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常識は、それほど常識じゃない。 Common sense is not so common.  (Vortaire、訳:Shu)

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2010年3月10日

かるーく本気で

今の世の中、
変化が激しいから、

これだ、って思うことに、
あんまりにも本気なりすぎて、
それがハズレてしまった場合に、

フットワークが重くなっていると、
ハズレてしまったことよりも、
次の行動ができないことのほうが、
重傷だったりする気がします。

ハズレ、失敗は、
よくあること。
あって当たり前のこと。

もっと大切なのは、
その後の行動。

だから、気持ち的には、
かるーく本気で
がんばっている状態が、
ベストなんじゃないかな、
って考えています。

すると、ハズレだったことにも、
次のヒントが見えてくる。

ハズレを、あんまりにも、
落ち込む必要もなくなる。

ハズレても、
次のチャンスが何かあるかもしれない、
ということに、アンテナを敏感にしていられる。

人は、どうしても、
自分のポジションが気になる存在なんだな。
1番か、2番か、それとも、みんなより前か、
後ろか。そういうことばかりを、
本気に考えて、気にしている。

けれど、かるーく本気になれば、
そんなポジションよりも、
大切なことが見えてくる。

今のポジションに、しがみつくのが、
けっこう危ないって分かってくる。

つまり、フットワークの軽さって、
ホント、大切だなぁって思う。
スポーツでも、仕事でも。

これで、決まったぁ~!!、決まりだぁ~~!!

って思っているときが、一番危ない。

きっと、フットワークが重くなっているから。

「なんか、ダメっぽいな。
 次は、何をしようかな。」

こう考えられる状態のときが、
一番いいのかもしれない。

2010年2月23日

2006年はもう昔

最近、新しい音楽を
次々とiPod touchに入れて、
聴いて歩いているので、

わたしのiPod touchに入りきらなくなってきた
音楽ファイルが出てきた。

そこで、ある年代で、
うまく分けようとしたら、
なんとなく、2006年という数字が出てきた。

2006年以前は、古い、
として、iPod touchには
取り込まない。

2007年からの分は、
取り込むという感じ。

そうしたら、
ちょうどいい感じになった。

ここで思った、
2006年って、もう昔のことなんだ。

どうなんだろう、この感覚は...?

頭のなかでは、
2006年っていうのは、
まだ4年くらい前のことで、
それほど昔じゃないのだけれど、

音楽というか、
そういう創作されたものが、
古いと見なされるには、
十分に、昔といえる年数なんだろうな、
って。

4年前で、
もう古いのかなぁ。

こりゃぁ、大変だな。

きっと、
もっとスピード感覚の速い人にとっては、
1、2年、下手すると、数ヶ月レベルで、
本当に、古くなった、と感じている人もいるかもしれない。

性格の場合もあるだろうし、
職業柄、ってこともあるだろう。

時間感覚をもっと早くして、
生きていくことを楽しまなくちゃいけないな。

2010年2月14日

質と量のチョコ

今日は、バレンタイン。lovely
わが家は、今日、
みんなで、次女の卓球大会に出かけて、
朝から晩まで忙しい予定なので、

昨日のうちに、
バレンタインのチョコレートをもらった。

リクエストしたのは、
Tangoチョコレートっていうやつ。

何の気なしに、
100円ショップ・ダイソーで買ったチョコが、
おいしかったので、お気に入りになった。good

ところが、ここ、しばらく、
売っているところを見かけなかったが、
ついぞ、最近、また見かけるようになり、
この機会にと思い、3枚リクエストした。

tango-cookie

tango-tiramisu

tango-crunch

これは、ホントに、お得だ。
で、味も、好み。

140gで、105円だからね。

定番のロッテ「Ghana」は、
60gで、88円とかで売っている。pass

ワタシ的には、このガーナより、
かなり好みだ。

世の中に、もっともっとおいしいチョコレートは、
きっと、あるだろうけれど、そして、
とてつもない値段で売っているだろうけれど、

質と量を考えながら、
やっぱり、おいしいのがいい、
と思って、探していれば、
いい値段で、うまいものに出会うもんだ。

このダイソーで売っている、
Tangoチョコ。

楽天では、Tango チョコレート 190円
で売っているんだな。
沖縄の輸入品屋さんのようだ。
高いもんだ。

ダイソーは、105円。
世の中の値段ってものは、
どうなっているか、つくづく分からないもんだ。dollar

もし、まだ、食べたことがない人がいましたら、
どうぞ、Tangoチョコレート、オススメしますよ。

まだ、3種類しか食べたことありませんが、
オススメ順は、
1.クッキー、
2.ティラミス、
3.マックスクランチ

どうぞ、お試しください。

105円にしては、絶対においしいから。heart01

2010年2月 2日

無料が当たり前

世の中には、
マーケティング戦略の一環として、
「無料」というものが
なんだか当たり前になってきている。

そういう自分も、
知らず知らずのうちに、
無料病になっていたな、
というのを感じました。

たとえば、
無料の条件を自分でよく調べずに、
申し込んで、あとになって、
自分が、その無料に該当しなかった、
ということが分かったとき、

怒るべきは、自分なのに、
その条件の「書き方」「伝え方」が悪い、
と怒るのだ。

その心情は、私も理解するが、
読めば、ちゃんと書いてあることでも、
そういうふうな言われ方があるわけだから、

そもそも、伝える、
というのは難しいのです。

まして、相手の期待がふくらむように、
書いてあることだと、
自分には関係ないことなのに、
勝手に期待をふくらませてしまう人々が
いるのも、よくあること。

そういう人は、
無料病にかかっているから、
生きていく時には、
注意しないといけないですね。

自分の子供には、
給食費を払わずに、
無料で給食を食べさせていながら、
自分の働きが「ただ扱い」されると怒る人。

そもそも、無料のものなんて、
そう、めったにないのだ。

誰かが、どこかで、
そのコストを負担してくれているだけ。

感謝する気持ちがないと、
無料のものをもらう権利はないんじゃないか、
そんな気がする昨今です。

自戒もふくめて、そう感じました。

2010年2月 1日

ひと晩寝ると、時代に遅れる

ネットにつながっていると、
誰がなにをしているか、
がリアルタイムで分かってきます。

リアルタイムという表現は、
大げさかもしれませんが、
自分がやってみようと思っていたことを、
すでにチャレンジして、
成功した人、失敗した人がいる、
という事実に出くわします。

ああ、すごいなぁ、
という感動とともに、

自分が思いついたときには、
これは、いい思いつきだぞ、
と考えていたことでも、

いやいや、上には上がいるな、
という、ちょっとしたガッカリ感も
味わうわけです。

そして、自分って、
時代遅れかなぁ、という感じも。

その時代遅れ、
という現実か、妄想か、
分かりませんが、

それに、ちょっとぶちのめされたときには、
時代遅れをあきらめるために、
休んでしまうことが大切だなぁ、
って思うんです。

あるいは、早々に寝てしまう。

ひと晩、寝てしまえば、
さらに、時代遅れになってしまう
かもしれませんが、

その方向ではあきらめることにして、
また、別の思いつきを考えることにする。
そのための気分転換として、
寝てしまうっていうのがいい。

睡眠時間を削って、
追いつこうとしても、
追いつけるもんじゃないことも多い。

新たな方向を見つけるためにも、
寝てしまう。わざと時代に遅れて、
誰も通っていなそうな別の道を探す。

時代遅れは、悪くないのだ。

そういえば、そんな歌もあったな。

きっと、その歌さえも、時代遅れだ(笑)

2010年1月21日

つながる力

勝間和代さんが、
つながる力」って本を出版して、
週刊ダイヤモンドが、
ツイッター特集」をやって、

この社会がつながりやすくなっていることを、
ますます、実感できるようになって、
実際に、つながることが多くなっているように思います。

たしかに、
情報とコミュニケーションという意味では、
かなり、つながってきている。

もちろん、それに参加しないで、
傍観している人も多いとは思いますが、

何事も、参加する人、活発な人が多ければ、
そこには、必然的に、人が集まるようになって、
何か面白い現象が起きてくると思うんですよね。
(期待としても、現実としても...)

