since 2001-12-24
いい言葉ねっと いい言葉で、人は癒される。いい言葉で、人は生かされる。いい言葉で、人は動かされる。
  いいコトバ

■読めばたちまちハッピーになるいいコトバ
「いい言葉ねっと」から生まれた本。第5刷目に入りました。 »詳細 »Amazonにて購入

メインメニュー

いい言葉メニュー

過去の特集メニュー

スポンサード・リンク

関連リンク

サイト内全文検索

Syndicate(XML)

QRコード

Powered by
Movable Type 4.1

« 07.家族・子育て | メイン | 09.Shu!・食べる »

2008年12月30日

ずるい生き方

生き方には、
いろいろとあるんだなぁ、
と思う。

そして、
ある人から見れば、
ずるいと思われる生き方にこそ、

人間の知恵が、
たくさん詰まっていたりする。

自分の本当の姿を見せて、
嫌われる人がいて、

それとほぼ似たような姿なのに、
自分の本当の姿を見せて、
なぜか好かれる人もいる。

嫌われる人からすれば、
姿とは別の性格とか、個性で
好かれているように見えるから、

「あの人はずるい」

なんて思うことになるだろう。

一方、
自分のウソの姿を見せて、
嫌われる人がいるけれど、

同じような自分のウソの姿を見せて、
なぜか好かれる人もいるもんです。

やっぱり、
もっと汚い手を使っているんだ、
みたいに思われて、ずるい、
と言われたりするもの。

真っ当な生き方をしようが、
ちょっと曲がった生き方をしようが、
人は、ずるい、と言われる可能性がなくなることはない。

ずるい、ということは、
間違っているとか、
不正なことをしたとか、
抜けがけしたとか、
そういうことに限らず、

「うらやましい」の代わりに、
使われることも多いからでしょう。

相手にはあって、
自分にはないから、ずるい。

相手が勝って、
自分が負けたから、ずるい。

不正なことをしたか、どうかが、
本当に訴えたいポイントではない。

自分に出来ないことをしているのが、
うらやましいから、ずるい、と言いたくなるのだ。

ただ、本当に「ずるい」ことを企てて、
やっている人は、自分のずるさに、
いつか負けてしまうことも事実。

なぜか、ずるさっていうのは、
使い分けているうちに、
ほとんどと言っていいほど、
裏目に出てしまうことがありますからね。

これ、間違いないと思います。

2008年12月12日

コーチのもがき

金メダルの重みというものが
すごく感じられる会見だった。

2004アテネ・オリンピックにて
女子800m自由形の金メダリスト柴田亜衣選手(26)が、
引退を発表した。

自分が強くなる、速くなる、
という目標のもとにがんばっている選手本人、
そのすぐ近くにいて、
いっしょにもがき苦しむだろうコーチ。

その苦しみも、引退というカタチで、
一区切りを迎える。

この柴田選手が、この後の人生でいつか、
金メダリストを育てようとした時には、
コーチという立場で、同じように、
もがき苦しむときが来るんだろうなぁ、
と想像しました。

メダルをねらっている人々は、
全世界どこでも、コーチなども含めて、
もがいている、苦しんでいる。

そんな光景が思い浮かびました。

自分だけ苦しんでいると思えば、
優越感を感じたり、油断につながることも
あるかもしれない。

けれど、みんなが
もがいていると思えば、
油断なんかしていられない。

逆に、そんなことを考えている時に、
自分がケガをしたり、不調だったりすると、
きっと、焦ることになるだろうと思う。

いずれにしろ、もがき苦しむ。

本人じゃなくても、そうなる。

今の世の中、子供ももがいている。
それを見ている、育てている親も、
もがいている。

それが、カッコ悪いことなんかじゃない。
それをカッコ悪いと思えば、そこで終わる。

人生は、もがくもの。

そう思っていたほうがいい。
時々、カッコよく決まったら、
喜べばいいだろうし...

わたしも、まだまだ、
もがきます。

2008年12月 8日

このまま、という選択

人は悪くないし、
欲も深くないし、
たいして悪いことを
しているわけでもない人が、

なぜかしら、
問題にぶちあたることが多いなぁ、
と思って見ていたら、
ちょっとした法則を発見した。

それが、このままでいい、
という選択。

このままでいい、
ということを、どうやら、
世の中は、許してくれないようだ。

このまま、という選択をした瞬間から、
問題にぶち当たる運命を選んでいるようなもの。

それは、進歩しようとか、
変わっていこうとか思っている人よりも、
その気がない分、問題にぶち当たった時の
「騒ぎ」が大きくなる。

つまり、こんなことを言うわけだ。

何にもしていないのに...

たしかに、普通であれば、
何にもしていない、
ちょっかいを出していなければ、
問題に巻き込まれることはないような気がする。

目立たないように、
たたずんでいれば、
問題に気づかれないような感じがする。

しかし、現実は、
そうじゃない。

時が流れている限り、
世の中のどこにも、
「このまま」「そのまま」
という場所は、現実にはありえないからだ。

そもそも、
生きている人間本人が、
そのままじゃないでしょ。

生きていくこと自体が、
このままじゃないのだ。

何かを食べて生きる、
何かを出して生きる。

単純なそういう生理的システムさえ、
体の変化を生んでいる。

人間には、このままでいい、
なんて選択は許されていない。

そういう結論に至った。

あきらめて、
変わり続けていこう、
と思います。何歳になっても。

2008年12月 5日

もう分かった?

ああ、そうか、そうか、
もう分かったよ、それは。

と思う瞬間があります。

私にも、何度も何度もありました。

時には、同じようなことについて、
何度も、そう思うんです。

もう分かった、と。

それを何度も?

ん?

つまり、分かっていないことじゃないか?

