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2008年12月 6日

親が反抗期

子供には、
親への反抗期が、
よくあることだけれど、

親が子供に反抗したら、
子供はどうなるんだろう?

親がしっかりしてくるのは、
子供を育てるからだと思う。
面倒を見る相手がいると、
人は、成長してくる。

子供には、基本的に、
面倒を見る相手がいない。

家庭にペットなどがいれば、
面倒を見る機会になりそうだけど、
それだって、
親がほとんどの面倒を見て、
子供はただかわいがるだけであれば、
子供がしっかりしてくる機会には
なりえない。

ホントに、
ただ「ペット」を持っているだけに
過ぎない話になる。

面倒を見る相手がいると、
人は、しっかりしてくる、というのであれば、
それは、妹や弟でもいいし、
介護の必要な祖父母でもいいかもしれない。

そういう面倒を見る相手が
いないとなれば、
親自身が面倒を見られなければ
しょうもない相手になるのも、
一つの手かな。

とは言っても、
虐待とか、
いつもイライラして怒ってばかりいるとか、
お金を稼がないとか、
飲んだくれてダラダラしているとか、
そういう家庭基盤を壊すことでなく、

なんていうんだろう、
体がちょっと疲れやすいとか、
ストレスでちょっとイライラするとか、
たまに家事を怠けたくなるとか...

その程度の面倒をかける親で
いいんじゃないだろうか、と思う。

親としての務めをちょっと放棄して、
子供に面倒をかける反抗期みたいなものが
あった方が、子供は、しっかりするかもって。

子供の活躍するシーンを見るのは、
とても嬉しいことで、
そのために、親が裏方仕事に徹して、
子供には、勉強やスポーツ、習い事という、
自分のことばかりをさせて、
何かの面倒を見させたり、働かせる機会を
与えなかったら、現実味のない子供が
育ってしまうかもしれない。

生きることには、必ず、
面倒を見ることと、
面倒を見られることが
含まれるから、
そういうことを忘れさせないようにしたいものだ。

2008年11月30日

ヘアカット代 0円

昨日、娘らのヘアカットをしました。

長女かが生まれた際に、
知人からの出産祝いとして、
妻が、子供用バリカンをリクエストして
それをもらって以来、

私のヘアカット歴は、
かれこれ、15年にはなるだろう。

バリカンだけでは、
細かいことができないため、
途中で、散髪ハサミセットも買っている。

髪の毛が服につかず、
また床に落ちないようにする、
前掛けシートみたいなものも買ったり、
ヘアカットのコツ本も入手して、

15年もやっていれば、
かなり上達するものである。

娘らの頭は3つ。
ちょっとした失敗はありながらも、
無難なヘアカット、時には、
ヘアカタログに似せたヘアカットも、
だいぶ出来るようになってきた。

よって、わが家の娘らのヘアカット代は、
生まれた時から、0円である。

12歳、14歳という、
友だちにどう思われるか、
ちょっとは気になる年頃の娘たちが、
わたしのヘアカットで満足できているのは、

1.それなりに上手だから
2.部活動に一生懸命なためショートヘアが必要だから
3.細かいリクエストも出来るから

といったところでしょう。

何歳まで、ヘアカットさせてくれるかは、
分かりませんが、ますます上達する、
わたしの技術に慣れすぎて、

いざ、美容院でヘアカットしてもらう、
というシーンになった時には、
ちょっと戸惑うかもしれませんね。

細かいリクエストを言うのを躊躇したり、
お金を払う段階になって、こんなに高いんだ、
みたいな実感を感じたり...

長女、次女のヘアカットは、
間もなく終わるかもしれませんが、

三女は、まだ7歳。
少なくとも中学卒業まで、
あと8年間。

もっともっと上手になるぞ!

と思っているところです。

2008年11月 9日

いい大人じゃない

自分のことを、
いい大人じゃないな、
って思うことがあります。

大人気ない、
っていうか...

子供に対して、
感情むき出しになる時っていうのは、
勝ち負けにこだわったり、
競争心が強すぎたり、
っていうことが多い。

子供相手に、
本気で戦っているか、

子供が戦っているものに対して、
本気でのめり込んでしまっているか。

大人の目で見れば、
(冷めた目で見れば、)
やっぱり、大人気ない...

ってことになるでしょうし、

「いい大人が...」

と見られることも多いでしょうね。

そういう人間の一人である私は、
そういう性格である自分に開き直って、
子供とも熱く向き合うポリシーだ、
っていうことにして、

大人気ないまま、今なお、
いい大人じゃなく、振る舞っています。

なんで、子供のことなのに、
熱くなっちゃうんでしょうね。

同化している?

子供に夢を託しすぎ?

目先のことしか見えない?

そうだとしても、
今は、この今の瞬間しか
ありませんから、
大切にしたいものです。

2008年11月 3日

自分の戦い

子どもが、
子ども自身で戦わなければいけないことを、
黙って見ているのは、なんとも、
歯がゆいものです。

私も、親バカな一人ですが、
やってしまいがちなミスに
2つあります。

1つは、
代わりに戦おうとしてしまうこと。

もう1つは、
代わりに戦うつもりはないけど、
あれこれ、いちいち、細かいくらいに、
指図してしまうこと。

代わりに戦ってしまっては、
まったく意味がありませんし、

たとえば、子どものケンカに、
親が完全武装して登場してきたら、
違和感どころではないでしょう。

変です。

しかし、代わりに戦わないで、
指図をいろいろする方は、
声を荒げて、口やかましく、
言ったりでもしない限り、
変には見えないこともあります。

ただ、子どもにも、
いろんなタイプがあって、

指図があると助かる、
という具合に依存してしまう子どももいれば、

指図があるとうるさいからと言って、
そのうるささから遠ざかるために、
戦うべき場所から逃げてしまう子どももいる。

子ども自身の戦いなのに、
その場から逃げてしまっては、
元も子もない。

親は、「自分の戦い」と勘違いせず、
放っておくことを学ぶ時もあるんですよね。

それが、なかなか、難しいです。

手を差し出すべき時も、
きっとあるでしょうから、

そのタイミングの見計らいをするつもりが、
どうしても、親心で手を口を出したくなってしまう。

親は親で、自分の戦いに集中したほうがいい。
子どもには子どもの、自分の戦いがあるんだから。

うーん、むずかしいけど、
それが出来ないと、親離れ、子離れもできない。

2008年10月16日

コメントを考える

子供たちの秋休みは、
昨日で終わり。

通信簿には、
毎回のことながら、
親のコメント欄があり、
今回は、私の当番となりました。
3人分...