ただ、それは、
世界のなかの一部だけでの話、
だってことも忘れちゃいけない。

つながってる、つながってる、
といっても、本当に、ごく一部だけで、
つながっていることなんです。

それ以外の、つながっていないところも、
依然として、かなり多く残っている。

しかし、同時に、
人一人が、そんなに多くの人と
つながれるわけもないから、

今つながっていられる人を
大切にしていくとか、
つきあっていくとかしていれば、
生きていくことが楽しくなるはず。

つながる力っていうのは、
多くの人とつながることが
目標なんじゃなくて、

自分といっしょに何かできる人、
つながることで何かを感じたり
感じさせられたりする人を見つけること、
そういうことが目標なんだと思います。

今日も、そんな人とつながろう。
楽しくなってきそうだな。

ツイッター、まだやっていない人は、
どうぞ。>> twitter

2010年1月20日

ムービー撮影

娘らの卓球する姿を撮影し、
練習に活かそうと考え、
初めて購入したデジタルビデオカメラ。

中3の長女が小6のときだったから、
まだ(もう?)3年しか使っていないが、
どうやら、故障した様子。

メーカーにメールで問い合わせたところ、
パッとした回答はもらえず、
概算見積もり14,700円という
数字だけが出てきた。

うーん、これだったら、
今流行っている、
SANYOのXacti 18,606円が
買えるような値段だ。
>> SANYO デジタルムービーカメラ Xacti ザクティ DMX-CG11

もう、デジタルビデオカメラに、
用はない、ということで買うことをあきらめるか。

はたまた、これを買って、
娘の卓球の試合ばかりでなく、
ムービー撮影&アップロードを
楽しむ世界にはまり込んでいくか。

ちょっと考えてしまっているところです。

物欲の嵐に、ちょこっと
飲み込まれそうな空気。

うちの奥さんは、
どうなんだろう?

欲しいかな、
勇姿を見たいかな。

うーん、どうしよう?

物欲に悩まされるっていうのは、
ちょっとした幸せだ。

2010年1月16日

時間ケチ

自分のことを、
ケチだと思います。

とくに、時間ケチ。
あとで、後悔するようなことに、
できるかぎり、時間を
費やしたくない感じ。

で、時間ケチと同時に、
やっぱり、お金のケチも
出てきます。

あとで、後悔するようなことに、
お金を使いたくない。

身勝手ながら、
自分が買いたいものには、
それなりの理由を見つけて、
衝動買いもあり、なのですが、

子どもが欲しいものとかには、
「それって、あとあと、
 使わなくなるんじゃないの、
 要らなくなるんじゃないの?」
といいたくなるんですよね。

もちろん、
そういう判断で、
得をすることもありますが、
損をすることもあります。

というのは、
要らないと思っていたものが
こりゃあ絶対に必要だな、
と思ったときには、

買い時のタイミングを
逃しちゃっているときです。

半額セールが終わっていたり、
輸入の通販であれば、
円安になってしまっていたり。

ああ、あのときに、
ちゃんと買っておけばよかった、
となるわけです。

ケチとは難しい性格かもしれません。
100%、ケチで成功するとは限らない。
逆に、失敗するとも限らない。

その時々の判断とタイミングで、
結果も変わってきます。

だいたい、
後々のことなんて、
人間がどう予測したって、
変わってくる可能性ありますからね。

今のことへのケチは、
そんなご判断は少ないとしても、
未来のことへのケチは、
よくよく考えたほうがよさそうです。

2010年1月 9日

ぜんぶは買えない

お年玉の計算をして、
頭のなかで、
あれを買おうか、
これを買おうか、
友達と何をして遊ぼうか、

そんな企てが透けて見える
娘たちの顔。

ただ、長女は、
受験生だから、
ちょっとは冷静。

次女は、
友達とお出かけして、
遊ぶシーンが出来ている様子。

三女は、わたしの真似をして、
iPod touchを買って一人占めして、
遊んでいるシーン。

お金が入れば、
いろんな想像をしたくなる。
そんなことを可能にする、
お金の存在っていうのは、
本当に、ありがたいもんです。

ただ、欲しいものをぜんぶ
リストアップしたら、
残念ながら、ぜんぶは買えない、
という事実もあります。

そんな気持ちをいくらか
満足させてくれるのが、
カタログを見たり、
ウィンドウ・ショッピング。

あるいは、
インターネットでの商品検索。

物欲は尽きることを知りません。

うちの次女を見ていても、
そういうことが分かります。
貯金することを惜しがる顔が
見え隠れする...

そんな次女に、

「おまえ、自分で店を開くつもりで、
 欲しい商品とか、他の人も買いたくなるような商品の
 リストを作ってみたら...」

とアドバイスしてみた。

さっそく、手順を教えたら、
作り上げてしまった。
Teensショップ@Amazon

ここにそろっている商品を見てみて、
なんか、次女の頭の中身が見えてきた。
見ているだけで、
なんだか、ちょっと楽しい...

おまけに、次女本人も、
このショップに、
商品を並べただけでも、
ちょっと満足した様子。

そんな、商品選びから、
満足を得て、本当に欲しいものを
絞り込める人間になって欲しいもんです。

最終的には、何にお金を使うんだろうか。

2009年12月27日

無地の年賀状

年賀状を、
パソコンで作るのに、
かなり飽きてきています。

今年は、
すべて手書きにしようか、
と思っているくらい。

まわりの人間のなかでは、
誰よりも早くパソコンで作り、

誰よりも早く
味気ない年賀状を出したと、
非難(?笑)され、

その次には、
メールで年賀状を出すことに
早々と転向し、

そんなんじゃ意味ないだろ!、
と自分でツッコミを入れ、

自分でも、年賀状は、
何で出せばいいのか...
と考え始めた昨今、

そろそろ、手書きかな、
と思い始めたわけです。

25日まで投函すれば、
元日に届くという話ですが、
もうすでに25日も過ぎて、

うちの奥さんも、
そろそろと思って、
年賀状を買いにいくや、
最初にいったスーパーでは、
「無地の年賀状は扱ってはいない」と言われ、

それだけで落ち込んでいたいるするから、
わたしは、おかしいと笑ってしまう。

いいじゃん、いいじゃん、
年賀状が届いてから、買っても間に合うよ、
と言ってもきかず、

ご機嫌がなおるように、
すぐ近くのコンビニに行った。

すぐに、無地の年賀状はあった。

無地の年賀状のとなりには、
5枚入りで、498円とかの
印刷のある年賀状が置かれている。

ああ、なるほど、
無地の年賀状を売っていたんじゃ、
儲けられないからなんだろうなぁ、
とスーパーのやり方を考えたりもした。

さて、年賀状は手に入った。
あとは、何を書こうか、
というところ。

やっぱり、コンテンツなのだ。
お正月がくるまで、考えておこう、と思う。
この無地の年賀状のために。

2009年12月 5日

使い方を考える

世の中には、
いろんないいものがあって、
その中には、
なんだか分からないけど、
なんかすごいぞ、いいもんだぞ、
っていうのがあります。

twitterみたいなもんも、
その一例だと思います。

毎日、いろんな「つぶやき」を
投稿していますが、

正直、これが、
どんな意味をもつんだろう、
と考えたりもします。

考えたら、結論は、
正直、そんなに意味がない、
というものになる。

けれど、意味の前に、
なんだか、面白い、
という気持ちがくるのは事実で、

今は、なんか、やめたくないな、
っていうものもあるわけです。

やっぱり、使い方。

使い方を考えないと、
新しく生まれるものでも、ツールでも、
何でも、自分が使われることになる。

これからも、新しいものがどんどん
でてくるんだろうなぁ。

そのなかに、
「こりゃ、いいわぁ」
と思うものも数少ないだろうけど、
きっと、ある。

でたばかりのときには、
分からないけれど、
あとになって、良さがわかってくるものもある。

その1うつ1つに興味だけはもっておいて、
どう付き合うかは、付き合いながら考えていく。
しばらくしたら、付き合い続けるかの結論を出す。

いったん、別れて、
後になって、付き合いを再開するものもある。

考えてみれば、わたしとiPodの関係もそんな感じ。
1台目は、ある程度使ったら、聴かなくなった。

2台目は、iPod touchを購入。
これは、買って3ヶ月が経ったけれど、
ますます使い込んでいる。


iPod

これ、いいですわ。
私が行く先々の環境には、
だいたい、無線LANがあるので、
ストレスなく、インターネットにつなげられる。

仮に、無線LAN環境がなければないで、
音楽を聴いたり、本を読んだり、ゲームをしたり、
退屈することがない。

われながら、時間をうまく使っている気がする。

通信費も払う必要もなく、
唯一の心配は、バッテリだけ。

ゲームをやったりすれば、2時間くらいしか
もたないもんだけど、音楽だけを聴くなら、
1日中、きっとOKだろう。

使い方、使い方。
まだまだ、いろんな使い方ができるんだろうなぁ。

iPod touchだけ、1つ取り上げても、
こんなに世界が広がるんだから、
こんなにモノであふれた世の中には、
いろんなものの、いろんな使い方があるんだろうな。