分かっていないということを
認めると、なんとなく、
自分の能力のなさに
情けなく感じたりもしましたが、

最近、それは違うかもな、
と気づきました。

そもそも、
分かったなんて思えるもの
じゃない、と。

分かったなんて思うのは、
こっちの幻想であって、
分かられるようなものじゃないんです。

たとえば、
これからのアメリカの景気、
日本の景気だって、
どうなるか、分からない。

こんなふうになることは分かっている、
という人がいて、
いや、その反対だ、という人もいる。

それも、後になって、
ほら、私の言ったとおりだろ、
と言える人が出てきたとしても、
その人の予測がいつも当たるとは限らない。

やはり、もう分かった、
なんて言えるようなことじゃないんです。

それなのに、
「もう分かった」と言ってしまう、
言い切りたくなってしまう人間が、
そうじゃない結果を見て、

「ああ、まだまだ、分かっていないんだ」
と気づく。

多分、それも、ちょっと違うわけで、
まだまだ分かっていないも何も、
分かることなんて出来ないかもしれないんですよ。

そういう心構えで、
人生を、世の中を生きていったら、
もっと自由に、気楽に生きられるような気がします。

そして、もっと、がんばったりすることも。

よく言われることですが、
人生はギャンブル、

ちょっと意味は変わりますが、
人生はカオス(混沌)、

そんな感じであった方が、
誰にでもチャンスがありそうで、
なんか嬉しく感じちゃうことも発見しました。

今日も、分からないことに向けて、
がんばるぞ。

2008年12月 2日

生きてる孝行

今の医療技術では治らない、
原因も分からない、と言われることほど、
行き詰ってしまうことはないように思います。

うちの長女は、
難病ではありませんが、
原因の分からない症状があります。

今後何の問題もなければ、
わたしが心配しているだけの話だった、
ということになりますが...※強皮症
(そう願っています。)

数日前に、
長女の同級生だった女の子が、
亡くなったという話を聞いた。

元々、病弱だったように見えた女の子。
保育園のときなどはまだ元気な姿も
見えたりしたが、だんだん、
そういう姿を見ることも少なくなっていった。

妻が以前聞いた話によると、
難病だったとのことです。

難病と指定されているものに、
わが子がなっていることを思うのは、
かなり苦しいことなはずです。

そうであるかそうじゃないかを
心配している私でさえも、
ふと思い出しては、
心配になっているくらいですから。

その苦しみは、
わたしの想像を超えるでしょうね。

思い通りにやってくれない姿を
時々見ると、娘らにはイライラしますが、

思い通りも何もできない姿を見ている親に比べたら、
わたしのイライラは、かなりぜいたくでしょう。

生きているだけで、丸儲け。

という言葉がありますが、

生きているだけで、親孝行。

って思わなければいけないかもしれませんね。

自分についても、そうですね。

生きるっていうのは、決して、
当たり前のことじゃないんですよ。

忘れがちなことです。

2008年12月 1日

逃げられるかもしれない瞬間

知人が、クルマにひかれて、
重傷を負ってしまった。

初雪の日、
歩いていた知人に気づかず、
クルマがぶつかってきた。

クルマのタイヤが、
自分の足の上を走り、
車体が自分の目の前を
通りすぎていった瞬間は、
なんとも言えない恐怖だった、とのこと。

話を聞いただけでも、
ちょっと身震いをした。

そんな状況でも、
クルマの行く先をしっかりと見て、

「あ、行ってしまうかなぁ...」

と考えたらしい。

幸い、クルマは、
5mくらい進んでから停止した。

運転手は、
その知人の、知人だった。

ちまたのニュースでは、
人をひいてしまったショックで、
逃げてしまう事件が多発している様子。

逃げるどころか、
引きずってしまうという話も
少なくないから、その知人は、
救われた方なんだろう。

ただ、事故を起こしてしまった側は、
相当なショックらしく、お見舞いに来るのは、
その人の姑さんで、家庭での様子を聞くと、
放心状態に近いらしい。

逃げたとしても、
いつバレるだろうか、
という不安が止まらないだろうし、

逃げなかったとしても、
大きなことをしでかしてしまった、
という後悔ばかりが募ってくる。

クルマの事故、っていうのは、
やはり苦しいものなんだ、
と感じさせられた。

運転がそれほど上手でない私だけに、
注意しなくちゃいけないな、と思わされる。

クルマという乗り物は、
自分の手足の延長線にあるもののようで、
本当は、自分でコントロールできるものでもない。

人が人にぶつかったくらいの衝撃では済まされない。
運転しているのは人であっても、
ぶつかっていくのは、カターイ「モノ」だ。

便利だから、それを使っているのだけれど、
そういう事故が起きるのを耳にすれば、
そんなものを人間が運転していいのだろうか、
なんていう気さえしてくる。

ホントに、注意しなくちゃいけないな。

逃げたいようなことが起こらないためにも。

2008年11月21日

歩くブーツ

雪が降ってきたために、
靴やシューズでは、
外を歩くのがたいへんに
なってきました。

娘らは、自転車でなく、
歩いて学校に行く必要があるから、
なおさらです。

妻が、長女に気遣って、
オシャレなブーツをいっしょに選んで
準備をしていたわけですが、

昨日初めて履いて学校に行ったところ、
ヒールが高すぎて、4kmの距離を歩くには
向いていないことが判明しました。

そういうオシャレに関して
あんまり面倒くさくない性格の次女は、
危うく遅刻しそうになった、ということで、
急遽、実用性のあるブーツが必要に...

オシャレすぎるブーツは、
歩くには向いてない場合も
あるんですね。

それでも、街を歩く女性たちは、
必死に、そのブーツを履いて歩いていたりするから、
ホント、お疲れさまです、と思いました。

話によると、足を痛めるばかりでなく、
肩がこったり、水虫になったり、
苦労の耐えない人もいるとか。

オシャレというものは、
犠牲を払わなければいけないことなんですね。

今朝は、雪が積もっていないので、
家にあった、無難なブーツを履いて、
学校に向かった娘たち。

「おまえらに、オシャレは5年早い」
と思った私でした。

2008年11月15日

ちょうどいいところ

「ちょうどいいところで、
 切り上げていいから」

と言われて、
仕事を切り上げるのは、
よくあることかもしれません。

いっしょのチームで、
同じ目的、目標でがんばっている時であれば、
その「ちょうどいいところ」は、
一致していることが多いでしょう。

しかし、場合によっては、
自分がうまくいって
「ちょうどいい」と思ったところは、

別の人にとっては、
まだうまくいっていない
「中途半端」なところかもしれない。

すると、その人は、
こんなことを言ってくる可能性がある。

「ごめん、もう少しやらせてくれる。
 そうすれば、ちょうどいいから。」

そこで、待ってみたり、
付き合ってみたりする。

それが長くなると、しょうがない、
自分ももう少し進ませてみようか、
なんて思ったりもする。

そして、手がけ始めたと思ったら、

「ああ、終わった。
 ちょうどいいから、終わろ!」

なんて言われたりする。

え~!
ちょっと、今、タイミング悪いよ。

と素直に言えればいいのだけれど、
相手に合わせて、中途半端なまま、
切り上げると、なんとなく、スッキリしない。

そんなこと、ありませんか?

