
なんとなく批判したくなる気持ちも出てくる。

意味のないものを作ってとか、
お客をだまして売ってとか、
すぐに飽きられるもので儲けてとか...

インターネットの世界には、
特に、そんなものが多い気がする。

しかし、よく考えれば、
私もたいして変わりないことに気づく。

いわゆる、バーチャルな世界で、
何かしらの金儲けにつながることを
しているわけだから、
それがお客に求められていることとは言え、
たいして、変わりないのだ。

もっと大胆に言えば、
お客に求められているから、
正々堂々と威張れるとも限らない。

薬物のニーズが高くて、
よく売れるから、
俺の商売は真っ当だ、なんては言えないだろう。

だいたいは、自分のやっている仕事、商売で、
いくらかでも、うまくいっていれば、
それを「正しい」と言いたいに決まっている。

そして、そのうまくいっている価値観をモノサシにして、
ほかのものを、
「甘い」とか「間違っている」とか「時代遅れだ」と言うのだ。

それで、自分を棚に上げても、しょうがない。

いったん、自分を
棚から下げてみないことには、
何も見えてこないのだから。

上げられる棚など、
どこにもないな、って思う。

2009年2月11日

そぶり

何の面識もなく、
初めて見かけた人なのに、

どうも、行動が気にかかる、
という人がいたりします。

ある意味、
怪しげな行動で気にかかる場合もあれば、

何の恨みも憎しみもないのに、
見ているとどうしてもイライラするとか...。

人の感性というものは、
勝手なもので、そんなことを
感じるもんです。

今年の冬は、
暖かいせいか、
車の運転をしていると、

カラスが路上に群がっていることが多い。

先日は、高速道路を運転していても、
そうでした。

カラスたちは、賢い。

何かしらの食べ物か、獲物か分かりませんが、
それを粉砕するために、わざと路上に置き去りにして、
パッと、身をかわしてよけてから、

車のタイヤがそれを粉砕していくのを、
じーっと眺めているんですよね。

ちょっと、憎らしい。

なんで、俺が、お前たちのために、
仕事をしなきゃいけないんだよ、
なんて、勝手に思ってしまいます。

先日も、ちょうど、
そんなカラスの行動が、
目の前にあって、

わざと、その置かれたものを
タイヤで踏まないように、
よけて運転をして進んだ。

カラスの思惑どおりに、
事が進んでたまるもんか、
と何やら、対抗心が沸いてくる。

そのカラスと友だちかどうか、
分からないけれど、今度は、
自宅近くで見かけるカラスにも、
何やら、対抗心が出てくる。

真っ黒い集団の「そぶり」は、
イライラさせる要素があるんでしょう。

人間でも、きっと、そうだと思います。
真っ黒な服を着た、得たいの知れない集団が、
目の前にあったら、何かしら、
心に不安を感じますよ、きっと...

2009年2月 5日

クリームでガッカリ

テレビでも話題になっている、
ファミリーマートの「Wクリームエクレア」。

私も、一度は食べてみたいな、
と思っていて、度々、
近所のファミリーマートに
顔を出しているのですが、
そのエクレアのスペースには、
何もないんですよねぇ。

ないとなれば、なんとしてでも、
食べたい気になる。

朝の品物出しが終わって間もないだろうこと
思われる時間帯に、店に足を運んでもない。

お昼にもない。

夕方ににもない。

ん?

エクレアのスペースはあるけど、
入荷していないということ?

それとも、毎日の入荷じゃない、
ということかな?

どうしても、あきらめきれずに、
ファミリーマートに、ついであれば、
足を運ぶ、ここ数日ですが、
やっぱりない。

ははは...

エクレアのことばかり考えているから、
ほかのスーパーでエクレアを見つけて、

欲しい「それ」でないことは分かっていても、
ついつい、買ってしまいました。

おいしそうな感じ...
そんなに違いはないだろう、
と期待しながら、食べる。

生クリームたっぷりを期待して、
口にしたのですが、食べても食べても、
カスタードクリームしかない。

ガーン。

カスタードクリームに、
これほど、ガッカリしたことは
ありませんでした。

で、ますます、
ファミリーマートのWクリームエクレアが、
食べたくなった始末。

ぜったいに、食べてやるぞ、
と気合入りまくっています。

おそらく、1、2週間も待っていれば、
品切れもなく、すぐに買える時期が
くるんでしょうけどね。

気長に待てなくなるほど、
カスタードクリームには、
ガッカリしてしまいました。

なんと、大人気のない...

2009年2月 2日

ベスト10

好きな食べ物ベスト10とか、
うまいと思う歌手ベスト10とか、
気に入ったところベスト10とかを、

自分ひとりで考えてみて、
そこに並べたものを見ると、

ん?本当のところ、どうなの?

って思わされます。

たとえば、私が、
好きなものを10個あげるとすれば、

ピザ、
おはぎ、
みそラーメン、
チャーハン、
ドリア、
アイスクリーム、
なすの煮びたし、
ショートケーキ、
クランチチョコレート、
サーモンのお寿司。

とかが考えられます。

そこからもれたものでも、
けっこう好きなものがあるので、じゃあ、
バナナ、みかん、ヒレカツ、海老天、
なんてものは、どうよ?

と尋ねられれば、正直、迷ってしまう。
どれを抜いて、どれを入れればいいか、
すぐには判断できない。
(判断することに、そんなに意味はないけど...笑)

さらに、ベスト10に入れたものを、
好きだからと言って、
頻繁に食っているかと言えば、
その時の気分とかもあって、
必ずしもそうじゃない。

好きだと思うものと、
実際に食べるものが違うというのは、

勝負事でいえば、
実力があると思うものと、
実際に強いものが違うことに似ているんだ、と思います。

実際に食べるものっていうのは、
ポイント制みたいな感じで決まっているんだ、
と考える。

好き嫌いというポイントも加算されているけど、
値段というポイント、その日の気分というポイント、
そこのお店のオススメというポイント、
そういうポイントがすべて足されて、
今日はこれ、と決めている。

こういうことから考えても、
人は、好き嫌いだけとか、実力だけとかでは、
生きていないことが分かる。

関係ない色んな要素も含めて、
人は迷いながら決めて、生きている。

もっと、大げさに言えば、
訳の分からないことでかき回されたりして、
変な選択肢に決めていることもあるわけです。

そういうメチャクチャなところがある人生だから、
面白いとも言える。最強の、ベストな人生なんてない、
のかもしれません。

言っていることも、なんかメチャクチャだなぁ...汗

2009年1月15日

半額に喜ぶ

5%オフには、
ちょっと喜ばない。

消費税くらい
割引されても、
何にも嬉しくもない気がする。

それを、
年に数回しかやらないのに、

すんごく割り引いています、
みたいな空気をかもし出す商売人には、
ちょっと、相手をする気さえなくなります。

それだけ、キビシイ世の中なのでしょう。

財布をもっているお客は、
その財布のヒモを緩める刺激を
いつも求めている。

だから、5%オフには、
見向きもしない。

それが、ちょっと
個性的な商品であれば、
また、話も違うでしょうが...

10%オフ、これもまだまだ。
20%オフ、うーん。

30%オフ、おっ!

40%オフ、お~~~!

半額! よし、決めた。

みたいになるかもしれない。

とは言っても、
半額にする前の値段を、
わざと高めに設定しているようなものだと、

客をバカにしているように思われて、
かえって逆効果になると決まっている。

先日、偶然に立ち寄った飲食店にて、

「本日は、店内でのご飲食、すべて半額です」

と貼り紙があった。

2,3の候補を考えていて、
どこに行こうかと迷った挙句に、
辿り着いたお店に、
そういう貼り紙があったわけだから、

お、得した~!

と思ったのは、本音の気持ち。

いつもなら、注文しないものまで注文して、
それでも、いつもと同じ額。

不景気を肌で感じると、
そんな嬉しい一日に、
とても喜びたくなるもんです。

今日も、いいことを探しています。
半額に限らず...

2009年1月 5日

スキーに行けない

正月のうちに、
1度くらいは、三女を
スキーに連れて行こうか、
と思っていたが、

雪が少なそうで、
連れていけなかった日々。

雪がキター! 降ったー!
と思って連れて行く準備を始めれば、
間もなく、雨雪に変わって、
連れて行くきが失せてしまう。

雨雪のスキー場って、
とってもイヤなんですよね。

ウェアは防水だから、
雨水が染みていくことはないんですけど、
やっぱり、濡れている感覚は、
好きじゃない。

手袋の方には、
いくらか染みてくる感じが
あったりする。

でも、一番イヤなのは、雪質。
すべりにくいし、
うちの三女みたいなヘタクソには、
何の練習にもならない。

というわけで、
まだ、今年は、
スキー初すべりを
体験していません。

正月は終わってしまったから、
スキー場のナイターに行くことも考え、
連れて行かないなぁ。
学校の授業で、きっと困るだろうから...

中1、中2になった長女、次女は、
スキーに行きたい、
なんていうことはなくなった。

冬休みも、学校の宿題で
けっこう忙しそうだし...

やっぱり、中学生は大変だな。

きっと、息抜きできるのは、
ちょっとの間だけなんでしょうね。

中3の入試が終わった頃?

まだ、1、2年あるからね。

かわいそうな気もするけど、
しょうがない。

若い時のがんばりは、
きっと、未来で生きてくるから。

娘ら、がんばれ!

2009年1月 2日

初夢

1月2日今朝見た夢のことを、
たしか初夢という話でしたが、

私が見たのは、どうも、
正月っぽくもない夢。

近くのコンビニの駐車場に、
卓球台を置いてあって、
わたしに挑戦してきた若い兄ちゃん達と、
卓球の試合をしていました。

兄ちゃん達は弱いはずだから、
簡単に勝てるものと思って
油断していたら、

私の方が凡ミス続きで、
たしか、逆転されそうになっていたな。

そして、間もなく、目が覚めた。

その前にも夢を見ていたようだが、
記憶にない。

ということで、私の初夢は、
若い兄ちゃん達と卓球をやっていたこと。

どんな意味があるんでしょう?

油断して、逆転されそうになった、
というところに、私らしさが見える。

たしかに、何事も、
そうなんですよね。

調子よくリードしていた、
と思った瞬間から、
どこか歯車が崩れて、
流れが変わってしまう。

悪いことに、
流れが変わってしまってからの戦略がない。
あるいは、その時点では、
アタマの中がパニックってしまい、
戦略が思い浮かんでこない。

そんな感じです。

初夢が教えてくれたこと。

1.油断するな。
2.事態が変わったら、冷静に戦略を考えよ。
3.若い兄ちゃん達をなめるな。

気をつけねば...

2008年12月28日

ピューピュー

時おり、晴れ間も見えましたが、
100%当たった、昨日の天気予報。

このマークが示すとおり、

暴雨雪

暴風雪の昨日でした。

昨シーズンの冬には、
このマークが出ると、
かなり怯えていたのですが...

1度経験してから、
というもの、ちょっと悟りを開いたらしく、

「たしかに、風は強いけど、
 そんなに雪は積もらないから、
 風の音だけ、がまんしよう。」

なんて感じに、
私のアタマは働いているようです。


実際、今朝、目が覚めて、
外の暗い景色を眺めてみると、
雪が積もった形跡はなく、

わが家の玄関に、
吹き溜まりができて、
雪が積もっているくらいで
おさまっている様子。

古い我が家だから、
外の音が、よーく聞こえるもんで、
風の強さも分かる、
という特権を得ているくらいのもんです。

ピュー、ピューと、
ものすごい風です。

幸い、その風で、
夜中に起こされたりは
しませんでしたが、

今、外で仕事をしている人がいたら、
大変だなぁ、
あ、救急車の音もする、
この寒さで心臓麻痺でも起きたかもなぁ、

なんて考えながら、眠りに就きました。

今日までの暴風雪?

天気予報が外れることがないくらい、
確実な天候なのでしょう。

今日も、耐えるべ。

この天気で、
帰省の足を止められている人は、
かなり大変かもしれない。

実家に帰れない上に、
帰ったはいいけど、
外に出るのがおっくうになる、
冬の天候ですからね。

雪国の皆さんは、
事故などには気をつけてください。

2008年12月11日

シナモン

シナモン・ロールが、
けっこう好きな人間です。

とは言っても、
最近は、あんまり食べていないのですが、
20代の頃に食べた、
ピザ・シェーキーズのランチバイキングに
出てきたシナモン・ロールが
けっこう気に入っていました。

その当時は、
シナモンっていうものが、
よく分からずに食べていたのですが、
なんとなく、昔懐かしいエッセンスにも
感じられた。

あとで分かったことは、
日本でいう「ニッキ飴」と
同じエッセンスだったということ。

幼い頃に、ニッキ飴とか、
浅田飴とか食べさせられた記憶があるから、
「そういえば、そんな味だなぁ...」って。

ニッキって、子供の頃には、
なんていうか、
口の中で、チカチカするような感じ
なんですよね。

昨日の朝起きたら、
なんとなく、のどがイガイガするもんだから、
お店で、あめ玉を買おうと探しました。

そこで、目についたのが、
久々となる「ニッキ飴」。

Kasugaiというメーカーの飴で、
となりにあった「しょうゆ飴」と比べて、
ちょっとした好奇心で、レジに持って行きました。

早速、一つ。

たしかに、シナモンだけれど、
やっぱり、チカチカする。

シナモン・ロールは、
チカチカしないんだけれど、
なんで、飴になると、
チカチカするのかなぁ...

不思議な気持ちで
あめ玉をなめていました。

でも、二つもなめたら、
のどの調子が回復。

やっぱり、ニッキ、シナモンはすごい。

妻にしゃべったら、そのことをしゃべったら、
「もしかして、シナモンって
 漢方成分でも入っているんじゃないの。」
と。

そうなのかもしれない...

って、ここで終わろうとしたけれど、

ネットで検索してみたら、
「お茶やお菓子の食材シナモンは、
 漢方生薬の桂皮(ケイヒ)です。
 薬効成分が少ないものが
 食材シナモンとして使われます。」
とありました。(微量漢方養生記より)

あのチカチカするのは、
漢方成分のせいというか、
おかげなんだな。

納得、納得。

これでスッキリして、仕事に励めます。

2008年11月29日

ふわふわモコモコ

女性ファッション雑誌、
そうでない雑誌などでも、

ふわふわモコモコの洋服や靴が
紹介されているものが多くなりましたね。

ああいう感じ、
たしかにいいです。
好きです。

ふわふわモコモコ姿を見ていると、
なんか幸せな気分がするというか、
とってもかわいい雰囲気がするというか、

今の季節にピッタシだにゃぁ。

冬は、服を着なくちゃ寒いから、
いろんな服を重ね着したりして、
ファッションを楽しめるシーズンだ、
っていうことも、ありがたいわけです。

夏だったら、ふわふわモコモコを、
うっとうしく思うかもしれませんけどね。

男が、ふわふわモコモコを着たら、
どんな感じだろう...

さすがに、私も、
買ったことはないなぁ。

せいぜい、フリースくらいのふわふわモコモコ。
あと、靴は、スウェード調。

そうだ、18歳の時に買った、
モコモコはしないけど、
ふわふわ感のあるジャケットを
いまだに着れるのが、ちょっと嬉しく思っている。

なんと言っても、22年前のジャケットですからねぇ。
PEYTON PLACEって出来て間もないブランドものを
アルバイト代を貯めて、40,000円くらいで買った記憶がある。

それが、今でも、
ふわふわで、ちゃんと着られる、
っていうのがスゴイ。

いいものだったんだろうねぇ。

今日は、街に行ったら、
ふわふわモコモコを探したくなる気分です。

2008年11月28日

朝食の悩み

なにを食べたら、
わたしの体は大丈夫なんだろう?

朝食について考えると、
わたしは悩みます。

アレルギーとか、
アトピーとかがあるわけじゃない。

朝の消化能力が、
むしょうに低いようなのです。

目も、アタマも、
すっきりと覚めているんですが、
どうも、内臓系が弱い。

その証拠に、
モツとか内臓系の料理も
食べれないし...
(って、きっと、関係ないと思いますが)

ここ1年は、
たまーに、しっかりとした朝食を
食べることはあっても、
だいたいは、果物と100%の果物ジュースだけ。

それが、胃腸にもよい感じだったし、
お通じとかも快適で、生活としても、
満足していました。

ところが、このところの寒い日々、
消化能力には負担がないのですが、

どうも、頭痛がする朝の時間。

それも、すんごい痛いわけでなく、
たまーに、後頭部を
チョコっと押されたような鈍い感じ。

それが長ーく続いたら、
きっと痛いんだろうけど、
実際は、痛いわけでもない。

もしかして、朝食を食べないで
血糖値がひくいせいかな、
なんて勝手に考え出して、

朝食はどうしようか、
と考えているわけです。

朝の果物を食べる時には、
バナナなんかもあったりして、
バナナ・ダイエットをしている気分にもなりましたが、
朝食のことを考え出したら、
バナナも食べたくなくなってきた。

飽きてきたのでしょうか?

うーん、どんな朝食を食べたら、
わたしは、調子がいいんだろう...

悩みます、悩みます。

2008年11月23日

クリスマスまで1ヶ月記念日

昨日、家族で出かけ先からの帰路。
夜になってしまった...

というより、5時を過ぎると、
もう暗い。

クルマで通りすぎる街並みには、
クリスマスのデコレーションの内装や
ライトがキラキラと輝いていました。

クリスマス・カラーと言えば、
やっぱり、赤と緑。

カラーの専門家さんに言わせれば、
理由の分かる組み合わせかもしれませんが、
私には、赤と緑の組み合わせが、
なぜ、いい感じに見えるか、いまだに不思議です。

クリスマスまで、あと1ヶ月ほど。

アメリカでは、ちょうどこの時期に、
(今年は、今週11月27日)
Thanksgiving(感謝祭)がありますね。

米軍基地に住んでいる知人家族に招待されて、
そのごちそうを味わった経験のある私ですが、

このイベントにかける、
アメリカ人の思いっていうのが、
けっこう大きいなぁ...
って感じるくらいのものでした。

日本人のお盆、お正月くらいの思い入れかな。

逆に、アメリカ人は、
お正月に、ごちそうを食べるイメージが、
あんまり湧いてこなかったなぁ。

それぞれの家庭によって、
違うかもしれませんが...

いずれにしろ、この時期、
アメリカ人は、

「クリスマスまで、あと1ヶ月じゃぁ~~!」

という気分で、ショッピングとかを
楽しむんでしょうね。

うちの次女からは、
クリスマスプレゼントの欲しいリストが、
渡されました。

毎年のことで、次女だけ、
ものすごく気が早いです。

ThanksGivingじゃないですが、
わが家に、クリスマスが近いことを
知らせるサインです。

今年は、どんなクリスマスになるかな。

2008年11月18日

落葉が一面に...

今日の天気予報から、
夕方頃には、雪になるでしょう...

という話。

とうとう、雪という言葉が
耳に入ってくるようになりました。

昨晩は、ちょっと風が強かった。
で、朝は、一面に、落葉だらけ。

赤なの、黄色なの、オレンジなの、
いい色でした。

クルマを運転しながら、
タイヤが落葉を踏みしめて
進まなければいけないほどの道路が、
午後には、雪一面になるかもしれない。

この変わりようは、
風景としてみれば、
ちょっと奇跡的ですね。

体感温度的には、

こりゃぁ、ホントに、
雪が降るなぁっていう空気を
かもし出している今朝でしたが。

ただ、今は、青空がのぞいたりして、
太陽の光も感じらます。

それでも、秋冬の空は変わりやすいから、
きっと、肌寒いというより、
完ぺきに寒い一日となることでしょう。

赤、黄、オレンジの落葉一面から、
真っ白い雪一面の風景へ。

寒さに負けないよう、
今年も、楽しい冬を探さないと
いけないなぁ。

2008年11月11日

生まれ

生まれを表現する言葉には、
いろいろありますよね。

たとえば、
京都生まれとか、
東京生まれとか、
秋田生まれとか、
の地名。

次には、
12月生まれとか、
7月生まれとか、
3月生まれとか、
の月名。

別で言えば、
2001年生まれ、
1945年生まれ、
1969年生まれ、
という年呼び。

さらに、今の時代であれば、
性を変える人々も増えてきてるから、
未来では、
俺もともとは、女生まれ、
私もともとは、男生まれ、
っていうのも、自己紹介の中に、
日常的に出てきたりして...

まさか、
私は父親から生まれた、
私は犬から生まれた、
なんてことはないでしょうけど、

私は代理母から生まれた、
っていうことも当たり前の時代が
くるかもしれませんね。

もちろん、だいたいのことは分かっても、
赤ちゃんポストに預けられた子供は、
そういう生まれの情報が「ない」という可能性もある。

「なまえはタケシ、2008年11月11日生まれです」

ていう置き手紙なんかがあれば、
分かることができるでしょうけど、
それでも、ちょっと足りない。

自分のスタートは何か、どこか、いつか。

そこには、神秘的な意味合いとか、
地位的なものがあるように思うから、
人は知らず知らずのうちに、大切にしたり、
恥ずかしがっていたりする。

それこそ、その「生まれ」は、
占いのためによく使われますからね。

生まれを星座で言えば、
たしかに、神秘的な意味が増す。

ふたご座生まれ、
さそり座生まれ、
うお座生まれ...

なんか、ファンタジックになります。

いつかは死ぬ人生を送っているからこそ、
「生まれ」が大切なんでしょうね。

一家みんなで、2月19日生まれの三女を、
みずがめ座と勘違いしていて、
実は、私と同じ「うお座」だったんだと分かってから、
ちょっと、生まれが変わった気分になっています。

2008年11月 8日

悪役の応援

映画やドラマで、なんとなく、
悪役を応援している自分がいることを、
発見したりすることがある。

あぁ~、オレ、コイツを応援しているよ。

ってな感じ。

なんでだぁ?

と考えてみれば、
自分の中にある単純な欲望が、
その悪役が悪事をする動機に
ちょっと重なったりするからなんだなぁ、
って気づいた。

でも、その悪役がだいたいは、
行き過ぎてくるんですよ。

そうなると、こっちの応援も、
ちょっと遠ざかってくる。

そこまでする必要はないでしょ、
みたいな感じになります。

自分の中にある欲望に似ているうちは、
何事も、許せるんです。

そんなこと、やってみたいよなぁ、
と思いながら、見られるからね。

きっと、シナリオを作る方々も、
そこに登場している悪役を
どう思わせるか、っていうことを考えながら、
その「悪のレベル」を作りこんでいることでしょう。

悪のレベルが深まったり、
悪のレベルが浅くなって
場合によっては「正義のレベル」が
高まったりするように描きながら。

私たちには、きっと、
悪人とちょっと似ている動機を
持っている部分がある。
しかし、それを実行に移さなかったりするのは、
自制心が働く「理性」があるから。

それがなくなったら、
この世の中は、ホントに、
めちゃくちゃになるでしょうね。

本能で生きていけるのは、
自由で、気楽で、解放的でいいかもしれない。

しかし、安全な世の中から
遠ざかってしまう。

自分に似ている悪役を応援したい気持ちはあるけれど、
一線を越えたら、それを許しちゃいけない。

わたしのことを悪役に思う人々は、
どこかにいるかもしれない。
でも、分かってもらえる悪役でいたいなぁ。

2008年10月21日

夢に出てくる人

そいつは、すんごいニキビ面で出てきた。
生きている人間として何の疑いもなく、おしゃべりしていた。
あの時の事故で助かってよかったな、と私は言っていた。

目が覚めた...

久しぶりに、
そいつの夢を見ていたことに
気づいた私。

で、すぐに、あの時の事故では
助かっていなかったことに思いが至った。

高校に入って間もなく退学して、
その後、バイク事故で亡くなった。

亡くならないで生きていたとしたら、
きっと、接点もなかっただろうし、
連絡をとりあうこともなかっただろうし、
思い出したり、感傷にひたることもなかっただろう、
タイプの違う人間です。

ところが、何かとひっかかってしまうのは、
そのタイプの違う人間同士が、
中学校の部活動の先生から
ダブルスを組むよう命令されて
いっしょに戦った時間があったこと。

妙な縁です。

生きていれば、
どんどんとまではいかなくても、
新しい出会いでつながる友人と、
ずーっと親しくしている友人以外は、
なかなか思い出せなかったりする時もある。

しかし、亡くなってしまうと、
そこから新しい思い出が出来ない分、
それまでの記憶が強くなるんだろう。

もし、それが、自分の家族とか子供だったら、
それまでの記憶に、思いが集中してしまい、
自分がしたこと、自分がしてあげられなかったことに
安心したり、後悔したりするんだろうなぁ...

わたしと、その友人の関係においては、
そのダブルスで戦ったことと、
一時期、オーディオ馬鹿になって
家によく遊びに行ったこと以外は、
接点がなかったから、
自分がしてあげられなかったことの後悔は
ないように思います。

それでも、夢に出てくる...

なんだろう、この心の深層心理は。

今の私は冷静に考えて、
「接点がない」と思っているんだけれど、
そのタイプの違う人間に、
何かしら憧れをもっていたのかもしれない気がする。
自分には出来ない生き方をする人間として、
何かしら頼っていた? 父親のように?

同級生を父親のように思うなんて、
感情はそんなにないことだろうけど、
ありえないとも言えない気がする。

入院して不在がちだった父の代わりに、
心のなかで、自分よりも強く見えた友人に
何かしら頼っていた。

そうかもしれない。
そう考えたら、心の中に、
すとんと落ちたものがあった気がする。

頼っていたのかぁ、
父親のように...