死ぬまで、どれだけのものにふれられるか。
ふれたいような、時間が足りないような、
ちょっと複雑だな。

2009年12月 3日

じわじわ

体にいいか悪いか、
リバウンドするかしないか、
を考えず、

10kgのダイエットをするために、
じわじわとやせる方法と、
あっという間にやせる方法があったら、
ほとんどの人が、
あっという間にやせる方を
選ぶだろうと思う。

もし、じわじわやせたい、
という方を選ぶ人がいるとしたら、
それは、本気でやせたいと思っていないか、
自分はやせているからダイエットの必要がなく、
じわじわでもいいかな、と思っている人じゃないだろうか。

できれば、
さくっと、すぐにやせたい。

行動をしたら、
すぐに成功したい、
幸せになりたい、

そう思うのが人間の感情。

でも、現実では、
その「つづき」が怖い。

さくっと成功したら、
急に注目されたら、
あっという間にやせたら、

と考えると、
成功のあとには失敗があるだろうし、
注目のあとには落ち目もありえる。

急激なダイエット成功のあとには、
リバウンドもある。

経験を何度もしてくると、
「じわじわ」っていうのがいいな、
という気がしてくるのは、わたしだけかな。

急に、変わるのは、まずい。

「あなたも、たった○日間でペラペラ」

とか広告の文句があったとしても、
その後が、怖いのだ。

じわじわ、が一番。
あっという間、っていうのが最悪。

そういう視点で、
自分の努力の方向を考えるクセをつけたら、
いろんなことが、心を揺さぶられずに、
がんばれるんじゃないだろうか。

2009年11月29日

皮肉な言葉ほど...

言われて嫌な言葉ほど、
言ってみたい言葉だったりします。

気分爽快にもなれば、
愉快な気持ちにもなれたりもする。

自分がいいたいことを、
他人が言っている姿を見るのも、また痛快。

ハッキリ見えるトゲもあれば、
よく見えないトゲもあります。
そのトゲをどんなふうに隠して、
皮肉な言葉を発するか。

頭が回らないと、なかなか出来ない。

今は消えた麻生総理が、
「子どもの時から
 人に好かれる努力もしなかったし、
 好かれたこともあんまりなかった」。

なんてことを言っていたシーンが
あったようです。
内閣支持率が低迷しているときに...

これが、ユーモア目的なら、
いいのですが、

これを言わせている、
マスコミ(国民?)の責め方もおかしいし、

言っている本人も、
やっぱり、おかしい。

そんな人物が、
国のリーダーをやっている国なんだよ、
っていう、皮肉にも思えます。

自分を皮肉っているようで、
結局、相手にを皮肉っている。
かなり、高度な「皮肉り方」...

ここまで、できると天才?

うーん、できれば、
皮肉をいうより、
ストレートな言い方のほうが、
分かりやすいかもな。

2009年11月24日

Twitterな1日

勤労感謝の日だった昨日。
わたしは、どんだけ休んだことか?

というよりも、
Twitterな1日でした。

長女と次女は、今日から始まる、
中間テストのお勉強。

一生懸命にやったり、
気が抜けたり...
その繰り返し。

わたしは、勉強をしている彼女らの横で、
ひたすら、Twitterな一日。

これって、なんだろう?
どういうふうにすれば、
使えるんだろう?

頭の中の整理がつかないと、
本気で使い始められない私は、
ひたすら、Twitterと向き合っていた。

新しいものには、
すぐに飛びつく。

けれど、本気になるためには、
それと、自分との関係が
スッキリ、ハッキリ見えてこないと、
私は、距離を置いたままにすることが多い。

Twitterに登録をしたのが、
7月のようだから、11月になった今、
4ヶ月、ほうっておいたまま。

でも、昨日は、
Twitterにのめりこんだ。

これって、なんか、面白い。
mixiのときにも、面白いとおもったけれど、
それを超えるね。

Twitterは、面白いよ。
140文字で、ただ、つぶやく。
だれが聞いていようが、
聞いていまいが、つぶやく。

そもそも、わたしって、
日々のなかで、
声にださずとも、
けっこう、つぶやいている人間かもしれない、
そんな発見まで、しちゃったわけで。

これは、インターネットを通して、
ちょっとワイワイ、コミュニケーションしたい人には、
つながりたい人には、お薦めだな。

やってみください、Twitter

2009年11月22日

目の前のスッキリ

自分って、結局、
こういうことがしたかったんだ、
ということに、突然、
気づかされることがあります。

私の場合は、その1つが、
整理の才能のように思う。

とにかく、目の前をスッキリさせたい。
モノばかりでなく、コトもそうしたいのだ。

コトというからには、
出来事、やること、仕事、
そんなものも含まれる。

いちばんやっかいな、
人間関係というものまでも...

この人間関係についていまで、
「スッキリ願望」をもっていることについては、
われながら、無謀だなと思っています。

無理でしょう、そこは。

そこで、なんで、
このスッキリ願望があるのか、
整理の才能があるのか、
って考えてみたんですよね。

自分の生まれ育った環境にあるような気がします。
かなり、めちゃくちゃだったから。

家族内の人間関係、
それぞれがやっていること、
みんな、めちゃくちゃだった。
だから、けっこう不安な場所だったと思う。

子供心に、それらの前では、
無力感を感じていたから、
そういう時間が長かった分、
「スッキリさせたい」
という願望が強くなったんじゃないか、
なんて、自分を分析してみた。

この分析も、結局は、
外れているかもしれない。

でも、こんなふうに解釈して、
自分がスッキリするから、
それはそれで、自己満足が果たされて、
ちょっとは意味があるんだよね。

ほかの誰かに、
的を射た理由で、
反論されたら、また、
スッキリしなくなるだろうな。

そして、さらに、
スッキリする方法を、
知らず知らずのうちに、
探し始めることでしょう。

それだけ、
スッキリに願望が強い。

いつも、そんな感じ。
きっと、そうなんだろうと思う。

けれど、この願望は、
そもそも、無理があるんですよ。

人間が生きていくことは、
かなりの確率で、
めちゃくちゃになることだからね。

スッキリ願望っていうのは、
わがままなことかもしれないな。

でも、しょうがない。
心の奥底に染み込んでしまった願望だから、
出来ることは、それが良い方向に機能するよう、
いろいろと工夫することだけだ。

2009年11月19日

自分のセキュリティ

自分のことを、
もしかして犯罪者になるかもしれない、
などと考える人は多いだろうか、
少ないだろうか。

わたしは、落ち着いて考えてみれば、
半分半分くらいになるんじゃないか、
と思っている。

だれしも、かなりキツイ状況に追い込まれれば、
そうなりうる可能性は、もっているんじゃないか、
と考えます。

もし、そういう認識がないと、
「自分は大丈夫」というおごりで、
恥をかくこともあるのでは...

たとえば、自宅のセキュリティを
ほぼ完璧なまでにするとします。
防犯カメラ、カギ、感知器、ボディガード、
などなど。

やろうと思えば、
今の時代は、いろんなことが
できてしまう。

防犯カメラにしても、
ただ映像を映すばかりでなく、
画像の動きを自動的に感知して、
異常を察すれば、警報を発したり、
逃げるための扉が開いたり、
犯人を閉じ込めるための扉が閉まったり、
技術が進化すればするほど、
いろんなセキュリティ機能が高まっています。

そういうセキュリティ設備に、
囲まれれば、
「私は大丈夫」と思ったとしても、
間違いではないでしょう。

そこでです。
そこのお宅の息子さんが、
外で、重大な犯罪を犯したとしたら、
どうなるか。

自分は、
犯罪から身を守ることに熱心になりながら、
自分もしくは身内から
犯罪者が出ることを防ぐことには
熱心になっていなかった、と見られることになる。

犯罪から身を守ることも大切だけれど、
犯罪者が出ないようにすることも大切。

身内からは出て欲しくない、
という気持ちは、ほとんどの人の心の中に
あるでしょうけど、

自分の住む社会から
犯罪者が出ないようにする
というのは、みんながみんな持てる感情ではない。

下手をすると、身のまわりにいる人間、
身内もすべて含めて犯罪者として疑い、
それを想定した、セキュリティ設備だって
開発されるかもしれません。

けれど、自分が犯罪者にならないようにする、
というセキュリティ機能は、その中には、
きっと含まれないでしょう。

それは、また、別次元の話だから。

たいせつなことは、どっちなんだろう?
もちろん、どっちも大切なんでしょうけど、
ふと、そんなことを考えてしまいました。

暴走するセキュリティ4862483682

暴走するセキュリティ、まさしくこれでしょ。

2009年11月10日

戻っちゃう

人は、逃げ道に進んだはずが、
その先で、ちょっとした困難に出合うと、
戻っちゃう習性があるようです。

逃げ道に進んだ理由が、
逃げないと大変な目に合う、
とういことだったとしても、

思わず、戻っちゃう。

もしかしたら、
今度は、大丈夫かもしれない。
みたいな感じに...