自分のこだわりを何もかも捨ててしまえば、
そんな「ちょうどいいところ」なんて
どこでもいいことになるんでしょうけど...

スッキリしたい気持ちは、
どうしようもないところもありますからね。

自分ひとりでスッキリできることなら、
何も問題ないのでしょうが、
世の中は、そんなことばかりじゃない。

ああ、スッキリしたい!

最近の、ちょっとした願望です。

2008年10月27日

まずホメる

上手にホメる、
というのは、
意外と難しい。

ホメるポイントがズレると、
わざとくささを感じさせる。

めったにホメることがない私のような人間だと、
下心があるような勘ぐりをされたりもする。

けれども、
自分にとっては、
当たり前とかたいしたことじゃないことでも、
相手の人が本気で感心していて、
ホメているなぁ、っていうのが分かると、
やっぱり嬉しくなる。

同じポイントで、
自分を見慣れている人が
ホメてくる時には、
そんなに感動しなかったりする。

ずーっと見てくれているなら、
もっと違うところに気づいて、
ホメてちょうだいよ、という感じだろう。

「もっと、ホメてよ!」

本心はそう思っていても、
まさか、ホメるポイントまで指定して、
おねだりは出来ない。

ホメるということも大事だけれど、
ホメるポイントは、もっと大切かもしれないなぁ。

ホメられて嬉しくて、

「よくそう言われるんです。」

と相手が言いたくなるような「ホメ方」っていうのは、
2通りあるように思います。

1つは、ホントに、
いつもそうホメられていること。

もう1つは、そうホメられることを待っていて、
それがヒットした時に言っていること。

人間は、みんな、ホメられたい。
ホメて、ホメられて、持ちつ、持たれつ。

お互いに、ホメあって生きていけたら、
どんなに幸せだろうか。(笑)

2008年10月17日

こんにゃくゼリーとモチ

こんにゃくゼリーの製造中止を
決断したマンナンライフ社には、
応援と同情の声が多いようだ。

うちの妻も、その一人で、
こんにゃくゼリーが好きな娘らのために、
「わたしも、署名運動に参加しようかな」と。

そういう騒ぎになる前から、
製造中止のニュースが出た瞬間に、

「えーっ!」

と言っていたくらいだから、
世論がそういう方向に向いているとなれば、
参加したくもなるだろう。

従業員は70人くらいしかいない会社らしい。

こんにゃくゼリーをのどに詰まらせて
死亡した人がいるのは事実であることから、

「こんにゃくゼリー」「死亡」
というキーワードだけは消えないことになる。

しかし、こんにゃくゼリーが、
本当に悪者か。

という議論になると、
のどに引っかかりやすいもので言えば、
「モチ」というものもある。

当たり前のことだが、
モチが引っかかって死んだからと言って、
モチをつくった人に製造中止を求めたり、
賠償責任を負わせたりすることはない。

そもそも、自家製のモチの場合だってあるから、
作り方次第では、こんにゃくゼリーよりも、
のどにへばりついたり、からまったりして、
危険度大の可能性はありうる。

2006年中に食品を原因とする窒息で
救命救急センターなどに搬送された事例は、
モチの168例が最多で、
「カップ入りゼリー」は11例だけだそうだ。

わたしも、こんにゃくゼリーが好きだけど、
事故の事実も軽視できず、
むずかしい問題だなぁと思う次第です。

2008年10月14日

じゃまがない

邪魔するものを
1つ1つ取り除いていく、
っていう作業は、
けっこう面白い。

完璧主義の人にとっては、
少しずつ理想に近づいていく様子が、
かなり快感に思えるだろう。

でも、実際のところ、
邪魔を1つ1つ取り除いていっても、
何もかも、邪魔がなくなる、
っていうことはめったにないと思う。

それに、邪魔がなくなる、
っていうことは、
本当に望ましいことか、
と考えれば、そうでもないんじゃないかな、
という気がする。

何かをするのに
「じゃまするものがない」
という状態は、
実はあんまりいいことが
ないんだよなぁ。
(ほぼ日、糸井重里)

この言葉を、どれだけ早く、
自分で自覚できるか、っていうこと。

たとえば、親が、
自分の子供にとって邪魔になると思えるものを
ぜんぶ取り除いていったら、
その子供は、間違いなく、学べない。
自覚できない。

自分にとって必要な「邪魔もの」を、
ただ、邪魔なものとしか思えなくなる。

「邪魔もの」があることによって、
自分がどんだけ成長できるか、
っていうことに気づかないで
大人になってしまう。

私を成長させてくれたのは、
たしかに、応援してくれたものもあるけど、
邪魔ものも影響力大なんだよね。

邪魔は必要なんだな、やっぱり。
うーん、ガマンして成長しよう。

2008年10月10日

気遣い娘と、耳の遠い親

わが家のことながら、
妻と、その父親の会話を
聞いていると、ホントにイライラしてくる。

まず、気遣い娘の妻は、
たいして大切でないことでも、
隅から隅まで話そうとする。

すると、必ず、

「あ?」

と聞き返す父親。

それをさらに教えようとすると、
また、父親が聞こえなくなり、
(分からなくなり?)

「あ?」

と聞き返してくる。

「あ?」



「だからぁ~」

の繰り返しの会話。

妻がもっとシンプルに、
枝葉を切り取っちゃって、
話せばいいものをと思いながら、
二人の会話を聞いている。

というか、聞きたくなくても、
二人で大声で叫んでいるから、
耳に入ってくる。

改善しなくちゃいけないのは、
間違いなく、娘の方だと思う。

気遣いすぎて、ていねいに話しているつもりが、
理解と忍耐を超える言葉数と内容に
なってしまっているのだ。

それに気づけない、
気づいても直せない「気遣い性格」。

話し終わると、
「耳が聞こえなくて困ったよ。」
とボヤいてくる妻だが、

「おまえが悪いんだよ。
 アメリカ人だと思って話したほうがいいよ。
 ズバっと結論。そして、理由。
 でなきゃ、耐えれないって。」

なんて教える毎日だけど、
いっこうに改善されず、
大声の会話は、
これからも毎日のように
続くんだろうなぁ...