2008年10月18日

秋の残りを楽しむ

10月も後半に入ったというのに、
まだまだ暖かい感じのする日々です。

昨日は、新米をいただきました。

これから1年食べられるように、
今年はすこし多めに入手した次第です。

なんと言っても、女の子とは言え、
中学生になると、食欲は旺盛です。

新米が届いて、
気分的には、秋の深まるのを感じるのですが、
今週も、暖かいような天気予報のようで、
かなり嬉しいことと思っています。

まだまだ、
この暖かさを感じていたい。

冬になれば、
もう耐えるしかないですからね。
この雪国では...

秋の残りを楽しみたいです。

それに欲張りすぎたのか、
ちょっと、昨日は、食べ過ぎたかな、
という感じ。

最近、チョコレートにハマっています。

Tangoチョコ

やおきんっていう販売元が売っている、
Tangoチョコレート。原産地は、マレーシアとある。

近くのスーパーで105円で売っている。

クランチチョコ、クッキーチョコ、どちらもおいしい。

高級チョコとは比べようがないでしょうけど、
けっこう深みのある味は、
日本のチョコとはまた違う、って思わされます。

来週が最後かな。
寒くない「楽しめる秋」は...

地球温暖化とは言っても、
ちゃんと、寒い季節が来るので、
雪国はたいへんです。

秋を楽しむしかないなぁ...

2008年10月11日

考えることがラク

人にとって楽なことっていうのは、
これまた色々あるもので、

ある人にとっては、
考えないことがラクなのに、

別の人にとっては、
考えることがラクだったりする。

しかし、共通するのは、
そのラクなことをやっている先に、
泥沼にハマってしまうことがあること。

考えないで物事を進めていれば、
いろんなことがスピーディにいく。
どんどんと...

けれど、なかには、
考えて進めた方がうまくいくことも出てくる。
しかし、考えたくない人にとっては、
いつも行き当たりバッタリで進もうとするクセが...

何度うまくいかなくても、
それをしようとすれば、
同じことを何度も失敗するだろう。

一方、考える人は、
やる前に、その結果を予想することにより、
望んだ結果を手に入れるために最もいい行動を
見つけようとするはずだ。

それをすると、確実性が出てくる。

しかし、世の中には、
確実じゃないこともけっこう多い。

失敗してみて、そこから学んで、
次を考えるべきことが。

ところが、考えるのがラクな人は、
その失敗を通過しないで
物事がうまくいくことばかりを
想像しているから、

失敗を目にすることを必要以上に恐れたり、
やってみなければ分からないことを
必要以上に心配したりして、
そこに留まってしまう。

何度も何度も、
頭の中でシュミレーションをするが、
どれを考えても、スッキリした答えが見つからない。

考えるだけで、解決したい。
考えただけで、その気になって、
あとは、結果を待つだけ、みたいなシステムを
望んでいるから、世の中の現実とは相反することになる。

これも、考えれば考えるほど、泥沼。

考えるにしろ、
考えないにしろ、
人は楽な方に流されてしまう。

行き当たりバッタリか、
頭の中だけで済ませたいか。

時には考え、時には考えず、
そんなスイッチが人間には必要かも。

2008年9月 9日

ホントもウソも集めて

次から次へと、
読みたい本が見つかるけれど、
とてもじゃないけど、
ぜんぶは読めない。

速読を完璧にマスターしていたら、
それも可能かもしれないけれど、
流し読みとか、ポイントだけ読みとか、
ペラペラめくり読みとか、
くらいしか出来ないから、
読むスピードはそれほど速くなっていない。

それに、いい言葉を探しながら、
味わって読もうとすると、
自然に、ゆっくりになってしまうみたい。

一生をかけても、
読みたい本をぜんぶ
読めることなどないわけで、

でも、そんなことがもし出来たら、
と考えると、アタマの中が、
どんどんふくらんでいく気がして、
けっこう面白い。

きっと、世の中に出ている本には、
いろんな事柄が、
ホントもウソもあわせて、
テンコ盛りになっていて、
それを吸収した人間は、
得られた情報や知識を、
自分の中で整理しながら、
使っていくんだろう。

ホントを使えば、
役に立つだろうし、

ウソを引き出せば、
何の役にも立たないか、
さらなるウソをつかまされるか、
そのいずれかだと思う。

世の中には、
ホントとウソが本当に
入り乱れている。

でも、ウソがあるから、
ホントが引き立つわけで、
ウソも何かしらの役に
立っているのは、事実なんだよね。
あんまり、好きじゃないけど...

2008年8月26日

夏の疲れ

天気予報を聞いていると、
今年は残暑もきびしく、
9月も、けっこう暖かい日が続くとか...

ホントに、そうなると、
なかなか疲れも抜けないことになりますね。

うちの妻は、どうやら、
子供らの夏休みが終わって、
心がゆっくりしたのか、
どーっと疲れがきたようです。

いつもはスッキリ起きてくる人間は、
今朝は起き立てから、眠い、眠いの連発。

起きてこなきゃいいのに、
子供たちが自分でやって
出かけていけるのに、
と言ったのですが、

性格的に、そういうことが出来ない、
ある意味、不器用な人間様。

毎日やらないならまだしも、
たまに、朝の支度をしないからと言って、
子供らが愛情を感じないわけでもあるまいし、
と私は思うのですがね。

さきほど、用事があって、
外に出て行ったら、
涼しすぎもしない、ちょっと暑いくらいの
ちょうどいい空気が、風で運ばれてきました。

やっぱり、夏とは違う空気でした。

夏は、終わったんですねぇ。

油断して、食欲に心を許していると、
体脂肪が付いてきてしまう時期です。

10月末には、また健康診断。
それまで油断しないように、
生きていくつもりです。

どうやら、私には、
夏の疲れはない様子。

今日も、元気です。

2008年8月25日

スピーチのわき道

1分スピーチでも、
5分でも、10分でも、
人にその時間の中で、
話させるようにすると、

アタマの中の考えを
まとめあげる訓練になる。

そういう訓練を何度も繰り返していると、
見た目上は、アタマの中の整理ができている、
という印象を与える話くらいは、
しゃべられるようになる。

しかし、最初のうち、もしくは、
言いたいことがたくさんあるうちは、
なかなか難しいものだ。

どうしても、話がそれてしまったり、
本題に入る前に、わき道にそれたことだけを
話してしまう。

ある人は、話をする前には、
みんなをリラックスさせる導入が必要だ、
と固く信じていて、5分の話の予定なのに、
導入だけで、5分を使い切ってしまうこともあるだろう。

また、ある人は、説得するためには、
強調しなければいけないと信じていて、
同じことを何度も言うだけの話になるかもしれない。

たまに、そんなスピーチには何の緊張も感ぜずに、
だらだらとしゃべるだけの人もいるだろう。

スピーチっていうのは、
話の内容ばかりでなく、話し方も含めて、
人それぞれの個性が見えてくる。

聞いている側も、
人それぞれの個性が分かってきて、
それに合わせた聞き方をしているものだ。

だから、いつもと違う話し方のように感じると、
ちゃんと分かる。

わき道にまたそれるだろうなぁ、
と思いながら聞いていると、

ん?今日の話は真っ直ぐだぞ。

と感じたりする時だ。

なんで、今日は違うんだろう?
と思いながら、話を聞いていると、

話し方が上手になったということではなく、
怒りや悲しみが原動力になっている場合が
少なくない。

激しすぎる怒りや、深すぎる悲しみでは、
まとまる話もまとまらないが、

そこまでに至らない感情の時には、
アタマの中がちょうどそれだけで満たされて、
口から出てくること、言いたいことが、
ちゃんと1つにしぼられるようだ。

我ながら、面白い現象を発見したと思います。
スピーチが苦手な方、わき道話が多いと自覚している方、
おだやかな怒りをベースにしたスピーチを準備してみては
いかがでしょう?

いい言葉が出てくるかもしれません。

2008年8月21日

玉子焼き職人

わが家の玉子焼き用フライパンが、
使いづらくなってから数ヶ月。

フライパンをだましながら、
使っていたが、もう限界とあきらめ、
と新しく買った。

と言っても、498円くらいのもんで、
そんなに高いものには手を出さない。

安いフライパンで、
上手に玉子焼きを作るのが、
オツなのだ。

他のことにたとえれば、
10,000円のラケットで戦う卓球選手に、
3,000円のラケットで戦って勝つことの
爽快感みたいなもんかな...

ともあれ、フライパンを買った先週末は、
早速、玉子焼きを作りたい衝動を
抑えきれなくなる。

材料は、決まっている。
卵1個に、砂糖大さじ1杯、塩少々、
そして、ふんわりさせるためのマヨネーズは、
お好みの分量。

わたしは、マヨネーズを多めに入れるのが、
大好きだ。

ふんわり、ふんわり、させたい。

わが家が買い物するスーパーでは、
卵が1ケース105円。

そんなに悪くない卵が、
コスト競争で勝つべく、
とんでもない値段で売り続けている。

ときには、98円なんていうこともあるから、
驚きもんだ。

お盆で帰ってきた人々は、
やっぱり、ビックリする。

値段はどうでもいいが、
問題は、玉子焼き作り。

卵の値段が安いから、
思う存分、作っても、
妻から使いすぎを怒られることはない。

玉子焼きをたくさん作りたい週には、
いつもより1ケース多めに買って、と頼む。

ふんわりしていて、
ちょうどいい焼き色で、
なおかつ、中までちゃんと火が通っている。

卵だけでも、芸術品が出来るくらいの気分です。

うーん、書いているうちに、
また、作りたくなってきたな。

2008年8月16日

無心

いい言葉が、
まったく正反対の意味で
使われることがあります。

なんか、もったいない使い方だなぁ、
と思いますが、言葉の意味を探ってみれば、
そういう使い方の差も分からないでもない。

その1つが「無心」。

北京オリンピックの陸上競技を見ていると、
まさしく、無心で、走っているように見えます。

あまり余計なことを考えず、
ただひたすら走っている。

あるいは泳いでいる。

そんな姿だからこそ、
ついつい、惹き込まれる。

勝ちを意識しすぎたり、
プレッシャーを感じすぎたり、
どう見えるかを考えすぎて
戦っていては、

自分の力も出し切れないことになる。

こんな言葉も見つけました。

「いいか、嫌なことだとか、
 悩み事だとか、気になることがあるだろ。
 そういうのは考えなきゃいいんだよ。
 そういうのはよ、頭で考えるから
 深刻になるんだ。
 胸にある時はもっと漠然とした気分なんだよ。
 それが頭で考えるからまずいんだ。」
 (ラッシュライフ、伊坂幸太郎)

無心で戦うのがいい。
見ていても、カッコいい。

一方、無心が、
余計な思いがない、という意味でなく、
気遣う思いがない、遠慮がない、という意味で、
使われることもある。

「お金を無心する」

っていう奴だ。

下の者が、上の者に無心するのは、
甘えているという意味で、
分かるというところはあるけれど、

上の者が、下の者に無心するっていうのは、
ちょっといただけない。腹立たしい。

だいたい、そういう人たちが使うセリフは、
不思議なくらい、似ている。

「ちょっと会いたくなって」
「ちょっと話したくなって」

こんな感じだ。

ちょっと会うくらいのこと、
ちょっと話したいくらいことなら、
どんな用件か、聞かせてくれ、
と言えば、なかなか話そうとしない。

電話でしゃべってしまえば、
それで終わることを知っているからだ。

無心になる。
無心する。

同じ言葉だけど、正反対...

無心で戦うオリンピック選手の姿を見る日々に、
身近では、無心された知人の話も聞いたりもする。

世の中は、そんなものなんだろう。

2008年8月12日

お盆の空気

だんだんと、
お盆の空気が
ただよってきました。

といっても、
人が空気を感じるのは、
いろいろなんでしょうけど、

わが家は、スイカをもらうことが
多くなると感じます。

スーパーで、
おいしそうなスイカが
大玉980円で売っていたので、

こりゃ、お買得だ!、
と思い、早速買いました。

大きすぎて、冷蔵庫に入りきらないから、
ちょっと食べて、ちょうど入るようなサイズにして、
冷やしました。

と思ったら、翌日、スイカを1個もらい、
その夕方には、お隣さんから、
夫婦二人暮しでは食べ切れないからと、
またもらう。

ああ、お盆だなぁ...

とこんな感じです。

こんだけもらったら、
お盆中には、スイカの食べ放題だ、
と思いながらいると、

スーパーに買い物に行った妻が、
あの980円のスイカが、
今度は、1480円だった、と。

なるほど、帰省客向けに、
値段をアップさせたようです。

帰省客にしてみれば、
1480円でも十分に安いでしょうし、
お盆だから食べたいなれば、
それより高くても、買っちゃうでしょうからね。

商売の方も、お盆モードのようです。

うちらは、お盆モードが終わるまでは、
てきとうな買い物をしていた方が
賢明な感じです。

今日から、夏休みキャンプ第2弾です。
知人たちと。

2008年7月30日

泣きたくて笑いたくて

キマグレンの曲が、
CMで流れると、
なんか元気になりますね。

泣きたくて笑いたくて...

なんか、この暑い夏に、
やってやるぞー!

っていう気分になってきます。

とは言っても、雨の日が続いたりして、
まだ、夏らしい活動が多くできない日が
多いです。

熱くないなりきれない日々に、
ちょっと欲求不満を感じながら、
この夏を過ごしています。

それでも、子供たちは、
なんか、上手に過ごしている様子。

晴れ間を見て、出かけていき、
雨が降ってくる前に帰ってくる技(?)を
身につけているようです。

うらやましい...

私はといえば、出かけようとすると、
雨が降ってきて、屋内にいるときには、
いい天気だなぁ~、って外を眺める羽目に。

でも、こういう日々も、
あとわずかでしょう。

あさってからは8月。
熱くなるぞー!

キマグレンの曲、
また聴いて、元気になります。

あと、福原美穂の「ひまわり」にも、
ちょっとハマっています。

悲しい曲ですけど、なんか惹かれます。

も1つあげれば、ドラマ「モンスターペアレント」の
徳永英明「愛が哀しいから」も。

夏は、いい曲がいっぱい出てきますね。

2008年7月25日

怖がってる姿勢

人それぞれ、
怖がっている時の姿勢が
違うっていうのを発見した。

テレビ番組で見たのだけれど、
ある女性キャスターは、
お化け屋敷に入って
怖がっている時に、
いきなり、カニ歩きを始めた。

おそらく、いくらでも、
お化けが出てくる場所から離れて、
歩こうとしたために、そうなったのだろう。

あと、よく見かけるのは、
ビクっという感じで、
背中が丸くなる人と、

ゲッという感じで、
ちょっとのけぞってしまう人。

私は、どっちかというと、後者かな。

怖いんだから、本当は
逃げるとか、次の対応の準備を
しなくちゃいけないんだけど、
背中を丸めたり、のけぞってしまうと、
動きにくい姿勢になってしまう。

けれど、怖くて咄嗟にそうしているんだから、
どうしようもない。しょうがない。

怖がっている時に、
そういう姿勢にならないように
姿勢に気をつけるのと、

怖がっているものが
怖くならないようにするのと、

どっちの方が努力しやすいか、
どっちの方が直りやすいか、
なんて考えてみた。

咄嗟なんだからしょうがない。
怖いんだからしょうがない。

こう開き直ってしまえば、
元も子もないけれど、
ちゃんと逃げないと、
あるいはちゃんと対応しないと、
自分の身に危険が及ぶとなれば、
少しは、それを直そうという努力を
するんじゃないだろうか。

昨日の夜中0:36にも、
大きな地震がありました。

寝ている最中に、体が揺らされて、
起こされた感じです。

体は起こしましたが、
やはり、固まってしまいました。

とは言っても、動きすぎて、
危険な場合もあるでしょうが、
次の動きのために敏感さは残しておきたい。

怖がる姿勢、考えさせられました。

2008年5月22日

夢ふくらむ

夢を見るのは、
ホントに自由なことだね。

そう思います。

仕事のことでも、
子供のことでも、
最近は、心の中で、
いろんな夢がふくらみます。

こうなるかなぁ、
こうなれば面白いなぁ、
っていうのを超えて、

もう、
こうなるに決まってる、
っていう映像が見えちゃっているんですよ。

完全な「妄想」です。...笑

でも、好きで想像していることで、
その想像だけの世界だって分かっているから、
そこのレベルで楽しめています。

ただ、その想像の世界のことだったのが、
1%でも、その通りになることもあるんですよ。

だから、想像すること、妄想することも、
まんざら、捨てたもんじゃないです。

開き直って、想像を、夢をふくらませています。

きっと、人の心の器って、
現実が入り込むよりも、
もっと大きなサイズなんでしょうね。

いくらでもいくらでも大きく、
想像して、心の器に留めておける。

それが、ハッキリした映像や写真のように
描けることもある。

それが出来る人ほど、
そのために自分がやることも分かってくるから、
実現させられる可能性も高い。

夢が、映像で見えたら、儲けもんです。

写真でもいい。

そう考えてみると、
わたしの映像や写真は、
まだボヤけているところが多いかもな。

それが叶わなかったりする原因かもしれない。

妄想のピントを合わせる術が欲しいです。

2008年5月15日

しんちんたいしゃ

なんか、髪の毛の減り具合が、
少なくなってきた。

というか、戻ってきた...

という感じの印象を、
自分の頭に対して持っている最近です。

おそらく、気のせいであり、
自分の願望からの思い込み、
じゃないかっていう気もします。

うちの家族は、やさしいから、

「そうかも、そうかも」

って言ってくれます。...涙

ダイエットしている人にしてみれば、
なんか、アゴの肉がスッキリしてきた、
という感じかもしれません。

ニキビとか気になる人にしてみれば、
肌の赤みが薄くなってきた、
みたいな感じ。

ちょっと、嬉しいですよね。

体調がすごい悪い
なんていう病気じゃないから、

気にならない時には、
気にならないけれど、
なんか、
自分が老けて見えるとか、
だらしなく見えるとか、
不潔っぽく見えるとか、

そういう見ばえに関係することって、
やっぱり、気にせずにはいられない。

気にしなくていいほど、
忙しければいいのですが、ね。

どれくらい気にしているか、
って言う具合により、
言葉にまで敏感になっちゃう。

ハゲ、抜ける、減る、
デブ、太る、丈夫、
ブツブツ、つぶしたい。

発毛、育毛、ダイエット、やせる、ツルツル肌...

自分に合う方法であればいいけど、
そういう言葉を広告にした商法にひっかけられて、
大損してしまう人も少なくない。

目が見える限り、
見ばえについて
気にしないのは難しい。

明日あたり、ばっさりとヘアカットして、
毛髪の新陳代謝をしよう、って考えています。

2008年5月11日

朝ごはんの力

当たり前のことだろうけど、
学校に行く子供たちは、
学校で

「ちゃんと、朝ごはんを食べてきなさい」

と言われる。

食べることに困っている国の子供たちに、
学校で朝ごはんを出してあげよう、
というプロジェクトがあったりするのも
聞いたことがある。

そういえば、ホームレスの人々に、
朝ごはんの炊き出しがされるシーンも、
見たことがあるなぁ...

朝の始まりを、
あったかい朝ごはんで迎えられる、
っていうことは、幸せなことなんだと思う。

朝ごはんの大切さ、
っていうのは、
朝ごはんの「時間」を抜いてみれば、
分かる。

大胆に言えば、私は、
朝ごはんを食べなくてもいい時もあると思う。

けれど、朝ごはんの「時間」はあった方がいい。

いきなり、1日を始めるよりも、
家族がいるなら家族で、
一人なら一人でもいいから、

朝ごはんの「時間」で、
今日のエネルギーを蓄えてみる。

それは、もちろん食べ物でもいいだろうし、
家族との会話でもいいだろうし、
何かの本を読んで心の糧を得ることでもいいだろうし。

そういう「食べる」ことがないと、
1日を生きていく力は得られないと思う。

朝まで眠って、体の疲れはとれていても、
今日を生きていく糧がないと、人は動けない。

だから、朝に空腹を感じるのは、
とても健康なことなんだなぁ、
って思うことがある。

そういう私は、最近、
朝に、よく空腹を感じる。

とっても健康なカラダを感じられる。

いいことだよ、朝ごはんは、ホントに。

2008年5月 6日

イベント盛り

ゴールデン・ウィーク。
帰省客に向けても、
地元の人々に向けても、
いろんなイベントがあるもんだ。

ゴールデン・ウィークながら、
そのための運営に汗を流してくださる方には、
本当に、お疲れさまと言いたい。

もちろん、参加する側も、
楽しくて、楽しくて、
イベントが終わった後には、
ぐったりと疲れる。

わたしも、昨日は、イベント帰りとなり、
車の運転もあったため、
けっこう体に来ていました。

たまにあるのですが、
お風呂に入っていながら、
居眠りをこいてしまうのです。

おぉ、寝てた、寝てた、
危ない、危ない。

歯を磨いて、スッキリしよう、
と思いながら、また、こっくり、こっくり。

おぁ、また寝てしまった。
早く、風呂からあがろう。

いつもは、一番遅くまで起きている私が、
一足先に寝ていた三女の次、2番目に
布団に入ることになった。

あとの記憶は、まったくない。

途中、1:30頃に目が覚めたけど、
また眠りに着くことができた。

あとは、朝まで、ノンストップ。

4:30にはスッキリと起きたから、
7時間半。

いつもは、6時間ほどの睡眠で
十分な私が、そんなに寝ていたことから
考えても、よほどの疲れがあった様子。

たまには、いいことだ。

イベントを準備してくれた皆さんは、
どうだったろうなぁ?

打ち上げの後、今もまだ寝てるかなぁ。

ゴールデン・ウィークも、今日で終わり。
明日に疲れを残さないよう、
今日は、ゆっくりと過ごそうと思う。

2008年3月20日

安くないセルフ

1月10日のコラムに書いたけれど、
ガソリン単価が上昇してから、
セルフのスタンドで入れていたが、

どうも、最近は、
セルフも安くないことが分かってきた。

わたしの住むエリアでは、
ドライブをして見渡していると、

1リットル150円というのが、目立つ。

会員になっていれば、
さらに、-2円とかという具合だ。

しかし、わたしの行きつけとなった
セルフのガソリンスタンドは、
1リットル154円。
会員になっているから-4円だけど、
150円にしかならない。

それって、値下げ幅は大きいけど、
ほかに比べて、安くないでしょ!

と、ツッコミを入れたくなってきた昨今。

とりあえず、セルフで入れるのをやめた。

なんで、セルフなのに安くないのだ?

疑問が残る。

そして、やっぱり、
視線は、おしゃべりしている店員に向かう。

セルフに変更したからと言って、
そこのガソリンスタンドの店員の数は、
減っていないのだ。

それじゃあ、安くなるわけがない。

たしかに、何か困ったことが起こった時には、
店員がいると、助かる。

実際、私も、先日の追突された時の代車が、
ガソリンを入れる際に、給油口が狭いことが分かり、
自動制御装置がすぐに作動して給油ストップしてしまい、
入れるのに難儀をしていた。

そういう事情であることを、
店員から説明をされて
納得できた次第。

しかし、そういうヘルプが終われば、
あとは、給油する必要も、
フロントガラスやミラーを拭く必要もないから、
おしゃべりが始まる。

もしかして、給料は変わらないのに、
以前より仕事が楽になっているんじゃないか?

そんな気さえしてくる。

お願いだから、ガソリン単価に反映してくれよ。
セルフで入れているんだから、
と思うのは、私だけでしょうか?

1円、2円の割引なんかでなく、
どーんと10円くらい割り引いてもらいたいですね。

とは言っても、40リットル入れて、
400円引きですから、そんなに多いような気もしない。

今日、ふつうのガソリンスタンドで入れて、
フロントガラスやミラーも拭いてもらうつもりです。

2008年2月21日

疑うことの罪悪感…

冷凍ギョウザが危ない、
と言われていて、

ギョウザの皮を買い求める人が多くなった日本に、
今度は、ギョウザの皮も危ない、という報道。

商品は限定されているはずなのだが、
ほかのギョウザの皮メーカー、
関連する食品メーカーにも、
きっと、とばっちりが行く。

沖縄におけるアメリカ軍兵士の問題行動。
それによって、アメリカ軍兵士の外出禁止令が出された。

抗議活動をしていた人々は、
自分たちの努力の成果だと
喜んだことだろう。

しかし、アメリカ軍兵士を
主なお客さんとしていたお店は、
困惑し始めているらしい。

だからと言って、まさか、
「外出禁止令の解除」を訴えて
抗議行動をするわけにもいかない。

もちろん、外出禁止に従わなければいけない
他のアメリカ人にしても、大きな迷惑に違いない。

問題を起こしたのは一部の人(モノ)であったとしても、
それが原因で、あまり関係のない人々にも
迷惑が及ぶことは少なくない。

まったく関係がなくても、
何らかの意味で、
距離が近ければ近いほど、
そういう影響が及んできてしまう。

募金にも、それに近いことがあるらしい。

本当は善意を求める募金活動なのに、
募金で集めたお金を、
別のことに使う人間がいた、
なんてことになれば、

真面目に募金を必要としている人々にも、
なんらかの影響が出てくる。

また、
難病の手術費用を集めるために、
募金活動を始めたのだけれど、
その身内の人間が
あまりにも評判が悪いため、
最も近い地域からは
ほとんど募金が集まらないケースもあったりもする。

集まってくるのは、
そういう事情を知らずに募金をしてくれる人からだけ。

近ければ近いほど、疑われる。

わたしも、そんな心情になる気持ちが分かる。

疑い深い人間だからね…

けれど、疑っている時の自分って、
どこか、薄暗いイメージに思える。

そういう薄暗いイメージからは、
なんとかして逃げた方がいい。

「善意」を疑うっていうのは、
けっこうな罪悪感を感じるものです。

うーん、ここを攻撃されたら、
人はだまされてしまうかもしれませんね。

私は、けっこう騙されているのかも。

武田鉄矢さんの歌じゃないけど、
だますより、だまされた方がいいと
開き直るしかないですね。

2008年2月17日

何回、やっただろう?