決まりきった感謝の言葉だけで
終わるのは、先生がつまらないだろう、
っていう気がする。

しかし、そうではないとしても、
当たり障りのないことを書くのは、
わたし自身もつまらない。

かと言って、深い話にしすぎるのも、
読む先生にとっては重いことでしょう。

私が書いたのは、以下のような感じでした。

長女
新人戦の前から、自分を見つめすぎて、
思い通りにいかない自分や結果を見て、
焦っている感じでした。
気づくまで意外とボーっとしてい ることが多いのですが、
気づいてしまうと気にしすぎてしまう性格...。
今は、自分のことも、物事も、長い目で見るための
経験の日々のように思われます。
後期 も、よろしくお願いいたします。

次女
中学校生活に、だいぶ慣れてきて、
生活リズムもつかんできたようです。
また、目標が ハッキリと見えてきたようで、
面倒くさがりながらも、要領よく、
やっている感じがします。
物事をパパッと進めたい性格なので、
忍耐を学ぶことも多い でしょう。
基本的に元気ですが、頭痛持ちで、
時々ご迷惑をかけることもあるかもしれません。
後期も、よろしくお願いいたします。

三女
毎日、元気に過ごしているので、感謝しています。
勉強も少しずつ、がんばっているようですが、
まだ、言葉の力が足りない気もします。
後期も、本を読んだりすることを、本人は、
がんばると言っています。よろしくお願いいたします。

書いてみて、ちょっと先生のような気分。

私は、3人娘一人一人を考えただけですが、
先生は、それを30人分ほどを
考えて書いているわけですから、もっと大変でしょうね。

今日から、後期のスタート。
お疲れさまです。

2008年10月 6日

ガマンの限界

人一倍、
いろんなことをガマンして、
がんばっている人が、

それでも、
いろんなことがうまくいかなくて、
さらにガマンしようとしている姿を見ていると、

なおかつ、
その人のまわりの人々が
その人のガマンを知ってか知らずか
それほどガマンしているようには見えないと、

なんとなく、関係のないこっちが、
「もっと爆発したらいいのに...」
と思ってしまう。

それでも、その人は、
自分のガマンが足りないからと言い、
まわりの人々を責めたい気持ちを押し殺して、
さらにガマンしようとする。

もしかしたら、
その人のガマンが、
まわりの人間をダメにして、
(悪い結果の責任をとらずに逃げてばかりで...)
ますます、悪い結果をもたらしているかもしれないのに...?

と考えた。

自分の行動によって、
悪い結果が出てしまった時に、
自分で責任をとらせたり、
必要な責めをしなかったら、

その人は、いつ学べるんだろうか?

責めるべき時にガマンをして、
もっと悪い結果が出てしまってから、
責めたくなる。

そして、責めたくなった自分の気持ちを呪い、
さらに、ガマンしようとする。

これでは、きっと、悪循環になる。

「自分さえガマンすれば...」

わたしは、あまりガマンの出来る人間じゃないし、
こんなふうに思えないからかもしれないが、

「自分のガマン」の効果を
買いかぶっている言葉のようにも思える。

まわりにいる一人の力ではどうにもならないこともある。
結局、本人が自覚して、がんばらなければいけないのだ。

あまり、ガマンしない方がいいことも、間違いなくある。
そう思われて仕方がない。

でも、その人本人には言えない。
どことなく、自分のガマンする姿を
快感に思えているところもあるから。
悲劇のヒロイン、ヒーローみたいに...

2008年8月22日

恐怖の「間」

怖いことでも、
驚かすことでも、
少しの「間」もなく連続で来ると、
感覚が鈍るんじゃないか、と思う。

怖い、と思う暇もなく、
ただただ押しつぶされていく感じ...

なんか、1つ怖いことが起きたら、
サーッと、その恐怖が引けて行って、

ちょっと考えたり、
心配や不安になったりする「間」が
与えられている方が、もっと怖くなる。

来るんじゃないか、
来ちゃうんじゃないか、
なんか怖いことが起こるんじゃないか...
って思うのは、ある意味、期待もあるんだろう。

怖いと思いつつ、
期待してしまう。
こういうシーンでは、
怖いことがきっと起こるよな、
みたいに。

そこで、最近発見したことは、
その「間」を感じる長さに、
けっこう個人差があるようだ、
ということ。

たとえば、1つの恐怖をやり過ごしてから、
15秒もすれば、不安になってしまう人もいれば、

15秒くらいでは、
新たな恐怖を感じるほど
長くないという人もいるわけだ。

前者は、いつも忙しくなってしまう人かもしれないが、
後者は、知らず知らずのうちに、
物事が過ぎ去っていることがあるだろう。

うーん、笑いばかりでなく、
恐怖にも、「間」が大切だったんだなぁ...

考えてみれば、ホラー映画なんか、
そういう「間」をよく使っているんだよな。

うちの長女は、あることをものすごく怖がるんだけど、
それが、娘にとってはちょうどいい「間」なんだからだろうね。
なるほど、なるほど。

2008年8月 8日

暑さにたくましく

暑い夏に鍛えられると、
人は、たくましくなっていくものです。

ガソリン単価の上昇に負けてなるものか、
と思い、わたしも、昨日から、
ちょっとした移動には、
自転車を使うようにしました。

15分程度のことなら、
自転車で十分です。

きっと、車で行っても、
信号機に止められたりすれば、
7~10分はかかったりしますから。

自転車の方が、小回りがきいて、
かえって、動きやすい。

朝8:30頃だと、まだ暑くなくて、
自転車に乗りながら、
顔にあたる風の涼しささえ感じるくらいです。

もちろん、お昼頃になると、
そうはいきませんが...