はぁ~っ。

2008年10月 8日

知らないという勇気

「あの方は、たしかに名医かもしれませんが、
 本当は、外科の先生ですからね。」

次女の顔にできた「湿疹」が、
なかなか治らないために、
いつもの小児科へ妻が連れて行った。

その小児科へ行く5日前ほどに、
気になってきたので、妻が、
皮膚科もやっている個人医院へ連れて行った。

皮膚科へ行くことなんて、
めったにないもんだから、
総合病院に行くことしか思いつかず、
そこまでのことでないだろう、と面倒くさがったのが、
かえって、面倒くさいことになってしまった。

私も、子どもたちが小さい頃に、
紹介されて行ったことのある皮膚科を
思い出せればよかったのだが...

その時には、私も軽く考えていたのだろう。
せいぜい、いつもの小児科へ行くことしか思い浮かばず、
妻が、小児科よりだったら、皮膚科に行った方がいいよ、
という言葉に、納得してしまった。

心の中には、
そこの医院で大丈夫かな、
という心配はあったが...

「湿疹」という判断をされ、
薬などももらってきたことで、
ちょっと安心していた。

しかし、1日、2日、3日と経っても、
まったく良くなりそうもない。

おまけに、その先生は、
薬を14日分も渡してくれているから、
長くかかるものだと思い込むことになっていた。

それにしても、治る気配がない。

たまりかねて、昨日、
小児科へ行ってこい、と妻に言う。

そしたら、冒頭の言葉。

「あの方は、たしかに名医かもしれませんが、
 本当は、外科の先生ですからね。」

さらに、

「私の専門外で、よく知らない部分もありますから、
 私の判断で大丈夫かということもあるので、
 信頼のできる皮膚科の先生を紹介します。」

と言われて、別の皮膚科へ行くことになったらしい。

診断の結果:とびひ。

まったく違う病気だ。
お医者さんのせいばかりにも出来ないが、
今回は、勉強になった。

知らないことは「知らない」と言える人ほど、
自分の経験だけに頼って「知ってる」振りをする人より、
信頼できる。

きっと、最初は、ちょっとした傷口だったところに、
次女が、汚れた手で菌をつけてしまったんだろう。
自業自得な面もあるけれど、必要な処置を始めるまで、
時間がかかってしまい、ちょっとかわいそうな目にあうことになった。
親子ともども、いい勉強になったわけだな。

2008年9月29日

ティッシュの季節

あんまりにも鼻水が出て、
ちょっとめんどくさいなぁ、
と思いながら、

去年の日記をひもといてみると、
やっぱり、同じようなことを感じて、
それを書いているページがある。

見てみれば、
日付は、10月14日。

今年は、2週間ばかり早いんだな...

残暑のおかげで、なんとなく、
長い夏を経験していたような気分だったけれど、
あっという間に、寒くなった感じだ。

しかし、今週は、
また暖かくなってくれる、
という天気予報らしく、
ちょっとは期待している。

とは言っても、やっぱり秋。
朝昼の寒暖の差が激しくて、
ティッシュが欠かせない日々になるかもな。

原油高のせいで、
ティッシュの値段も以前より高いまま。
ちょっとは節約して使おうなんて
思う時もあります。

でも、止まらない鼻水にはかなわず、
ティッシュを引き出しては、
鼻をかみかみ、午前中を過ごしています。

鼻水だけならまだしも、
ツバを飲み込んだ時に感じる、
鼻の奥のツーンとした痛みというか刺激というか、
あれも、イヤなんですよね。

みなさんも、ありません?

夜中なんかには、特に敏感になって、
眠りを妨げられもします。

鼻炎スプレーなんかをやって、
しのぐわけなんですが、
そのスプレーの効き始めが、
また刺激が強くて、ツライ...

うーん、この季節。
あと2週間くらい続くかもしれませんが、
なんとか、乗り越えたいものです。

ファイトだぁ!

2008年9月11日

エアロビクス

ちょっと太めの女の子を見ると、
なんとか、やせさせてみたいものだ、
と思うことがあります。

エアロビクスなんかどうだろう...
なんて、大きなお世話を考えていたりする。

わたし自身も、5年前ほどに、
エアロビクスをしたことがあるので、
あのビートに乗って、
全身を動かすことの爽快感は、
やっぱり、度々思い出される。

その爽快感を味わって、
やせさせたいなんて、
思っちゃうんですよ。

ホント、大きなお世話です。

見ず知らずの人間に、
そんなことを考えられているなんて
思いもよらないでしょうから、
その太めの女の子の気分を
害することもないわけですが...

なんか、本気で自分がやりたくなって、
今は、どんなダンス・ミュージックが
あるんだろう?

なんて、早速、
インターネットで検索してみました。

いろんなCDがあるんですね。

検索するのに、
ハマってしまいました。

インストラクターの方たちが選んだっていう、
インストラクターズチョイス2008
なんていうCDが売っていたりするんですね。

なつかしの映画「フラッシュ・ダンス」の曲なんかも
入っている。ちょっと、体を動かしたくなります。

お手頃なのはないかなぁ、と言えば、

エアロビート~ダンス・ポップ・ヴァージョン
というのがあったりもする。

うーん、早速、欲しくなったりする自分が、
おかしくもありますが、昔やったステップを
忘れているんじゃないか、という心配もあって、

なにかいい本はないか、と探してみれば、

DVDでレッスン!はじめてのエアロビクス
なんていうお手頃な本もある。

世の中、探せば、
ホントに何でもすぐに見つかるなぁ、
っていう気がします。

さあ、あとはやるだけ。
いつ、やるんだ?

2008年9月 3日

動かしたい

体型が影響してくる性格。

必ずしも、というわけではないが、
なかなか動きたくなくなる体型の方は、
やっぱり、性格も、おっくうな面が出てくる。

もちろん、その半面、
他人を動かすことに対しては、
かなりせっかちだったりもするが...

