悲しめない
もっていたかで、
別れの悲しみが深かったり、
そうでもなかったりするもんで、
自分では、
すごく悲しいけれど、
相手は、
そうでもない、ということもある。
逆に、相手は、
なんだかとても悲しんでいるようだけど、
自分は、
さっぱり、ということもある。
その悲しみのバランスがとれないと、
その人間関係は、きっと、ぎこちなくなる。
思いっきり悲しみたい、
という時に、なにかしら、
人間関係の壁で、
悲しみの情報が少なかったり、
(なぜ、いつ死んだか、どうして別れるのか、みたいな...)
かなりの時間が経ってからそれが分かったりすると、
中途半端な悲しみになってしまうことを感じる。
悲しみには、情報が必要なんだな、
と最近の経験で分かった。
たとえば、親が離婚するために、
ここを離れていかなければいけない、
という理由も、一つの情報。
自殺して亡くなった、
というのも、一つの情報。
これこれの病気で亡くなった、
というのも、また1つ。
自己破産してしまって、
家を出て行かなければいけなくなった、
というのも、それ。
しかし、そういう情報を、
他人に伝えるのは、
必ずしも快いものじゃないので、
(むしろ、心苦しい、もしくはイヤなことが多い)
伝わらないことも、多々出てくる。
すると、人々は、想像をして、
悲しむよりも、想像に心が向かってしまう。
本来であれば、
悲しむべき出来事が、
想像で盛り上がったりもする。
ここらへんは、難しい。
情報があれば、悲しめることが、
それがないばかりに、悲しめない。
悲しみ、というのも、
情報に左右されるんだな、って
改めて思いました。