夏休み、子供たちも、
暑い毎日を送っています。

うちの三女は、天気の落ち着いた今週から、
毎日のように、学校のプールへお出かけ。

お昼過ぎ、1:00頃には、
ワクワクしながら出かけます。

3:30頃まで楽しんでくる様子。

私が家に帰って、
話を聞いてみると、プールに
送迎してもらっている友だちもいるとか。

「わたしも、車で連れてって」

と甘える三女に、

「プールに自転車で行くから、
 たくましくなれるんだよ。」

と訳のわからないことを教えて、
諭しています。

実際、プールに自転車で行き始めてから、
肌も小麦色になって、体力もつき始めた気がします。

なんと言っても、
わが家は、学校から遠い方。

隣町の小学校の方が近いくらいのポジション。

暑さ真っ只中の中、
15~20分くらいの時間をかけて、
自転車で往復していたら、
たくましくなるはずです。

初日には、鼻血まで流した様子。

夏休みが終わる頃には、
さらにたくましくなるだろう三女を見るのが、
楽しみです。

わたしも、それに負けずに、
自転車を使う頻度をアップしようと、
決心したのでした。

2008年7月27日

学校からの呼び出し

昨晩は、知人に招かれて、
ディナー・バイキングに行ってきた。

14階の展望レストラン。

恋人同士のためには、
ガラス越しに夜景が見えるよう、
窓ガラスと向き合ったテーブルに、
椅子が並べられている席があった...

残念ながら、私らは、
そこへは案内されなかったが、
私たちの案内された席からも、
夜景は、十分に見ることができた。

数百ドルくらいの夜景ではあったろう。

目に見える風景画きれいだと、
料理の味わいも、よくなってくる。

そして、話にも花が咲く。

長い間、話しているうちに、
自分の子供らのことに、話は及んだ。
ちょうど10歳くらいずつ世代が違うもんだから、
子供たちにかかわる問題や悩みも、
少しずつズレてくる。

小学校に呼び出されたという知人、
わたしの娘らは中学生、
成人した子供が持ち込んでくる悩みの数々を
頭を抱えて語ってくる知人。

「Shuさん、学校になんか
 呼び出されたことないだろ?」

と言われて、
ちょっとドキっとした。

娘らのことではないが、
私のことで呼び出されたことはある。

そんなことを思い浮かべながら、
黙っていると、もう一人の知人が、

「Shuさんのところの娘さんたちなら、
 そんなことはないって。」

と代わりに返答していた。

そういうふうに見える娘らなんだろう。
それは、それで素直に嬉しいと思った。

ケンカ、テストの成績、警察沙汰、お金のこと、仕事のこと、
親である自分たちすら、自分の問題で大変だ、
というのに、子供たちは、次々と問題を持ち帰ってくる。

今は、大丈夫に見える娘らにも、
それに似た問題が起こるだろう。

ちょっと待って、今それどころでないから、
という時に限って、問題は押し寄せてくる。

心の準備をしておかなくちゃいけないな。

2008年7月26日

キャンプ帰り

子どもらの部活動や、
その他の夏の予定で、

なかなかちょうどよい日程が
見つからずに、今年のキャンプは、
どうしようか、やめようか、
と私は思っていたのだが、

妻の「絶対にやる!」という決心が
あったために、急遽、
昨日の午後からキャンプに出かけた。

場所は、いつものところ。

金曜日、土曜日の1泊のためか、
はたまた、曇り具合の天気のためか、
ほかのキャンプ客は、ほとんどなく、
露天風呂に入りに行けば、
ほぼ貸し切り状態という2日間だった。

私たちがキャンプ場から帰ろうとした頃から、
お客さんがたくさん来て、にぎわいだしてきた次第。

ともあれ、初めての
貸し切り状態キャンプに、
いろいろな経験をさせてもらった。

先日、地震があったばかりで、
行く途中の道で、なんか、
道路が崩れたような跡形がある。

おいおい、大丈夫かよ、
と思いながら、ハンドルを握っていたが、
妻の「行く」という決心を変えることはできなかった。

着いてすぐに入った露天風呂。
いつもであれば、お盆期間中であるため、
夏の暑さも厳しく、また、人も多いため、
風呂あがりの瞬間から、汗もダラダラ、
という具合だったが、今回は、サラリという感じ。

ちょっと曇りの天候というのは、
この時期には、かえって、
ありがたいもんだと感じた。

かと言って、夏っぽい暑さが、
まったくないわけでもないから、
なんか、得した気分である。

そして、当然のごとく、
喉の渇きもひどくないから、
ジュースや、アイスを恋しがる子供たちの姿も、
それほど見ることなく、財布にも優しかった。

問題は夜。
にぎやかすぎて、眠れないのも迷惑だが、
あまりにも人がいなくて、暗い感じっていうのは、
ちょっと怖い。

ナイトハイクに行けば、
人々の存在を感じさせる灯りの雰囲気もなく、
真っ暗...

桟橋を渡る時なんか、今思えば、
おそろしいことだったように思う。

虫でも、蛾でも飛びかかってきて、
驚いたついでに、桟橋から谷に落ちたら...

人々の存在は、光として感じられるが、
それがないから、まったく寂しいもんだった。

あと、人の声の内容が、
ハッキリと聞こえてしまうのも、
なんともイヤなもの。

わいわいガヤガヤのはずが、
子どもを怒っている声や、
連れてきてはいけないはずのペットを叱っている声、
はたまた、夜中に到着して、キャンプを組み立てる音、
露天風呂の入り口のドアが開閉する音。

何もかも、ハッキリ聞こえる。

人気が少ないだけに、
襲われそうな錯覚さえ...

と考えているうちに、眠りについていた。

さきほど帰ってきて、
今年のキャンプはおしまい。

断行した妻は、疲れ果てて、
今は眠っている。
散歩しながら、「年だ、年だ」と言っていた。

こうは言っていても、来年の夏がくれば、
「行かなきゃいけない」と誰よりも、
騒ぐんだろうなぁ...

2008年7月23日

決めること

自分のために決めることと、
他人のために決めること、
っていうのが世の中にはある。

自分のためだけなら迷わないが、
他人も関わってくると迷ってしまう人もいれば、

まったくの反対に、
自分のためなら迷うが、
他人のことだったら何の迷いもなく、
即断即決できる人もいる。

人によって、
「決める」ことへの重みは、
感じ方がそれぞれだ。

リーダーになると、
決めることが増えてくる。
そして、決めたことによる責任も、
少し重くなってくる。

その責任の重さが、
人を成長させもすれば、
人をダメにもする。

間違いのない決断をしようと考えれば、
なかなか決めることができずに、
迷ってしまう。

自分の好き勝手に決めてしまえば、
誰も従ってこない状態ができたりして、
何も進まなかったりもする。

重さとは、微妙な働きをするもんだ。

先日、娘らの大会を観戦している時に、
別チームの酒好きな知人が、真っ昼間から、
酒の匂いをぷんぷんさせて、
話しかけてきた。

「ああ、どうも。娘がね、
 今度キャプテンを引き受けることになって、
 どうしようなんて言ってたんだですよ。へっへっへ...」

なんか、安っぽいドラマを見ているようなセリフ。

ともあれ、かわいい娘が
大役を引き受けることなって、
喜んでいるお父さんになっていた。

酔っ払いながら口にすることは、
きっと、その人の本音からの自慢だ。

この知人は、試合の結果がどうのこうのよりも、
そういう責任の重さが嬉しかったのだろう。

決めることの重圧に耐えて、
子どもが成長する姿も頼もしいものだ。

2008年6月20日

スイッチ・オン

うちの妻に、
今朝からスイッチが
入っています。

明日から、
夏の総体。

心置きなく、娘らの応援に
身も心も捧げるために
今日のうちにできることは、
バンバンと片づけていくつもりのようです。

長女、次女ともに、
中学生になった今年の気合の入りようは、
これまでのどの大会よりも

スゴイ!!