目の前にある食べ物とか、
おいしそうな料理が出てくると、
その動きは、素早い。

しかし、何かを言いつけられたり、
何かを頼まれたりした時には、
動く魅力が半減して、
ほとんどといっていいほど、
ノラリクラリと動き始める。

待たされている方は、
イライラ。

なんとかして、素早く動かしたい。
けれど、この体型をなんとかしないことには、
本人も動きづらいだろう、なんて考え出す。

いっしょにダイエットに協力してやろうか、
なんて善意で思う人もいるかもしれない。

しかし、本人がやる気のないところへ、
他人が思いついたダイエットなんて、
成功するわけがないのだ。

医者とか施設にでも入って、
専門的な治療や対応でもされるならまだしも、
ほんのちょっとの間しか顔をあわせない人に、

他人のダイエットを完遂させる力など
あるわけがない。

ということは分かっていても、
なんとか動かしたい。
どうすればいいんだろう...
なんて考え出す。

考えるだけ、ムダムダ。
本人がその気にならない限り、
絶対に無理なんだよ。

って思いなおしながらも、
あきらめきれない。

この人の動きさえ良くなれば、
わたしも楽になるのに...

そう思うような相手、
いませんか?

2008年8月19日

集めるより捨てる

いろんなものを集めて、
とはいっても、

他の人に比べれば、
そんなに多くのものを
集めているわけじゃない私だけれど、

それでも、いろんなものが
集まっていることを感じる。

見えるものに限らず、
見えないものも。

集めたものが、
みんなみんな感情をもっているとは限らないけど、
必ず、付き合う時間が求められる。

それについて考えたり、
それを整理したり、
それを捨てようかどうか悩んだり。

1つ捨てれば、
そこにポッカリ空いたところに、
何かまた埋めたくなるのが人間。

知らず知らずのうちに、
また、別のものを集めちゃっている。

悩みの種は尽きない。

集めれば集めるほど、
豊かになるような気がするけど、
付き合う能力がアップしていかない人は、

集めれば集めるほど、
苦しくなっていたりする。

捨てれなければいけない。

それも、大切でないものを、
ちゃんと判断して捨てる能力が必要。

一番いいのは、大切でないものは、
最初から集めない、っていう方法だけれど、
そんなことは最初から分からないのが普通だ。

人は、集めてみないと分からない。

集めて捨てて、集めて捨てて、
なんてことをくり返していたら、
この世の中はゴミだらけになっちゃう。

でも、考えてみれば、人の体そのものに
必然的にゴミを出す(排泄する)システムが
あるんだから、それは当たり前のことなんだろう。

捨てる技術が必要な時代だなぁ、
っていう気がする。

そして、出来れば、地球のことを考えて、
次の使い道にうまく回す方法もあったらいい。

所有しているものが、かなり少ない私でも、
捨てるものはいっぱいあるなぁ、って思うこの頃です。

2008年7月13日

スイッチ間違い

わたしの朝の当番は、
お米を洗いなおして、
炊飯ジャーのスイッチを入れること。

わが家での当番です。

多分、2回目のミスを、
今朝してしまった。

おそらく、わたし以外でも、
ご経験された方はいらっしゃるだろう。

炊飯ジャーの炊飯スイッチでなく、
保温スイッチを入れてしまう失敗です。

そうなると、お米はどうなるか。

まず、炊飯ジャーを開けると、
おかゆっぽい状態のご飯が見えます。

ああ、失敗した...
と気づきます。

で、食感とかが、おかゆみたいな感じなら、
まだ救いがあるのです。

ところが、そうはいかない。

ご飯っていうのは、
熱い温度でないと炊けないんだな、
っていうのを実感することになります。

どう表現したらいいんでしょう?

方言になるのかな。
メタメタしたご飯、
お米の粒に、じわじわと周辺から
お湯が沁み込んでいったような感じのご飯。

モサモサしたような食感、
それでいて、中心部分には固さが残っていたりする。

ハッキリ言って、食べられるもんじゃないです。

この上なく飢えていれば、
話は別かもしれませんが...

サイトで検索してみると、
おかゆ状態にして食べたり、
次に炊飯する時に、少しずつ混ぜ合わせて食べたり、
という工夫をしてがんばる人もいるようです。

それでも、最終的には、

耐えられない!

となるらしい。

ちょっとスイッチを押し間違えるだけで、
こんなことになります。

もっと大変なことが起きるスイッチも、
世の中にはあるでしょうから、
そんなスイッチが間違って押されることのないよう、
祈るばかりです。

2008年7月 7日

一文字

文字1つがつくか、つかないかで、
話がまったく違ってくることは多い。

たとえば、病気とかだと、
その違いには、
ナーバスにならざるをえない。

「うつだー!」

っていう落ち込み状態と、

「うつ病だー!」

っていう病気状態では、大きく違う。
一方は、ひどくなれば、
自殺の心配とかありますからね。

「ちょー、はげしー!」

っていう感嘆文と、

「ちょー、ハゲー!」

じゃ、その場で振り向く人の表情も、
まったく違うだろうしね。

言葉は、シンボルでしか
ありませんが、

それから受ける印象、イメージには、
人それぞれの重みがあって、
すんごい意味があったりするので、
微妙な存在なんですね。

ハも、ゲも、ウも、ツも、
たった一文字で、
たいした重みもないけど、

ヂ!

っていう一文字を聞くだけで、
お尻が痛くなる人もいるだろうし。

一文字の力って、
すんごいなぁ...と思うわけです。

だから、言葉を使うときには、
ちょっと気にかけることも増えてきます。
(とは言っても、かなり未熟ですが...)

最近、ちょっと気にしているのは、
パニックるという言葉です。

うちの長女は、けっこう簡単に、
パニックることが多いです。

けれど、「パニック障害」という病気もあって、
突如として、動悸が激しくなったり、息苦しくなったり、
めまい、冷や汗、震え、呼吸困難などに至る人も
いますからね。

パニックって、
頭が真っ白になるのとは、
話の次元が違うわけです。

もっと高度なパニックというか、
自分だけの問題でなく、
周辺をも不安がらせてしまう問題にもなる。

間違っても、

パニック障害だー!

なんて言っちゃいけませんね。
まったく別物のようですから。

2008年7月 5日

時間の長い戦い

今晩の10:05からは、
女子テニスの決勝が行われる
ウィンブルドン2008。

シャラポワなどの美人どころが、
すべて破れていて、
視聴率などはどんなものか、
と思うところだが、

わたし自身は、録画をして、
しっかりと見ている。

それにしても、
試合時間が長すぎ...