昨日は、朝から晩まで、
雪よせを何回やったんだろう。

たしかに、
家族で出かける回数が多かったせいもあるけれど、
雪の量も中途半端じゃなかったからなぁ。

まずは、午前中、
娘らが、近くの卓球場に、
ダブルスの練習をしにいくということで、
10:30~11:00まで、第1回目。

朝6:00頃に妻が外を見たときには、
5cm程度しか積もっていなかったというから、
3時間ばかりで、20cmは積もったのだろう。

雪よせをしないことには、
外に出られない状態になっていた。

卓球の練習を終えて、
家に帰ってきたのが12:00。
とりあえず、薄く積もった程度で
済んでいた。
雪よせはせずに、家に入る。

今度は、13:00に、
図書館と、お買い物に行こうとする。
そこで、車にエンジンをかけようとしたら、
やっぱり、積もっている。
5cm程度…

パパッと、済ませようとするが、
それでも10分程度はかかる。

降り具合は、けっこう激しい。
こりゃあ、帰ってきたら、
また、やらなきゃいけないなぁ、
という感じだった。

図書館には、30分ほどしかいなかったが、
あっという間に、また、3cmくらいは積もっている。

車の雪を掃き飛ばして、
買い物に向かう。

買い物の間も、
雪の降り具合が気になったけれど、
この時だけは、それほどでもなかった、という感じ。

しかし、家を出てから1時間半後の、
14:30頃に家に着くと、やっぱり、
雪がつもっている。

せっせと、雪よせ、雪よせ。
20分くらいかかったかなぁ…

今度は、雪まつりに出かけるために、
15:20頃から、ちょっと降り積もった雪を、
パパッとよせる。

そして、雪まつりに行く前に、
知人宅で食事をとることになっていたが、
そのお宅の駐車場にも雪が多く、
車が止められなかったので、
知人らが食事の準備をしている間に、
雪よせ、雪よせ。15分くらいかな?

きりたんぽ鍋、雪見鍋を、
おいしくいただいて、
雪まつりを楽しんで(?)
帰ってきたのが8:30過ぎ。

予想していた通り、けっこうな雪。
10cmはあったな。

今日最後の雪よせと意気込んで、
自宅と駐車場前の、雪よせに励む。
終わった頃には、9:00を過ぎていた。

今シーズン最後の大雪で
あって欲しいと私は願うのだが、
どうやら、今日も雪のマーク。

うーん、今日は、
お隣の岩手県に行く用事があるから、
高速道路で峠を越えられるか、
ちょっと心配だ。

なんとか、雪よ、降らないでくれー!

2008年2月15日

むずかしいことを言わないで

むずかしいことを考えないで、
むずかしいことを言わないで、
むずかしいことをしないで生きる。

これって、
本当はカンタンなことなんだけど、
意外にも、できていない。

それが、人間という、
単純だけど、複雑な存在。

むずかしいことが嫌いなくせに、
口を開ければ、
むずかしいことを言う人がいる。

そういう人が言う
「むずかしいこと」っていうのは、
本当に、分かりにくい。

なぜか? って。

扱いなれていないから。

とにかく、
自分のなかでも消化できていないのに、
口から出てくるもんだから、
その言葉だけを発してしまう。

で、誰にも、理解されないような感じ…

いくら熱くなって、
語っても、語っても、
分からないんだよね。

むずかしいことの嫌いな人が言う、
むずかしいことっていうのは。

むずかしいことを言ってしまう人の頭の中には、
きっと、恥ずかしいって言葉があるかもしれない。

むずかしいことが分からないのが、
恥ずかしい。

だから、その恥ずかしさを隠すために、
あえて、自分にも分からない「むずかしいこと」を
言ってしまう。

けれど、もし、
そのむずかしいことに突っ込まれた質問をされて、
それに答えられなかったら、
もっと恥ずかしいのに…ね。

聞いてくれている側をなめているから、
「むずかしいこと」を、
さぞ知っているような顔をして、
堂々と言えるんだろう。

人をなめていれば、
緊張しなくて済むからいいとは思うけれど、
聞かされている方は、たまんないです。

なんて言う私も、
知らず知らずのうちに、
むずかしいことを言ってしまっている人間の
一人かもしれない。

ああ、どうしよう。

カンタンに言える術を、
身につけたい?
いや、口につけたい!

2008年2月11日

言われたくない

いくらか自分に当てはまることを言われると、
敏感に反応してしまうのが人間。

たとえば、
ガンコなところがあって、
ガンコだねぇと言われると、
そんなことない、
おまえにだけは言われたくない、
なんて思ってしまう。

自分の子供がなんとなく頼りなくて、
甘やかしたんじゃないなんて言われると、
わたし達のことも知らないくせに…
と反発したくなる。

一生懸命に節約生活をしていて、
ケチだ!とか言われると、
違うと否定するために、
会う人誰彼となく弁明したりする。

言われたくないことを
言われたり、
言われそうになることに
耐えられないと、
人は、ムダな抵抗をしてしまう。

言わせておけばいい、
そういう気持ちになれないうちは、
みんなの口をふさぎたいくらいの衝動に
駆られてしまうかもしれない。

そんなことを無理なのだ。

物事によっては、
無理だと分かることも、
人生には必要だ。

自分の思ったとおりに、
願っているとおりに、
他人から思われることなんてない。

他人の心は、
自分の願いとは連動していない。

どちらかと言えば、
他人の心は、
自分が公には認めたくないけど、
心の中では認めていることに
連動している。

内心では認めていることを、
公には否定するなんて行動は、
そもそもナンセンス。

知られてしまったら、
しょうがないとした方がいい。

まったく、事実無根だとしても、
放っておいたらいいじゃないか。

自分が、
自分の望むように
理解してもらいたいように、

他人は、
他人の望むように、
理解したがるもの。

それに抵抗するなんて、
考えてみれば、
どうしようもないことだって
分かるのだ。

「絶対に言われたくない!」
っていう気持ちは、
自分の罠となってしまう。

気にしない、気にしない、
それが一番だ。

2008年1月25日

マークに怯える

天気予報のマークは、
その日1日の気分を
左右してくれます。

昨日は、ちょっと真っ青に
なった朝…

いつも、Yahoo!の天気予報を
見ているのですが、

昨日の「暴風雪」のマークが怖い。

暴雨雪

これです。

雪

こっちの「雪」マークは大丈夫。

でも、これ、怖いですよ。

暴風雪

なんか、私には、雪だるまが、
ヤクザにでもなったかのように見える。

あるいは、見方を変えれば、
とんでもないことが起こりそうな雰囲気…

昨日は、仕事をしながらも、
外の天候に怯えていましたよ。

けれど、幸い、
想像していた以上の暴風は
ありませんでした。

たった1つのマークに怯えて、
1日を過ごすなんて
ちょっとバカらしいですが、
雪国に住む人間の感覚かもしれませんね。

うーん、
もうちょっと気楽になれるために、
かわいらしいマークにしてもらえたらいいなぁ…

暴風雪の中でも、
震えながらじゃなくて、
たくましてく生きていくんだ、
みたいな感じのマーク。

Yahoo!天気予報さん、
どうか、ご検討をよろしくお願いします。

2008年1月21日

春の来て欲しいところ

まだまだ春は遠い、こちら雪国ですが、
もし、春が来るとしたら、
この場所にっていうところがあります。

わが家の前の歩道横です。

いつも通るところだけに、
目に止まり、そこの積み重なっている雪が
気になるんですよね。

道路の横ですから、
春になっても、
けっこう雪が残っていて、
気分が「春」になれないのです。

今も、雪が積み重なっています。

うーん、私の身長170cmと
同じ高さかな?

実際、そこに雪が積み重なっていても、
生活には、実害がないのです。

富士山や、わが家から見える鳥海山に、
どんだけ雪が積み重なっていても、
影響がないのと同じです。

しかし、気分がダメなのです。

そこにある雪が、
なんていうか、春だ~、
と軽くなりたい気分を
ダウンさせてしまいます。

だから、ちょっと暇ができた休日には、
意味もなく、そこの雪をザクザクと崩して、
散らばしたりする私です。

地球温暖化とは言いますが、
この冬の雪と寒さを実感しちゃうと、

「温暖化って、どこよ?」

みたいな気分になりますよ。

氷河期の方が、
まだよく分かります。

春を待っているのは、
わたしだけではないでしょうね。

雪国でがんばっている他の皆さんにも、
早く春が来るようにお祈りします。

そういえば、今日は、
西日本とか、関東地方に雪が降るとか。
ちょっと、こっちが楽になるかな…

2008年1月15日

20年続けていること

長い間続けていることっていうのは、
その人のことを表すようになると思う。

朝、外に出て、
雪よせしていると、
隣りの高校に通う高校生に
たくさん出会う。

彼らは、3年間、
高校通いを続ける。

うちの前を歩くのは、
そういう高校生が99%だけれど、
時おり、違う人が混じっている。

先日は、その中に、
わたしの高専時代の同級生がいて、
ビックリした。

たしかに、彼の会社が、
この通りの先にあることは知っているが、
車通勤のはずだ。

「お、久しぶり」

「お、Shu。」

「どうした? 駅から歩いてきたのか?」

「ああ。」

「なんで?」

「ははは…一身上の都合で…ははは」

そう言いながら、それ以上話したくないように、
去っていった。

妙に歩きなれている姿からして、
免停? それとも交通事故で
車の修理中?

いや、修理中だったら、
代車を出してもらえるはずだから、
歩くまでは必要ないだろう。

やっぱり、免停か、
と勝手な想像をふくらませて、
雪よせを続けた。

これからも雪よせをして、
頻繁に彼の顔を見るとすれば、
そういうところが怪しいけれど、
もしかしたら、
問い詰められることがイヤで、
わたしを避けて時間をズラすかもしれない。

そういえば、彼の車は、
オープンカーだった。

雪道仕様設備が壊れて、
冬の期間だけ歩くことにしたのか…

想像だけだったら、いくらでも出来るな。

続ける話からズレてしまったけれど、
わたしは今年39歳になる人間。
人間をこれだけ続けているからには、
やっぱり、人間でしかない。

加えて、男も39年間続けている。

ウソも20年間続けていれば、
本当のようなものだし、

イヤなことでも20年間続けていれば、
ほかの人には好きなことに見えるかもしれない。

実際、わたしが続けてきて、
20年経っているものがある。

ほかの人には、好きで続けているように見えるだろう。
そんなに面倒なことを…という感じで。

しかし、続けている本人は、
それがライフ・スタイルの中に、
すっと入り込んでいると、
好き嫌いの前に、慣れと必要に変わっている。

それが自分を表すことになっているなんて、
思いもよらない。

しかし、言われてみれば、
たしかに自分を表しているな、
って思い直す。

この「いい言葉ねっと」も、
2001年から続けて、7年が経った。

このサイトも、私を表すものだな。

これからは、
何を始めて、何を続けて、何を止めるか、
自分を眺めるのが楽しみだ。

2008年1月14日

毎日の雪よせ1時間

昨日、今日と、
朝の8:00~9:00まで、
雪よせをしている。

1時間もかかる、けっこうな雪の量である。

しかし、雪の量が問題というよりも、
捨てるところがないということの方が
問題かもしれない…笑

連日のマイナス温度の気候に、
水の流れまでも枯渇してしまい、
そこに雪がただ積み重なっているだけ。

だから、雪を捨てる場所がない。

しょうがないから、路上に、
薄く散らす感じで対応している。

路上は広いし、
車が通るたびに、
うまくならしてくれる。

これが、大きな雪の塊を、
路上に捨てたら、問題だろうけど、
そんなことはしてません。…汗

雪が積み重なってくると、
いよいよ、大雪の恐れを
感じてきます。

1月も14日、
これまでが楽すぎる冬だったかもしれません。

3月になるまでは、
まだ1ヵ月半もある。

これからは、大雪との戦いが、
始まるかな?

雪よせをしながら、
映画「デイ・アフター・トゥモロー」を
思い出したりします。

地球温暖化のせいで、
地球全体の天候が不安定になり、
世界規模の大災害が起きる。

ニューヨークでは津波で街が水没。
大寒波で、外に出るのも危険な状態。
救出と、天候が変わるのを待つ人々…

大雪を目の前にすると、
そんな想像がふくらみます。

私は、運動も兼ねて
雪よせをしているつもりだから、
まだまだいいですが、

気が滅入ってしまう人は、
どん底まで滅入ってしまうことでしょうね。

子供たちは、今日までが冬休み。
車は運転したくないという妻が、
子供たちを連れて、近くの本家(義母の実家)に
歩いて出かけました。

一人で、のんびりコラムを書いています。
冬休みが終わると、やっと、
正月が終わるような気分です。

2008年1月12日

男の子にまとわりつかれて

子供の扱いは
慣れているつもりの私でも、
あまりにも近寄られると、
ぎこちなくなってくることを発見した。

それも、男の子。

わたしは、女の子3人、
3人娘しかいない。

男の子を育てる、
っていうのは、
未知の世界のこと。

初めておじゃました知人宅にて、
ゲームをしていた小4の男の子。

どっかで見た時あるなぁ、
なんて会話をし始めたら、
その子が妙に慣れ出して、

「どんな顔~」とか、
「どれどれ~」とか、
「じー」とか言いながら、
まとわりついてきた。

うちの三女が、
背中から抱きついてくるのとは違う、
なんていうか、妙な感じ?

興味本位でまとわりつかれているから、
多分、違和感を感じただろうなぁ…

ぎこちなくなってきた。
その男の子を引き離そうと、
軽く遠ざけようとすると、
なおさら、力を入れてくる。

ああ、こりゃ、まいった。

引き離そうとするのをやめて、
どれどれ、今やっているゲームを見せて、
ということで、逆に付き合うことにした。

そしたら、まとわりつくのをやめてくれた。

ちょっと、一安心。

うちには、ゲーム機はないから、
あまり良く見ることのない
プレステ3の画面を見て、

職業柄、どんな考え方で、
このゲームを設計しているんだろう、
なんて考え始めた。

お決まりの部分もあれば、
このゲームならではの動きとか、
ストーリー、発想もあるだろう。

いろんなことを含めて、
こういう男の子たちがハマるように
創られている。

最後は、うまく出来ているもんだ、
と納得して、その子のもとを離れた。

まとわりつくのをやめてくれて、よかった。

女の子3人を育てたくらいじゃ、
いろんな子供のことを理解したつもりには
なれないな、と改めて思った。

いろんな子供がいることを
まだまだ知らない。
いろんな大人がいることも、
まだまだ知らない。

今年は、どんな人達にで
出会えるかなぁ。
出会うためにがんばったらいいかなぁ。

2008年1月10日

セルフ

ガソリン単価の高騰で、
わたしも、セルフ式ガソリンスタンドを
利用するようになりました。

私の周辺では、
1リットル単価152円が
相場となっています。

しかし、現金会員となって、
セルフ式スタンドを利用すると、
単価149円に下がります。

3円のお得、
30リットル入れても、
90円しか安くなりませんが、
心理的に、セルフを選んでしまう。
貧乏性なんでしょうね…

ちょっと思うんですが、
セルフ式のガソリンスタンドにも、
2,3人の店員がいるんですよね。

初めての人とかに教えたり、
それなりに仕事をしている様子ではあっても、
そういうことがなければ、
店員同士でしゃべっているだけの光景。

うーん、そうしている時間に対しても
店員たちへの給料は払うでしょうし、
セルフ式にして、はたして経営はプラスなのかなぁ、
という気がしました。

もしかしたら、セルフ式にする前には、
倍以上の店員がいたかもしれない。
そうであれば、問題ないけど…、
なんて他人事なのに色々考えて、
ガソリンを入れている私です。

店員がガソリンを入れてくれる賃金っていうのが
90円くらいにしか値しないとすれば、
これって高いことなんだろうか、
安いことなんだろうか?

1時間に10台くらいの対応をすれば、
900円の給料を払う代わりに、
お客さんへ還元したことになる。

5台くらいの対応しかしないガソリンスタンドであれば、
900円の給料を払わないで済むうえに、
450円の割引で済んだことになるから、
店員を雇わないゆえに得したことになる?

あ、でも、セルフ式の設備に投資しただけの
売上効果を出せないから、経営が苦しくなるか…

セルフ式っていうのが、
利用者にも、経営者にも、
本当にいいのか悪いのか、
よく分からなくなりました。

ガソリンの高騰、
いつまで続くんでしょうね。

もう安くなることはないような気もします。

2008年1月 1日

今年も、よろしく

あけまして、おめでとうございます。

2008年を迎えて、
1時間が過ぎました。

2時間ほど前には、
家族でテレビを見ながら、
新年をきっかけにちょっと思いついた、
年末の仕事をしてました。

年末?だから特別というわけじゃ
ありませんが、
なんていうか、あんまりにも、
フリーな時間が多いと、

それを埋めつくしたい気持ちに
なっちゃいますね。

今、こうして、
コラムを書いている時間にも、
寝てしまえばいいのに…

なんでしょう?
新年を迎えた興奮のせいか、
眠れない気がしまして、

布団の中で、
じっとしているよりも、
眠くなるまで、このまま時間を
過ごしてしまえ、というような勢いで、
パソコンに向かっています。

ああ、本当に、
新年なんですね。

実際、こう一人の空間にいると、
あんまり、そんな実感が湧きません。

ちょっと外に出て、
初詣にでも出かければ、
はたまた、テレビのスイッチをまた入れて、
正月番組を見れば、
その感が湧いてくるかもしれませんが、

外の風の音を聞きながら、
キーボードを打っているうちは、
昨日の自分と、今日の自分に
何らかの変化が起きたとは思えないわけで。

たしかに、変わりないよなぁ…

なんてことを書いていたら、
ポーンと正月メールが入ってきました。

「あけましておめでとうございます」
とのこと。

ああ、この人も、
まだ起きていたんだ。

うーん、なんか、他人から、
「あけまして…」なんて言われると、
正月の実感が少し湧いてきます。

昨日と今日の違いっていうのは、
人と人との交わりがあって初めて、
実感できるのかもしれません。

人が教えてくれるっていうか、
人との交わりにちょっとした変化が
生じてくることによって感じてくるというか、
そんな感じなのでしょう。

今年も、いい出会いがありますように。
去年は、いい出会いがたしかにあったな。

2007年12月31日

あなたはどこにいるのか

今年も、今日1日で終わりです。

テレビ番組は、
年末特集ばかり…

居間で、このコラムを書いているのですが、
隣りの義父の部屋から、テレビの音声がもれて、
聞こえてきます。

なにやら、討論番組のよう。

ここぞとばかりに、
激しい主張をぶつかりあわせている雰囲気が、
こちらに伝わってきます。

外は、天気予報のとおり、
けっこうな大雪となりそうな天候です。

先週のうちに、
居間の掃除を終わらせた妻は、
今、それ以外のところを
一生懸命に掃除しています。
大晦日、という空気です。
(これが終わったら、私も手伝うことになるのかな?)

長女、次女は、
こたつに入って勉強しています。
冬休みの宿題を早めに終わらせる作戦のようです。
(それが終わると、掃除かな?)

三女は、あちこちと動き回っています。
遊んでばかりいるような感じですが、
それでも、冬休みに入って、
数冊の本を読み終えました。

語彙が幼稚園児以下しかないので、
なんとかレベルアップさせたいと思って、
年末年始のために、
図書館から本を多めに借りてきたのです。

そんなこんなで、カウントダウンしてみれば、
あと15時間で今年は終わります。

昨日、アダムについてのこんな言葉を見つけました。

「アダムは、罪を犯して隠れた時、
 神様から、あなたはどこにいるのか、
 と尋ねられました。
 しかし、神様は知っていたはずです。
 アダム自身が、自分がどこにいるのかを
 知る必要があったのです。」
 (ジェフリー・R・ホランド)

今年は、どこにたどり着いたのかなぁ、
って考えています。

かなり抽象的な質問なので、
なんの考えもまとまりませんが、

どこにたどり着いたんだろう…

って考えると、そんなに悪い気もしません。

それなりの場所にたどり着いているように思います。

それなりにがんばって、
それなりに挫折して、
それなりに乗り越えて。

自分なりにがんばってきた1年だと思います。
もちろん、こんな自分よりもがんばった人は、
もっといるでしょうけど、
そのがんばる方向やがんばる種類っていうのは、
人それぞれだから、自分については
「これでよし」としたいところです。

来年の私はどこにいるのか。

ちゃんと考えておかないといけないですね。

2007年12月28日

反省すべきことは知ってる

面と向かって、
反省を迫られたり、

「おまえが悪いんだ」
みたいな空気が漂っていると、

自分では反省すべきことが
分かっているのに、
頑として認めたくないという気持ちが働く。

しかし、その頑としている気持ちも、
自分の身に、ちょっとした不運とか、
思わしくないことが起きると、

「やっぱり、あれが良くなかったんだ」

みたいな感情が呼び起こされてくる。

そして、その不運による苦痛が
長ければ長いほど、
あれは反省しよう、
やめようとか思い始める。

反省のための決心もついて、
行動を起こすところまでいく。

気持ち的にも、
ここで反省することが
自分の成長につながるんだな、
なんて晴れやかな気持ちにもなる。

ところが、その時点で、
不運による苦痛が終わると、
ふっと心が軽くなる。

ああ、よかった…

そう思った瞬間に、
別に反省まですることはないか、
みたいに思い直す。

人生いろいろ、
さまざまな経験をしているに
過ぎないんだな、と自分を納得させる。

反省すべきことを認めたはずなのに、
ゴール寸前に背を向けた感じになる。

そう考えると、
「反省」というのはタイミングの問題だろうな、
って思う。

反省までに時間をかけすぎていると、
だいたいにおいて反省はしなくなる。

ただ、反省を急いで、
何度も反省するだけで
何の進歩もないのも困る。

短時間で、
反省までの感情を一気に準備して、
タイミングよく反省をしないと、
逃してしまう。

反省すべきことは知っているのに…

今年はあと4日。
反省すべきで逃したことは、
けっこうありそうな気がします。

それでも、反省したことは、
ちゃんと反省し続けていこうと思います。

2007年12月15日

順番待ち

今となっては、
順番待ちをするシーンが、
少しずつ減ってきたように思います。

コンサート・チケットを買うために、
チケット売り場の前に、
前日の夜から並ぶ。

銀行での手続きのために、
呼ばれるのを待つ。

病院で診察されるのを、
ちょっと気分が悪くなりながら待つ。

チケットは、
ネットで購入したり、
電話で購入したりすることが
多くなりました。

銀行での待ち時間は、
前もって表示されて分かるようになったので、
待っている時間に、ほかの用事を
済ませられるようになりました。

病院でも、予約システムが定着してきて、
診察予定時刻のちょっと前に入れば、
すぐに呼んでもらえる感じです。

そうやって、待つことが少なくなって、
快適な生活を味わっている分、

どうも「待つこと」への免疫が
少なくなってきた気がします。

待つこと=無駄なこと、
みたいなセンスしか持ち合わせていない人間に
なっていきそうな自分を感じます。

幸い、世の中、
そんなセンスをぶち壊すことは、
いくらでも起きるもので、

やっぱり、待つこと、無駄なことの中に、
成長があるんだなぁ、って引き戻される経験が
ポツポツと体を通り抜けていきます。

人って、ムダだと思うことを
身をもって体験しないといけないんですね。

自分がバカなばかりに、
ムダなことをたくさん体験してきた私は、

子供だけには、そんなムダをさせたくない、
と色々と手を貸したり、前もって教えちゃいます。

すると、ムダに耐えられない人間に
なっていくことを感じてきました。

大げさに言えば、
何でもかんでも、成功していくように
助けようとしているわけですから、

そういうセンスのもとに育ってしまった子供は、
とりあえず、「失敗」をムダと思ってしまう。

「失敗」を、とてつもなく怖れるようになる。

それじゃあ、いけないでしょ。

親がそうやってしまってはいけない。
そんな大人を育てたら、
ムダの中にある大切なことに気づける人間を
つくりあげることができない。

だって、世の中、
ムダだらけでしょう。

そのムダと向き合う術を知らない大人は、
将来、どんなことをしでかすか?

ちょっと怖い来もします。

順番待ち、無駄なこと、
どちらも必要なことなんですね。
成長するためには…

2007年12月 3日

利用される前に利用する

常日頃、「組織」や集団というものを
嫌うことの多い私ですが、
組織というものに助けられることも
少なくありません。

たとえば、
自分が誰かに責められそうな立場に
置かれたときに、それが、
組織にとってもマイナスであれば、
その組織の中にいる私自身に
攻めがこないよう
守ってくれるものなのです。

それが、ちょっとしたことの場合、
もしくは、まったくの無実の場合は、
そうなります。

しかし、事が大きくなりそうで、
それが真実かどうかに関わらず、
そういう話が出ただけで組織のイメージに悪い、
ということになれば、きっと、
すぐにでも、除外されることでしょう。

その組織から、
放り出されるはず。

その感覚は、容易に想像できます。
今まで守ってくれていたバリアが、
突然、消えた感じ…

寒いでしょうねぇ。

そんな瞬間は、
誰にでも来る可能性あり。

組織に、マジメに貢献したから、
守ってもらえるとは限りません。

昨今の食品偽装問題についても、
ほとんどの経営陣らは、決まって、
現場の人間が独自の判断で行った、
と逃げ口上です。

そんなことを信じる人が
どれだけいるか。

直接指示をした覚えがないから、
自分は無実と言えるのか。

仮に直接の指示をしていないとしても、
売上、利益などの数字を
「上げろ、上げろ。そうでないと…」
という無理な指示を出していれば、

現場の人間は
追い込まれてしまうかもしれない。
それも、経営陣の思い通り、
選択肢がなかったりすることも。

組織に、
利用されて捨てられる。
すべての人がそうとは限らないけれど、
そういうリスクを感じながら、
組織の中で生きていく術は、
必要だろうなぁ…

一歩進んで、
利用される前に
利用する賢さもあれば、
いつ除外されても、
恐いものなしかな?