それはね、
根拠のない期待なんですよ。

逃げ道の先に、
困難が多くて、
めげちゃった、という感じ。

これ、否定できない事実。

なんで、こんなことを考えたか、
というと、ゲームをやっていて、
それを考えた。

9月に買った、
iPodは、ゲーム機のない、
我が家ではたいへん好評で、

子供たちが、次々と
ゲームにはまります。

とは言っても、
時間制限をつくって
遊ばせているので、
30分ほどしかできないんですけどね。

で、お父さんをも挑発してくる。

「これ、けっこう難しいよ。
 お父さん、できる?」

ルールは、それほど難しくないゲーム。
だけれど、なかなか、敵も手ごわい。

1つの方法がうまくいかず、
逃げるのですが、
その逃げた先でも、
また困難に出合う。

もう少し、研究心をもって、
その逃げた先を研究すればいいんでしょうけど、
もっと簡単なはずだ、という期待感が、
その気持ちをめげさせてしまって、
元に戻ろうとする。

戻れば、結果は決まっている。
完敗! ちょー完敗。

勝てません。

やっぱりかぁ~、という確認になるのみ。

それでも、戻っちゃう。

なんだろう、これって。

根気が足りない、というのか。

いずれにしろ、逃げたんなら、
逃げた先で、一生懸命に、
進める道を探すなり、
切り開かなくてはいけないのだ。

戻るな、あきらめず、進め!

ゲームなのに、ちょっと、真剣に、
自分に「カツ!」を入れたくなっている私です。

なんか、人生にも、かかわりがありそうで...

たいしたことないことなのに、
そこまで、自分のことをからめてしまうことって、
私の場合、他にもありますね。皆さんは、いかがですか?

2009年11月 5日

残らない時間

1日を終わってみて、
ふりかえるとき、

なんだか分からない時間が、
あったりします。

仕事で、
日報とかを付けている人であれば、
何をしたか、絶対に思い出せない時間。

しかし、あるときに、
ふと気づかされます。

ああ、こんなことをしている時間が、
今日の終わりのときには、
きっと、思い出せないんだろうなぁ、と。

それは、どんな時間かといえば、
何かトラブルにめぐり合って、
そのトラブルを解決するために、
その核心に迫る作業でなく、

そのまわりのことを
やり始めてしまう感じです。

掃除を始めたり、
整理を始めたり、
それに必要なものを探したり、
買いに出かけたり、

パソコン仕事の場合には、
なにかいいソフトはないか、
と探し始めたり、
設定をいじって、
いろいろと試してみたり。

パソコンに向き合うことによって、
自分に対しても、他人に対しても、
仕事をしているんだ、という空気を
かもし出すことができるようになった、今の時代。

けれども、果たして、
本当に、意味のあることをしているか、
といえば、半分はそうじゃないかもしれない。

その半分というのは、
前述のように、
後になってみれば、
何も残らない時間。

もちろん、その最中には、
価値ある、今やっておけば後で楽になる、
とか、自分なりの理由を見つけて、
がんばっていることなんですがね。

けれど、正直なところ、
残らないんです。

見えない仕事は、やっぱり、
残らない。

パソコンの仕事は、
そのボーダーラインが微妙になってきて、
なんだか、やっている自分すら、
怪しいなぁ、と感じる今日この頃です。

パソコンの前に座っていれば、
仕事をしている。

ほんのちょっと前には、
疑われていた姿も、

今は、かえって、
信頼されている?

もし、そうだとすれば、
だめだなぁ...

そんな気がしました。

私も、注意しなくちゃ。

パソコンの前に座っているときには、
自分は、仕事をしていないかもしれない、
そんな疑いをもって、自分の仕事を
考えてみたいと思います。

2009年10月31日

無駄なこと好き

時間の節約という観点から見れば、
絶対にやらなくてもいいはずのことを、
人は、かなりの時間をかけて
やっていたりする。

特に、男の人はそうらしい...?

とテレビでやっていた。

フィギュア集めとか、
切手コレクションとか、
そういう類の収集作業。

私には、そんなことをする趣味はないけれど、
ちょっと見方を変えれば、それに似たようなことを
してしまっている傾向がある、
といえば、ある気がする。

いわゆる、なんでも、
自分で直してみたくなる、
というクセだ。

直してみたくなるためには、
世の中、材料に事欠くことはない。

必ず、何か、いつか壊れているから。
自分のもの、家庭のものに限らず、
身の回りのものは、すべて壊れる運命にあって、

壊れて欲しくないようなときに、
しっかりと壊れてくれる。

1ヶ月ほど前は、4年間使ったノートPCの、
液晶表示がしばらく不調だったため、

それまでも、原因究明には挑んでいたが、
本気になって、分解をして、
原因を究明するところまでいった。

いちおう、電気工学科卒業なので...

というか、不調の原因を手繰っていき、
そんなレベルの高くない私でも分かる、
「線が切れていた」という事実を発見したに過ぎない。

ただ、この話には続きがあって、
やったー、と思いきや、
ほかのところへの注意を怠って、
作業を進めているうちに、
ほかのところを、本当に壊してしまった。

もう、このPCは動かない。

昨日は、同じく、4年ほど使った掃除機が、
動かなくなった、ということで、
奥様からのヘルプ。

最初は、取扱説明書を見て、
現象を確かめたところ、
電源はちゃんと入るのだが、
どうやら、保護装置というのが働いてしまって、
動かない現象のようだ、というところまで突き詰める。

ところが、その復旧作業を、
マニュアルどおりにやっても、
復旧してくれない。

こういうときの、インターネットと思い、
検索をしてみると、同じような現象に出くわして、
解決した人々の声に、行き当たる。

ああ、インターネットって、
本当に、便利な世界だ。

ホームセンターに、故障部分の代替となるパーツを
買いに出かけて、いろいろ探して、なんとか見つけ出す。

カーボンブラシといって、
鉛筆の芯と同じ素材でできた部品だった。
うちの掃除機に合うよう、
カッターで削る、削る、削る...

手は真っ黒になってくる。

久々に、ハンダゴテなんていうものも使って、
接続完了。スイッチオン。

ブ~ン。

感動である。

修理に出したら、きっと、
1万3千円はとられるというネット情報。

私が使ったのは、
部品の買い物と修理を合わせて2時間ほど、
あとは部品代328円。
(実際に使ったのは半分で164円)
いわゆる、DIYの世界だ。

2時間を節約するために、
修理屋さんに頼むというのも、
正当な方法。

自分で直したがる人間は、
時間よりも、そこらへんのお金をケチっているのか。

それとも、お金の問題でなく、
自分で直したいという虫が騒ぐのか。

私自身、よく分からないけれど、
修理代の方が、新品を買うよりも高いから、
新品を買って、故障品を捨てようとなって、
地球に優しくないよりは、いいことをしたかな、
といつも自己満足をしている。