という感じがしている私です。

ちょっと引いてしまうような空気も
漂っていますが、それだけ、
子供を思っている母親なのでしょう。

まだ、1年生と2年生の親です。
今年が最後になる3年生の親ではありません。

それなのに、こんなスイッチの入り具合。
来年、再来年の総体では、
どんなことになるのか、
想像するだけで、今から恐ろしいです。(笑)

でも、娘らは、
その母親の気持ちを感じてか、
身も心も、いい状態にもっていけるよう、
がんばっている感じです。

さあ、どうなるか。

妻は、今日のうちに、
ぐったりと疲れることでしょう。

興奮して、今晩眠れなくなるよりは、
その方が、いいでしょうね。

子供は、
悩みの種にもなれば、
喜びの種にもなる。

どう育てて、
どういう存在にしていくかは、
親の気持ち1つなのかもしれませんね。

全国の3年生も、その親も、
がんばれ!最後まで。

2008年6月 6日

ハマる性格

うちの妻は、
気がついたら、
やらなければいけない性格。

私は、やり始めたら、
究めるまで、とことん、
やってしまう性格。

だから、何でもないことでも、
妻が始めてしまったことは、
私がハマることになったりする。

応援うちわも、その一つ。
応援うちわ

間もなく始まる子供たちの総体のために、
作ろうという妻に対して、

「別に作らなくていいじゃん」

という態度で出ていた私が、
なんだかんだ言われて、
結局、説得されて、
ここ数日の空き時間に、
いっしょに作り始めることになる。

そして、作りはじめてしまうと、
今度は、私がハマってしまう。

こんなんじゃいけない。
こういうふうに作り直さないと。

それじゃあ、変だ。
色がおかしい!

とか。
私なりの意見を持ち始める私。

そして、そんなふうに、
私がハマり始めた頃には、妻が、

ちょっとクールダウンしていたりする。

おいおい、おまえが言いだしっぺで、
誘ったことだろう、と言ったところで、
もうどうしようもない。

勝手にハマっている私が悪い。

応援うちわは、家族5人分が完成。
本番までは、まだ2週間もあるのに、
わが家だけは、応援の準備まで
バッチリになっています。

2008年5月29日

基本が違う

誰かと話をしていて、
話すポイントが違うとか、

分かるところと分からないところが違うとか、
そういうことを感じた時には、

もしかしたら、基本と思っていることも
違うかも...って思えるようになった。

たとえば、算数という勉強があって、
なんとなく、足し算から分かっていくのが、

「基本」

だと思っているけれど、

どこでどう違うのか、それは分からないけど、
引き算から分かっていくほうが楽な人も
いるかもしれない。

まさかの、掛け算から分かることが楽だ、
っていう人も、いないとも限らない。

教える側は、
基本から順番に教えているつもりが、
かえって難しい順番に教えていることも
あるかもしれない。

誰かに何かを教えていて、
とてつもなくイライラする時には、
そんなことを感じるようになりました。

基本が違っているなら、
話は、全然、変わってくるんです。

価値観の多様化した時代とは言いますが、
基本まで変わってきている時代だとすれば、

私たちが信じていることの多くが、
思い込みかもしれない、という疑いも
必要になってくる。

基本っていうのは、
分かっていくことのスタートにあるものだから、
本当は、あんまり変わって欲しくないことだけど、

柔軟に、その基本も変わっている、
と考えるようになれば、

「基本」が分からない人にも、
何らかの可能性があるように思えてきます。

今までは、「基本」が分からなければ、
もうダメだ、この先の見込みもない、
と言われるのが常だったんでしょうけどね。

ちょっとズレた人を目の前にして、
うーん、この人の基本は何だ?

と問いかける。

まずは、わが家の三女から、
基本を問いかけているところです。(笑)

2008年5月14日

違うことをする

朝市は、
田舎の風景だと思う。

小学校では、
そんな風景に親しみ、
またそこで買い物をする、
という体験学習をさせてくれる。

昨日は、
うちの三女が、
そういう体験学習があった。

先生から指示された買い物は、
理科の時間に育てる「野菜の苗」。

グループごとに、
買う野菜が決まっていて、
三女は、前日から、

「わたしは、ブロッコリーを買うんだ」

といって、ワクワクしていた。

さて、朝市買い物の当日である昨日。
偶然にも、うちの義父も行っていたらしく、
三女と顔をあわせたらしい。

「何、買った?」

と尋ねたら、

「きゅうり」

という返事。

そんな話を自宅に帰ってきて、
妻(義父の娘)に教えたらしい。

妻は、

「え?きゅうり?」

と思ったらしい。

「そんなはずはないよ。
 ブロッコリーを買うように
 言われているんだから」

「きゅうりと、言ってたぞ。」

???

午後になって、
自宅に帰って来た三女。

妻が、先生からの連絡帳を見ると、
「一人だけ、きゅうりを買ってしまいました」
と書いてある。

あちゃー。

わたしも、その話を聞いて、

「なんで、きゅうりを買ったの?」

と尋ねたら、

「安いか、と思って」

という返事。

安いかどうかが、分かるわけがない。

今まで買ったことがないのだから。

先生は、しょうがないから、
そのきゅうりを植えようか、
という話になったようだが、
見てみると、茎が折れていた。

それについては、三女いわく。

「落とした」

どうにもならない。

先生に確認せずに、勝手なことをするわ、
買ったものを大切にせずに落としはするわで、
わたしにソックリです。

だからこそ、ちょっとイライラ。

「いいか、今度は、
 先生にちゃんと聞いてから、
 やりたいことをやるんだぞ。」

一人だけ、きゅうり。

将来は、かなり個性的な人間になるだろう、
という有望視がされます。

うーん、でも、自分のお小遣いを
無駄にしてしまったことは、
自覚して欲しいなぁ...