2007年11月30日

隠しておけず

いちおう、
気づかれないように、
見破られないように、
隠しているつもりなんだけど、

隠しておけないことっていうのが、
人それぞれにあると思う。

その最も分かりやすいことの2つが、
「誰を好きか」っていうことと、
「誰を嫌いか」っていうことでしょう。

見破るつもりのない人にも、
知られてしまう。
そんな単純な行動が、
人には出てくる。

思わず笑んでいる、
テンションが高くなっている、
口数が少なくなる、
何度も同じことを言い始める、
態度がかたくなる、などなど。

人それぞれだけれど、
長い付き合いになると、

この人が口数少なくなる時には、
相手のことを好きなこと。

あの人が口数少なくなる時には、
相手を恨んでいること。

など、同じ態度ながら、
違いの見分けもついてくる。

自分のクセを出来る限り直して、
ひたすら隠す技を身につけることも
可能だろうけど、

「なんか、違うな」

と気づいてしまう人のセンスには、
それもかなわない。

やっぱり、隠してはおけない。

私自身のことで言えば、
見破られるのは、とても簡単だろうなぁ、
って思います。

もろ、顔に出ますから。
特に、相手を嫌いな場合は…

言葉も、ちょっと乱暴になりますし。

隠しておけるのは、そうですね、
せいぜい20分くらいの時間でしょうかね。

それ以上になると、
そんな人といること自体、もしくは、
その人の話題に参加していること自体、
なんか損しているように思ってしまいますからね。

うーん、そこらへんを隠す技が、
私の場合は、必要な気がします。

皆様は、そんなことなどないように、
日頃の精進にお励みください。

2007年11月25日

なぜか、インド旅行

今までにない夢を見ました。

三女とだけ一緒に、
インドに行っている旅行です。

別に、インドに行きたいと、
常々思っている人間では
ありません。

インドに行って、
どんなものがあるか、
どんなところに行けるかも、
知りません。

けれど、
インドに行っている、
すでに着いているという映像でした。

なんか、そのインドに居て、
気分は、解放されていましたね。

いろんなことから、
仕事とか、いろんなことの勝ち負けとか、
人間関係とか、うまくいかないこととか…

それを感じて、
ほっとしている自分がいました。

うーん、きっと、
何か逃げたい気持ちが
あるのかもしれませんね…笑。

でも、なんで、インドだったんだろう。

私の中では、あまり知らない国。
そこに「解放」という象徴でも
あったのかしら…

そして、三女だけ連れて行く。
これも、きっと何かの象徴。

正直、三人娘の中で、
一番出来が悪いというか、
「勝ち負け」ということから
かけ離れている人間でして、

ただ面白いという、
楽しめる存在だけの娘です。

一方、長女、次女は、
「勝ち負け」というシーンが、
似合っているところがある。

だから、三女だけが
一緒にインドに行っていた、
ということにも、意味がありそう。

私、基本的に、
勝ち負け、競争が好きな人間ですけど、
心の中では、そんなものがなければいい、
という思いもあるんでしょうね。

自分のことは、自分でも分からないものです。

2007年11月13日

13日の火曜日

13日の火曜日は、
怖くも何ともない。

それが「火」が「金」になっただけで、
何かしら、不気味なことを
想像させられたりする…

正確に言えば、
想像する人もいる。
なんともない人もいる。

「仏滅」の日と聞いて、
いろんなことを避ける人もいる。

これにも同じように、
なんともない人もいる。

朝の出かけに、
テレビ番組の「今日の占い」を見て、
ああ、今日の自分は最悪だよぉ~、
という人もいれば、
まったく興味をもたない人もいる。

占いのコメントを見れば、
なんか使いまわしているような、
誰にでも当てはまるような気もするけれど、
本人が、それを気にしだしたら、
放っておくわけにはいかなくなる。

聖書に書いてあるとおりだなぁ、と思う。
「ある人は、この日が
 かの日よりも大事であると考え、
 ほかの人はどの日も同じだと考える。
 各自はそれぞれ心の中で、
 確信を持っておるべきである。」
 (ローマ14:5)

気にすることで、
何かやる気が出てくるとか、
注意深く生きれるとか、
そういうことなら、気にすればいい。

しかし、気にしすぎて、
いろんなことを台無しにしたり、
何も手につかなくなるくらいだったら、
気にすることをやめなければいけない。

きっと、13日の金曜日に限らず、
13日ということで気にする人も、
どこかにいるだろう。
反対に、金曜日を嫌う人も、
どこかにいるだろう。

それは、その人の自由。
誰にも押しつけることも出来ないし、
その気にすることを、
誰か他の人に理解してもらったり、
証明することも出来ないかもしれない。

それでもいいのだ。
自分が気にしたくて、
気にしているだけだから。

日が昇って、しばらく日が沈んで、
惑星の動きだけを見れば、
毎日が同じような1日。

しかし、人の心の中、
人の体の動きで言えば、
毎日がとてつもなく違う1日。

違う毎日を送ることでは、
共通している。

今日も、違う1日です。
いい1日でありますように…

2007年11月11日

今年最初の肉まん、あんまん

小学生の頃、
スクールバスで帰るエリアに住んでいたので、
そのバスが来るまでの待ち時間に、
学校近くのお店に行って、
肉まん、あんまんを買っていたのを
覚えている。

当時は、たしか50円だった。

今は、コンビニとかだと、
105円が当たり前。

きっと、その105円というのが、
昔の50円と同じ感覚なのだと思う。

ただ、今の肉まん、あんまんの方が、
じゃっかん、サイズは大きいに違いない。
その記憶は、間違っていないだろう。

土曜日の昨日、
みんなで買い物に行ったのだけれど、
私だけは、本屋さんに行っていた。

いつもなら、買い物に付き合うのだけれど、
ネタが欲しくなって、同じショッピングモール内の
本屋さんで、ネタ探し。

いいネタを見つけて、
遅ればせながら、買い物に行ってみると、
妻は、もうレジを終わっている。

レジ袋の中を見ると、
今年最初の肉まん、あんまんが見える。
自宅でチンするタイプ…

安売りしていたから、買ったらしい。

昨晩の夕食後のデザートになった。

肉まん、あんまんを食べると、
冬が近づいたことを感じるのは、
私だけかな。

まだまだ、ちょっとばかり
暖かい日もあったりするから、
コンビニに行っても、
肉まん、あんまんが食べたいと思ったことは、
今のところない。

しかし、食べてみれば、
なんか冬を感じて、
その温かさが恋しくなる。

そういえば、高校生の頃、
肉まん作りのアルバイトに
行ったことがあったなぁ…

どこから、そんなアルバイトを見つけてくるのか
分からないけれど、とにかく、いろんなアルバイトに、
友達を連れて行くヤツが一人いた。

ある時のアルバイトが、
肉まん作りの工場。

決して、ダンボールなんかを
具に使っていませんでした。

おいしそうな具材を、
肉まんの白い生地に詰め込んで、
大きな、大きな蒸し器(?)に、
何百個と入れて、出来上がってくる。

そのくり返しが、
私たちには、刺激的でした。
食欲をそそらないわけがない。

アルバイトの指導職員さんが、
食べていいよと言ってくれて、
食べた時には、かなりおいしかった、
と記憶している。

帰りには、その日払いのアルバイト代で、
ふところも温かくなり、
顔に冷たい風を受けながら、
自転車で帰ったはずなんだけど、
その冷たさの記憶はない。

やっぱり、秋は、肉まん、あんまんだ。

2007年10月12日

場合によってはいい話

「うちの部下、出来が悪くて…」

なんてセリフは、
部下の出来が良くて、
リストラに追い込まれた人には言えない。

「うちの息子、いつも2位しか取れなくて、
 ダメなヤツなんです…」

なんてセリフは、
息子さんの障害と親子ともども戦って、
なんとか学校に行っている人には言えない。

「うちの親、何でも手を出して、
 迷惑なんです…」

なんてセリフは、
親が自殺して亡くなった人には、
言えるものじゃない。

人それぞれの背景が
くわしく分かっていれば、
なんとなく言っちゃいけないことって、
見えてくる。

けれど、初対面の人から、
ちょっとした顔見知りまで含めて、
あらゆる人の背景なんて
分かるわけないのだ。

「もしかして、
 この人には…」

なんて気にしながら、
話題を選んでいたら、
いい話、もしくは「場合によってはいい話」
が何一つ出来なくなってしまう。

場合によってはいい話、
っていうのがクセモノ。

正直、本人は迷惑している。
あるいは、問題だと思っている。

しかし、立場によっては、
かえって、うらやましがられる話も
あるわけで、

「それって、自慢?」

なんて聞かれて初めて、
そっかぁ、そういう場合もあるのかぁ、
と気づかされる。

あちゃー、失敗した。
と思うのも1つの経験だけど、

ま、しょうががないか。
と思うのも1つの方法だと思う。

自分の話したいことを、
1度は話してみないと、
相手の本当の反応は分からない。

話したくもないことを話して、
相手のウソの反応を見て、
さらに話を続けても、
その会話は、きっと虚しい。

話したいことを話してみて、
喜ばれたり、不快になられたり、
相手の本当の反応を見て、
次の話を見つけていくのが、
面白いと思うのだ。

もちろん、
相手の反応にまったく関心を示さず、
壊れたiPodのように、
(昔なら、ラジオと書くでしょうが…)
シャッフルされた話を
延々としゃべる人もいるけどね。

反応を見られないと、
会話にはならないのだ。

親子でも、恋人でも、夫婦でも、
初対面でも、交渉でもね。

そうすると、そのうち、
いい話だと思っていたことに、
相手の反応を感じとって、

「ですよねー。
 私も、あとになって、そう思いましたよ。
 前は、喜んでましたけど…」

みたいな切り返しも出来るようになるかも。

2007年9月23日

塗る、塗る、ひたすら

昨日は、ひたすら、
塗る、塗る、塗り、塗り…

ダイエット中には、
そんなことに集中できるのが、
とってもいいと思いました。

何か、と言うと、娘のラケットに、
接着剤を塗り塗りして、
ラバーというゴム状のシートを貼る作業を
していたんです。

このラバーに、
ボールを当てることによって、
スピードが出たり、
回転を加えたり、
というわけです。

重要な上に、この作業は、意外と難しい。
接着剤を、ものすごく薄く塗って、
なおかつ、均一にならないと、
ラバーシートは、平らにならないんです。

フラットな面が出ないと、
どこに当てるかによって、
ボールの感触やら、
飛んでいく方向が変わってしまう。

凸凹とは言っても、
1mm以下の話ですから、
人間の手にやらせる技としては、
精度が高すぎる。

だから、いろんな道具を使いました。

最初、ケーキの生クリームを塗る道具。
うまくないから、何度も何度も塗り塗りする。
すると、どうなるか…
接着剤ですから、だんだん固まっていく。
ところどころが固まっていき始めているのを、
塗り塗りしているわけですから、
この方法は、完璧アウト。

ケーキ職人さんの腕が欲しいと思いました。
数回、塗り塗りするだけで、
フラットな面を出せたら、
どんだけ、自分を天才のように思えるか。

次の道具は、黒板消し。
100円ショップで買ってきたのを使って、
塗り塗りしました。いや、厳密に言うと、
この時だけは、2回くらい
ラケットの表面を拭くといった感じで、
きれいに薄く塗れました。

おお!、初めての成功です。

さて、2枚目にいこうか。
と同じ作業をしてみると、
心配していたことが…

黒板消しに残った接着剤が固まってしまい、
塗る役目を果たせない。ガーン!!

3番目の道具は、
またまた、平らにすることを重点に、
幅広のアクリル板を使うことに。
接着剤をならす感じを目指したのですが、
まったくダメ。
ぜんぶ持ち去っていくか、
力の加減次第で、凸凹な厚みが残るか。
話になりません。

幅広だったら大丈夫だろう、
と思った素人考えが
通用しないことを目にしました。

4番目の道具は、
化粧用のコットンパフ。
ただ、これだけだとフラットな面が出ないので、
50円消しゴムにコットンパフを巻いて、
塗り塗りしました。
黒板消しの1回目ほどきれいじゃありませんが、
これは、うまくいきました。

100円で80枚ほど入っているパフなら、
使い捨てにしても、もったいなくありません。

これでいくことに決定。

繰り返しやっていれば、
さらに「塗る技」も上達することでしょう。

塗っては失敗して、
接着剤を剥がし、
また塗っては剥がし。

ひたすら塗り塗り…の2時間ほど。

いいダイエット作業でした。
おかげで、目標体重クリア。

2007年9月12日

仕事の合間に、遊ぶのでなく…

普通の人なら、
仕事の合間に、遊ぶだろうけど、
反対をやっている知人がいる。

いわゆる、
遊びの合間に、仕事をする、
という感じ…

厳密に言えば、
本当に「遊び」をしているんじゃなくて、
好きなことをしている。
それで、それなりに生活が成り立っている。

古い人間から見れば、
それでいいのかなぁ、
という感じだろう…

けれど、私は、
その知人らしいと思っている。

「大人が真剣に遊ぶと、
 それが仕事になる」

みたいな言葉が、たしかあったよなぁ。

だから、周囲には、
仕事と遊びに分かれて見えていても、
おそらく、本人にとっては、
いっしょなんだと思う。

あえて言えば、
「人生」というひとくくりの「仕事」。

金になるか、ならないかの話は、
もっと長い目で見ているから、
遊べるんだと思う。

けど、本当は、
その長い目で見るっていうのは、
かなり難しいこと。

今すぐ、
「金になること」が欲しい感情に
動かされないようにするわけだから…

けどね、
「金になる仕事」から逃げて、
ただ遊んでいるだけだとしたら、
ダメかもしれないけどねぇ。

逃げているうちに、
金に追われる生活が始まって、
実は、それに耐えられる強さなんか
持っていなくて、追い込まれてしまう。

仕事をするにも、
遊びをするにも、
結局、心の強さがないと、
続けられないんだよねぇ。

遊びにも、
心の強さが必要っていうのは、
なんか面白いけれど、
間違いなく事実だと思う。

自分は、遊んでもいいときに、
周囲の目が気になって、
遊びをやめてしまうようなら、
お決まりの仕事しか出来ない人間に
なってしまうんじゃないかなぁ。

うーん、それはイヤだな。

2007年9月 3日

入ってきても出せない

便秘のような話ですが、
自分の中に入れても、
その後に出すものがないと、
きっとスッキリしません。

何か勉強をしたら、
それを活かすチャンスがないと、
勉強していること自体が
無駄だと感じるでしょうし、

何かを買って手に入れたら、
それを誰かに見せたり、
使う機会がないと、
物足りなさを感じます。

せっかく手に入れたから、
大切にとっておく、
という考え方もあるでしょうが、
大切にとっておいても、
価値が変わらないものは、
なかなかありません。

自分の中だけでは、
いつまでも価値があるんだ、
と思い続けることは、
みんなに許されている自由ですが、

価値っていうのは、
自分以外の誰かと共有した時に
出てくるもんだと思うんです。

私の場合、仕事柄、
なんか言葉が出てこないなぁ、
文章が出てこないなぁ、
って思う時があります。

そして、自分では、
いろんなものを、
自分の中に入れている、
インプットしているはずだから、
出てくるはずだと思っていても、

出てこないんです。

ホント、見事に出てこないんです。

そんなときには、どうするか?

寝ます。

っていうことも、
たまにはありますが、
自分の甘さを実感するわけです。

入れていた、
経験していた、
インプットしていた、

つもりになっていた自分が、
そもそも、たいしたものを
取り込んでいなかった、
という事実です。

まず、自分自身が
たいした考えを持っていなければ、
何を見ても、誰に出会っても、
何も出てこないんです。

もちろん、そんな状態では、
たいした人じゃない人に出会っていたら、
何もアウトプットできるわけがありません。

自分自身に、それなりのものがあれば、
見方が鋭くなって、
たいした人じゃない人に出会っても、
面白い切り口を見つけて、
アウトプットできるもんなんです。

うーん。

私には、まだ出せない時が、
ときどきあるので、
まだまだ「あまあま」ですね。

あと、ちょっと強制的っぽいですが、
必ず、何かをアウトプットするんだ、
っという意気込みで、
日々生きていくつもりになっているのも
いいですよね。

仕事に限らず、学校においても、
自分のアピールのためでなくとも、
何かを自分から引き出す習慣、
これを身につけていれば、
ラッキーなことがたくさんあるでしょうね。

よぉーし、アウトプットするぞー。

2007年8月23日

吹き出し外のセリフ

娘たちが読むマンガには、
ざっと目を通すようにしています。

あとで、

こんなもの読んでいたのかぁ!?

なんてビックリしたり、
怒ったりすることがないように。

ただ、ざっと目を通すつもりが、
思わず、じっくり読んだりしてしまって、
改めて、ハマらせるのがうまいなぁ、
って思う。

で、気づいたことは、
吹き出し外のセリフに
ものすごく力を注いでいる漫画家さんが
いるなってこと。

そうでない漫画家さんのマンガと比べると、
格段に、読み進むスピードが落ちます。

それだけ中身を楽しめるってことで、
なんか、得した気分になれるから不思議。

もちろん、早く先を読みたい時には、
吹き出し外のセリフは、
自然と読み飛ばしたりするんですけど、
けっこう重要な情報もあったりして、

読み飛ばすのは、
もったいない気もしてくる。

たとえば、
吹き出しに
「そーだけど」
ってあれば、

吹き出し外には、
「それを言っちゃあおしまい」
とある。

多分、吹き出し外にも
セリフ描ける人っていうのは、
伝えたいこと、言いたいことが
いっぱいある人なんだろうなぁ。

削ってスッキリさせる方法と、
盛り込んでイッパイにさせる方法と、
いろいろある中で、

どっちかを選ぶってことは、
選ぶ人の性格が表れる。

私自身だったら、きっと、
削ってスッキリさせる方法を選ぶと思う。
けれど、楽しませてもらう側になれば、
盛り込んでイッパイな方が楽しそう。

身勝手な話かもしれないけど、
他人には「イッパイ」を期待します。

で、自分はスッキリってな…

たいていの人もそうかもね。
自分はスッキリ生きたいけど、
イッパイ楽しませてもらいたい。

サービス精神旺盛な人が
喜ばれるわけだ。
それに下心があると、
かえって嫌われるけどね…

私も、吹き出し外のセリフを
イッパイ引き出せる人間にならなくちゃ。
そんなことを思ったよ。
少女マンガを読んでて…

2007年8月20日

自分が変われる時を作る

無理やりにでも、
自分を変えたいなぁ、
って思うことはありませんか?

他人からの無理やりは、
かなりイヤなことですが、
自分が作った「無理やり」は
けっこう、その通りに
変われるような気がするんです。

けど、現実は、
思うほど簡単でもない。

自分は、だいたい、
自分のことを困らせることを
起こさないようにするから。

そういう自分が、
他人を困らせることを
意外とスルっとやってのけるように、

私たちは、
他人から困らせられる状況を、
よく作らされたりする。

同じように、自分にも
困らせられる状況を
作れたらいいんだろうけどね…

ただ、人間は面白いもので、
自分を困らせないようにしていることが、
かえって、自分を困らせることに
なることもある。だから、人生は分からない。

困らせないために、
好き勝手なことを始めると、
必ず、帳尻が合うようなことが
自分に起きますから。

そして、困ってはじめて学ぶ。

本当に学べば、
変わるようにもなる。

学びが足りなければ、
また同じことに戻る。

1回学んで分かる人もいれば、
10回学ばないと分からない人もいる。

30回の人、100回の人もいるだろう…

困っていることを、
誰かが代わりに背負ったりしない限り、
1000回も学んだら、
誰でも変われるんじゃないだろうか、
と思います。

そう考えると、
近道か、遠回りかの違いはあっても、
結局、自分で自分の変われる時を
つくっているんでしょう。

自分のやっていることが、
自分が思うほどいいことでもなく、

自分がやっていることが
自分が嫌うほど悪いことでもない。

結局、今しか見ていない状態では、
何一つ、本当のことは分かっていない。

だったら、
何をやっても、
何をされても、
何の問題もないじゃない…
ってこと?

別の人にはなりたくないけど、
変わりたいなぁ。

2007年8月14日

自慢話に付き合わされて

人の話を聞くでも、
ブログとかで人の話を読むでも、

自慢話だろうなぁ、
と分かっていて付き合うのと、
最後まで付き合ったら、
「なんだ、自慢話かよ。」
というのでは、

付き合った後の気持ちが違う。

そういう私も、
こんなふうにブログを書いていて、
読んでいただいている皆様に、
かなりの自慢話をしているだろうなぁ、
という気がする。

というよりも、自覚がある。

自慢話でなければ、きっと、
誰かに対する自分の
ウップンとか怒りとかを
ブログに書いて、心の整理とかに
使っているのかもしれない。

すると、直接関係のない人にも、

「あ、もしかして、
 自分みたいな人間のことを
 言っているのかなぁ」

というようなことを感じさせて、
傷つけていることもあるだろうなぁ…

もちろん、
勝手に傷ついている場合も
ありえるだろうけど、

誰かが「表現の自由」を使えば、
誰かが傷つかないではいられない。

私も、その加害者の一人?
多分、そうですね。

自慢話をして、
ウップンを晴らして、
それで懲りず、

言葉巧みに、
自分を「いい人」のように表現して、
誰かを傷つけている。

こんなふうに、
自分のことを書けば、
すごい悪人のようで
なんか笑える気もします。

自慢話から始まって、
おせっかい(大きなお世話)を経由して、
思い込みからの助言となると、
誰もがウンザリしますからね。

私、そんなふうになる傾向、
間違いなく持っていますから、
気をつけないといけませんね。

反省、反省…

うーん、どう反省しよう?

2007年8月 2日

忘れるための1年

机に座ると、
すぐに見えるところに
9,000円の罰金領収書を貼って、
早1年…

いや、正直に言うと、
やっと1年という感じです。

一時停止をしなかったということで
パトカーに「前のクルマ、止まりなさい」
と言われた記憶は、ちゃんと残っています。

あの時から、
ちょっとは気にかけて
運転をしてきましたが、
1年の過ぎるのが
けっこう遅いと感じました。

日々が過ぎるのは早いです。
けれど、罰金の事実は、
もうかなり前のことだと思いたい私なのに、
まだ、やっと1年なのです。

面白いものです。

自分がした「いいこと」なら、
1年前のことであっても、
昨日やったことのように
言いふらしたいのが人間かもしれない。

一方、自分がしちゃった「悪いこと」は、
昨日のことであっても、
もう1年前の話であったことのように
思わせたいのも人間。

だから、言う。

「もうかなり昔の話でしょ。」

しかし、

「まだ1年しか経っていないよ。」

と言われる。

不思議なものである。
自分が過去のことにしたい話は、
他人には覚えられていて、
他人が過去のことにしたい話を、
自分はちゃんと覚えている。

パトカーに止められて、
パトカーの中で質問される気分は、
とてもイヤなものです。

「最近、違反したことは?」

記憶をたぐりよせるように、
けっこう昔のように話したりする人間も
いることでしょう。

けれど、調べられれば、
ハッキリと分かるのです。

そんなに昔のことではないと…

今思うと、
罰金の領収書を貼っておいて、
良かったなぁって。

おそらく、これを貼っていないと、
もう2年も前の話のように思いたい自分がいて、
きっと、油断すると思うんです。

すると、間違いなく、
なにか違反を始める。

すぐに捕まることはないとしても、
確率の問題で、いつかは捕まるか、
はたまた事故を起こすことにもなる。

都合のいいことを
忘れたり、
覚えたりしている人間。

だからこそ、記憶なんて
あんまりあてにならない
のかもしれませんね。

「たしか、私の記憶によれば…」
なんてセリフは言わないように
しなくちゃって思います。

2007年7月23日

話を広げて、怒る

怒られる立場になった時には、
ちゃんと的を射たことで
怒ってもらいたい。

怒られた後に、
なるほど、そうだな、
と思えるような怒られ方を
望んでいる。

しかし、怒る立場になると、
意外にも、そんな整理された考え方では、
怒っていないような気もする。

一番ありがちなのは、
その時の怒るべき内容に加えて、
以前に怒るのをがまんしたことや、
常々イライラしていることを含めて、
怒っちゃうこと。

もちろん、
その時怒っていることに、
まったく関係ないわけじゃないけど、
怒られる側からすれば、

おいおい、そんなことにまで
話を広げて、怒ってくれるわけ?