きっと、得点の取り方が、
長くなるようなシステムなんだろう、と思う。

まず、1つ1つの得点ポイントは、
分かりやすくて、見ていて面白い。

スピードのあるサーブが鋭く決まったり、
反対に、サーブを2回連続で失敗(ダブル・フォルト)したり、
ラリーが続いているなかで、意表をついたコースに入ったり、
ネットに向かって走りより素早いボレーで決めたり、
プレイのシーンは様々だ。

しかし、その後が長い。

そういう1つの得点ポイントを積み重ねて、
4ポイントを取って(あるいは相手より2ポイントをリードして)、
1ゲームを勝ち取らなければいけない。
(ご存知の方も多いと思うが、実際には、
 1ポイント目を15、2ポイント目を30、3ポイント目を40と呼ぶ)

次に、そういうゲームを繰り返して、
6ゲームを取って(あるいは相手より2ゲームのリードをして)、
1セットを勝ち取らなければいけない。

そして、それを2セット、
勝ち取らなければいけないわけだ。

つまり、試合が長引く要素が2つ。
1ゲームの中で3-3(実際には40-40と呼ぶ)と競った場合と、
1セットの中で5-5と競った場合だ。

差を「2」に広げるまで、
シーソーゲームがくり返される。

テニスのルールを考えた人は、
かなり慎重な人だったと思わざるを得ない。

本当に「勝った」ということは、
難儀した上でのことなんだよ、
と教えているかのよう。

けれど、出来れば、ルールを変えて欲しいなぁ、
って思います。

卓球は、観客のことを思って、
ルールを変えたんですよね。

やはり、面白いと思えるスポーツには、
スピードが感じられる。

長々と、ダラダラとしている感じでは、
飽きられやすいことでしょう。

いや、あれがテニスの醍醐味だ、
という人も、いるでしょうけどね。

スポーツは見る側のことも思って、
変わっていかなくちゃいけない。
何事もそうかもしれないな、と感じます。

2008年7月 1日

ヘアスタイル

自分のヘアスタイルなんて、
それほど気にしていない私も、

高校生くらいの時には、
えりあしを伸ばしたりして、
今思えば、ちょっと恥ずかしい
ヘアスタイルをしていた。

昔の写真を見ると、
顔から火が出る...

天然パーマだったうえに、
寝ぐせも付きやすかったことから、
1日に何度もシャンプーしていたこともあったなぁ。

そのたびに、いろんなヘアスタイルに
セットしてみる。
なんと、暇なことをしていたもんだ。

昨日、マイカーの車検のご案内のために、
ディーラーの営業マンが、わが家をふいに訪れた。

見積書をもってきた彼。
どこかで見たことのある顔。
そうだ、近くのスーパーの店員だった人だ。

ヘアスタイルが、まったく変わっている。
坊主頭。以前は、パーマをかけていた。

2つの素朴な疑問。

なぜ、坊主頭になったのか?
なぜ、スーパーを辞めて、車の営業マンになってるのか?

この2つを掛け合わせると、
人それぞれの選択があるような気がしてきた。

実際、2度目の訪問であったことだし、
他に頼む予定もなかったので、
車検の予約を入れた。

坊主頭の印象が良かったのか。
それとも、スーパーで見慣れていた顔が良かったのか。

わたしは、髪の毛が薄くなったら、
坊主頭にしようと思っている。

少ない髪の毛を大切にするかのように、
洗う回数を減らして、地肌にベタッと
バーコード上に伸ばしているのは、
やめた方がいいと考えているから。

わたしの髪の毛は、何歳までもつかな。

2008年6月15日

大きな揺れ

昨日の8:43、
私は、娘たちの練習試合ということで、
娘二人と、その同級生二人の4人を乗せていき、
わが家から50分ばかりの中学校体育館にいました。

当初は、仕事のために、
岩手県盛岡市に向かって
列車で移動している可能性もありました。

ところが、1日がかりの練習試合をするとのことで、
その仕事の方は、ほかの方にお願いして、
練習試合への往復運転係をやったというわけです。

そして、その8:43。

まもなく、娘らの練習試合が始まろうとするところに、
その体育館の壁というか、幕というか、窓ガラスが
揺れ始めました。

最初は、列車が通る際の揺れが始まった
と思ったのですが、そこの近くには、
線路などなくあるわけでもなく、

あっという間に、ものすごい揺れとなって、
体育館の天井から、何か落ちてくるのでは、
と思うほど、ちょっと怖い状況でした。

考えてみれば、
震源地の岩手県南部に近い場所でしたからね。
震度5+だったようです。

体育館のように大きなところにいると、
天井がすべて落ちてくるかもしれない、
っていう心配が湧いてきますね。

日本で生活しているのは、
幸せなことかもしれない。

きっと、1ヶ月前の中国の四川でも、
だいたい同じレベルの地震が起きて、
日本ほど建物の造りがしっかりしていなかったから、
ああいう大惨事になったんだろうなぁ、
って想像が膨らんできました。

大きな揺れが続いているなか、
ステージの上で監督会議を行っていた先生たちが、
卓球台の下に隠れろ、という指示を出したので、
みんな従いました。

私も、すみっこに入りました。

ちょうど、わが家には、
その盛岡でお会いする予定だった方から、
電話が入っていたらしく、

「もう、家を出られましたか?」
という安否の質問。

「今日は、ほかの方にお任せして、
 別件で出かけています。」
と返事をした妻。

「それは、良かったかもしれませんね。
 こちらは、新幹線で足止めされてしまって、
 盛岡に行くのに時間がかかりそうです。」
というような言葉だったらしい。

たしかに、出向いていくのも、
危険だったかもしれないし、
出向いていっても、
相手方と会えなかったかもしれない。

そう考えると、練習試合の場にいて、
子供たちといっしょに行ったことは、
良かったことでしょう。

もし、練習試合に連れて行く方を
誰かにお願いして、自分が盛岡に向かっていれば、
自分の身も危ない上に、心配が尽きなかったでしょうから。

被害に遭われた皆様に、お見舞い申しあげます。

2008年6月13日

思い出で作られてる生物

もし、人間が、
誰しも姿形がほとんど同じで、
体格や運動能力にも違いがなく、

違いといえば、
目のちょっとした大きさとか、
鼻のちょっとした向きとか、
唇の色くらいなもんだとしたら...
(ちょっと気持ち悪い光景だな、
 映画「アイ・ロボット」を思い出します。)

どうなるんだろう?