2008年5月 5日

伝えなきゃとは思いながら

隠すつもりはないけれど、
伝えなきゃいけないと思いつつ、

そのうまい方法が見つからずに、
ずるずるとタイミングを逃してしまう
ことってあるかもしれない。

大事でなきゃいいけれど、
うまい方法を探すというのは、
それだけ大事なことだったりするわけで、

隠し事をたくさん持っている人は、
ちょっと大変だろうなぁ。

子供も話すタイミングをねらっている時がある。
昨日は、うちの三女が、そんな様子だった。

どうやら、少し、気分が悪かったらしい。

しかし、そうでもない時でも、
甘えたようなことを言っていたりするので、

その気分が悪いことを信用してもらえない、
と考え、「眠い」と伝えてきた。

私たちは、その言葉どおりに、
ゴールデン・ウィークの疲れがもう出たのか、
(たいしたこともしていないが...)

と思い、横になりなさいと言ってやった。

三女は、その通りに横になり、
しばらくは寝ていたが、
やっぱり、落ち着かない様子。

ちょっと遊ぶような振りをしたり、
また、寝ようとしたり...

そんなことをくり返しているうちに、
三女にさわってみたら、
なんと熱がある。

先週末に風邪をひいていた長女から、
どうやら、うつされたらしい。

気分が悪い、
という大切なことが言えない状況を、
自分でつくってしまっていた三女。

伝えなきゃと思いながら、
信用されないのでは...とか、
ビックリされてしまうのでは...とか、
怒られるんじゃないか...とか、

考えれば考えるほど、
伝えるタイミングを逃してしまう。

いつも、正直に伝える、
という習慣を身につけていることが
どれだけ大切なことか、
っていうのを改めて感じた。

三女も、なんとなく感じたのかもしれない。

2008年4月26日

1つアップ

昨日は、娘らの卓球大会。

朝からずっとそれに参加していたもので、
その話題しか、ありません。

はは...

総当たりの団体戦。
万年ビリケツのチームでした。
いつも全敗で、7校中、7位という具合。

それが、去年の春に6位にアップ。

夏の総体には、6位のまま。

秋の新人戦には、なんとか5位。

1位が大好きな私にしてみれば、
まだまだ味気ない話ですが、
それでも、アップしたのは
子どもたちには嬉しい話だったらしく。

それなりに喜んでいました。

昨日の大会でも、
なんとなく、また5位かぁ、
みたいな空気でしたが、

最後の対戦校が、
秋の新人戦では3位だったのが、
どうやら、4位っぽい戦績になっているらしく、

レベルの高い話ではありませんが、
4位、5位の決定戦みたいな戦いに
なりました。

ただ、この1つの違いが大きかったりするわけで、
4位であれば、ちょっと上位の大会に進めます。

5位であれば、何のご褒美もなし。

いちおうエースの我が長女と、
ナンバー2の先輩が2勝して、
相手校にも2勝をとられ、

2-2の同点で迎えた、
最後の対戦。

こちらは、ラッキーガールと呼ばれる先輩。
見た目それほど強そうには見えませんが、
やりにくいと言われているその人。

昨日の対戦相手も、やりにくそうでした。

かなりの接戦、
これまでは大人しかったお母さんたちも、
今回ばかりは、もしかして...
という期待も湧いてきたのでしょう。

どこの学校よりも元気な応援をしていました。

結果、勝てたのです。
やはり、ラッキーガール。

4位になって、
泣いている親の姿というものを
初めて見ました。

私も、ちょい感動...

5位から4位。
それでも感動できる。

感動って、どこにでもあるもんですね。
感動できる心を持ち続けていることが
大切かもしれません。

2008年4月25日

時代遅れ

時代遅れ、

という言葉は、
だいたいにおいて、
マイナスな意味合いで
使われることが多いよな。

もうこんなに進んでいるのに、
まだ、そんなところにいるの?
まだ、そんなことしているの?
まだ、そんなものを大切にしているの?
みたいな感じ。

ちょっと、バカにしている感じも
含まれているかもね。

いやいや、かもどころじゃない、
わたしの場合なんか、
もろ、そんな意味合いで言ってきた、
ように思うよ。

ちょっと反省しなくちゃいけないかもな。

だって、時代も、
その時にあったものも、
遅れているわけでも、
早まっているわけでもなくて、

その過去にあったものを使うことが
面倒くさくなったとか、
飽きてきたとか、それだけの理由でしょ。

もちろん、
こんな高機能なパソコンを使い始めたら、
もう、ワープロなんかには戻りたくない。

それに、進んでいるものを使えば、
ちょっとだけ優越感を感じるのは事実だ。

だから、それから外れるものを、
時代遅れ、って言っている時が多い、
と思うんだよね。

ただ、自分のことを、
「時代遅れ」の人間だ、
って言える人は、
ちょっとカッコイイかもしれないって、
私は思う。

なんかの演歌の歌詞にあったような...

この時代に、
チョンマゲをつけて、
脇には刀を差して、
見るからに時代遅れの人間が、
さっそうとパソコンを使いこなすような姿を
見せたなら、やっぱり、カッコイイよ。

違うかな?

これは、わたしだけの感覚?

もともと、時代なんぞ関係なくて、
ただ単に、人間が飽きただけの話なんだよね。

後になってみれば、
昔の方が新鮮に感じて、
逆戻りしていることなんて
けっこうあるわけで。

当時は、チョンマゲなんかには、
みんなが飽きていた。

で、ロングヘアー。

けど、周りがロングヘアーばかりになると、
今度は、坊主頭が魅力的だったりする。

EXILEのATUSHIなんか、
完璧な坊主頭。

あれで、演歌なんか歌ったら、
それっぽすぎるけど、
歌う歌が変われば、
あの坊主頭も、時代遅れじゃなくなる。

今度は、逆に、
黒人のジェロが演歌を歌えば、
また、カッコイイ。

演歌も、時代遅れじゃなくなる。

思い出した言葉があったよ。

「新しいアイデアというのは、
 新しい場所に置かれた
 古いアイデアなんだ。」
(仕事は楽しいかね?、デイル・ドーテン)