みたいな気持ちになるだろう。

怒ってもいい立場にあって、
本当に怒るべきことが出てきたら、
やっぱり怒りたくなる。

私の場合でいえば、
たとえば子供を怒るのは、
愛情も入っているだろうけど、
行為とか、態度とかに見えるエゴに
腹が立って、怒る場合が少なくない。

「子供のためを思って、
 純粋に愛情から怒っている」
なんてウソは言えない。

そして、怒ることが、
その目の前にある問題を解決させる
最強な手段だと、内心信じているから、
「怒る」という行動に出るんだろうと思う。

本当は、それ以外の方法が
あるかもしれないけど、常々、
そういう方法をとっているから、
やっぱり、怒ることになる。

もし、怒らない方法で、
人を変える術を身につけている人は、
怒らないで済ませられるだろうなぁ。

イヤミの1つでも言って、
人を変えられたら、
怒ることに比べれば、
たしかに労力は少ない。

ただ、薬が
効かなくなるのと同じで、
怒られる側が
怒られることに慣れると、

怒られても
「またかぁ」と思うだけで、
変わる必要性を感じて
変わろうとする努力を引き出す
ことにすらならないことも始まる。

そうなると、
怒る側の怒る行動は、
エスカレートしていくだろう。

怒り具合をもっと厳しくしないと、
効き目がないのだ、ということで。
その1つが、
話を広げて怒ることにもつながる。

怒り方っていうのは、
相手が何に対しているか怒られているか、
分かっていなくちゃいけない。

そして、出来れば、
怒る必要がないように、事前に、
こういうことをしたら怒られるんだよ、
と教えておかなくちゃいけない。

事前に、ルールを確認しあう。

大人であれば、また子供でも
ある程度の年齢になったら、
これが出来るわけですから、
こういうことで問題をクリアしたいものです。

怒る必要がなくなるように…

2007年7月16日

夏休みの予定

今日は、海の日。

そのせいで、昨日から、
次女と三女が、

「海、海、海に行きたーい。」

と騒いでいます。

長女は、

「別に…」

というクールさ。

天気予報は、昨日の段階では、
雨だったので、

「無理、無理…」

と言っておいたのですが、
どうも、今朝になって、
曇り、または曇り時々晴れ、
みたいに変わってきました。

連れて行ってあげなくちゃいけないかな、
親心にも、そう思ってきています。

まず、今日は海に行くとして、

7月末には神戸。

8月に入ってお盆までは、
卓球の練習。

お盆前に東京。

帰ってきて、お盆にはキャンプ。

お盆が終われば、
卓球の練習に、ローカルな大会。

三女をのぞけば、
イベントの時以外は、
あまり手をかけずに、
夏休みが過ごせそうです。

子供が大きくなった証拠でしょう。

これまでは、夏休みと言えば、
何かと親が面倒を見なければいけない感じが
していたのですが、

ちょっと離れてきた感じ…

そうそう、あとは、
読書感想文というものも
やらせる予定でした。

小学1年生になった時から、
わが家では、
毎年書かせる行事になっています。

今年からは、三女もスタート。
文章になるような文章を書けるかどうか、
分かりませんが、

自分で考えさせて、
がんばらせてみよう!

夏、夏、夏…

猛暑になるようなことが言われていますが、
今のところ、過ごしやすい日々。

私は、いまだに、
夜寝るときには、
掛け布団をかけられるくらいの状態です。

前にも書いた気がしますが、
なんか、あんまり軽いと眠れないんですよ。
よっぽど暑い日々にならない限り、
眠りに入るためには、
掛け布団の重さが必要な私です。

そんな布団が要らなくなると、
夏が来たなぁーという実感も
強まることでしょう。

今年の夏休みは、どうなるかな?

まずは、今日、海に行って、
ちょこっと夏を感じてきます。

2007年7月14日

病名を知りたい

自分のことでも、
他人のことでも、
何か病気らしいということになれば、
その病名を知りたいのが普通。

病名が知っているもので、なおかつ、
たいしたことのないものであれば、
安心する。

それが、軽いものじゃないと
思い込んでいる病名だったりすると、
医者がいくら「大丈夫ですから」
と言われても、心配はふくらむ。

知らない病名の時はどうか。
医者に根ほり葉ほり聞くだろうし、
多分、それでも足りなくて、
本を買ったり、ネットで検索したりして、
調べるだろうなぁ…

実際、今の私がそう。
身内の病気について
名前は聞いたことがあったけど、
これまであんまり知らなかったから、
4冊ばかり本を入手して、
読みあさっている。

そのうち1冊は、
ハズレだったけれど、
3冊は、価値ある知識と、
分からない不安な心に
大きな安心感を与えてくれた。

もちろん、
私が安心したからと言って、
病気が治るわけじゃないけれど、

心が混乱している状態じゃ、
必要な行動なんて出来るわけがない。

出来ることと、
出来ないこと、
やればいいことと、
やらない方がいいこと。

どうしても、その2つがあるのだから、
落ち着いて分かっていなくちゃならない。

たかが病名…

けれど、病名を耳にした瞬間から、
心の状態がガラっと変わってしまう。

ものすごく心配していた心が
すっと軽くなったり、

なんともなかった心が
急に重くなったり。

だから、
聞きたくないという人がいても、
不思議でない。

ただ、聞きたくないということで、最後まで、
心を落ち着かせていられる人っていうのは、
なかなかいないと思う。

どこかしら、
聞きたい心と聞きたくない心の中で
葛藤しているだろう。

そういう葛藤を選ぶか、
聞いてしまって気楽になるか、
はたまた、
聞いてしまって絶望感を感じるか。

病名っていうのは、罪なやつです。

私は迷うことなく、
聞きたい派です。

2007年7月 5日

決めなくちゃいけない

決断力はある方だと思っていたけれど、
意外と、迷いすぎてしまうことがある。

次女とともに行く予定になっている
今月末の神戸への旅行。
いろいろ迷っているんです。

そもそもの目的は、
卓球の全国大会。

昨日、トーナメント表や
タイムテーブルを
入手できました。

全国からの強者が、
各部門に約200人ずつ集まります。

娘が参戦する部門は、
小5・小6の女子。

今では多くの人に知られるようになった
福原愛ちゃん、石川佳純ちゃんも、
数年前に戦って優勝した舞台…

そう考えると、
ちょっと緊張しますね。
私が戦うわけじゃないですけど。

迷っているのは、
そのトーナメント表を見て、
大会3日間、どこまで残れるか。
そして、帰りの交通手段は、
いつの日を予約し、
ホテルは何泊予約するか、っていうところ。

悩みます。迷います。

けれど、もしかしたら、
迷うこと自体が、
他の強者の皆様に
失礼なことかもしれない。

なにせ、うちの娘は、
せいぜい、1日1時間くらいの練習しか
していないのですから。

そこに来て、
全国の強者の皆さんは、
おそらく、数時間、
必死に練習していることでしょう。

卓球クラブや、卓球道場の月謝などにも、
けっこうなお金を使っているに
違いありません。

要は、取り組む姿勢が違うというのに、
迷っている。

それも、勝手な理由です。

「もし、ものすごく、
 調子が良かったら」

なんて…笑。

こんなふうに書くと、
私が迷っているのに、
なんか笑えてきますね。

まず、勉強のために行く。
そして、1セットでも、
1勝でも勝ち取れるように、
最善を尽くしてみよう、って。

となると、決めることは、
必然的に分かってきます。

必要以上に長く宿泊予約をすることはない、
ということになります。

それこそ、万が一、
勝ち残ったら、
それによって加算される労苦は、
がんばればいいだけの話。

そう決めれば、
あとは気楽です。

決めるまで、
人は何も出来ないんですね。

決めて、よかったです。

2007年6月25日

うなずき、あいづち

仕事柄、役柄(?)、
たくさんの人の前で
話をすることが少なくないですが、

話を聴いてくれている人が、
うなずいてくれていると、
すごく安心します。

堂々としていているように見えて、
実は、ちょっとばかり気の小さいところも
あるので、うなずかれずに、
不機嫌そうな顔に見えたりすると、
不安になるのです。

あ、この話はまずかったかな?

なんか、分かりにくく話しているかな?

自慢話になってしまったかな?

みたいなことを頭が考え始めて、
話を早く切り上げたくなったりもします。

1対1で話している時にも、
あいづちを打ってもらえるのと、
そうでないのとでは、
話をするパワーも違ってきます。

そういうことから考えると、
話っていうのは、もちろん、
話し手の引き出しが最も大きな要素でしょうが、

聞き手の聴く姿っていうのも、
いい話になるかどうかに、
大きく関係しているように思われます。

たとえば、100人の聴衆がいるなかで、
不真面目に聴いている人が、
たった1人くらいなら、
そんなに気にもならないでしょう。

10人くらいでも
気にならないかもしれない。

けれど、そのたった1人でも、

「こんな話、聞いてられないよ!」

みたいなことを大声で言ったり、
騒いだりするもんなら、
きっと、空気が変わってしまう。

そういうことなんだ。

つまり、うなずく、あいづちを打つ、
っていうのも、その場の空気を作っているから、
話し手、聞き手どちらにも影響を与えるのだ。

出来れば、うなずく人が
たくさんいるところで
話をしたい。

しかし、
うなずく人が少ないところで
話すっていう経験も
心を鍛える上では悪くない。

選挙運動で、
お願いされて、聴衆が集められるのも
そういう効果が期待されてのことなんだろうなぁ。

そういうことが分かっているからには、
私は、うなずいたり、あいづちを打ってあげたり
しなくちゃいけないんだろうなぁ。

正直、それも、ちょっと苦痛な時があるから、
話をする、聞くっていうのは、
微妙な機会だと思うわけです。

2007年6月13日

お荷物になりたくない

ある組織で、
ちょっとしたボランティアを
やっているのですが、

どうも、方針が合わないな、
と感じる時があります。

その組織なのか、その担当者なのか、
そこらへんは、私もよく分かりません。

彼らも私と同じように、
この人は、
うちの方針とちょっと合わないな、
と感じているのなら、
もうけっこうですと言ってくれた方が
私としては助かるのですが…

そう言い出せない事情も何かしら、
あるようで、組織というのは、
簡単にはいかないところなんだなぁ、
と最近思うようになりました。

お荷物にはなりたくない、
という気持ちは、
依存心の高い人でない限り、
ふつうに感じるものでしょう。

たとえ、自分がやりたいことでも、
それをやることによって、
誰かのお荷物になるのであれば、
あまりいい気はしません。

最初は、役に立つつもりでやっているのに、
方針や、やり方にズレがあるのを知ってくれば、
お荷物になっているかも感が、
伝わってくる。

ボランティアっていうのは、
そういう意味で、
微妙な立場ですよね。

意識する、しないは別にして、
ボランティア、もしくは人助け、
っていうのは、始めた後が難しいかもしれない。

ボランティアしている側が、
「やってあげてる」という気持ちになって、

ボランティアを受けてる側が、
「あの人(達)は、好きでやってるんだ」
という気持ちになってしまえば、

もう、関係の崩壊は、時間の問題でしょう。

人を助けるというのは、そもそも、
荷物を軽くしてあげること。

それが、人間関係やら、方針の違いとかで、
それを調整したり、話し合ったりすることに
労力や時間がかかるようになったら、
荷物は重くなるばかり。

そうなったら、
ボランティアじゃなくなる。

ボランティアする人間が、
人の荷物が軽くなったのを見て、
自分の心も軽くなる。

そんな関係じゃないなら、
やめた方がいいんですよ。

と思うタイプの私という人間です。

お荷物でいることに気づいちゃうと、
苦しいですね。

相手に重い思いをさせてる上に、
自分まで重く感じ始めちゃいますから。

2007年6月 3日

別格みたいですから…

俺は別格だ、
と言いふらす人間は、
だいたい、たいしたことない。

本人は、別格扱いを望んでも、
周りは、その必要性を感じないだろう。

しかし、何らかの面で
本当に「別格」な人間に対しては、
人は、自然に特別扱いをしたくなる。

それは、
地位の場合もあれば、
才能の場合もあるだろう。

ただ、人は面白いもので、
自分が別格扱いされるのは
とても嬉しいけれど、

自分以外の誰かが
別格扱いされているのは
気分がよくない時もある。
(私にも、それ分かる…)

だから、こんなことを
周囲に言ったりする人もいる。

「みなさん、そういうことはやめましょう。
 まるで、別格みたいですから…」

あるいは、当の本人に
直接言う人もいたりする。

「あなた、ちょっと気をつけてください。
 そんなふうにしていると、みんなが
 あなただけ別格みたいに思うじゃないですか。」

自分から「別格扱い」を望む人は、
そんな扱いはされないけれど、

周囲が「別格扱い」をしてあげたいと思う人には、
誰が止めようとも、別格という思いが
消えることはない。そう思います。

仮に、その人が悪いヤツだとしても、
周囲が、何かに対して「別格」を感じちゃえば、
別格扱いされるんですよ。

嫉妬心を隠して、
見せかけの「平等」を口にして、
「別格扱いはやめましょう。」
なんて主張するのは、
かえって見苦しいはずです。

別格な人は、別格扱いされるのです。
誰が止めようとも…

私が時々思うのは、
才能や地位、何もかも無視して、
平等に扱うことがかえって
不平等な時もあるんじゃないか、
っていうこと。

たとえば、義務教育には
相容れない考え方かもしれないけれど、
みんなを同じレベルに到達させようとするより、
それぞれのレベルに応じて努力させようとした方が
本当の平等だと思うんですよ。

だから、そういう過程で、
ある面では、別格なレベルに成長する人が出てくる。

それは、その通り。
別格なんです。

もし、その人が、
それによって鼻高々になったとしても、
別格は、別格なんです。

ただ、鼻高々になったうえに、
努力することを怠れば、
別格でないレベルに下がってしまうこともあります。

見せかけの「平等」で、
別格の人間を隠そうとしても、
平等にはなりません。

平等なふりをさせられている周囲が、
別格の人間とともにいることで
気を遣うばかりです。

別格は別格。
別格みたい…じゃないのです。

他人のずばぬけたものを認めるところから、
自分の成長に励むことも出来るのではないでしょうか。
それを認められる環境にしないと、
上があることに気づかず、みんなが
「ま、こんなもんでいいか」という感じになることでしょう。

平等って、ウソのこともあるんですね。

2007年5月21日

食べることも忘れて…

夢中になると、
忘れることっていうのは、

夢中になられた側にしてみれば、
とても幸せなことで、

忘れられた側にしてみれば、
とても残念なこと。

それが、人であったりすると、
浮気みたいなことになる。

食べることも忘れて、
あるいは、
「あとで食べるから…」
と言いながら夢中になっている自分や
自分の子供を見ていると、
ちょっとだけ幸せな気分になります。

一生懸命、家族のために
食事を準備してくれている妻には、
申し訳ないけれど、
夢中になれるものがあるって、
やっぱりいいですよ。

もちろん、テレビやゲームなどの
準備されたエンターテイメントでなく、
自分が主体となって、
調べたり、創作をしていたりする時
のことですけどね。

昨日の私は、
調べもので夢中になっていました。

昨日のコラムでは、
次女の残念な敗戦について
書きましたけれど、それでも、
全国大会に出場できる権利は
ゲットできたのです。

初めてのことです。
おそらく出場しても、
全国に通用する力はないだろうなぁ、
という気はしますが、
旅行気分で、大会会場となる神戸に、
行くのが楽しみです。

当の本人は、決まった当初、
「そんな遠いところに行かなくてもいいよ。」
というコメントでしたが、
時が経つに連れて、

小学校最後のことで、
もう1回修学旅行に行くような気分で
楽しみになってきた様子です。

私は私で、昔から、
旅行代理店に依頼して
決まりきった道のりを行くよりも、
列車の時刻表や、それに関わる運賃を
自分で調べたりして、
「得した気分になれる旅行」を計画するのが
好きでした。

その性分が顔を出してきて、
昨日の午後は、いろんなパターンを調べて、
へぇー、そんな方法もあるんだ、
これだけかかるんだ、みたいなことを、
食べるのも忘れて(?)に近い状態で、
やっていました。

秋田から行くには、
いろんな方法があるんですね。

1.飛行機
2.新幹線
3.夜行バス+新幹線
4.寝台列車
5.普通列車のみ
6.自家用車

まだまだ、あるかなぁ…

自家用ヘリコプターとか。
ない、ない。

当然のことですが、
コストを下げると、
時間がかかる。

だから、
時間を短くしようとすると、
コストがかかる。

ただ、時間を短くするとは言っても、
うちは、空港まで近い場所でなく、
便数も少ない飛行機は消去されるため、

8時間以上かかるのは、
避けられないようで、
その時間をどう過ごすかが
ポイントになります。

せっかくだから、
寝ているうちに移動させてもらおう、
となれば、夜行バスや寝台列車が
便利ということになります。

列車が古かったり、揺れたり、
寝にくいことをガマンできれば、
悪くない方法でしょう。

さてさて、
大会まではまだ2ヶ月ありますから、
いろいろ楽しみたいと思います。

2007年5月13日

見えるようで見えてない

うちの長女と同じ中1の
一人息子をもつ知人。

久しぶりに会って話を聞いたら、
なんと、一人息子のために
東京にマンションを準備して、
父・母・祖母の3人が交替で上京して、
その子をサポートしているそうな。

いっそこそ、みんなで引っ越したら、
簡単じゃないかと思ってはみたものの、
その知人は夫婦ともども開業医。

その息子の学費を
稼がなくてはいけない。

東京で開業するかどうかも
考えたかもしれないが、
新しい地で、親子ともどものスタートとなれば、
何かと不安な要素も多かったのだろう、
と考える。

そこで、
息子を住まわせるために、
交替で東京に出向く。

マンションの費用、
その交替で行く往復の費用と時間(片道4時間)、
かなりの額になるだろうなぁ、
と想像された。

私も、以前、話したことがあるけれど、
当時小4くらいにして、社会情勢など、
大人顔負けの口調の息子さんだった。
そこまでする価値は、たしかに感じられる。

そういえば、将来は、
最高裁判所の判事になって
トップに上りつめたいとも言っていた。

親からのお仕着せでなく、
自分の夢をもっている子供たちは、
ホントに素晴らしい。

いろんなものを見せて、
いろんな経験をさせれば、
夢の幅も広がることだろう。

そういう驚くような才能を
子供から見せられれば、
力の続く限り、
それをサポートしてあげたいと思うのも、
親心として出てくるだろう。
(もちろん、投資金の問題はあるだろうけれど…)

子供を先頭にして、
それに親がついていくのか。

親が先頭になってレールを敷いて、
子供を導いていくのか。

その行き先は、
親が注意して見ているのか、
子供の才能に任せるか。

いろんなやり方があるだろう…

「見えない人たちが見えるようになり、
 見える人たちが見えないようになる」

聖書にある言葉です。(ヨハネ9:39)

さっきまで見えていたと思ったら、
今は見えないような気がする。

先週は「見えた!」と思っていたことが、
今週は「まったく見えない」と思えてきた。

見えるも、見えないも、
自分のせいだとすれば、
見えるためにはどうすればいいか、
それも見えなくなってしまう世の中、
人の心も、物事も。

才能は、どこに進んでいけるのか、
やっぱり、見えないと思います。

投資だけに、結果までは
保証されてはいない。

何事も、見えたり、
見えなくなったりするから、
面白いんでしょうね。

ただ、いつも、そんなふうに、
心に余裕をもっていられるとは
限りませんけどね。

2007年5月 6日

とりあえず、時計から…

以前は身につけていたけれど、
身につけなくなったものが、
私にはいろいろあって、

ケータイ、電子手帳(PDA)、時計、
などなど…

とりあえず、
時計を身につける必要を
感じてきた最近。

というのは、
タイマーが欲しいのだ。
いつも携帯しておくために。

ところが、時計を探してみると、
意外にも、ストップウォッチ付きの
デジタル腕時計は当たり前だけれど、
タイマー機能付きは、あまりない。

同じような原理で、
どのデジタル腕時計にも
必ず付いているようなイメージが
あったのだけれど、
そうじゃないんだなぁ…
という発見があった。

インターネットで探してみると、
お手頃なところで、
→F−RUN ラップメモリー10 FRN700G 2,772円

というものを見つけられた。

これはいい、ということで、
近くの時計店に出向いてみた。

同じメーカーのワンランク上のものは、
あったけれど、お目当てのものがない。

はて、どうしようか?
と考えてみてが、

特別急ぐわけでもない。

値段を聞いてみたところ、
送料のかかるネット注文よりも、
いくらか安く買うことが出来そう。

早速、注文した。

その瞬間から、
タイマーを使う日を
心待ちにしている単純な人間である。

タイマーなんぞ本当に必要か、
と思われるところもあるけれど、
(私本人を含めて)

使い道はいろいろあるんだな。

奥さんが料理中に、
「8分経ったら教えて」
とか言ってくるんです。

ずっと時計を見ているくらい、
私も、気配りのできる人間でない。
それに、忘れでもしたら、怒られる。
タイマーなら、必然的に教えてくれる。

あと、子ども達の
卓球の練習に付き合う時にも、
タイマーで練習時間の始まり、終わりを
教えてあげられる。

そして、自分自身。
ダラダラやってしまいそうな仕事を、
目標時間を定めて、とりかかれる。

もちろん、途中で、
他の用事が入ることは覚悟の上だけれど、
そんな用事もないのに
自分の気分で中断しちゃってる場合もあるからね。

とまぁ、ここまで書いて思うのは、
やはり何かを買うときには、
理由はいくらでも後付けできるものだ、
ということ。

たいした買い物でもないけれど、
そんな理由をつけてみたくなっている私でした。

ゴールデン・ウィークも、今日で終わり。
ゆっくり休むべ。

2007年5月 5日

夜のイベント

夜にイベントがあると、
食べるのが遅くなる。

いや、夜のイベントに備えて、
あらかじめ食べていっても、
その帰りとか、
帰宅後に何かを食べたりすることが
多かったりする。

夜食っていうのは、
楽しいもんだからね。

子供のおやつと同じくらい、
楽しいことかもしれない。

ただ、胃袋だけは、
少しずつ年をとっている事実を
感じることがある。

おいしい、おいしいと
いっぱい食べられるんだけど、
なんとなく、消化が追いついていけない感じ。

多分、食べ方を工夫すれば、
そんなこともないんだろうけどね…

野菜とか、果物をうまく食べたりして。

そういうわけで、
どうせ食べられないから、
お酒を飲むことがメインになっている人も、
多いだろうなぁ…

食べられない代わりに、飲む。
胃袋でなく、肝臓にがんばってもらう。

ただ、がんばるところが違うだけで、
年を重ねれば、やっぱり、
そこらへんの機能も
少しは弱くなっているのだ。

暴飲暴食をしちゃいけない年代であっても、
暴飲暴食をしたい気分の時もある。

それが、たまぁーになら、
体も耐えられる。

けれど、度々、そんなことが多くなると、
体も悲鳴をあげ始める。

ゴールデン・ウィークの真っ最中、
いくらか休むはずが、
イベント盛りだくさんで
体も胃袋も休めず、
結局、疲れを残して
来週の仕事が始まる…

なんていう人も出てくるでしょう。

もう1日、休みがあればなぁ、
なんて思ったりしてみるけれど、
そうなると、きっと、
もう1日イベントが増えるだけになる。

相変わらず、体は休みをもらえず。

お休みの過ごし方って、
日常の過ごし方よりも
かなり難しいなぁ…って
あらためて思うばかりです。

今日の午後と、明日の午後は、
きちんと休もうと考えている私です。

2007年4月28日

ヒーローは誰?

子どもの頃は、
親がヒーローであって欲しい。

親になると、今度は、
子どもにヒーローになって欲しい。

自分では、
どうにも出来ないことを
解決してくれる存在が
いてほしいのが人間。

けれど、自分の親が
ヒーローでいくてれる幸せな子供は、
かなり少ないだろうと思う。

多分、ガッカリする人の方が
多いだろうなぁ…

それだから、
ヒーローという存在を
意識するわけじゃないけど、

大人の世界を変えてみたい思いで
自分が大人になっていく。

でも、実際は、
変わりようのない大人の世界に、
自分もどっぷり浸かってしまった気分を
感じるようになる。

逃れようにも、逃れることが出来ず、
そんな時に、期待を向けられるのが
わが子の姿、なんていうことになる。

これも、子供を、
自分のヒーローに仕立てよう、
なんて意識しているわけじゃないけど、

子供の活躍する姿で
自分の現状も打破されるような
気がしてくるものかもしれない、
親としては。

私も、自分に、
そんなことがあるような気がします。

自分の子供を、
自分のヒーローにしようとしてる。
アイドルっていう表現も
似ているかもしれない。

親は親、子供は子供。

分かっているけれど、
そうも割り切れない大人のはずの自分。

期待は、どんどんふくらむ。
現状が面白くなければ、
ますますふくらむ。

ただ、行き過ぎれば、
子供は、期待の大きさに
つぶれてしまうこともある。

私は、どうだろう?

なんて考える時もある。

そんな時に、期待に応えて
がんばったゆえの結果に満足し、
笑顔を見せる子供を見ると、
安心したりもする。

親のエゴと分かり始めても、
期待が叶えられるたびに、
その期待はもっと大きくなり、

子供の方も負けじと
がんばり続ける。

親と子供の思いが
バランス良く続いているうちはいいけれど、
親の期待ばかりが大きくなると、
子供の笑顔はなくなっていくだろう。

子供の笑顔なんか、
なくなっていい。
これも経験なんだ。

と自分を納得させ、
子供にも納得させて、
さらに突き進んでいくかもしれない親。

そういう親子は、
結局、どこにたどり着くんだろう。

それで、最終的に、
とてつもない偉業を達成して、
「結果よければ、すべて良し」
という結末の親子は少ないだろうなぁ。

ヒーローは、誰にでも必要と思う。
みんな、それぞれの問題なり、
課題を抱えているわけだから。

でも、子供を
ヒーローにするのは
限界があるように思う。

それに気づいた親は、
きっと肩の力を抜いて、
こんなことを感じているだろう。

「子供をヒーローに育てなくて、
 いいじゃないか。
 もういい加減、
 そういうことはやめよう。
 夢は十分見させてもらったんだから…
 これからは、子供が
 自分で描いた夢に励むことができるように
 助けてあげよう。」
 

2007年4月20日

ざわつく…

夫婦そろって、
お気に入りになっている音楽は、
レミオロメンです。

私だけかもしれないけれど、
歌を聴いていると、
「ざわついた」「ざらつく」っていう感じの
「ざ」で始まる言葉が気になります。

こういう歌の中に、
「ざ」で始まる言葉って、
使ったっけ?
っていう気になるのです。

そのせいでしょうか、
意味合いも微妙に違った使い方を
しているような気がします。

意味で、思い出したのですが、
私は、最近まで、辞書っていうのは、
一生に一度買って、
ずっと持ち続けていれば、
事足りると思っていました。

大切に大切に使っていれば、
破けたりさせることもなく、
死ぬまで使えるみたいな…

けれど、違うんですよね。

昔からある言葉でも、
それを使う人間が、
微妙に違った使い方を始めると、
それが辞書に盛り込まれ始めるんです。

「なんだ、その使い方は、
 けしからん!」

なんていう人がいても、
世の中が、それを受け入れ出せば、
辞書でさえも、少しずつ変わっていく。

だから、辞書は、
一生に一度のものじゃない。
考えてみれば、
人間よりも始めに言葉があったわけがない。

始めに、人間がいて、
そこから生まれた。
あるいは、見つけた?