ある意味、みんな、双子、三つ子みたいな感じ。

ちょっとした違いとは言え、
きっと、人間は、それで、
他人の区別をやれるようになるだろうなぁ。

ただ、区別には使うとしても、
外見が、美人か、そうでないか、
の価値判断をするものにはならなくなるかも。

としたら、
人を美人かそうでないかを決めるのは、
その人の持っている性格か、
その人の持っている「思い出」か、
っていうことになるのかもしれない。

思い出が、美人かどうかの決め手。
というのは、ちょっと面白い世界だ。

今この世界では、
長々と何度も語られる思い出話には、
ちょっと退屈を感じたりするもんだけれど、

思い出話に、見えない美人力みたいなものがあって、
それに耳を傾けることによって、
時には、クラクラしたり、時には、しびれたり、
なんてことがあるとしたら、
一生懸命、耳を傾けるだろうなぁ。

見ることよりも、
聞くことが発達する世界に
なるかもしれない。

他人との違いを決めるのは、
思い出しかない世界だから。

...

うーん、実は、
今の世界においても、
他人と自分の違いは、
思い出にあるかもしれないな、
って思います。

ただ、思い出以外にも
見られるところがいっぱいあるから、
そういうことは忘れられているけど。

人間は、思い出で作られてる生物。
見た目は似ていても、
思い出というパーツは、
人それぞれ違うから、
作り始めには似ていても、
時間が経てば、どんどん違っていく。

そして、なかなか完成しない。
生きている限り、思い出パーツは、
どんどん増えていくからね。

人は、思い出なしでは生きていけない。
性格だけが、その人のすべてじゃない、
っていうことだね。

もちろん、性格を作ったのは、
いろんな思い出だろうけど。

そう考えたら、もっと、
他人の思い出に関心を持ったほうがいいな、
っていう気がしてきました。
それが良いものであれ、悪いものであれ。

自分の思い出に対しても、そう。
でも、こんな考えが出てくるのは、
年をとった証拠かなぁ...

2008年5月31日

菓子パン家族

わが家の人たちは、
みんな、菓子パンが大好きだ。

とってもおいしいケーキが
食べたい時もあるけど、

もうちょっとボリュームがあって、
100%お菓子でもなくて、
おいしい甘系のものと言えば、
わが家の人たちの脳には、
菓子パンが思い出されるらしい。

昨日は、娘たちの中学校で
体育祭があって、
日焼けした真っ赤な顔で帰ってきた二人。

次女の顔の方は、ひどい。
こりゃぁ、ヤケドに近いなぁ、
と感じた私は、
日焼けを癒す薬とか買ったほうがいいなぁ、
と思って、出かけることにした。

インターネットで調べると、
ヒリピタクールなんていう、
まさしくそのものというネーミングの商品を見つける。

出かけようとする背後から、
「菓子パン、買ってきて!」
というリクエスト。

生クリームが入ったヤツ、
大きいヤツ、
チョコレートのヤツ、
勝手なリクエストをしてくる。

「俺がおごることにするから、
 俺にまかせろ!」

というセリフを残して、
いっしょに行きたいという三女を連れて、
夜のドライブへ。

ドラッグストアに行って、
店員に尋ねると、
探していたヒリピタクールの売り場に
案内される。

あった、あったと思いきや、
顔以外であれば、どこにでも使えます、
という店員の言葉。

スプレーだから、手にかけてから、
顔にかけるんじゃダメですか?

と尋ねると、やっぱり、やめた方がいいとのこと。

顔であれば、化粧水タイプがオススメです。
と、あまた、店員のお姉ちゃんの後についていく。

ヒリピタクールの半額の値段だから、
ま、いいか、と思って、レジに向かった。

さて、いよいよ、菓子パンを買いに向かう。

最初のお店、目ぼしいものがない。
じゃあ、量で勝負だと思いかけたが、
量で勝負しても、満足してもらえなかったら、
かけたお金がもったいなくなる。

どうせ、同じくらいのお金を使うなら、
ちょっとはリクエストにそった菓子パンを探そうと、
2店目に向かう。

うーん、これまたない。

3店目、ビンゴ!というわけにはいかないが、
リクエストに近いものがある。
おまけに、食べ盛りの娘たちを満たすだけの量も
ありそうな菓子パンたち。

早く、日焼けを癒してあげようと出かけたわけだったが、
日焼け化粧水を選ぶよりも、
菓子パンを選ぶことの方に時間がかかってしまった。

それもこれも、
わが家の人たちの食い意地のせいだ。
しょうがないべ。

今日は土曜日だけど、
娘たちは練習試合。

酔っ払いのような、
真っ赤な顔をして、
出かけていった。

明日も、あさっても、
治らないだろうなぁ...

2008年5月28日

失った意味

何かを失った時には、
その意味を知りたくなる。

それまでに、
自分の元にあったものが、
失われるというのは、
何らかの悲しみをもたらすから、
どうしても、意味が分かりたい。

実際、その意味が分かったとしても、
その悲しみは、消えないかもしれない。

消費者庁、の設立のために、
ガス湯沸かし器事故で子供を亡くしたお母さんが、
活動している姿。

お母さんの姿を見て、
子供を亡くした意味を、
このお母さんは、
何度も何度も考えさせられただろうなぁ、
と感じた。

そして、きっと答えは見つからなかった。

そんなに簡単に見つかるような答えなど
あるはずがない。

子供の命、についての答えだ。

だから、自分が行動することで、
その意味になろうとするのが
人間のように思う。

行動することが意味、
行動することが答え、
行動することが目的。

失ったことを考えれば考えるほど、
さらに苦しみが増してしまうから...

私は、幸いなことに、
命ほど大切なものは、
失っていない。

私が失ったものなど、
命に比べたら、たいしたものじゃない。

それでも、何かを失った時には、
その意味を考えてしまう。

自分の生きる姿を、
「意味」にしよう。

失ったものがあっても、なくても、
そういうことが大切に思いました。

2008年5月24日

200kmドライブ

久々の長距離ドライブをしました。

娘らの大会のために、
206kmほどをドライブ。

途中、眠くなったりして、
休まなくちゃいけないのかなぁ、
と自分では考えたのですが、

そのドライブが快適で快適で、

宇多田ヒカルのアルバム「Heart Station」を
大音量で聴きながら、あっという間に、
現地に着きました。

ああ、宇多田ヒカルって、
本当に、歌をつくるのも、歌うのも、
上手ですね。

このアルバムは、最高にいいって気がします。

ケータイのダウンロードも
最高記録を伸ばしているとか...