時代遅れが、時代遅れじゃなくなるのって、
まさに、こんな感じかもね。

2008年4月 7日

心の育つようなプレゼント

知人から、
この言葉を聞いたときに、
すーっと胸に入ってきました。

心の育つようなプレゼント。
子供たちのために。

今の子供は、
いろんな人から
「もらうことに慣れている」
ような場合が多いかもしれません。

何の記事か忘れましたが、
それは、少子化の影響で、

親も、おじいちゃん、おばあちゃんも、
加えて、未婚のおじさんやおばさんとか、
たくさんの人が、一人っ子や、
少ない子供のために、
いろんなプレゼントをくれる状況だそうです。

要は、プレゼントが1点集中しているので、
たくさんもらえる。だから、慣れている、
とのことでした。

なるほど、なるほど。

そんな子供に、

「まだもらっていないものは何?」

「次に欲しいものは何?」

「もっと欲しいものは何?」

なんてリクエストをするのは、
もしかしたら、賢いことじゃないかもしれない。

それは、きっと、
子供目線で考えたプレゼント。

じゃあ、勉強や将来のために、
本が読めるよう、図書カードをプレゼントする、
なんていうのは、
大人目線で考えたプレゼントかもしれない。

本好きな子供、
図書カードで他のものも買わせてくれるお店を
知っている子供にとってはいいだろうけど、
そうじゃない子供にとっては、
逆に、「夢のないプレゼント」になっちゃうかな。

となれば、出来れば、
そのちょうど中間がいいのかなぁ。

わたしも、自分の娘への
プレゼント、考えさせられました。

心の育つプレゼント。

いやいや、娘ばかりでなく、
自分へのプレゼントを考える時にも、
「心の育つような」を大切にした方がいいように思います。

自分へのご褒美は、
そんなものがいい。

何かゆったりとした時間を与える時にも、
自然と育つようにしてくれるものがいいですね。

今日から、うちの娘らは、
新学期です。

これからの1年間、
どんなふうに、心を育てようかな。

2008年3月23日

どれくらい?

どれくらい面白いの?

どれくらい悲しいの?

どれくらい苦しいの?

聞かれても、答えるのが難しい質問だ。

どれくらい大きいの?

だったら答えられる。

比較するものが、
ほとんどの人にとって明確だからね。

消しゴムより大きい。

車より小さい。

あなたより大きい。

などなど…

けれど、感じるものについては、
どう答えるのか。

気心知れていれば、
相手の喜びようとか、
顔の表情とか、

すっげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~。

とかの言葉表現でも伝わるでしょう。

けど、そういうことじゃ伝わらないし、
そんな方法で伝えてくれない人もいる。

そんな人に、
「どれくらい?」
って尋ねる人の方が悪い。

相手を見て、尋ねなくちゃいけない。

感じた気持ちを出来る限り、
ちゃんと伝えてあげたいとは思っても、
子供から頻繁に、

「どれくらい?」

と尋ねられると、ちょっとイラっとする。

これって、きっと、
相手の感じたことを聞きたい気持ちもあるけど、

それを聞いた答えから、
何かしら自分も喜べるような期待も
あるのでしょう。

もしかしたら、後者の期待の方が
大きいかもしれない。

だから、好奇心旺盛な顔をして、

「どれくらい?」

って聞いてくる。

アニメの「あたしんち」じゃないけど、
手を広げて、

「これくらい」

ってふざけて答えるしかないね。

すぐにでも答えが欲しいようだから…

「それじゃあ分からない」

って言うけど、私には、

「あなたの質問のほうが分からない」

っていう時があります。

2008年3月21日

レベルは変わる

他の都道府県、エリアでも、
そういうことが当たり前かは
分からないが、

私たちが高校入試の頃に
レベルがまあまあと言われていた高校が、
今では、高いという事実を知らされた。

反対に、レベルが高いと言われていたところが、
今ではそうでもないということも。

そういえば、
昔には、さらに逆転があったというから、
今になって、また、その昔に戻った、
ということなのだろう。

時代が変われば、
いろいろと変わるもんだ。

きっと、男女共学になったり、
男子校になったり、女子高になったり、
中高一貫校になったりと、
学校の経営スタイルが変わることによって、

入りたいと思う子ども、その親の気持ちも、
変わったりして、そこに集まる人々も
変化していくのだろう。

いいことのように思われる。

反対に、昔から今まで、
高いレベルのままの評価を変えないでいる学校も、
すごいことだと思う。

世の中は、少子化。

少なくなった子供たちの中から、
才能のある子供たちを、
少しでも多く集めようとすれば、
いろんな工夫をするようになるだろう。

そういう新しい工夫は、
魅力的に見えて、
なんとなく行ってみたい気持ちを
育むようになる。

新しいことに不安を感じる人もいるだろうけど、
考えてみれば、古いことにも不安はあるのだ。

学校の経営に限ったことではない。

このままでいい、
とあぐらをかいているうちに、

どんどん変わっていこうという人たちが、
変化を起こしているのに気づかなかったりする。

おいおい、聞いてないよ。

と不満をもらしたところで、
知ろうとしなかった自分が悪いのだ。

有名な音楽プロデューサーが言う。

「聞いてないよ~!」でなく
「それ教えて下さい」という前向きな心。
(つんく)

まさしく、その通りだと思う。

変わっていることに気づかなかったら、
うっかりして見落としていたら、
置き去りにされたような気持ちを感じたら、

言うべきコトバは、
「聞いてないよ~!」
「知らなかった!」
「俺を何様と思っているんだ!」
じゃない。

「教えて下さい」だよ。

2008年3月14日

おいしい給食

今日は、給食費を払わない校長先生の
ニュースが報道されている。(東京都新宿区)
「校長の給食は検食だから不要だ」という認識が、
積もり積もって、未納分は17万円。

給食の話題は、まだまだありそうだ。

全国のどこかには、

「給食費はちゃんと払っているから、
 うちの子どもに『いただきます』
 と言わせないでください。」

という親もいるらしい。

なるほど、そういう理論かぁ、
と感心してしまう。

そのご家庭では、
稼ぐ父親(または母親)に対して、
「いただきます」と言いなさい、という教育なのだろう。

じゃあ、料理してくれる母親には、
「いただきます」と言わないのか?