結局、無駄だと思われることを好きなのは、
自己満足に過ぎないのだ。

そういうものがあってもいいだろう。

2009年10月21日

余計なことに引っ張られる

他人の仕事のやり方とか、
生き方とか、人間関係とかを
見ていると、

なんで、そんな余計なことに、
そんなにも、時間を使っているんだろう、
と思ってしまうことがある。

しかし、いざ、
自分のことになると、
たいして、スパッと気持ちよく、
時間を使っているわけでないことに気づく。

今朝も、このコラムを書くのに、
朝起きてから、4時間はかかっている。

何をやっていたかといえば、
たいしたことじゃない。

何度も何度もやろうとしていたけれど、
ほかのことが気になって、
そちらに引っ張られて、
今やっと、これを書いている次第です。

夢中になっている時には、
余計なこととは思わないし、

夢中になっている以上、
余計なことと自分からジャッジはしたくないから、
それに身を任せているけれど、

やっぱり、時間が経ってみれば、
そんなに大切じゃなかったよなぁ、
と思わされる。

おかしい、おかしい。

他人がしている
「無駄なこと、余計なこと」
には、すぐに敏感に気づくというのに、

自分のことになると、
どうしても、その余計なことの引力に、
アリ地獄の引っ張られるアリのように
引き込まれてしまう。

どれだけ、捨てられるか。

結局、それなんだよな。

捨てられるものを、
ばっさりと判断できるか。

判断できなければ、
雪玉をころがしているうちに、
雪だるまになるように、
どんどん、余計なものの周りに、
さらに余計なものが引っ付いてくる。

捨てる。

もったいがらずに、捨てる。

それができないから、
人間は、いろんな「しがらみ」で、
自分を苦しめてしまうんだろう。

よし、今日は、捨てるぞ。

2009年10月10日

すぐできる

すぐできるよね、
と頼まれて、

すぐにできます、
と請け負ってしまったことが、

1個だけなら、
たしかに、すぐにできます。

しかし、
それが100個ともなると、
すぐにできるわけがない。

インターネットの世界の仕事には、
なんとなく、そんなことが多いかもしれない。

そういうことを感じる日々です。

たしかに、すぐにできるんです。
1つだけなら。ところが...

考えなくてはいけないのは、
すぐにできるがゆえに、

決断を延ばし延ばしにして、
ギリギリに決めていたり、

知らず知らずのうちに、
すぐにできる仕事を、
思いのほか、溜め込んでいたり、

さらに、気軽さゆえに、
いろんなことを思いついてしまうこと。

そういう危険が、
インターネットにはある。

そこらへんを注意して、
すぐにできることばかりに
考えを及ばせることなく、
ちょっとは、腰を落ち着かせて、
向かわなくちゃいけないこともある。

決断を延ばさない、
すぐできることの中で捨てることは捨てる、
思いついたことの中でも取捨選択する。

インターネットの世界では、
それをちゃんとやれないと、
情報や仕事に埋もれてしまいますよ。

すぐにできる、
というのは、ちょっと危険だな。

本気で、そう思います。

2009年10月 8日

食われる

私たちの食卓にあがる、
肉とか、魚は、

きっと、うまく逃げられなかった牛とか、
豚とか、鶏、魚の身ということでしょう。

今日、うまく逃げても、
明日、逃げられるとは限らない。

いずれにしろ、
油断していると、
食われてしまいます。

ある意味、人間も、
そうかもしれないな...
と思った。

油断していると、
自分の利益となるはずのものが、
横取りされてしまう。

もの、お金、時間、いろいろ。

ものが取られてしまうのは、
目に見えて分かるから、
奪われてしまった瞬間に、
すぐに分かってしまう。

お金は、手持ちの現金であれば、
同じように、盗まれたら分かるけれど、
入ってくるはずだったお金とか、
口座に残っている「数字」としてのお金とかは、
気づくまで、分からないことも多い。

さらに分からないのは、
時間が食われている場合だ。

勝間和代さんの本に、
こんな言葉があったのを思い出した。

「私たちにとって
 最も大事な資源である「時間」について
 人に預けてしまうことはリスクだと考えている。」
会社に人生を預けるな、勝間和代)

自分の時間すべてを、
自分ひとりで使うことなんて、
そんなにできるわけじゃないけれど、

お金をもらうためとか、
何か弱みを握られてとかの理由で、
誰かに、時間を預けてしまうのは、
かなり危険なことだと考える。

それこそ、食われてしまうだろう。

食われないためには、
食われ始めて知った瞬間に、
そこから逃れなければいけない。

それができるだけの能力を
もっていなければいけない。

そういう能力をいつも磨いていなければ、
食われたときには、どうしようもなくなっている。

自分の時間のコントロール者は、自分。

何かに、身をまかせすぎて、
油断している間に、
時間を食われないように、気をつけよう。

2009年10月 2日

感情の問題にならない「しくみ」

何事もそうだとは思うが、
感情が大切で、
相手がいるときには、
お互いの感情を思いやらないと、
物事は、うまくいかない。

そういう私は、
その感情と付き合うのが、
あまり上手じゃないと自覚する。

自分の感情にしろ、
他人の感情にしろ、そうだ。

だからこそ、分かるのは、
そういう感情が大切だからこそ、
大事な瞬間に、
感情の問題にならない「しくみ」を
つくることがポイントのような気がする。

感情の問題になるまでは、
すごくうまくいっていたのに、
感情の問題が入り込んでしまったとたんに、
「終わってしまった」ということでは、
もったいない。

たとえば、
意見の違う者同士が
話し合っているときに、
どちらにも、いいアイデアがあるというのに、
感情がぶつかってしまい、
その両者のいいとこ取りをするレベルに
達する前に、
空中分解してしまうケース。

また、おいしい食べ物屋さんが、
店員が変わったとたんに、
その態度が悪いということで、
お客の感情を遠ざけてしまうような
評判がたってしまうケース。

恋愛とか、結婚のようなもので、
感情が問題にならない「しくみ」を
つくることは、ほぼ不可能とは思うけれど、

不必要に感情が働くような場面をつくって、
関係がギクシャクしてしまうのは、もったいない。

たいしたことでなければ、
相手が嫌うクセを見せないようにするとか、
そういう努力が、必要なときもあるだろう。

いっしょに考えていた問題を、
相手がどうにも思わない問題と、
相手がこだわる問題に分けて、
解決方法を考えてみたりするのもよい。

人によっては、
目的と手段がごっちゃになっていて、
感情が入り乱れてしまう場合もある。

感情の問題にならないようにする。
これって、これからの「わがまま時代」には、
かなり重要なことかもしれない。

2009年9月30日

チェス

iPod touchが手に入ってから、
というもの、歩いたり、
列車の中にいる時には、いつも、
英語ニュースを聞いている毎日です。

20歳のころには、
2年間ほど、毎日のように、
生の英語を聴く環境にあったのですが、
そういうところから離れると、

やっぱり、耳の慣れ、
というものは消えていくもので、
すっかり、日本人耳になっているもんです。

1週間ばかり経って、やっとこさ、
アメリカ英語と、イギリス英語の発音の違い、
なんとなく、発音から伝わる空気の違いを
感じられるようになりました。

そういうことが分かると、
面白いもんです。

分からないまでは、
その好き、嫌いもないのですが、
分かってきた瞬間から、
好き嫌いが発生してきます。

私の場合は、やっぱり、
アメリカ英語の空気の方が好き、
というか、耳が慣れている気がします。

iPod touchには、
ゲームなどのアプリもインストールできて、
わたしが、今ハマっているのは、
シンプルな「チェス」です。

なんというか、論理的な頭脳が、
鍛えられる気がします。

将棋とは、やっぱり違うんですよね。

相手からとった駒を使えない、
逆にいえば、
一度失ったものは戻らない、

という不便さ、シチュエーションのなかで、
どう戦うか、っていうのは、
人生のなかにも通用しそうな気がします。

何を活かし、何を捨てるか。
それを判断できない人は、
どこかで困ってしまう。

そういうところでしょうね。

チェス、上達してやるぞ!!

2009年9月27日

あえて不純な動機

人は、自分が思うほど、
高尚な動機が
動いていない、
動けないということを
私は、発見することが多いです。

「人は」というより、
「私は」ということかもしれませんが...笑

少なくとも、
世のため、人のために、
がんばろうなんていう思いは、
私の中からは、あまり強く生まれてこない。

ちょっとは生まれたとしても、
そういう動機では、
あんまりエネルギーが湧いてこなかったり、
長続きしなかったりと、
本当の自分に気づかされます。

やっぱり、高尚な動機は
もてないんだな、と。

でも、不純な動機のためなら、
けっこう、がんばれたりします。

世のため、人のために働く、
という動機は弱いけれど、

iPodが欲しいから、
(買おうと思えば、いつでも買えるものだけど)
これをがんばったから、
ご褒美として自分にiPodを買うことを許す、
だから一生懸命働くとかは、
けっこうできるわけです。

もちろん、犯罪とかの不純な動機では、ダメ。
あとあと、自分が苦しむことになるから。

そういう動機でなく、
あくまで、自分の野望に置き換えて、
がんばってみること。

その延長上に、
うまくいけば、
世のため、人のためになる、
という要素もあれば、

結果的に、万々歳じゃないか、
と思うわけです。

いかがです?