そういえば、聖書には、
こんな言葉があったなぁ。

「初めに言(葉)があった。言は神とと共にあった。
 言は神であった。この言は初めに神と共になった。」
 (ヨハネ1:1-4)

そうだとしても、
実際にその言葉を使うのは人間だから、
いろんな使い方を始めれば、
やっぱり変わり始める。

言葉を作ったのが、
人間であるか、神様であるかどうかに
かかわらず、それはあるんだよ。

その言葉、その使い方でいいの?
みたいなことを感じだしたら、
アタマが固くなってきた証拠かも…

もちろん、明らかに、
受け入れがたい使い方っていうのも
あるんだろうけどね。

言葉の乱れと言ってしまうか、
言葉の変化に寛容になれるか…
微妙なところです。

2007年4月15日

また解放される…

昨日は、わが子の小学校のPTA。

三女は、入学したばかりなので、
もう6年間お世話になる予定ですが、

わたしのPTA役員という役目は、
昨日で終わらせていただきました。
5年間…ああ、解放という感じです。

新しい役員の方々に引継ぎしている際には、
もう幸せも、幸せ…いい気分でした。

逆に、新しい役員の方々は、
緊張の面持ち。
だから、あまり浮かれた表情もできず、
かと言って、深刻になられないよう、
その「場」のリラックスづくりに
努めていた次第でした。

ホント、いいですね。
解放されるって。

なんだかんだ分からないうちに、
そんな役員を引き受けてしまった私も、
悪いのでしょうが、

そして、もちろん、
役員をやらせてもらって、
まったく無駄なことばかりだったとも
言えませんが、

解放された気分は、
すごい「いい」です。

それに、私の場合は、
そんなに無理をしてやることをしないので、
「ああ、楽になったぁ…」
という気分にはなっても、

すぐに、新しいことを始められるパワーが
残っているのです。

昨日も、その解放された足で、
すぐに、次のチャレンジに向かいました。

その後から、今の今まで、
そのことばかりを考えています。

集中して考えているので、
いろんなアイデアが次々と
思い浮かんできます。

その中で、実際にできるものが
いくつあるかは、分かりません。

けれども、やる気になっている以上、
いろんなハードルがあっても、
きっと突き進んでいくと思います、私は。

そんなにやる気のなかったことでも、
それなりにやってのけたわけですから、
本当にやりたいことは、
かなりのパワーを使って、
やることが出来ることでしょう。

解放されたんだから、
休めばいいのに…
と思われることも多いのですが、

やりたいことが見つかると、
とことんやってしまいたくなる性分。

いろいろ解放されたこの春、
これからの1年間が、
とっても楽しみな私です。

がんばるぞー!!

2007年4月13日

食べすぎの日々

みんなよりも食べるのが速い人が、
みんなに付き合って、
二次会やら、デザートやら、
別腹をやっていると、
とんでもなく食べ過ぎているという
事態に陥ることになります。

その一人が私…

一家の誰よりも、
食べるのが速い。

きっと、外に出て、
パーティとか、宴会に行っても、
食べるのが速い。

なんと言っても、
お酒を飲みませんからね。

そして、どんどん食べられたりするんです、
これがまた…。それがいけない。

ふと最近も、
そんなことに気づき出しました。

おそらく、わが家に起きた環境の変化
に原因があると思われます。

1.妻の母親が、老人ホームに入ったことにより、
  介護から解放され、妻に「ゆとり」が出てきた。
  ゆっくり、ご飯を食べることが出来る。

2.長女は、中学校へ入学。
  育ち盛りで、たくさん食べられる時期。
  とは言っても、人一倍食べるスピードが遅い。

3.三女は、小学校へ入学。
  保育園へ車での送り迎えだった生活から、
  片道30分の道を登下校するという「運動」が、
  無条件に生活の中に入り込んできて、
  コイツも、また腹が減るという時期。

4.次女は、以前から大食い。

5.そして、私。
  そういう環境の変化の中で、
  食事時間が長くなっている昨今、
  付き合っているうちに、ついつい食べすぎ。

こりゃあ、いけない。

子供たちは、運動量が増えているけど、
私は、それほど変わっていないのに、
食べる量ばかり増えていたら、
病気になってしまう。

宮崎県の「そのまんま東」知事ではないですが、

「どげんかせんといかん!」

と感じ出した私です。

育ち盛りの子供たちと、
そうでもない私が
いっしょになって食べていたら、
いけないのです。

自制、自制、今日から気をつけます。

奥さんにも
「これ、食べる?」
「これ、食べて」
「もう、食べないの?」
なんて聞いてくれないように
頼まなくちゃいけません。

2007年4月 6日

メンツとパンツ

メンツも、パンツも、
どちらも、大切なものを
守る(隠す?)ものである。

特に、男の人にとっては、
そうだろう…

けれど、女性にとっては、
メンツなんてどうでもいい…
かもしれない。
パンツさえあればいい?

次の言葉が、
それをうまく表してるなぁ。

「あんたがた男というものは、
 名誉、名誉って
 えらそうにいうがな。

 あたしたちのような女になると、
 あんたがたの名誉が
 どんなにつまらないもので
 できているか知っているでな。」
 (大地、パール・バック)

私の場合、
メンツでコチコチに固まっている人間と、
仕事をしたり、
何かのプロジェクトを
進めたりするのは、
どうもうまくいかない。

なんか、歯車が噛み合わないなぁ…
歯がゆいなぁ、遅いなぁ、って感じる。

才能がないとか、
仕事が出来ないとかの問題はないけど、
仕事に入る前に、
あるいは仕事をしている間でも、

そんなメンツを気にするから、
何かと制限が増えてしまう。

思いっきり仕事が出来ない。
させてもらえない。

考えてみれば、やっぱり、
私自身が、どことなく、
女っぽいんだろうと思う。

メンツで守りたいものなど、
あまりないのだ。

おそらく、相手も、
それを感じていることだろう…

「なんで、Shuさんは、
 そういうことを考えてくれないのかなぁ」

ってね。

アダムとイブの時代にさかのぼれば、
善悪を知る木の実を食べた時から

「ふたりの目が開け、
 自分たちの裸であることがわかったので、
 いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」
 (創世記3:7)

とある。

きっと、人の目を気にすることでは、
同じだから、パンツが必要になったその時から、
メンツというものも、人間は持ち始めたんだろう。

さてさて、人間は、
パンツで、どれだけのものを守れるか、
メンツで、どれだけのものを守れるか。

実際は、たいしたものを守れないかもしれない。

守っている気がしているだけ…

守るべきものは、
もっと他にあるような気がするけれど、
メンツが邪魔するから、
いつまで経っても分からない。

守れもしない上に、
かえって邪魔するものなら、
捨ててしまえばいいのに…

と、メンツのない私は、
そう思うのでした。

2007年3月25日

平和のアンバランス

「平和」とか「環境」とかについて、
あまり考えることのない人間だけれど、

ふと考えたことがあった。

麻雀の基本役と言われている、
平和(ピンフ)は、
なぜ「平和」と呼ぶんだろう?…って。

麻雀を知らない人にとっては、
その内容は分からないと思うが、

少しは知っている私が思うに、
あまり欲のない「役」だと感じる。

逆に言えば、
「他人の欲」を邪魔しない、
みたいな感じ。

人は、欲が出てくれば、
また、それが強くなれば、
必ず、他人の欲とぶつかる時がある。

欲が少ないと、
他人とぶつかることも少ない。

欲がぶつからなければ、
自然と、平和が保たれる。

ということは、
「平和が欲しい」という強すぎる欲も、
平和の邪魔をすることだと思う。

とにもかくにも、
平和が欲しい、
なんてことで、
一生懸命になりすぎれば、
どこかで、平和が乱されるってこと。

多分、それは、
「平和」っていうものにも、
いろいろな価値判断、基準があって、

すべての人が同じ方向性を
求めているわけじゃないから。

それなのに、
「平和」っていう言葉だけが、
一人歩きしているから、
みんながその言葉を拝んでいる感じがあるかも。

本当は、平和なんて、あるのかな。

ただ、世の中は、
時間が経つごとに、
「均(なら)される」ように
出来ている。

一人勝ちしている者がいれば、
それをねたんで崩そうという人が出てきて、
いつか、どこかで、均される。

悪いことをして儲けている人がいれば、
もっと悪い人が罠をしかけて、
うまく均される。その次には、別の人が…

広い意味で言えば、
「平和」になったように見えるけれど、
ただ、支配者が変わっただけのこともある。

その支配者が、
一人の独裁者か、
むさぼる群れ(集団)か、の違い。

平和への強い願望が、
かえって平和を食いつぶす。

かえって罠にはまる…

アンバランスなことが起きるわけです。

麻雀のピンフを考えていたら、
そんなことを考えるに至りました。

同じようなことを考えた人がいたら、
嬉しいなぁ…

2007年2月20日

やる気のクセ

人には、
やる気がなくて
退屈に思っていると、
出てくるクセというのがある。

逆に、
やる気になって、
ものすごく集中していると、
出てくるクセもある。

付き合いの多い相手だと、
「やる気あるよ」と言いながらも、
やる気のないクセが見えると、
本心が分かってしまう。

そのクセを見抜いたからと言って、
「やる気出せよ」と言っても、
やる気なんか出るわけないわけで、
そんな言葉を投げつけるよりも、
やる気が出てくるきっかけ作りの方が
何倍も重要だと感じます。

やる気がないと、
咳をよくする知人がいます。

集中していないと、
咳をするんですね。
そして、集中していないから、
自分の咳の方が気になってしまい、
喉元をスッキリさせようと、
さらに咳をします。

「ゥン、ゥン」
という感じに、咳払いも続きます。

もう完璧に、集中力は咳に向いてしまう。

一方、その知人は、
集中すると、鼻に汗をかくのでしょう。

しきりに、手のひらで、
鼻の頭をこすります。

何度も何度も、それをするんです。

「ああ、コイツ、集中してんな。」

よく分かります。

ただ、夏の暑い時には、
それが分かりにくい。

暑くて、鼻の汗を拭いているのか、
それとも、集中して鼻の汗を拭いているのか。

あとは、咳をするかどうかで、
見きわめるしかないわけです。

集中すると、そいつは、
すごくいい仕事をする人間なんで、
私の目下の目標は、
集中するのを助けること。

もちろん、誰でも集中すれば、
力を発揮するんでしょうけど、
集中を助けてくれるものや人がなければ、
せっかくの才能も埋もれてしまう。

世の中には、埋もれた才能が
たくさんあるんでしょうね。

けれど、いつまでも、
他人から「やる気」を
出させてもらっているわけにはいかない。

何をやっても燃えられない人

他人に燃やしてもらえれば燃えられる人

自分で燃えられる人

そんなふうに成長していかないとね。

2007年2月12日

すべって突っ込む

雪が降っている夜には、
車を運転しないようにしている私だが、

降らないつもりでつくった約束の日(昨晩)、
その雪が降ってきた。

約束は約束だからということで、
その用を済ませに、車を運転した。
片道30分ほどの道…

路面は滑りやすくなっていて、
雪も横なぐりに車に吹きつけてくる。
安全運転をして、5分ほど多めの時間を
かけて到着した。

「帰りはどうなっているかなぁ…」

心配が残る。

用が済んで、外に出ると、
車には少しの雪が積もっただけで、
雪はやんでいた。

その代わり、なんか寒い。
きっと路面は半分凍結状態…

これは気をつけて、
帰らないといけない。

行きよりもさらに安全運転の私。
やっぱり、油断をすれば、
すべってしまいそうなハンドル感覚。

ほぼ中間地点に来たときに、
路上に、1台の車が止まっていた。

ん、なんだ?

と思って、その周辺に、
チラッと目を向けてみると、
車のタイヤ跡が道路からそれて、
田んぼに続いていた。

そこにあったのは、軽自動車。
色は暗くて、よく分からなかったが、
たぶん黒。雪に突っ込んで、止まっている。

思わず、アクセルを踏む私の足も、
ゆるまってしまう。

気をつけよう…って。

申し訳ないけど、事故を見ると、
自分のためになる。

しばらく進むと、JAFの車とすれ違った。
お迎えが来たんだなぁ。

見たところ、あの車は、
それほど損傷しているように見えなかったから、
修理代は少なくて済むだろう…

けれど、滑って突っ込んだ、
っていう事故感は、なかなか抜けないだろうなぁ。

私も経験あるから、よく分かる。

雪道の運転には、やっぱり気をつけなくちゃ。
特に、夜の運転は…ね。

2007年2月 6日

口から大量の出血

初めての経験でした。

もう、ビックリ!

口から大量の血が流れて…

あれって、
なんでもないことだと分かっていても、
なんか、自分のことが心配になりますね。

私は、いつもというわけではありませんが、
お風呂で歯みがきをすることが多いです。

昨晩は、その歯みがきをしていると、
何かしら、口の中に小さな水疱があるような感覚。
よくあることなので、たいしたことじゃないと思い、
いつものように、爪先でつぶそうとしました。

さわってみると、なんか、
つぶせない。
ちょっと今日のは大きくて、
爪先が逃げちゃってるのかな、と思い、
歯ブラシの先をポンポンと軽く当ててみたら、
どうやら、つぶれた模様。

良かった、良かったと思い、
水疱の水を吐き出すために、
歯ブラシを口から出すや否や、
真っ赤っか。

えぇ~~~~!

と思って、口からも、
ツバを吐き出すと、
それも真っ赤っか。

おそらく、そのシーンだけを、
うちの者が見たら、
血を吐いているように見えたでしょうね。

救急車もんの話?

私も自分に驚きながらも、
うがいをすれば、血が流れるだろうと思って、
口に水を含んで、吐き出すや、
それこそ、真っ赤っか。

もう1回、やったけれど、
当然のごとく、真っ赤っか。

そっか、当たり前のことか。
血の方が、水に浸透しちゃうから、
水が真っ赤になっちゃうんだよね。

いっしょにお風呂に入っていた三女が、
「お風呂からあがったら、
 お母さんに言うからね」
などと、訳の分からないことを言います。

私が悪いことをしたから血を吐いたと思っているのか、
それとも、父親を心配しているのか、はたまた、
何か報告しなければいけない大変な事態だと
思ったのか、それはよく分かりませんが、

私は少しの間、何も話さず、
おりこうさんにしていることにしました。

ただ、血だけは飲み込まないように…

そしたら、1分も経たないうちに、
止まった模様。
口から出す唾液にも、
血など混じらなくなりました。

ああ、内心、ビックリした。

血って、やっぱり、
緊急性を感じさせますよね。

それが、あんまり出ることのないところから
出ちゃうと、なおさら。

すりむいて、ひじとか、ひざとかから
出るのなら、何の気にもなりませんけどね。

そういえば、先日は、
ひさびさの突き指もした私。

昨晩の出血は、
「体を大切にしなさい」
というシグナルなのでしょうか。

健康的な生活をしないとな…

そのためには、まず、
妻の「甘やかす」食事を
止めてもらわねば。

私と子供らの好物に焦点を当てて、
食事を作ってくれますからね。

本人いわく、その方が喜ばれるし、
喜ばれるものを作るほうが、
精神的に楽しいし、楽なんだそうです。

ん~、困った、困った。

食事を作らない奥さんもいると言いますから、
私は、ぜいたくな悩みなんでしょうか…

2007年2月 2日

ひさびさの突き指

歩いたり、力が入ったりすると、
けっこう痛みが残るもんだから、
もしやと思っていたが、
今朝起きたら、
足の薬指が紫色になっていた。

どうやら、突き指…

ひさびさです。

その方法も、かなり珍しいのですが、
裸足で歩いていて、
椅子の脚に2回引っかかったのです。

1回目は、痛いと思ったけれど、
なんともなかった。

2回目は、
ちょっと違った痛みでした。

なんか、懐かしい痛み。
若い頃に、スポーツとか運動とかを
よくしていた時に経験した感じの…

紫色になるんですね。

でも、足の指でよかった。
それも、薬指で。

めったに、大きな力を
入れたりすることなんてないから。

考えてみれば、
おかしな部位です。

同じ程度の痛みでも、
いつも使う部位、たとえば、
右手の親指だったりすると、
いろんなことに支障をきたすことでしょう。

けれど、なかなか、
休ませることが出来ない。

そこに来て、足の薬指だから、
私の場合は、ちょっと気を遣って、
さわったり、力が入らないようにすれば、
何の支障もありません。

仕事しなくていいよ、
みたいな感じです。

会社に居て、
「君、仕事しなくていいから。
 そこで休んでいて…」
なんて言われたとしたら、
なんか、存在感がなくて、
焦ってくるかもしれないけれど、

足の薬指だったら、
そんな感情を持つこともない。

そこで休んでいていいから、
と言っても、不要になるわけじゃない。
また、元気になってから、
足の指で力を分担する時に、
がんばってくれさえすればいい。

世の中には「必要のない人間」なんていない。

という言葉は、ありきたりだけれど、
足の薬指ほどの役目でもいいから
見つけてあげることが出来たら、
その言葉を実証できるでしょうね。

果たして、
必要のない人間と思われている、
もしくは思っている人間に、
そんな役目を見つけてあげることができるかな?

正直、?です。

2007年1月26日

間もなく、出版になります

ホントに実現するまでに、
発表はできないな、と思いまして、
今まで秘密にしておりましたが、
間もなく、私Shuの本が出版になります。

いい言葉72個をピックアップし、
コメントにもかなり力を入れています。

いいコトバ

書名:読めばたちまちハッピーになるいいコトバ
著者:皆川修一
価格:1,050円(本体1,000円)
発売日:2007年2月6日
サイズ:小B6判 159ページ
発行:秀和システム

→目次 →秀和システムの書籍紹介ページ

レイアウトのイメージ
いい言葉の本

→Amazon予約注文(もう1冊で送料無料)

あとがきには、こんなことを書きました。

-----あとがき本文-----

この本は、月間500万アクセスの
ウェブサイト「いい言葉ねっと」から生まれたものです。
2001年から約6年間、私が毎日更新(発行)してきたもの、
読者の方から投稿されたものをすべて含めると、
サイトにはすでに一万を超える「いい言葉」が
散りばめられています。

オープン当初は、わずか300程度だったのが、
これだけの数が集まるのは、やはり、
インターネットのおかげであり、
言葉のもつパワーなのでしょう。

トップページには、始めた時から、
私が言葉について思っていたことを載せています。

「言葉で、人は癒される。
 言葉で、人は生かされる。
 言葉で、人は力を与えられる。」

読者の方から
「ありがとうございます。…毎日、お疲れさまです」
という感謝メールをたくさんいただきますが、
間違いなく、私自身が、一番癒され、一番生かされ、
一番力を与えられています。

それに、いい言葉にふれることなく、
サイトの更新もしないで
一日を始めたり一日を終えたりするなら、
私はもっと疲れることでしょう。

いい言葉を見つけて紹介し、
それに気の利いたコメントを書けたとしても、
私自身がそれを実行できずに
過ごしてしまう一日もあります。

それでも、いい言葉だけを見つめて、
自分の糧にしている読者の方が増えているので、
私も今まで続けてこられました。

いい言葉との出会い、
皆様との出会いに、
ありがとうと言いたいです。

----終わり----

あとがきを考えるのも、
けっこう大変なんですね。

限られたスペースに伝えたいことを書くのは、
インターネットで好きなだけ書くことが普通になっている私には、
慣れないことでしたが、刺激的で、とても面白かったです。

2月1日より先行販売する書店は、以下のようです。
有隣堂 ルミネ横浜店
文教堂 渋谷店
リブロ ecute大宮店(大宮駅構内)

2月5日より先行販売は以下。
ブックガーデン ディラ上野店(JR上野駅改札内3階コンコース)
ブックガーデン ディラ東京店(JR東京駅丸の内南口改札内)

ネット上でも、取扱が始まっています。

→Amazon予約注文(もう1冊で送料無料)


セブンアンドワイ


また、来週の1月29日からは、
ヤフーの「今週のオススメ」で、
当サイトが紹介されるます。

来週になって、ふと気づかれた方は、

今週のオススメ

をご覧になってみてください。

(2007/01/29追記:画像のみ)
Yahoo!今週のオススメ

2007年1月25日

自分への応援

自分を応援してくれる人がいない。

っていうのは、やっぱり寂しい…

自分で自分を応援すれば、
ますます、その寂しさが増す。

一人くらい応援してくれる人がいてくれても、
いいじゃないか、と思う。

犯罪者にも、弁護人がつけられる、
というのは、そういうことを考えた平等さ…

犯罪も何もやっていない人でも、
応援を受けられたい時もあるだろう。
それは、やろうとしていていることが
理解されにくいからでしょうね。

応援者がいなくても出来ることなら、
胸を張って、それを続ければいい。

応援者がいなければ出来ないことなら、
選択しなくちゃいけない。
あきらめるか、応援者が出てくるように
「分かりやすく」見せるようにするか。

いずれにしろ、
応援者がいないことで、
傷ついちゃいけない。

そこは、自分に「心のバリア」を
張らなくちゃいけない。

先日、春風さんから
こんな言葉が投稿されました。

「悪気がなくったって、傷つくんです。
 傷つけられるんです。」
(ドラマ「ヒミツの花園」)

応援者がいない、
っていう事実に傷つく必要はない。

自分自身が
傷つくことを選ぶことをしない限り、
そんなことに傷つかないで済む。

自分への応援がない原因が、
明らかに、自分のせいである人もいるだろう。

だとしたら、なおさら、
傷ついている場合じゃない。

応援のない状態で、
やれるところまでやってやるしかない。

物事は、
応援がつくかどうかで
判断することも出来るけれど、
後々の結果がどうなるかで
判断も出来るのだから…

2007年1月18日

下心は、自分が損をする

わたしにも、きっと、
何かの下心があります。

いっつも意識しているもの、
集中しているものもあるでしょうが、
何らかのきっかけで、
ひょういと顔を出す下心もあるでしょう。

下心というのは、
ギブ&テイクというかたちをとりながらも、
どこかに、自分の得に心が集中しているから、
だいたいにおいて、あまりいい判断が出来ない。

自分の得を勝ち取ったようで、
実際は、損をしている場合も
少なくない。そんな気がします。

自分の下心に惑わされてしまって、
罠にハマってしまうことも。

自分のものでないもの、
それもたいしたもんじゃないものを、
自分の方からのギブに仕立てて、
相手からのテイクを受け取ろうとする
「バカな下心」をもっている人もいます。

もちろん、それが成し遂げられれば、
本人は、得意満面、大成功と
思うことでしょう。

けれど、
見抜かれていることに、
気づいていない。

下心は、見抜かれる運命にあるんです。

誰かに何かしてもらいたい下心があったら、
回りくどいことをしないで、
ダイレクトに頼み込む方が
私は好きだなぁ…

ダイレクトに頼み込まれる方も、
面倒くさくないから好きです。

「え、これ、もらっていいの?
 どういう意味があるの?」

「はい、どうぞ、どうぞ。
 特に、何の意味もありません。」

と言われても、下心を隠されようものなら、
私みたいな人間は、
察することが出来ないから、
その人、絶対、損するよ。

下心は、
見抜かれても、
見抜かれなくても、
損をするわけです。

隠さずに、生きていく道を探しましょう。

2007年1月 8日

初夢じゃない、3つの夢

もしかしたら、正月2日の朝に、
ちゃんと「初夢」を見ていたかもしれないけど、
私の記憶にないので、
私にとっての初夢は、今朝の夢となった。

それも3つ。

1つ目。
なんか知らないけれど、
内閣総理大臣になっていた。
(こんな夢は初めてのこと…)

実際に、そんなことがあるかは、
分からないけれど、
多くの人が短い面会時間のために
私のもとを訪れては、私に意見を伝えたり、
私の意見を求めていた。

すぐに、また、別の人、
もしくはグループが訪れる。

そのうち、私が恩知らずな上にうるさそうに思えて、
面倒くさいと感じた、どこかのおばちゃんに、
帰ってください、と言っていた。

その後、就任を祝う花束なんかをもらって、
その夢は終わったように思う。

2つ目。
娘たちの卓球大会の会場に来ていた。
しかし、大会日を間違えて覚えていたようで、
その会場で、ほかの人々が練習する光景を
眺めていた。うちの三女は、
広い会場を走り回っていた。

その後は、記憶にない。

3つ目。
三女がサングラスをかけて、
ふざけながら、外を歩いていた。
私は、危ないと思いながら、
それを眺めている。

案の定、そこにあった
幅2mくらいの浅く、ゆるい流れの川に落ちる。
浅いけれど、三女に立つ意志がなかったため、
ゆるやかに流されていた。

私は川下の方へ走っていって、
川の中に入り、娘に立ち上がるよう叫んでいた。
しかし、立ち上がろうとしないまま、
三女が、私のところに流れてきたので、
すくい上げた。

それじゃあ、ダメだということで、
今度は、私が川上の方に放り投げて、
また、流れるようにした。
(放り投げられるくらい、小さくなっていた娘)

そして、立ち上がるように、また叫んだ。
しかし、立ち上がらない。
今度は、途中の陸にひっかかって止まった。

こんな感じの3つの夢でした。
私なりの分析は、こんな感じです。

1つ目。
去年の暮れに、
1つの肩書きを終わらせていただき、
安心している私。けれど、次の人のやり方や
周囲の反応がなんとなく気になっている。

2つ目。
娘たちの卓球大会が、
来週から3週連続で週末に行われる。
どんな結果を出してくれるか、楽しみ。

3つ目。
去年の暮れに、義母が川に落ちる事故があり、
その介護が、家族全体の負担になっていること。
また、娘たちを自立させたい思いの現れ。

こう分析してみれば、
今の私の思いを占めている事柄が、
よく凝縮されている夢に思えてきました。

1.恩知らずを気にするな。
2.娘たちのことで気を急かすな。
3.まず、自分が自立しろ。

初夢の教訓は、そんなところでしょうか。
わたし、がんばります。

皆さまの初夢は、いかがでしたか?