もしかしたら、料理しない親だから、
そういう発想なのかな?
(あくまで、想像だ…)

お弁当屋さんで、お弁当を買った時に、
その店員さんに「いただきます」っては言わない、
それと同じ発想で、給食を考えているのかも。

しかし、給食のことを考えれば、
「いただきます」っていう言葉は、
料理をしてくれた人に向かって言うわけでもなさそう。

ちなみに、給食費は安い。
うちの子供らについて言えば、
一食240円くらいの話。

すき家の「豚丼」ミニサイズのみ、
とほぼ同額。

それで、栄養のバランスもよければ、
量もそれなりにある。
私たちが食べていた頃の給食とは違って、
メニューもいろいろ…

クリスマスが近くなったり、
イベントがある時には、
「お楽しみ献立の日」とか言って、
小さいケーキなんかも持ち帰ってきた。

240円でそんなことが出来るのは、
大人数向けの食材調達、調理だからでしょう。
(それに、行政からの補助金もある)

わが家で弁当を作ったら、そうはいかない。

そう考えれば、安い値段で
いろいろと食べさせてもらって、
「いただきます」って言ってもいい気がするけど、

別に安くしてもらわなくてもいい、
という人達にとっては、そうでもなくなるか…。

それに、給食というものが、
学校という空間が崩壊しないためにも
必要なものかもしれないしね。

となると、別の立場から考えなくちゃいけない。
料理をする人への感謝でも、
安く食べさせてもらっていることへの感謝でもなく、
別のことで。

ちなみに、
よく言われている「食育」という立場からいうと、
「いただきます」というのは、
「これから食べましょう」の意味でなく、

食べ物に宿っている「生命をいただく」
という意味だそうです。

なるほど、そうなると、
すべての人に共通する
「生かされている」という視点から、
「いただきます」って言えますね。

うちの次女は、今日が小学校最後の授業。
小学校で食べる給食も、今日が最後。
給食を、おいしく食べられることでしょう…

食べること、大好きですから。

2008年3月 1日

勉強DM

飽きもせずに、
何度も何度もダイレクトメールが
わが家に来ている。

去年の末には、
「クリスマスまでの最終〆切」

今年の初めには、
「新年の特別申込期間」

そして、3月になった今は、
「新学年準備期間、〆切まであと1ヶ月」

〆切ったはずなのに、
次々と、新しい〆切が出来ている。

それをもらう長女も、
もう分かりきっている。

「また、来るよ。」

きっと、その通りだろう。

最近、期末テストが終わったばかり。
テストが返ってきて、
合計点も分かってきた。

点数的には、
これまでとそれほど変わらないが、
問題があるらしい。
他の人たちの点数が、上昇しているのだ。

いつも競っている友達とは、
(これまで2度しか勝ったことがない)
20点くらいの差がある様子。

これまで負けたことのない友達とは、
接戦になってしまった感じ…

けっこう、落ち込んでいる。

親の私も、
ほかの人達もがんばってきたなぁ、
と驚いている。

と同時に、長女の勉強について
やっぱり、要領が良くないのでは…
と改めて感じ始めてきた。

おそらく、私に似たのだろう。

1.勉強ノートを、きれいに書くことに集中している。

2.それほど大切でないことでも、100%分からないと、
  次に進めない。

こういうことにこだわっているかぎり、
要領が悪いに決まっている。

それでも、忙しくなくて、
時間がたくさんある時には、
大丈夫だった。

しかし、今は、
部活動に、冬の雪道登校に、
時間が少なくなっているのが事実。

このままじゃいけない、
っていう意識が、ちょっとは
目覚めてきたようだ。

しかし、本人の性格からして、
「安心」が出来なければ、
勇気をもって取り組めない人間でもある。

つまり、何事も心配したがる人間。

だから、下手すると、
睡眠時間を減らしたり、
勉強時間を延ばしたりして、
無理にでも、安心を得ようとするかもしれない。

それで、体を壊さないならいいけれど…

どうなるかな。

野口悠紀雄の「超」勉強法の基本三原則

1.面白いことを勉強する
2.全体から理解する(重要な点を把握する)
3.8割原則(基礎を8割理解したら応用に進む)

こういうことが必要な時期なのかもしれない。

これは、大人の勉強にも言えることだな。
私も、勉強を忘れないようにしよう。

2008年2月14日

バレンタインの許可

今どきの生徒会は、
こんなことを交渉するのか…

長女の中学校では、
生徒会がねばってねばって、
先生たちと交渉をした結果、
昨日、バレンタインデーの許可が出たらしく、
1枚の文書を持ち帰ってきた。

そこに書いている文章が、
なかなか面白い。

要点は、こんな感じ。

1.学校内、下校中に、食べない。

2.チョコ渡しのために、部活に遅れない。

3.先生方の前で堂々と渡さない。

バレンタインを堂々と許可する先生方も、
なかなか、心の広い配慮をしたものだ、
と感心しました。

禁止されるものと予想して、
バレンタイン当日に「友チョコ」の交換をしたら、
目立ってしまって怒られるだろう、と考え、
1週間前に、あげたりした女の子もいる様子。

ちなみに、うちの娘も、その一人。

ところが、どっこい。

先生方から「公式な許可」が出たもんだから、
今日は、学校で盛り上がっていることでしょうね。

盛り上がりすぎて、
ハメをはずす生徒も出てくることでしょう。
そして、やっぱり、怒られる…かな。

今日のバレンタイン・イベントが、
無事に終わるよう、祈るばかりです。

昨晩、うちのチビ三女も、
お姉ちゃんたちの真似をして、
登下校がいつも一緒の男の子に、
チョコをあげたいと言いました。

「いいよ。」と返事。

喜んで、準備をしている。

「どんなふうに言って、
 あげるの?」

「プレゼントです。」

「それもいいけど、
 いつも、一緒に帰ってくれて、
 ありがとうって言ったら?」

「うん。」

「それとも、好きです、
 って言う?」

「ううん(首を振っている)」

どうやら、ただ、
チョコをあげるイベントを
やりたいだけの小1のようです。

小1の男の子だと、
学校で渡されてから食べる可能性があるので、
今朝、登校の際に、通り道にあるその子のうちに、
次女といっしょに、寄って行くように指示した次第。

喜んでくれたかな?