とにかく、いい歌だ。(うただ?)

ふと思いました。

この人が年をとったら、
どんな容貌になって、
どんな歌を歌うんだろうなぁって。

サザンについて言えば、
見た目とかはあんまり意外性もなく、
そのまま年を重ねて、

長い間愛されるグループになって、
今回は、無期限の休止宣言。

宇多田ヒカルっていう人は、
どんな年のとり方をして、
どんな歌を歌う人なって、
どんな人になるんだろう。

曲を聴きながら、
そんなことを想像しました。

で、あっという間に到着。

途中、私の前を、
郵便配達のバイクが、
いいスピードで、
青空の下を気持ちよく、
走っていました。

けっこう長い間、
その後ろを走って、
ちょっとしたツーリング状態を
楽しんでいたことも、
ドライブに飽きなかった理由でしょう。

娘らが、勝ち残れば、
今日も宿泊で、それはそれでよし。

負けたとしても、ドライブを楽しみに、
今日は、一生懸命、応援してきます。

2008年5月17日

覚えているカラダ

婿入りしてから、
自分がよく行くお店が
いろいろと変わった。

変えざるを得なかった、
というのが正解かな。

その1つに、床屋さんがある。

最初に行った床屋さんは、
とっても丁寧で、
丁寧すぎて1時間半もかかって、
イヤになってしまった。
(それまでは、1時間くらいで
 終わっていたからね)

ちょっと急いで、と言えば、
なんとか1時間チョイで終わる感じ。

そう言いながらも、
6年くらいは通ったね。

私にしては、よく忍耐したもんだ。

とうとう、我慢がならなくて、
早く出来るところがいい、と妻に言ったら、
妻が行く美容院を紹介された。

たしかに、早かった。
30分で終わった。
もちろん、理容院と違って、
顔そりなんかはないけどね...

そんなことは、私も、
必ずしも必要としていなかったし。

ところが、今度は、
30分で終わるくらいのことなら、
もっと安くできるところがあるんじゃないか、
と思い始めた。

自分のヘアスタイルにそれほど執着のない私だから、
そんなことを考える。

見つけた、見つけた。
おばちゃんがやってるところ。

美容院通いは5年間で終わり。

そのおばちゃんのところへ通ってから、
ちょうど3年になる。

わたしの頭のかたちとか、
髪の毛質とか、どれくらい切るかとか、
そういうことはよく覚えてくれているが、
それ以外のことは、ほとんど覚えていないようだ。

まず、けっこう、
毎回同じ話をしてくる。
60歳は超えている方のようだから、
これは、しょうがないとしよう。

次に、ヘアカットが終わった後のサービスとして、
いつも栄養ドリンクをあげる店のようだが、
私が毎回断っているのを忘れている。

最後に、もちろん、
前回いつ来たか、なんて覚えていない。

覚えているのは、髪についてのことだけのよう。
それはそれで助かる。

職業柄で、人に対して覚えているところって、
違うんでしょうね。

ホントかどうか分からないけど、
産婦人科の先生は、顔を見ても思い出さないけど、
アソコを見ると、思い出すとか...
(朝からすみません)

ホントかなぁ。

歯医者さんは、歯を見ると、
思い出すのかな。

昨日ヘアカット、行きました。
今日は娘たちの卓球大会だから、
ちょっとスッキリと行きたくてね。

昨日も、栄養ドリンクを渡そうとした、
おばちゃん。ありがとう。

でも、まだまだ要らないよ。
元気なヤツだから...

2008年5月 8日

かための歯ブラシ

気分的には、
スッキリ感が強いような気がして、
かための歯ブラシというのが
好きな私です。

皆さんは、いかがですか?

ここ数年は、歯医者さんに、
ふうつでいいですよ、
と言われて、ふつうの歯ブラシを
選んでいたのですが、

昨日、新しい歯ブラシを入手しようと、
お店に行ったところ、

私の買おうとしていた歯ブラシでは、
ふつうが残り1個だけ、
かためが残り8個くらいだったかな。

という感じで並んでいました。

気分的には、
助かったー!、残りの1個だった、
となるような感じでしたが、

どうも、隣りに並んでいる「かため」が、
気になりだしてしまい、何度も手にとっては、
うーん、スッキリするだろうなぁ、
みたいな想像をふくらませていました。

そこで、とうとう、
久々の「かため」を購入。

しばらくは、かための歯ブラシで、
スッキリさせてもらいます。

極細タイプの毛先にしてから、
歯茎もけっこう強くなったようなので、
かためにしても、とりあえずは、
大丈夫でしょう。

とにかくスッキリしたい私にとっては、
この極細毛先と、かための組み合わせが、
ベストに思えてなりません。

昨晩から、歯みがきを楽しんでおります。

自分の歯で、食べ物が食べられる幸せ、
っていうのを長く続けるためにも、
ちゃんと歯を磨かなくちゃね。

世の中には、役作りのために、
若くして、歯を全部抜いてしまう俳優さんも
いたりするようですが、

中途半端な私には、
そんな勇気は、とてもじゃないけど、
出てこないでしょうね。

自前の歯でいつまでも食べていたい。
たいしたものを食べているわけじゃありませんけど、
入れ歯の管理の手間などは、
永遠にない方がいい。

今日も、シャカシャカ磨きます。

そういえば、6月4日は、虫歯の日とかって、
小学校の時に、習ったな。

来月かぁ...

2008年5月 4日

邪魔していた

助けていたけど、
邪魔もしていた。

親が子供を助ける一生懸命さには、
知らず知らずのうちに、
そんなことがあるように思う。

親と子の関係でなくても、
それに近いものがあるかもねぇ...

わたしも、
自分の子供の邪魔をしたくない、
と思いつつも、

振り返ってみれば、
かなりの邪魔をしていたことを
思い出したりもする。
苦笑いです。

まわりが見えなくなるほどの一生懸命さ。
もしかしたら、誰にでもあるかもしれない。

たとえて言えば、
精一杯がん