あなたも、不純な動機のために、
がんばってみませんか?

そういえば、そんなことを書いていた本があったな。
きっと、非常識な成功法則だ。

がんばるべ。

2009年9月26日

お荷物

むかし、むかし、
でもないか...

最近でも、よくある話。

重そうな荷物をもって、
道を歩いている人がいました。

あんまり重くて、
あんまり重くて、
本当は降ろしてしまいたいんだけど、
目的地まで、あともう少し、
と思って、がんばって、歩いていました。

あるところを通り過ぎようとすると、
一人の、ものしり屋さんが、
その人に声をかけて、止めました。

「重そうだね、その中には、
 持ち歩かなくていいものもあるんじゃないかね。」

その言葉を聞き、
荷物を持っていた人は、
パッとひらめき、そうだ、
持ち歩かなくていいものは、
誰かにあげるか、捨ててしまおう、
と考えました。

その「ものしり屋」さんと話しながら、
もって行く荷物を取捨選択しているうちに、
どんどん、スッキリしていきました。

さあ、気持ちもスッキリ。

ものしり屋さんも、
「わたしも、スッキリしたよ。
 あんたを見ていて、
 なにかしてあげることが
 あるんじゃないか、と思ったからね。」
と言います。

再出発だ、と思い、
ものしり屋さんにお礼をして、
背を向けて、歩き始めました。

2,3歩進んでから、
背後から、ものしり屋さんの声が
聞こえます。

ちょっと、ちょっと...

振り向くと、ものしり屋さんは、
ノートパソコンを持ってきて、
言いました。

「今の時代は、これを持っていったら、
 便利だぞ。」

一瞬、そんな荷物を持ったら、
また重くなるぞ、と思いましたが、
せっかくの善意と、
たしかに、今の時代はそうかもな、
と思い、もらうことにしました。

「それとな、予備のバッテリーと」

なるほど、なるほど、
あれば便利だな。

「そしてな、このソフトウェアと...」

そうか、そうか...

「さらに、...」

もらえるものとは言え、
ものしり屋さんがくれるものは、
いろいろと増えてきます。

やっとこさ、話を終えて、
もらった荷物もいっしょに抱えると、
なんとなく、ものしり屋さんに出会う前より、
重くなったような気がします。

気のせいかな?

とりあえず、道を急がなければならず、
ものしり屋さんにあいさつをして、
道を進みました。

やっぱり、荷物が重いです。

でも、また、整理をしていては、
時間がかかってしまいます。

寝る時間も惜しんで、
進みに進みました。

それでも、なんとか、
目的地までは近づいている気はしていたので、
がんばりました。

そんななか、ふと、前を見ると、
また、ものしり屋さんが立っています。

ちょっと、怒ったような顔をして。

「なんじゃ、おまえ、
 荷物の整理を手伝ったのに、
 まだ、こんなところを歩いていたのか!?」

えっ?

あなたが、荷物を増やしたんじゃないですか...

思わず、声にしてしまいそうなところを、
ぐっと、がまんして、笑顔で通り過ぎようとしたところ。

「もう1回、わしと、荷物の整理を
 したほうがいいんじゃないか?」

と、ものしり屋さんの声。

「けっこうです。」

彼は、ものしり屋さんからもらったものを、
すべて、その場に投げ捨て、
軽やかに歩いていったとさ。

-----あとがき-----

なにか、とりとめもないストーリーになったところもありますが、
人生で歩いていながら、もっている荷物の整理を誤ると、
いっしょに整理する相手を間違えると、
さらに荷物が増えてしまう。

そんな経験が、人生にはあるなぁ、
と感じ、思わず、書き下ろし(?)てみました。

荷物の整理には、ご注意を。

2009年9月22日

ブラウン管テレビ

探してもないものは、
ないものである。

新しいものがどんどん
店頭に並べば、この時代には、
ブラウン管テレビなどというものは、
まったく姿かたちもなくなるんですね。

あんまり、テレビコーナーの方を
気にかけないでいたら、
そんなことになっていました。

ちょっと、カルチャーショック!
(どんだけ、テレビコーナーを
 見ていなかったことになるんだろう...)

きっと、液晶テレビ、薄型テレビばかりに
関心がいっていて、数は少ないだろうけど、
ブラウン管テレビもいくつか置かれている、
と思っていたのでしょう、私は。

しかし、小さくてもいいから、
安いブラウン管テレビが欲しい、
という母親の頼みで、
ブラウン管テレビを探してみたら、
小さいどころか、ブラウン管テレビが
1つもないお店もあるわけで、
時代の流れを感じます。

シルバーウィークにちなんで、
ちょっと古いブラウン管テレビを
売り出してくれたらいいものを、
そんなお店は、1つとしてなかった。

そういえば、次女が夏休みに入院した際には、
ベッドの横にあったのは、小さいブラウン管テレビだったなぁ。

ああいうテレビも、
これからは、薄型テレビに
変わっていくんだろうか。

でも、高いから、病院側としては、
コストを安くしたいとすれば、
ある程度の量を注文して、
特別にメーカーから製造してもらえるのかな?

ブラウン管テレビがない。

このシルバーウィークに、
わたしが味わった、ショックです。

ちょっとした、衝撃だったなぁ。

次に消えるのは何かな。

2009年9月18日

ポメラからiPodへ

またまた、
新しいもの好きの血がさわぎ、
今年の5月に買った、
ポメラを売り払って、

ポメラ

iPod touchを買うことにしました。

というか、もう、今日には、
届くんですけどね。

これです。

iPod

ポメラを使う機会が、
どんどん減ってきて、
先週出たばかりのiPod touch
目移りしてしまって、

ポメラが売れるうちに、
オークションに出してしまおう、
という、かなりスピーディな思考が、
こういうときばかりは、
身勝手に働いてしまい、
アクションも速かったという次第。

やっぱり、人は、
理性よりも、感性で、
買いものをしてしまうんですね。

ははは...

ちなみに、今、見てみたら、
私の手元にくるiPod touchちゃん、
もう在庫がなくなった様子。

注文したのは、おとといですが、
ギリギリのラインだったようです。

おぉ~、あぶねぇ、あぶねぇ。

いや、在庫切れのほうが、
身のためだったのかな?

これから、いろんなところに、
無線LANのアクセスポイントが出来れば、
ますます、楽しいことだろう。

いいな、いいな。

子供の気分です。

2009年9月12日

イメージで伝える

自分のことを伝えるときに、
だいたいにおいて、
何が好きで、何が好きで、
何が嫌いで、何はもっと嫌いで、
みたいなことを言葉で言うと、

たしかに、分かってもらえるかもしれないけれど、
もっと、簡単に分かってもらうためには、
どーん、と見せるものを見せればいい。

面白い試みをしてみた。

こんな感じの絵を見せたら、
なんとなく、私のことを
イメージとして伝えられるんじゃないかな?

MyProfileMap.gif

名づけて、マイプロフィール・マップというらしいのですが、
たしかに、自分に関することが、自分自身ですら、

「なるほど、俺って、こんな人間なんだな。
 俺に関わっているものって、こんなもんなんだな。
 意外と、安上がりな人間なんだな。」

みたいなことを思います。

人は、言葉で伝えるより、
イメージで伝えたほうが、
とても分かりやすい。

なるほど、
そういう意味でいえば、
やっぱり、人の見た目とか、
ファッションとかは、
メッセージなんですよね。

たとえば、
これから会う相手を意識したときの
ファッションというものと、
まったく意識しない、
どうでもいいと思う相手と会うときの
ファッションって、やっぱり変わるでしょう。

同じように、見る側からしても、
イメージが変わる。

イメージで伝えること。
これが上手に出来たら、
いろんなことがすんなりうまくいくかもしれない。
そんな気がしてきました。

2009年8月19日

論理的にやれない

不思議に感じさせられる人がいる。

この通りの順番にやれば、
ちゃんと動くんだよ、
ちゃんと見えるようになるんだよ、
ちゃんと使えるようになるんだよ、

っていうマニュアルがあるにも関わらず、
絶対に、その通りにやらない。

分からなくなったら、
それを見ればいいだけなのに、
その通りにやればいいだけなのに、

ボタンを押す順番を勝手に変えたり、
ほかのところを押したり、
必要もないのに、向きを変えたり、
叩いたり、イライラしたり...