私は、昨日のうち、
妻からもらいました。

好きなチョコを30個楽しめる予定です。
子供らにもあげたりして、
すでに20個しかありませんが…

2008年1月27日

迷子じゃない迷子

昨日は、隣県の岩手で、
北日本卓球大会というものがあり、
娘ら3人と、朝7:00からドライブ。

天気の違い、
というものを、
まざまざと感じるドライブでした。

1時間ほどの道のりでしたが、
その間に、あっという間に
風景が変わった感じ…

県境の山を越えると、
急速に、雪が少なくなる風景に。

川端康成の小説「雪国」にある
「国境の長いトンネルを越えるとそこは雪国だった」
の逆パターンです。

小説の言葉を読むと、
いっきに、雪国になったような感じですが、
実際は、そんなことはないだろうと思います。

急速に、雪が少なくなる…
それが実際のところ。

それでも、十分、
驚きます。

こんだけ、天候が違うんだなぁ、
日本海側と太平洋側では、
と思えるんですから。

肝心の大会結果はいうと、
長女は、中1・中2の部で3回戦止まり、
次女が、小5・小6の部でシード選手を破ってベスト8、
三女は、迷子…

すべての試合が終わって、
観客席に戻ると、
三女が消えていました。

また、誰かと仲良くなって、
どこに遊びに行ったんだろう、
と思ったのですが、

すでに夕方の6:00近い時刻でしたから、
早く見つけ出す必要がありました。

ひろーい、ひろーい体育館。
まだたくさんの人が残っています。

見つけ出すのは、ほぼ不可能に思えましたが、
早く帰りたいがために、一生懸命探しました。

一生懸命に探せば探すほど、
見つからない。

ちょっと焦り出します。

まさか、どこかに挟まったり、
誘拐されたり、事件に巻き込まれたりしていないか、
こんな私でも、ありえない心配を始めます。

30分くらい経っているような気がする。
けど、5分、10分しか経っていない。
ただ見つからない。

うーん、早く帰りたいよー。

と思いながら、歩いていると、
知人の高校生に声をかけられて、
足を止めて、試合の結果などを聞いたりしてみた。

じゃあ、って言うことで、
歩き始めた瞬間に、
見覚えのある顔。

あ、この子は、
さっき、うちの三女と遊んでいた子だ。

と視線をずらすと、
その近くの中学生と遊んでいる「迷子」を発見。
笑い転げている…小1。

よかったー!

こいつー、心配かけやがって。

帰りのドライブは、
途中から雪国に変わって、
急に寒さを感じる気分でした。

2008年1月23日

男と女の守り方

もちろん、
性格というものもあるだろうけれど、
男が何かを守ろうとするとき、
女が何かを守ろうとするとき、

きっと、その守り方は、
どこかしら違うように思う。

たとえば、
自分の子供を守るときに、

女性である母親は、
子供が感じていること、感情、心を
守ろうとする傾向があるんじゃないだろうか。

男性である父親は、
心を強くさせて、
子ども自身の身を自分で守れるようにすることで、
守ろうとする傾向があるんじゃないだろうか。

守りたい気持ちは同じだけれど、
そもすると、違うものを守ろうとしているように見える。
…かもしれない。

そういうことの積み重ねが、
夫婦の教育方針の違いみたいな感じで、
浮き上がってくるかもしれないですね。

それが、
会社での自分の守り方は、
どういうふうになるんだろう?

女性は、
仕事や人間関係に対する「自分の感情」を
守ろうとする傾向があるのかな。

男性は、
仕事や人間関係における「自分の強さ」を
守ろうとする傾向があるのかな。

思いへの理解、
強さへの願望、
どちらが正しくどちらが誤り、
ということはなく、

それがうまくかみ合って、
いっしょに何かを育てたり、
成長していくときに、
男女ともに喜ぶことができる。

それが「違い」ばかり気になったり、
まったく正反対の方向へ
引っ張っていこうと戦う時には、
空中分解する。

守りたい気持ちは同じなのに、
残念なこと。

感情と強さ、
女と男…

うまくいく人間関係でありたいものです。

2008年1月20日

タダより怖いもの

やっぱり、
タダより怖いものはない。

…かもしれない。

うちは、3人娘だから、
1,2,3と自動的にお下がりがあって、
かなり経済的に助かっているだろう。

ぜんぶ娘っていうのは、
ちょっとつまらないけれど、
そういう経済的な意味では、
けっこう便利だと思っている。

そこに、3人娘、
という間違いない事実があるから、
女の子を育てた知人などから、
「もう着ないから」という理由で、
お下がりをもらう。

先日も、
「もう遊ばないオモチャとかがあるから」
ということで、三女のために、
お下がりをもらうことになった。

もらいに行ってみると…

帰ろうとする間際に、

「Shuさん、もう1つ仕事をやってみる気ないですか?」

というお誘い。

お!これは…

と思って話を聞いてみると、
案の定、ネットワークビジネスのお誘い。

お~~~~~!
そういう手があったのか。

タダでもらっている恩義があるから、
とは言っても、
ちょっとした手土産くらいは持って行くが、
それでも、気が重くなる。

話をちょっと聞きかけて、

「わたし、あんまり人間関係がないから」

と返事した。

えっ?

と言われる。

とっさに出た言い訳だったが、
かなりの効果があったようだ。

そうか、考えてみれば、
ネットワークビジネスは、
人間関係がなければ、
どうにもならない。
商品でもサービスでも
広げようがない、広がりようがない。

その知人も、それ以上話を広げることが出来ず、
間もなく終わった。

これは、いい返事を見つけた。

また、別の誰かから誘われたら、
そういう返事でいこう。

しかし、タダより安いもの、
タダより怖いものはない。

2008年1月17日

スキー教室の先生です

今日は、スキー教室の先生をやります。

小6の次女のクラスにおいて、
インストラクターは親が名乗りでるのですが、
名乗り出てくれた人が少なくて、
わたしに声がかかりました。

冬休みに、1度滑っただけです。

ちょっと心配です。

受け持つグループが、
第5グループということで、
中間レベルの子供らのようですから、
わたしでも大丈夫ということでしょう。

奥さんに、のり弁当をつくってもらって、
子供らのバスを追いかけて
運転していきます。

のり弁当が好きなんです。

学生として寮生活を送っていた頃に、
初めて「のり弁当」というものに出会ってから、
かなり気に入りました。

当時は、220円くらいだったんじゃないかな。

わたしは、好き嫌いが激しかったけれど、
寮のご飯を食べるだけで間に合わせようと
がんばったんです。

けれど、そんなことをがんばらないで、
嫌いなものは食べないという先輩たちは、
よく、ほか弁を食べていましたね。

1年生になったばかりの私は、
やっぱり「使いッ走り」ですが、
ただでやらされることはめったになく、
だいたいは、自分の分をおご