2007年1月 1日

謹賀・信念

録画していた映画 「有頂天ホテル」見ました。

「謹賀信念」

なんか、それっぽくって、
いいです。

新しい「今年」がスタートしました。

今日から本番です。
さて、どういう1年にしていくことが出来るか。

いろいろ大変だと思いながらも、
たくさんの助けを受けて、
1年が終わってみれば、
かなりいい感じで生きていることを感じる年月です。

地球上の軌道から考えれば、
昨日も、今日も、ただ
太陽の周りを回っている時間に過ぎず、
あんまり変わらない1日なのですが、
私たちが、特別だと思えば、
特別な日となるわけで…

何かを果たせば、
達成した日になり、
何かにしくじれば、
ついていなかった日になる。

それは、今日の元日に限らず、
これから始まる毎日についても
言えるのだ。

だから、今日に満足するように生きる、
という考え方なくして、
今年1年も、「いい年」には出来ない。

正月休みが終わってから、
なんて言わずに、

今日から「いい1日」を積み重ね、
「いい1年」につなげたいと思います。

皆さま、がんばりましょう。

信念のあいさつでした…

2006年12月29日

なつかしい味

きっと、なつかしい味といえば、
おふくろの味とか、
ふるさとの味を思い出すのが
普通だろうけれど、

給食の味を思い出す人も
少なくないと思う。

あ、これ、給食の時に、
食べた味そのものだ。

みたいな感じ…

子供の頃は、学校に行けば、
給食を食べるのが当たり前で、正直、
それほど料理の上手でない母をもったゆえに、
給食の楽しみは、かなり大きかったと記憶してる。

とは言っても、その給食費を払っていたのは、
家族の者だから、「ちゃんと払っていてくれた」
ことには、今思えば、感謝しなければいけないなぁ、
とも思う。

だって、今の時代は、
「うちの子供に給食を出してくれなんて
 頼んだ覚えはないから、
 給食費なんて払わないよ。」
という親もいると聞くからね。

たしかに、その理屈も分かる気がするけれど、
給食というシステムが、
そういう大人の行動で壊れたら、
結局、たいへんなのは、親なんだと思うけど…

うちは、弁当だってかまわないわよ、
と大見得をきったところで、
弁当づくりは、やっぱり大変なはず。

それに、そもそも、
そんなことになるわけないだろう、
と思ってるから、そんなことも言えちゃったりする。

給食というシステムの収支が合わなくなって、
質を落としている、というところもあると聞くから、
そうなれば、「残す」という生徒も増えたりして、
無駄な部分も出てきてしまう。

もともと、贅沢な食材を期待しているものでもないし、
ただ、同じものをみんなで食べる経験って、
いいと思うんですよね。

自分の家においても、毎度、毎度でなくても、
みんなで同じものを食べる時があれば、
なんか違うでしょう。

同じものを食べてるから、
そこでは、それ自体が共通の話題になるし、
その話題をうちに持ち帰ってくれば、
うちの中でも、別の意味で話題になる。

アレルギーとかの関係で、体質的に
食べ物に敏感だという人を除いて、
給食が続くように、サポートして欲しいなぁ。

ちなみに、私自身は、もう、
給食を食べたいとは思いませんけどね。
病院食とかも。

2006年12月28日

ファンになるということ

誰かのファンになるというのは、

その人のそのままが好き、というのと、

その人が自分の思い通りに変わっていく
(もしくは変えられそうだ)、

という2つがあるかもしれない。

だから、前者の場合は、
「そのまま」が変われば、
そんなにファンでなくなることもある。

しかし、いい意味で、
期待を裏切ってくれるのは、
悪い気はしない。

一方、後者の場合は、
自分の思い通りに変わっていかなければ、
ファンでなくなる可能性が高い。
だったら、やめるみたいな。

ある意味、これは、
子育てにありえる気がする。

子供に夢を託して、
まるで自分のアイドルのように
仕立てようとしていたとする。

しかし、その子供が、
そのように育てられること、
もしくは導かれることに反発をして、
手がつけられなくなると、
ファンでなくなることもありえるわけで。

なんて言うか、私もそうですが、
トップを目指したい、トップに行かせたい、
という思いが強い親の中には、
それが叶わなくなると、
子供を感情的に切り捨てるようなことって、
あるような気がします。

みんな、みんなが
トップになれるわけじゃないですからね。

トップになれる人のファンと、
トップにならせてあげたい人のファンでは、
結末の気分も違うことでしょう。

私は、娘のファンでいれるかしら…

あまり向き合いすぎると、
ダメかもしれませんね。
気をつけようっと。

2006年12月27日

1年経ってみれば…

残り5日。

今年のはじめには、
どうなるんだろう…
と期待と不安でいっぱいだった1年も、
もうすぐ終わります。

結果から見れば、
すごく満足したことがあります。

しかし、1年というのは、
いろいろなことが起こるもので、
その満足が当初の予想を超えたものの、
その後の時間で、さらなる欲が出てしまい、
その強い満足感が弱まっているものもあります。

欲張りですねぇ…

でも、それが人間なのでしょう。
それが向上心にもつながる。

けれど、別のところでは、
年の初めの思いからほど遠すぎて、
ぜんぜん満足できないものもあります。

そんな入り交じった1年でも、
やっぱり終わるということを思えば、
何か感慨深くなるもので、
太陽系にとっては、
ただ地球が回っているだけのことなんだけど、

人間にとっては、1日、1年が
特別なことになるわけですね。

みなさまにとっては、
どんな1年でしたか?

2006年12月25日

プレゼントがしっかりしてくる

今朝、娘たちから、
クリスマス・プレゼントをもらいました。

今までもらったプレゼントの中で、
かなり、しっかりしてきています。

私のリクエストを
前もって聞いておいてくれて、
自分たちが貯めたお金を、
私が恐縮しない程度に使っての
プレゼントです。

なんか、成長したなぁ…
と思います。

同時に、私にリクエストするものも、
なんか、ちょっと成長しています。

金額的に、というよりも、
精神的にという感じでしょうか?

嬉しいものです。
プレゼントをもらうっていうのは…

最近は、新しい小説を読む時間がなかったので、
時間を見つけて、もらった小説を読みたいと思います。

今思いついたんですが、
読んだ後に、短めでもいいから、
読書感想文でも書いて渡そうかなぁ。

いつも、私が、
読書感想文を書け、書け、
と言ってるから、お返しするのも、
悪くないなぁ、と思う次第です。

子供たちは、冬休みに入ります。
おかげで、私も、気分的に冬休みに入ります。

今のところ、雪の少ない冬。
このまま、穏やかであれば、
スキーとかは出来ませんが、
楽でいいなぁ、って思わざるを得ません。
やっぱり、去年の冬は、厳しかったから…

メリークリスマス。
よい時間がありますように…

2006年12月24日

残り物を食べる

クセなんでしょうね。

子供が小さいときに、
知人の家とかに招待されて、
子供が食べかけたものを残すのは
申し訳ないと思っていたもんだから、
残り物をちゃんと食べてあげる。

子供が食べきれないほど、
多く盛ろうとすれば、
それを制止する。

自分のお腹にも限界があるから、
残されても食べられる量を
いつも測っている。

自然と、自分の家の中でも、
そんなふうに振る舞っている。

他人から見たら貧乏性のクセに
見えるでしょうね。

もったいない、という感覚もなくはないが、
やっぱり、食べるつもりで盛りつけたものを、
皿の上に残しておくのは、なんか、ゆるせない。

自分に対しても、そして、
おそらく他人に対しても。

もったいないからではなく、
自分の責任の範囲としたからには、
それをちゃんと果たす…
っていう感じでしょうか。

でも、多分、他人から見たら、
「もったいないから、そうしてる」
「貧乏性だから、そうしてる」
というふうに見えるかもしれない。

だから、そんな真似できない、
という人もいて、おかしくない。

その気持ちも、分かります。

やっぱり「残り物」って言葉は、
いいイメージじゃないからね。

残り物で間に合わせたとか、
残り物と付き合ったとか、
残り物と結婚したとか…

別の言い方にしなくちゃね。

とっておき…とか。

2006年12月18日

一人も、みんなも同じ

一人が好きで、
一人で生きていく、
という人もいれば、

一人じゃ寂しすぎるから、
絶対に一人じゃ生きていけない、
っていう人もいる。

けれど、本当のところは、
一人が好きな人も、
どこかで人と関わりあって
生きていて、

絶対に一人じゃ生きていけない人も、
どこか一人の空間を楽しんで
いたりする。

それは、見た目の
「一人ぼっち」とか、
「みんなでいる」ということじゃない。

一人でいても、
みんながいるような幸福感もあれば、
みんなでいても、
一人っきりのような孤独感もあると思うから。

なんか、これに似た歌詞、
どっかにあったなぁ…
平井堅の「思いが重なるその前に…」
の歌のよう。

だけれど、多分、
どちらも本当は同じことかもしれない。
そんな気がする。

それは、自分の身と心の置きどころを
求めているということで、
「自分の居場所」っていう人もいるけれどね。

一人が好きなのも、
みんなでいるのが好きなのも、
そういうことを探しているんじゃないのかなぁ。

どっちにも見つからない不満を
もってしまうこともあるけどね。

ネット上のゲームとか、
スポーツクラブでのスポーツとかで、
初対面の人や面識の薄い人と、
いっしょにプレイすることで
何気なく、そんな気持ちが満たされるのって、

一人ぼっちでも、みんなでいるわけでも、
そのどちらでもないからかもしれないなぁ。

そもそも、どちらか一方を求めること自体に
無理があるのかもしれない。

2006年12月 2日

ニセモノ霊媒師の最後

霊媒師といえば、故人の霊を、
自分の体にとりつかせて、
その故人の思いを、
生きている人に伝える商売。

沖縄では「ユタ」と呼ぶようです。

かみおろし、口寄せ、など、
呼び方はいろいろ。

そういうことを信じるかどうかも、
また、いろいろ。

しかし、あるところに、
ニセモノ霊媒師がいました。

ニセモノですから、
自分の身に霊を呼び寄せた振りをして、
生きた者に、思いを伝えるわけです。

それが「真実味」を帯びるためには、
その演技をする前に、
依頼人などから関係する情報を
聞き出さなければなりません。

いかにも、という具合でなく、
自然に聞き出す、
依頼人からの良き聞き手となる。

だいたい、そういう依頼をする人々は、
心が飢えているはずですから、
助言が必要なのと同時に、
受け入れてもらいたい気持ちも
強く持っているもの。

話術が巧みであればあるほど、
かなりの情報が得られます。

そして、いざ、
霊媒術を行っている演技が
スタート。

ニセモノ霊媒師は、
そういう具合にして、
幾多の経験を経て、
「あの人は、ホンモノだ。」
と言われるまでに有名な存在になりました。

しかし、ニセモノであることを知るのは、
いっしょに商売をしているパートナー1人だけ。
あとは、誰一人知らない。

いくらかは他人の役に立ちたい、
と思って、それをやっているわけですから、
悪徳商法などと言われて訴えられたこともなく、
順風な商売となっていました。

ある日、ニセモノ霊媒師は、
耳元でピキっと感じます。
何かしら、体に異変が起きたような気がしました。

しかし、その後は、
なんともありません。

おかしいなぁ、と思いながら、
いつもどおり、仕事を始めることにしました。

依頼人の話を聞いて、
頭の中で、どういう演技をするか、
構想を整えているうちに、
何かしら、いい気分になってきて、
ふと「今日を最後にしようかな」
と思うようになりました。

周りの段取りを整えているパートナーに、
何気なく、そのことを言うと、
えっ!と驚きはしたものの、
それもいいかもしれない、
とすんなりと了承してくれました。

さて、演技のスタートです。
お決まりの文句を唱えながら、
ニセモノ霊媒師は、
霊が身体にとりつく演技をしています。

パートナーは、それを見ていて、
ん?今日は気合が入っているな、
と感じるほどの熱気を感じました。

身をもだえたり、声をあらげたり、
いかにも苦しそうです。

そして、バタと倒れました。
こんな演技は、今までなかったなぁ、
と思っていると、ニセモノ霊媒師は、
体を半分起こしたかと思うと、
「申し訳ありません。
 今日依頼された方の霊を、
 身体に引き寄せることが出来ませんでした。
 お代はお返しします。
 たいへん失礼しました。」

あまりの長く、迫力ある演技だっただけに、
依頼人たちは、驚きながらも、
その言葉を了承しました。

何かあったのか、と思い、
パートナーはあわてて、
ニセモノ霊媒師の近くに
走っていきました。

「どうしたんだ?」
小声で尋ねます。

「はじめて、本当の霊媒が成功した。」
ニセモノ霊媒師が言います。

「なに? さっきは、できなかったと言ったじゃないか。」

「違う、その方の霊のことではない。」

「私の霊だ。」

「え? おまえの霊?」

「私に、初めて見えた。
 霊が身体に引き寄せられるのを…
 そして、私が2時間ほど前に死んでいたのが分かった。」

「おかしなことを言うんじゃない。
 おまえは、生きているじゃないか。」

「いや、私をさわってみろ。」

パートナーは、恐る恐る触る。

「ひゃっ!」
あまりの冷たさに、身をひいた。

「死んでいるからだ。
 しかし、霊媒術によって、
 私の死んだ体に、私の霊がとりついている。
 初めて成功したんだ。笑える話だが…」

「そうか、よかったな。」

「ああ、ありがとう。
 これまで、本当にありがとう。」

そして、ニセモノ霊媒師は、バタっと倒れた。
もちろん、その体は、すでに冷たく、死んでいた。

ニセモノ霊媒師が初めて成功した霊媒術。
それは、自分の霊を呼び寄せたこと。
知る者は、そのパートナー以外、誰もいなかった…

------おわり------

というのが、おとといの晩に見た夢でした。

私が出てくるわけでもない。
ただ、そういうシーンを、
どこからか観察している夢でした。

何の意味がある夢だというのでしょう。

今なお、不思議ですが、
記憶だけは留めておこうと思って、
ここに書いています。

いつか分かるかもしれませんが…

2006年11月27日

限界がある

当サイトでも、何度となく、

「あなたの能力に限界を加えるものは、
 他ならぬあなた自身の思い込みなのです。」
 (ナポレオン・ヒル)

なんて言葉を紹介して、
本当は自分の限界なんてないんだ、
と励ましてきたけれど、
勘違いされても困るよなぁ…
って思うことを、度々目にしてきた。

たとえば、子供への英才教育。

たしかに、子供は、
大人よりも吸収力がある、
もちろん回復力も高い、
だからと言って、
身も心も壊れるレベルまで
限界を試させすぎると、
本当に壊れるんじゃないかなぁ、
と思うことがあった。

一番は、間違った鍛え方。
急な成長を求めて、
無理な負荷をかけすぎるのは、
どこかしら、
大人のエゴがあるんじゃないかなぁ、
と感じる。

子供の才能を考えた英才教育でなく、
大人の名誉を賭けたスパルタ教育になった瞬間に、
鍛え方が間違ってくる可能性は多いにあり得る。

子供の未来よりも、
自分の未来を見ている。

子供が自身で考えるようになることよりも、
子供を道具として考えるようになっている。

限界を無視するのでなく、
限界の存在を認めながら、
それが少しでも広がるように考える。

そういう考え方が、
いいんじゃないかなぁ…

そういう方法でも、
限界は伸びると思うんですけど。

ただ、子供の個性もいろいろ。
ものすごい天才的センスをもっている子供であれば、
限界を否定して、鍛えても、ついてこれるかもしれません。

その後はどうか、分かりませんが。

今一度、限界について考えてみたいなぁ、
と思いました。

2006年11月26日

また高校に入学する夢

よく分からないけれど、
夢の中で、高校に行っていた。

私と妻の席が、
ちゃんとクラスに
準備されていた。

なんで、また高校に入ろうと
しているんだろう…
と思いながらも、自分としては、
高校に入る必要性を感じていた。

というより、私は、
国立高専の卒業生なので、
正確に言えば、3年制の高校は
未体験なのだ。

だから、高校に入ろうとしている?
としても、私の席が用意されていたのは、
自宅のすぐ近くにある高校。

常日頃、魅力的な高校として、
私の目には映っていないところ…

夢の中で、妻は、
それほど行きたいわけで
なさそうだった。

妻が行かない、
ということを受けて、
私も、また考え出していた。

なんで、高校へまた行くんだろう…?

退屈な授業を受ける時間を、
また耐えたいというのか。

答えは否だった。

だんだん、これは夢なんだ、
という自覚が出てきて、
夢が薄らいできた。

そのうちに、別の夢に変わっていた…。

夢を見た後には、
いつも自分なりに分析することが多い。

今の自分のどんな心境を
反映した夢だったんだろうか、と。

う~ん、今回のばかりは、
どうも解けない。
朝起きてから、ずっと考えているが、
分からない。

自分の中に隠している意識が、
何かあるんだろうか。

若くなりたい憧れ?… あんまりない。

勉強しなければという焦り?… 少しはあるかな。

人間関係もあんまり描かれていなかったから、
ん~、そういうことも関係なさそう。

なんだろう、自分のどんな意識が
関係してるんだろう?

今回に限っては、ホントに分からないので、
解けた気分になるまで、楽しめそうです。

どうせ、日曜日ですし。

2006年11月12日

100円電卓の計算ミス?

今は、小学校でも、
授業中に電卓を使って、
勉強していたりする。

自宅にある電卓を
学校に持っていくまではいいが、
学校に忘れてくることが少なくないので、

「自分たちの電卓を買いなさい」

と、妻が子ども達に言った。

「100円ショップに売ってあるヤツで、
 十分だね。」

と、長女は言う。

「ん〜、どうだろう?
 あんまり良くないかもよ。
 電気店とかの安いヤツを
 買った方が安心だと思うよ。」

私は、言った。

「どうして?」

と、次女が問いかける。

「あんまり信用できないな。」と私。

「分かった。
 100円ショップの電卓は、
 計算を間違ったりするんでしょ!」
と次女。

一瞬、止まった。

なっ、なん、なんだ、この子の発想は…

そんな電卓なら、そもそも、
電卓として売っちゃいけないだろ。
電卓とすら呼べないだろ。

「壊れやすい、かもしれない、
 ということだよ。」

うちの次女は、
落ち着くべき結論に、
話を導いても、
思いも寄らないことを
言ったりすることが多い。

そうじゃないだろ、そうじゃないだろ、
と家族みんなから言われながら、
日々の生活をしている。

それでいて、
いろんなことには
気がつきやすい。
要領も得ている…

手伝ってほしいタイミング、
必要なものがある場所、
そういうことは、
ほぼ100%分かっている。

気は利くけれど、
人の話は理解できない。

そんなことがあるとは、
思ってもみなかった。

なんということだろう…?

耳に聞こえない言葉は分かっても、
耳に聞こえる言葉は分からないということか。

どっちがいいんだろうねぇ。
説明に疲れてしまう時には、
そんなふうに思っちゃいます。

娘よ、早く、
人間の言葉が分かるようになれ!

2006年11月 3日

人生を変えるんだ?

去年の今ごろは、

「手帳で、人生は変わる」

みたいな本がたくさん出版されて、
手帳ブームだったように思います。
(今年も、数冊、そんな本が出ているよう…)

たしかに、ある意味、
手帳の「使い方」を変えるような手帳が
出てくれば、人生は変わりますね。

手帳よりも、使い方を変えた本人の努力が、
一番えらかったわけなんでしょうけど、
手帳だけがエライようなことを言ってしまうから、
その手帳を買っても、大多数の人が、
使いこなせずに、人生も変わらずに1年を送る、
ということになっているのが事実のようです。

手帳を必ず使うようになって、
電子手帳なども含め、
いろいろな手帳を渡り歩いて、
およそ15年ほどになりますが、
今は、ほぼ日手帳を使っています。

2007ほぼ日手帳も買いました。

売りの文句がいいです。

『ほぼ日手帳2007』が、前年を倍する勢いで
 売れているということです。
 くれぐれも、初心者の方々が
 「この手帳で人生を変えるんだ」などという
 大それたことを考えないように、
 「ほぼ日手帳」先輩の方々は、注意してあげてください。

かたや、人生を変えるんだ?
という「あおりの言葉」で売り、

一方では、
「そんなことはありませんけれど、
 いい手帳だから売れています」
という言葉で売ります。

あとは、買う人が何を信用して、
何を期待し、何は期待しないで、
それを買い求めるか、の違いなんでしょうね。

むかしむかし、
一番最初に手帳を使い始めた頃は、
何も期待していませんでした。

けれど、やっぱり、
「人生を変えたい」期待が
出てきます。

それで、そういう手帳を買い始めた。
しばらく、それを使っていたけれど、
なんか、手帳に書き写したり、
整理したりする時間ばかりが長くなった気がした。

そこで、パソコンと連携できる電子手帳に、
興味が出てきます。そして、買い求める。

ところが、パソコンとの連携が
うまくいかなかったり、
データが消えたり、フリーズしたり、
それをやり直したりしているうちに、
余計な時間がかかることになります。

ああ、面倒くさいということで、
また「人生を変える」手帳に戻ります。

しかし、今度は、その手帳の紙の多さが気になり、
過去の保管に、頭を抱えることになりました。

そこで、手にしたのが、
それにほぼ似た機能(私が必要な分だけ)を持つ、
ほぼ日手帳、というわけだったのです。

人生が変わったか、と言われれば、
そりゃぁ、時間が経っているから当然でしょ、
という気もします。

手帳はどうだったか、と言えば、
忘れちゃいけないことを思い出させ、
ムダな時間を増やさない手帳に、
落ち着いているという感じに思います。

手帳が人生を変えたか、
そこまで言えるか、
私は、今のところ、
分かりませんね。

2006年10月28日

自分でやれば、安上がり

料理に始まって、
何事も自分でやれば、
安上がりである。

自分でやらないと、
自分のことなのに、
自分が分からないことになる。

しかし、人間は忙しい。

自分のこととは言え、
自分のことを全部、
自分でやっていたら、
時間が足りなくなる。

生活そのものが、ある意味、
グローバル化しているからね。
メカものを自分でいじるのが好きな私でも、
車だけは、自分でいじることが出来ず、
車屋さんや、行きつけのガソリン・スタンドに、
メンテナンスをお願いするのが常だった。

マニュアルを読むのだけは好きだから、
いちおう、取扱説明書は読破してはいるものの、
車のことをいじることはめったにないという男。

しかし、その男も、ついに、
自分のものなのに、自分で分からずに
扱っている、使っていることが、
なんか許されず、とうとう、
簡単なことから始めることにした。

なんのことはない。
バッテリ液の追加、
冷却水(クーラント)の追加である。

いちおう、ウォッシャー液は、
これまでも、自分でやっていたが、
それは、車の内部にまで大きく関わるほど、
重要なことじゃないと思えたので、
「自分でやる」ことに違和感を感じなかった、
にすぎない。

しかし、バッテリとか、クーラントとなると、
私の心の中では、運転に支障を与えるかもしれない、
危険なことに感じ始める。

だから、手を出せずにいた。
そのうえ、何をどう買って、
どうすればいいかも、
分からなかったしね…

ちと、情けない話です。

ちょうど先日、
バッテリ液、クーラントの不足が、
ガソリン・スタンドで指摘されたので、
そこでは頼まずに、
自分でやることに決めた。

ショップに行って、
合うものを探して、買い物。
翌日、エンジン・ルームを開けて、
自分で注入。

作業自体は簡単だが、
買い物と、エンジン・ルームを眺めて、
場所を確認している時間の方が長かった、
という始末。

もちろん、次回からは、10分もかからずに出来ることだろう。
多分…

自分のことだから、
自分で分かっていた方がいい。

自分のことだけど、別に、
自分で分かっていなくていい。

考え方は、いろいろ。

今さら、なんで、
自分でやりたくなったんだろう、
と考えてみると、
「人に頼むことの値段、価値」
を知りたかったんだろうな、
という気もしてきた。

結果的に、また、
誰かに頼むとしても、
自分でやってみて、
その大変さ、あるいは簡単さを
知っていれば、お願いする態度に、
間違いが現れることもないでしょうから。