最後は「面倒くさい」という一言。

ああ、この人は、
論理的にやれない人なんだな、と分かる。

直感的に、パパッとやれないと、
イライラして、投げ出してしまう。

世の中、直感的に、
パパっとやれるものが、
どんどん増えてきています。

便利で、とてもいい。

車の運転なんかも、
メカニズムとしては、
けっこう複雑なはずでしょうけど、
直感的に出来るまで、
進化してしまっているから、

メカニズムなんか分からなくても、
動かせちゃう。

パソコンも、ケータイも、
どんどん、そうなっている。

そこに、直感ではやれないモノが
登場すると、面倒くさくなる。

付き合う必要がなければ、
当然のように、遠ざける。

別に遠ざけて、
生活に支障のないものは、
遠ざけていいのです。

逆に、ちょっと不便でも、
使いたいと思うものは、
とことん使って、
慣れていくことでしょうからね。

新しいものには、
ちょっとした論理能力が必要。
そんなことを感じました。

2009年8月12日

チームと、しくみ

一人の力よりは、
チームの力の方が、
断然強くなる気がする。

しかし、チームがあるから、
うまくいくとは限らない。

チームの力が生かされる「しくみ」が
あって初めて、うまくいく可能性が出てくる。

しくみ、しくみ、しくみ。

日本という国も、
そういう「しくみ」のひとつ。

もし、日本という国が、
うまくいっていないとすれば、
しくみがダメか、時代遅れか、
そんな感じだろう。

日本人が、他の外国人よりも、
頭脳的に弱いとなれば、
強くなれない「しくみ」がどこかにある。

だいたいは、
しくみを作るのは、リーダーで、
しくみを動かすのは、そのリーダーの下で
生きていったり、働いていったりする人々。

チームが、リーダーの把握できないほど大きいと、
リーダーの取り巻き(国でいえば官僚)が、
しくみをつくって、リーダーが発布するもの。

いずれにしろ、何らかの力を持っている人が、
「しくみ」を作るもんなんです。

一般の人には、
そんなに大きなしくみをつくることに
関わる機会はないが、

自分の生活や仕事の段取り、しくみ、
くらいなら、作れる機会はある。

一人の「しくみ」なら、
一人の頭だけで十分だろう。

しかし、チームのしくみとなると、
複数の頭のことを考えなくちゃいけないから、
シンプルにするとは言え、
いろんなことを考えなくちゃいけないだろうなぁ。

気持ちとか、気合とか、
そんなことでは動かない部分が、
人間にはある。

しくみがあって、
人は動き始める。

いいしくみを見つけ、
それに乗っかりたいもんです。

2009年8月 3日

グループ入り

心理テストみたいなことになるのかな?

たとえば、ちょっと広い部屋に、
5つくらいのグループがあったとする。

それぞれのグループで、
違うことをしている。

1.わいわい楽しくおしゃべりしている
2.真剣に、仕事の議論をしている
3.一人一人で本を読んでいるか、勉強している
4.何かそれぞれの分担作業をしている
5.みんなでモノポリーのゲームをしている

こんな感じです。

遅れていった「あなた」は、
どこのグループに加わりたいですか?

うちの長女は、
3.か、4.がいいと言っていた。

しゃべっているところには、
何を話していいか思いつかなくて、
踏み込めないそうなのだ。

なるほど。
そういう性格なんだな、と理解した。

ところで、私はどうか、
と考えると、意外にも、
似たような選択をしそうな気がする。

傍目からみると、
おしゃべり好きだったり、
議論好きだったりするように見えるから、
不思議に思われるかもしれない。

しかし、
自分のことを知っている私は思う。

わたしは、ただ、話すスキルを、
身につけているだけだと。
ある意味、小手先の技術。

それを剥がしてしまえば、
コミュニケーション能力は、
そんなに高くないと自己評価している。

どちらかというと、1対1のほうが得意だ。
グループに入るっていうのは、苦手だな。

1対1に、もう一人加わってしまえば、
それはグループと言える気がする。

グループとどう関わるか、
それは生き方を考える上でも、
大切なポイントだろう。

長女には、どんな仕事、環境が
向いているのかな。

2009年7月19日

夢の中で眠れない

今朝、またもや、
すごーく早く眼が覚めて、
2:30~5:30の間に、
本を読んだり、仕事をしたり、
という時間を過ごしていた。

そして、もしかしたら、
眠れるかな、ということで、
5:30頃に、また床に入る。

それから、何度、夢を見たことか。
そんだけ浅い眠りだったんだろう...

おまけに、夢の中でも、
浅い眠りで、こりゃあ、
眠れないな、と思って、
また起きて行動をしている、
という奇妙な夢。

その夢から覚めたとき、
思わず、苦笑いをしてしまった。

今日は、どうしても、
眠りたくない日なんだな、と。

ははは...笑

どうでもいいから、
7:00までは布団に居よう、
と決心をした頃から、

どうやら、すーっと眠りに入ったらしく、
7:00に起こして欲しいと頼んでいた妻が

「7:00だよ、起きる?」

という声をかけてきたことで、眼が覚めた。

これは、現実?

あ、あー、現実だ。

うわぁー、よかった、少しでも眠れてと思った。

今日から、娘たちの全県卓球大会。
1時間20分くらいのドライブが必要な会場だけに、
運転中の眠気は避けたかったから、
ホントに、よかった、よかった。

やっぱり、心は緊張しているのか。
うーん、対戦相手は、なかなか手ごわいからな。

眠気も覚めてきたから、
親もいっしょに、今日はがんばるべ。

2009年7月18日

気軽に返品

インターネットで買いものをすることが多くなると、
売り手の顔をあんまり見ることがないので、
簡単に「返品」をするクセのついた人がいる。

それが正当な理由ならばいいのだが、
最初から返品をするつもりで、
とりあえず注文して
気に入らない時にはすぐ返品するという常習犯には、
お店側は、費用と労力を無駄遣いさせられる。

インターネットでの買いものは、
買う側にとっては便利なことばかりでなく、
ちょっとした手間が加わっているのと同じで、

売る側にも、いいことばかりでなく、
対面で売るよりも余計な手間が
必要になっているのが現実だ。

先日、娘らと卓球をやるための短パンを買い、
サイズを間違って返品に行く際に、
そんなことを感じた。

実店舗だから、
ちょっとバツの悪そうな顔をしていくことになる。
サイズ間違いなんて、バカな話だ。

3種類くらいのデザインが並んでいた商品で、
あるデザインでLサイズのものを見つけ、
ちょっと気に入らないな、と思いながら、
となりにあった別のデザインのものを手にとり、
これでいこうと、レジに持っていく。

家に帰ってから、短パンをはいてみて、
なんか小さいなぁと思う。

心のなかでは、
Lサイズだと思い込んでいるから、
そんなデザインなのかなぁ、
とサイズタグを見てみると、
なんと、Mサイズ。

はけないこともないけど、
もっと余裕が欲しい。

完璧に、こちらのミスだから、
お願いするかのように返品に行くわけです。

インターネットでは、
そんな申し訳なさそうな顔を
する必要もなく、返品できちゃう。

便利なゆえに、
申し訳ないという感情も、
便利に、省略できちゃう。

たしかに、気軽に返品、
という文化は、無駄だなぁ...

そう感じながら、今度は、
ちゃんとLサイズの短パンを見つけたのでした。
気に入ったデザインではLサイズはなし。
妥協した次第です。

2009年6月30日

キャンセル

ドタキャン、
っていうものに慣れると、

また、あの人は、
ドタキャンするんだろうなぁ、
と予想できるようになります。
ドタキャンする人の空気みたいなものを
察する感じ...

