まいり
このお盆の時期は、
行くところが多い。
ついでに、
20歳を迎える人々は、
田舎に帰省してきたときに、
成人式なんていうものに
行ったりもする。
どこかに行く、
ということは、
誰かに出会う、
ということであり、
それが
生きている人か、
亡くなった人かは、
それぞれ違ってくる。
出会いたくなければ、
行かなければいいし、
行ったとしても、
必ずしも目当ての人と
出会えるとは限らない。
そして、
人は、誰かと出会うとき、
その人と出会ったことにするかどうかを、
また、心のなかで選んでいる気がする。
出会ったことにしないなら、
しばらくして忘れる。
いろんな出会いのなかで、
その人を心のなかに
受け入れなければ、
出会いは成り立たない。
どこかで、避けていれば、
心の中にも残らない。
亡くなった人のことを、
このお盆の時期にしか
しっかり思い出さない、
ということは、
亡くなった人にとって
どれだけ悲しいことか、
あるいは、
どれだけ気楽なことかは、
分からない。
思い出して欲しくない相手もいれば、
必ず思い出して欲しい相手もいるだろう。
生きている私たちにだって、
思い出されたい相手もいれば、
思い出されることさえ気持ち悪いと
思えるような相手だっている。
出会う、
心のなかに受け入れる、
思い出す。
人は、そういう感情を通して、
人とのつながりをつくっているんだろうな。
それほど、つながりを求めない私ですら、
自然と、そんなものをこしらえている気がする。
今日で、とりあえず、
お盆の雰囲気は終わり。
今日は、誰と出会えるかな。
そういえば、先日あった七夕祭りで、
あまり会いたかったわけじゃないけど、
会うだろうなぁっていう人と、
やっぱり会った私だった。
だいたい、1年ぶり...
会うもんなんですね。
でも、会ってみれば、
それほど嫌な気持ちになったわけでもない。
なつかしさが、勝っていたな。
人の出会いの空気は、
時間とともに変わっていくもんだと思った。