難しいことなのに、
偉そうに頼むことも、
簡単なことなのに、
丁重すぎることもなくなる。

きっと、どちらも、
何かしら感じが悪いこともあるから…

お金を節約する「安上がり」がいいか、
時間を節約する「安上がり」がいいか。
それは、人それぞれの価値観というところですね。

2006年10月13日

整理券が欲しい

先日の朝、
朝食のパンがなくなったということで、
近くのスーパーに買いに出かけた。

車で現地に着いてみると、
行列が出来ている…
人、人、人。

な、なんだ?…この行列は。

どうやら、
「本日の売り出し・限定品」を
手に入れるために、
朝9:00から配られる整理券を
もらうために並んでいる人々だった。

おかげで、私は、
食パン1斤を買うために、
レジに並ばされる羽目になった。
面倒くさいから帰ってしまえ、
なんて思いかけたけれど、
朝からエネルギッシュに並ぶ人たちの姿を見ているのが、なんか楽しくて、
そのまま、そこに居た。

思い返してみれば、
私が整理券をもらうために
行列に並んだ記憶があるのは、
ユーミンのコンサートチケットを
手に入れるための時である。

今から20年前くらいのこと。

学生だった…
そもそも、整理券なんぞが配られることすら知らずに、
チケット発売日の前夜から覚悟を決めて、並んでいた。

たしか、かなり前の方だったなぁ…
「6」くらいの番号をもらったはず。

けれど、
その整理券をもらったのが、
終電も過ぎた頃だったので、
「はて、これからどうしよう?」
となってしまった。

販売元は、最初、整理券を配ることなんぞ、
考えてもいなかったんだろう…

けれど、次第にふくれあがる行列を見て、
急きょ、整理券を配ることを考えた?
のかな。

それで、中途半端な時間になってしまった。

今さら、帰ってもいい、と言われても、
寮生活をしていた私と友人達は、
「迎えに来て」と呼べる人もいないから、
夜の街を徘徊…

まるで、ホームレスのように、
寝場所を求めて、歩き回った。
ホテルのロビーに入ったり、
やっぱり、駅に行ったり、
公園に行ったり…

雨が降らなかったら、
良かったものの。
ちょうど今のような時期だったから、
ちょっと寒かったことを覚えている。

知らず知らずのうちに、
いっしょに並んだ年上の方達とも
仲良くなったりして、
あとで、街で偶然に会ったときには、
あいさつなんかもしていたような。

今は、整理券をもらってまで
並びたいものがなくなったのかなぁ。

たしかに、ラーメン屋の行列には、
ちょっとは並んだりするけれど…

2006年10月 6日

正直に始めるか、ごまかして始めるか

私は、不器用なせいか、
何事もスタートには、
けっこううるさい。

正直に始めなきゃ気が済まない。
多分、自分を守りたいからだろう…

ごまかして始めて、
途中になって「真実」を話したときに、

「ああ、だったら、
 やるんじゃなかった。」

とか言われたくないからなんだと思う。

そういう言葉を聞いたときには、
すぐに「やって、損した」という気分に
なっちゃう。

ごまかして始めた自分が、
本当は悪いのにねぇ…

だから、ごまかして始めることは、
まず、めったにない。

正直なところをこちらがしゃべって、
正直なところをあちらから言ってもらい、
ダメなら始めないという決断をすることも伝えて、
考えたり、考えてもらうのだ。

それで、ダメなら、
やっぱり始めない。
無理強いはしない。

どうしても、
私が始めたいことは、
私の責任でやる。

もしくは、
私の投資(時間とか労力、お金)として
やることにしている。

そういうふうに、きっぱりとやらないと、
私自身が自分の立場とか責任を
あいまいに感じてきて、
続けられなくなるから。

続けるパワーが失われたら、
もう、どうしようもないでしょ。

今、私の前に、
また1つの課題があります。

こちらは、正直に話しました。

「こういう状況であるために、
 こういう形でしか協力できない。
 そして、現段階では、
 お互いにとって、これが
 成果を出すためにはベストだと思っている。
 そちらは、どう考えますか?」

今週末には、回答があるはず。

万が一、来ない場合には、
話がうまくまとまらなかった、
という証拠だろう。

そういうこともあり。

次に、私が、
自分の力とか時間を投資する先を
考えればいいだけのこと。

無理しない、無理させない。

長続きさせるためには、
必要なことだと思っています。

2006年10月 3日

買い物の時間の長さ

以前から、そうかな?
と思っていたのですが、
ネットで買い物する時間は、
けっこう長くなりやすい。

それは、住所とか名前とかの
文字入力する時間が長くなるせいじゃない。

それは慣れているから、というか、
登録されているから、10秒もかからないで、
終わっちゃうもんね。

長くなるのは、
選ぶ時間の長さのように思います。
昨日も、私ら夫婦は二人で、
子ども達のものを探していました。
「安くていいもの」なんて言いません。
「とりあえず安くて、1シーズン使えるもの」
という、かなり低いハードルです。

それでも、いろいろ選ぶ時間があるんですよね。
なんででしょう…?

多分、お店に行くと、
30分もしないで終わると思うのです。
けれど、60分は、パソコンの前に座って、
あれこれ、やっています。

あ、これを書いていて、
今、気づきました。

ポイントは送料でした。

買いたいものが、
送料無料になる合計金額に
達していればいいのですが、
微妙に足りないことが多いのです。

セコイものですから、
送料を払うよりだったら、
送料に当たるくらいのものを買って、
送料無料にしたいという気持ちになるのです。

その微妙な値段の商品を探すのに、
時間がかかっているというわけです。

ホントに欲しいものを選ぶ時間よりも、
どうでもいいものに時間をかけちゃっている。

なんか、私の人生のよう…

注意しないと、そんな時間の使い方を、
どこでもしてしまいそうです。

ん〜〜〜、送料かぁ…

なかなか、手強いですねぇ。

送料かかってもいいから、
今すぐ注文しちゃえ〜〜!、

という気分になれない私は、
やっぱり、貧乏性?

みなさんは、いかがですか?

2006年9月28日

赤ペンがつかなくなるまで

ささいなことに挑戦している。

今もっている赤ペン、100円。
そのインクがつかなくなるまで
使い尽くすというチャレンジだ。

意外と、出来ないんだよねぇ。
多分、他の人も同じだと思うけれど…

1つには、なくしてしまうから。

次には、つかなくなる前に
新しいものを買ってしまうから、
「ま、いいっか」
ということで捨ててしまうから。

最後には、あともう少しからが、
意外と長いために、
使い続けることに疲れてしまって、
思わず、手元にある別のペンを
使い始めてしまうから。

今回は、どの段階もクリアして、
あと、0.3mmくらいのところまで
来ています。

きっと、今日か、明日には、
つかなくなることでしょう。

よし、今日は、使いまくるぞ!
という気分です。

たかが100円の赤ペンですが、
なんか、自分の存在意義まで
かかっているような感じ。

たった100円のペンでさえ、
最後まで使い切れないのか。
そんな甲斐性もないのか…みたいな。

100円のペンすら使い切れずに、
大きなことが出来るか…ってな具合。

すごいささいなことに、
熱中してしまう自分を見て、
楽しんでいます。

幸せな証拠でしょう…

あとは、自分と妻と子供を
使い切るばかりです。…笑

2006年9月 5日

焦りのない日々

人が焦るとすれば、
だいたい時間が関係してくる。

もう、こんな時間になってしまった、
残り時間が少ない、
速くやってしまわなければ…

などなど、時間が関係しなければ、
焦ることなどないことは少ないない。

時間が関係ないとすれば、

バレてしまった、どうしよう…、
失敗してしまった、わぁ大変だ、
落として(なくして、盗まれて)しまった、

っていうようなくらいでしょう。

ただ、人間っていうのは、
勝手に焦っている場合もあります。

が、いざ、焦りのない日々に、
どっぷり浸かってしまうと、
なんか、つまんないなぁ、
と思える瞬間を、最近、感じました。

なんていうか、
背中を無理やり押すようなパワーを
感じないのです。

動き出す動機(モチベーション)が
心の中に、浮かび上がってこない…

となると、ちょっとダラけちゃう。

焦りとか、他者からのプレッシャーで動くことに、
慣れちゃっている証拠なんでしょうね。

自分の中の純粋な動機で動けない、
ちょっと「ぬけた」人間に、
自分のことを思えました。

焦る理由なんて、なんでも出てくるんですけどね。
「今年もあと4ヶ月しかない」とか、
「○歳まで、あと3年しかない」とか。

そっかぁ、やっぱり、
これも時間に関係しているのかぁ。

時間に、ちょうどよい敏感さがないと、
焦りすぎたり、焦らなすぎたりするようです。

よし、今日は、ちょっと焦ることを探してみよう。
そう思っています。

2006年8月11日

今持ってるものを半分にするなら…

だいたいにおいて、
今持ってるものを半分にしても、
何も問題はないと思う。

おそらく、困ることは
少ないでしょうね。

最近、片づけ病にかかってしまった私は、
これまで持っていた本を、
どんどん減らしている。

段階的ではあるけれど、
片づけ始めた時の半分くらいまで、
本は減っているだろう。

1冊1冊手にとって、
どうしようかと考えてしまえば、
かなりの時間がかかってしまうけれど、
「よし、もうこの本棚は使わない」
という前提のもとに、

限られた本棚に、
どの本を残そうかと考えれば、
意外にも、残したい本は、
限られてくるのである。

捨てるときには、
1個1個の価値を考えるよりも、
限られたスペースに何を残すか、
という視点でやった方がいいことが
改めて分かった。

本棚には、無理やりっぽいルールだけれど、
時間に置き換えれば、
それは必然なルールなのだ。

1日24時間、
寝る時間、仕事する時間などをのぞけば、
自由に使える時間は限られてくる。

これは面白いから、やりたいな。
あれは初めてだから、ぜひ。
それは誘われてるから、やらないと…

なんてことを言っているうちに、
残された時間は、刻一刻と減っていく。

やることを絞る以外に、
方法はない。自分の意志で。

改めて、思いましたよ。
私の持っているモノは少ないと思っていても、
周りを見渡せば、けっこうなものがあって、
それを半分くらいまで減らしたり、捨ててみて初めて、
自分の無駄な面がけっこうあるんだなぁって。

少し良く言えば、
無駄な面はなかったとしても、
新しいもの、古いものの入れ替えを
定期的にやっていないと、
それら全部に付き合う時間が
必要とされるって。

モノは何でも、
人間に付き合ってもらうことを
要求しますからね。
そこにあるだけで…

2006年8月 4日

あぢぃ〜

梅雨が明けると、
やっぱり、あぢぃ〜。

クーラーの効いているところと、
そうでないところを行き来していると、
毛穴の感覚が変わるのを感じます。

暑くなって、
毛穴が開いて、
思いっきり汗が出てくる瞬間も、
やっぱり、夏ならではという感じで、
気持ちええです。

夏は暑くなくちゃ。

子ども達は、顔を赤らめて、
髪の毛を汗で濡らして、
夏を楽しみ、苦しんでいる様子。

昨日も、卓球練習してました。
この暑さに耐えて練習をしていくことが、
何らかの人生経験になることでしょう。

練習が終われば、
リラックスして、
マンガを読んだり、
涼しい場所で涼んでいます。

厳しい練習と、
リラックスできる時間、
このギャップを楽しむのも、
夏休みならではの醍醐味。

本人達は、そう思っていないでしょうけど、
夏休みだからと言って、
朝から晩まで「リラックス〜」だったら、
だらけ人間になっちゃうでしょうね。

そのままオトナになってしまうことは
ないとは思いますけれど、
子供の時の「ダラダラ癖」は、
なかなか直りませんからね。

あぢぃ〜、
と感じながらも、ひとまず、
その暑さに身を投げて、
体をいじめてみる。

そして、それが終わった後に、
体に休息を与える。
夏の定番だと思います。

子ども達に付き合って、
私も、少しでも、
そんな夏を味わおうと
がんばっているところです。

明日は、北日本ブロック卓球大会へ
参加するために、お隣の岩手県水沢に
行ってくる予定です。

どうなるかな?
暑い夏の中、がんばれるかな。
親も、子も。

2006年7月31日

サラダうどん

ここ2週連続で、
わが家の日曜日のランチは、
サラダうどんになっている。

と言うのも、
2週続けて別々の来客があり、
その来客(ちょっとの用事)対応+子ども達の夏休み食事
を兼ねているので、
「サラダうどん」なんていう
選択肢になっている。

来客には、何かおもてなしをと考えるが、
ゴッテリしたものじゃあ、
なんか暑苦しいし、かといって、
パワーも付かないと、お帰りが大変だろう、
と考えて、太うどんで、妻が用意している。

思いつきは、私、
テレビ番組を見ていて、
「この夏の来客時には、
 これ、いいんじゃない?」
と口先だけの人間。

妻が、近所のショッピングモールで、
太うどんを6食も買うもんだから、
妻の同級生であるそこの店員が、
先週、聞いたそうな。

「このうどん、どうすんの?」

そこで、妻が説明をした。

そして、おとといの土曜日も、
太うどん6食を、買い物かごに入れて、
レジへ向かった妻。
またちょうど、同級生の店員が
レジだったらしい。

レジが終わった後に、妻いわく。

「彼女、サラダうどん、
 試してみたんだって。」

「へぇ〜。」

「彼女のダンナさんが、
 『また、チャーハンかよぉ〜。』
 とか文句を言うから、
 メニューに頭を抱えていて、
 サラダうどんを試したら、今度は
 『なに、これ?』と言われたって。
 でも、食べた後は、おいしかった、
 って言っていたよ。」

「えがったな。」

どこの家の奥さんも、
メニューを考えるのは大変らしいですね。
夏休みで、家に子ども達がいたりすると、
お母さんの方が、給食が恋しくなったり
するかもしれません。

簡単に出来て、いつもとちょっと違えば、
作る人も、食べる人も、楽しいでしょうね。

わが家のサラダうどんレシピ

材料:
太うどん(人数分)
レタス、ミニトマト、ツナ缶
めんつゆ、ドレッシング、マヨネーズ

作り方:
1.レタスを食べやすいサイズに切る
2.ミニトマトのヘタをとったり、半分に切る
3.太うどんをゆでた後に、水洗いして冷やす
4.うどんを器に盛りつける
5.レタス、ミニトマト、ツナをトッピングする

あとは、めんつゆ、ドレッシング、
マヨネーズなどをかけて、
お好みの味で、食べる。

ってな具合です。

おいしい夏を…

もし、夏のおすすめレシピがあったら、
教えてくださいな。

2006年7月21日

くもの糸

我が家が古いせいか、
それとも、田舎であるためか、
あっという間に、蜘蛛が、
くもの巣を家の中に、
作っちゃっている時があります。

えーって思う方もいるかもしれない。

それほど大きくはない、
ちっちゃい蜘蛛だからでしょう。
夜に寝てから、朝起きて、
家の中を動いていると、
大人が歩いて、ちょうど
頭が引っかかるような場所に、
作っている。

部屋の入り口部分とか、
玄関の部分とか。

ドアを開けたり、サッシ窓をスライドしたりして、
顔を出した瞬間に、うっと引っかかるのです。

今朝もいました、蜘蛛が…

くもの糸をはらって、
真犯人の蜘蛛を、くもの糸につながっているまま、
ぶらさげて持った時には、いつも必ず思い出すのです。

小学生か中学生で学んだ、
芥川龍之介「蜘蛛の糸」の話を。

極悪人でありながらも、
道ばたに落ちていた(?)蜘蛛を
殺さなかったことで、
地獄から天国への道が
切り開かれた主人公の物語を。

虫の命をも尊厳することって、
たしかに、人の命にもつながりそうですからね。

知らず知らずのうちに、
蟻んこを踏みつぶしているのは、
当たり前のことですが、
先日、三女と公園で遊んでいたときに、
行列をつくりながら、
地面を移動している蟻の大群を見て、
思ったんです。

知らず知らずならまだしも、たとえば、
洗面器いっぱいの蟻を集めて、
害虫駆除のためでなく、単に面白がって、
それに火をつけたりして焼死させたら、
人の命に手をつけるのと、
もしかしたら同じかもしれないなぁって。

もちろん、罪に定められて、
捕らえられたりはしないけれど。

なんてことを考える私も、
ちょっと飛躍しているかもな、
と思いつつ、

1匹の蟻の命は、
やっぱり小さいだけに鈍感になりがちだけど、
そんなふうに大群として命を考えた場合には、
虫けらで済まされなくなる気がしました。

あくまで「気」にすぎない話ですがね。

しかし、そういうことに鈍感すぎると、
人の命にも鈍感になってしまうかもしれないなぁ…

2006年7月17日

威信をかけるもの

ちょっと怖い気がしています。

訳の分からない相手であるだけに…

昨日の朝、北朝鮮に対する国連決議案が
全会一致で採択され、即座に、
北朝鮮が全面的な拒否を表明しました。

え?表明して、何をしようと言うんでしょう…?

この拒否も、パフォーマンスなのか、
それとも、実際に追い込まれている空気を
感じての対応なのか、分からないのが微妙なところです。

追い込まれているとすれば、
「窮鼠猫をかむ」のことわざみたいに、
ネズミが猫にかみつくようなことになりかねないか。

そんなことが予測されるとすれば、
その前に、猫はネズミを叩きのめすことに…

そうなれば、全面戦争?

そんな勝手な想像を始めると、
やっぱり怖くなるわけです。

もちろん、そんな素人想像の枠におさまらない、
いろいろな事情があって、
そんな簡単な話ではないと思いますが、

北朝鮮は北朝鮮で、
「国の威信をかけて」でも、
見栄を張ったパフォーマンスを見せてくるんでしょうね。

その背後に何があるかは、
やっぱり、分かりません。

リーダーだけが悪いとも限らず、
その国家体制でうまい汁を吸い、
それを守ろうとする「取り巻き」が
近くに大勢いるだろうから、
国全体が決心を変えるなんて、
かなり難しいでしょうねぇ。

まして、本気で、自分たちの国力に、
自信をもっていることだってありえますし。

北朝鮮に、転機が訪れているような気がします。
それは、それで面白そうなのですが、
すぐ近くの国であるだけに、
やっぱり怖いですねぇ。

どうなるんでしょう?

それとも、結局、何も変わらないのかしら…

2006年7月 3日

ジャンクフードは、午後9時過ぎ?

幼い頃に食べたジャンクフードは、
大人になってからの嗜好にも
残ってしまう。

それが事実。
私も、そうだもん。

うちの母親は、私ら子どもに、
よくジャンクフードを与えていました。
お菓子、スナック、スィーツ?…

だから、自分の長女を育てる時には、
そこらへんに気をつけた記憶がある。
たしか、3歳くらいまでは、
あまりお菓子類を食べさせなかった。

しかし、それ以降は、解禁。
それでも、長女には、
ジャンクフード嗜好は残っていない。

問題は、次女。
いわゆる年子だから、
長女が解禁になった頃には、
嗜好が身についてしまう年齢。

今週、遠足がある次女は、
持っていくお菓子のことばかり考えて、
ニヤニヤしています。

イギリスでは、ジャンクフードのCMは、
午後9時前は、禁止だとか…

アメリカと同様、イギリスも、
子どもの肥満が問題になっているようです。

だから、子どもが起きている時間帯のCMを
やめようっていうのでしょう。
けれど、考えてみれば、
ジャンクフードのCMを午後9時過ぎに流して、
どんなターゲット層に向けることが出来るんだろう…

やっぱり、アニメとか、ゴールデンタイムの時間に
やらないと、意味ないでしょう。売り手としては。

ただ、テレビCMがどうしてもダメとなれば、
別の広告手段を考えるんでしょう。

ジャンクフードって、ある意味、麻薬性があるから、
CMにかけるコストと同じくらい、
無料試供品をばらまいても、それなりに効果があるかも。
本当に、やみつきになる味とかだったりすれば…

私自身は、けっこう引っかかってしまいますよ、多分。

ちなみに、私が好きなジャンクフードは、
ポテトチップス、ポリピー、いかの姿フライ、です。
昔から、あるやつだすな。

2006年5月 4日

お花見

こちらの桜は、ちょうど満開です。

よくもまあ、
このゴールデン・ウィークに合わせて、
咲いてくれるものです。

ちょっと近くの角館という街には、
このゴールデン・ウィーク期間に
120万人もの観光客が見込まれているようです。

人、人、人…
人を見るだけで疲れてしまいそうで、
この時期には、行ったことがありません。

で、同じ満開なのだから、
ということで、近場でお花見となりました。

穴場をよく知っている知人の案内で、
決められたスポットは、高台にある小さな公園。
みごと、きれいに満開でした。
そして、高台であるゆえに、
眼下の景色も、100万ドルまでにはいかないけれど、
それなりに、よく見える。

桜の花びらが散る木の下で、
これまた別の知人(仕出屋さん)に
注文したお弁当を、みんなで食べました。

リーズナブルな値段で、おいしいお弁当でした。

子供たちは、ブランコ、すべり台、その他の遊具で、
思いっきり遊び、大人は、あれこれおしゃべり。

いいですね、春。
人並みを見るストレスからも解放されて、
のんびりと春の空気を味わった1日でした。

今日も、快晴。
海に行きたい気持ちもあるけれど、
ちょっと肌寒そうで、また、
のんびり過ごすつもりです。

2006年4月21日

すりガラスの向こうで…

中国からの黄砂で、
クルマが汚れたと思っていたら、
スタッドレスタイヤはもう外したのに、

昨日の午後は、
雪、雪、雪…でした。

ビックリ〜〜〜。

すりガラスの向こうに見える風景が、
なにやら、白っぽいなぁと思ってみて、
窓を開けてみたら、白かったもんねぇ。

この雪は、絶対に黄砂のせいだ!
なんて気象学も知らない私は、
勝手に思い込んだのでした。

分からないことって、
いろいろと想像できるもんな。

空気中の黄砂が、
近くの水蒸気とくっついて、
少しずつ大きな水滴となって重くなり…、

そして落ちてくる時に冷気にふれて
雪になったんだろうなぁ…みたいな想像です。

テレビでは、昨日の雪は、
「冬と春のケンカ」なんて
うまい表現をしていました。

私が仕事に精を出しているうちに、
すりガラスの向こうの外では、
そんなケンカがあったんでしょうね。
それも、いきなり殴りかかられたみたいな。

雪を見るまでは、
そんなに寒い気がしませんでしたけど、
雪を見たとたんに、
なんか寒さを感じだしました。

「ああ、明日も、こんな天候だったら
 どうしよう〜」みたいな。

冬って、天候って、
気を滅入らせるパワーが
やっぱりあるんですね。

大人の場合は、
実用的に「面倒くさい」という気持ちが
もたげてくるから、その変化というものを
楽しめないんでしょう。

午前11時を回った今、
昨日の雪はもう消えています。

ああ、えがった、えがった。

でも、こんな天候に戻ってしまって、
桜はいつ咲くことが出来るんだろう…

2006年4月20日

目がいくところ

歩いているときに、
特に考えていることがない限り、
脳がフリーになっている状態ならば、

すれ違う人が
強調しようとしているところ、または、
不自然に隠そうとしているところに、
目がいってしまう。

胸を強調していれば、
そこに目がいくだろうし、
足であればそこ、顔であればそこ、
アクセサリーとかであればそこ…

顔を隠そうとして、
妙に顔に髪がかかっていれば、
やっぱり、そこに目がいく。

計算されている「強調」には、
心が自然に動かされてしまうことが多い。

しかし、強調はされているんだけど、
心が動かされない場合もある。
あるいは、動かされた後に、
見てしまって後悔するものも…

ちまたに氾濫している広告なんかは、
その一例だろうなぁ。

もちろん強調はされているんだけど、
似たような広告ばかりで、
目にとまらない。

それ単品を見ようとして見れば、
たしかにきれいだったり、
心打つものがあるけれど、
集団の中に埋もれてしまうと、
どうも「変わったところ」がない。

それでも、
違いを出さなければ、
注目されない時代。

「それ、変だよ」と言われながら、
時にはハズレたり、すべったりしながら、
新しいことをしていかないと、
目をとめてもらうことはなかなか難しい。

もちろん、目をとめてもらったものの、
「やっぱり、変だよ」と言われ続けて、
思ったほどの効果も出せないものもあるでしょうね。

広告に限らず、
自分のビジュアル・チェンジでも…
目をとめてもらうには、
人とは違った努力が必要なんですね。

同じ努力じゃ、絶対にダメ。

2006年4月18日

フレンチトースト

思いつきで、時おり、
台所に立つ私ですが、
先日は、朝起きて、本を読んでいるうちに、
ふと、フレンチトーストを作りたくなりました。

そこで、早速、
インターネットでレシピ探し。

どれもこれも同じだろうと思って、
いろいろなレシピを見たのですが、
けっこう違うんですね。

ハチミツを入れたり、
生クリームを入れたり、
フライパンでなく、
オーブンで焼いたり…と。

私が目指すフレンチトーストは、
シンプルなやつでしたから、
こういうやつを選びました。

卵1個、
牛乳100cc、
砂糖50g、
バニラエッセンス少量。

8枚切の食パン4枚を、
ちょうどよく浸せるだけの分量でした。

あとは、フライパンに、
マーガリンを敷き、
2枚ずつ載せて、
少し焼き色がつくまで焼くだけ。

甘〜い香りが、
台所にただよって、
まだ朝食を食べていなかった長女も、
食べたいとリクエスト。
朝食を食べた次女も、
食欲をそそられてリクエスト。

私は、2枚だけ食べることになりました。

肝心のお味は、グッド!!

そのまま食べられる甘さでした。
シロップも、ハチミツもかける必要なし…

また、作ってみたい一品になりました。