ドタキャンをする人っていうのは、
キャンセルしてもお金も何も痛みがないから、
いとも簡単にキャンセルしてくる。

自分に痛みがないから、
他人にそんな迷惑をかけていないだろう、
みたいに思っちゃうんでしょう。

もちろん、キャンセル料をとられたり、
痛みや労力が必要になるとわかっても、
何の遠慮もなく、ドタキャンする人もいる。

そういう人は、それで済ませることに、
ある意味、慣れているわけだ。

できれば、キャンセルするようなことになる前に、
約束する段階で、しっかりしたものにした方がいい。

ただ、みんながみんな、
そういうふうにはいかない。

約束をつくって初めて、
「あれはどうなんだろう?」
「こういう場合は、大丈夫かな?」
「もし、そうなったら、無理じゃないか?」
みたいなことを考えて、やっと、
わかってくることもあるからね。

一言でいえば、勉強不足の人が、
キャンセルをすることが多い。

時々、優柔不断になる私も、
明らかに、勉強不足な自分を
自覚することがあります。

けれど、勉強っていうのは、
あらかじめ、最初からすべてを
勉強できるわけじゃない。

なにか、前進して、
さらに見えてきて、
やっと分かるということも少なくない。

その前進のひとつに、
契約とか、約束っていうものが
含まれる。

そこまでいってみないことには、
決心がつかない。
本気で学ぶ、勉強する気にならない。

ドタキャン人間は、
学ぶのが下手なのかもしれません。

複雑な約束事であればあるほど、
学ぶことが多くなる。それで、
学ぶことが遅れれば、
やっぱり、ドタキャンが出てくる。

そういうことを、私も学ばないといけないなぁ。

2009年6月25日

コミュニケーションの費用

ぶらっと、公園とかに行って、
そこにいる人に、ちょこっと声をかけて、
あたりさわりない話をして
コミュニケーションをする。

そんなことなら、
何のお金もかからない。

けれど、
何か自分に必要な情報を知っている人や、
自分と長く関わることになりそうな人と、
大切なコミュニケーションをするとしたら、
お金がかかり始めたりする。

ケータイにかかるお金だって、
コミュニケーションの費用だろうし、

インターネット料金だって、
それと同じもんだろう。

コミュニケーションにかかる費用が
増えれば増えるほどいいことかと言えば、
そんなことは分からなくて、

ただただ増えたばかりで、
自分ひとりの時間がどんどんなくなって、
苦しくなったりするかもしれない。

自分でも、
かなり時代錯誤だと思うのだけど、
私が携帯電話を手放したのが2002年1月らしく、
かれこれ、7年が経っている。

なくても、そんなに苦労した覚えがないので、
それはそれでいいのかな、と思っているのだが、

来年3月には、高校生になる長女がいるわけで、
それは、きっと持たせることになるだろうなぁ、
と普通に考えている。

そんな折、CMでよく放送されている、
ソフトバンクの「ホワイト学割with家族」ってのが、
突如、心にひっかかるようになり、

新しく加入する家族も、
毎月490円(ただし3年間)になるようだから、
2台買ったとしても、490円x2=月980円で済む。
昔で言う、トランシーバー状態で、
家族間通話ができるというわけだ。

おまけに、0円ケータイなんか買うとしたら、
ほんとに、3年間は、月980円。
合計35,280円で、使えることになる。

このコミュニケーション費用は、安い。

7年ぶりに、ケータイを持つことになるかな。

ホワイト学割with家族のキャンペーンが、
9月30日までっていうのが、気になる。

2009年6月 2日

言いたいことの準備

言いたいことをちゃんと準備していなくて、
後悔することがある。

言いたいことをしっかり準備したのに、
聴いてもらえず、欲求不満になることもある。

言いたいことを言いながら、
自分の言葉の力なさに
情けなくなることもある。

言いたいことは準備できているのに、
言いたい相手のパワーに気圧されて、
言えなくなってしまうこともある。

言いたいことを言いかけて、
相手の顔色をうかがいながら、
言うことを変えてしまうこともある。

言うということには、
いろんなハードルがあるもんだ、
といつも思う。

自分の言いたいことが、
とてつもなく正論だと分かっていて、
どうしても、それを言いたいのに、

自分の実績とか、自分の経験値だけでは、
それが聞き入れてもらえるなんて思えない時、
その言いたいことを、じっとこらえてしまう。

そして、逆に、
相手に言いたいことを言われて、
「今に見ていろ。おれも、言いたいことを言えるようになってやる。」
と思いながら、ガマンする人もいるかもしれない。

じゃあ、ってんで、
自分が成功でもしたときに、
本当に、その言いたかったことを、
そのまま言いたくなるか、といえば、
そうとは限らない。

言いたいことなんて、その時々で変わるし、
ちゃんとガマンしてきた人ほど、
成功してから偉そうなことを押しつける姿には、
ウンザリしているはずなのだ。

それと同じことを自分がしようなんて思うわけがない。

そう考えてみれば、
人は、言いたいことをいくら準備しても、
その100%を言えるときなど、そんなにないのだ。

そういうことが分かれば、
言いたいことが言えないときがあっても、
気にならなくなるだろう。

言えないときがあって当たり前。
それでいいのです、人生は。

2009年5月28日

元祖が、まずい

何かしら有名な食べ物とか、
おみやげ品があると、

人間の心として、
「元祖」とか
「本家本元」とか
「老舗」なんていう言葉に、
惹かれてしまう。

やっぱり、
「元祖」を食べてみなくちゃ、
っていうことになって、
食べてみるけれど、

意外と、そんなにおいしくなかったりする。

「元祖」なんかよりも、
今の時代や、人の嗜好に合うように、
ちゃんと進化された方が、
おいしいものだ。

もちろん、「元祖」と言われているお店が、
昔のままの味じゃなく、改良していて、
ちゃんとおいしい場合もある。

これが、元祖だよ。

と言われて、
元祖という言葉ばかりをありがたがる人間は、
ガッカリすることも多いかもしれないな。

知らない土地に行って、
名物と言われるものを、
その土地で食べるのはおいしいけれど、

おみやげとして持ち帰るのは、
本当に、おいしいものが喜ばれるもの。

私は、迷わず、

ここらへんに住む若い人に人気のもの、
若い人がおいしいって食べるものは何だ?

って聞きます。

元祖という言葉には、もうだまされない。
そんなふうに思うようになりました。

2009年5月20日

目の前から消しても

パソコンとか、インターネットとか、
リアルな世界でないところで、

何かを存在しているように見せたり、
その存在を消したりすることに慣れてしまうと、

リアルな世界でも、
そんなことが可能な気がしてくる。

イヤな人間関係があれば、
無視していれば消える...
みたいな感じ。

嫌いな仕事があれば、
それを見なければ、それに近づかなければ、
そのうち、何の関係もなくなる...
ような感覚。

見たくない現実があれば、
それに覆いを被せたり、
誰かに押し付ければ、
世の中から消えてくれる...
なんて思っている?

しかし、そんなことはないんだなぁ。

たとえば、5年くらい前から、
捨てる技術!」なんていう本を筆頭に、
自分のまわりをスッキリさせるために、
要らないものは迷わず捨てよう、
という傾向が世の中に出てきて、
私もその「信者」みたいなもんだけど、

ゴミをゴミ箱にいれたとたんに、
自分の目の前から消え、
ゴミ収集車がゴミを集めてくれたときには、
自分の周囲500mくらいのところからも
そのゴミは消えてくれる。

けれども、それは、
近くに見えなくなっただけのことで、
燃えないゴミであれば、
ゴミ収集車が捨てる場所には
別のカタチにでもなって、
ちゃんと残っている。

それと同じように、
自分という人間の周りには、
目をつむっても、耳をふさいでも、
ゴミのような問題が
ちゃんと残っているんだと思う。

そして、いつの日か、
いつまでも逃げてなんかいられない、
と気づく日が来るのだ。

わたしは、どうだろう?
逃げていないと思ってきたけど、
けっこう逃げてきた気がする。

2009年5月17日

消える?

文字を手で書くことが面倒になるのは、
手書きのスピードに限界があることと、
急げば急ぐほど、文字が下手になるからだ、
ということを、最近感じて、

ポメラっていうものを買いました。

携帯のノートみたいな感じです。

開いて、電源を3秒ほど押せば、
すぐに、入力画面が出てくる。

何の入力、操作もせずに、
そのまま、1分放置していれば、
自動保存されたまま、
画面が消える。

思い立って、
電源を3秒押せば、
またすぐに入力できる。

紙のノートみたいに、
すぐに開いて、すぐに書ける、
という具合にはいきませんが、

そうだとしても、
紙のノートでは、1秒はかかっているはず。

それが、このポメラだと、
限りなく、それに近い3秒で、
作業が始められる。

なかなか、気に入っています。
最初は、キーボードのピッチに慣れず、
キーの押し間違い、押す力不足などありましたが、
なんとか、いい感じに使えるようになってきた。

ところが、ITツールの宿命、
ともいうべき、操作方法のミスと、
突然の「電源入らない」&「リセット」で、
せっかく入れた文章が消える、
という事態を、買って1週間の間に、
3度くらい経験しています。

消えた内容はしょうがない、
と思いきや、やっぱり、気になってしまう。

どんなことを書いたっけ?

と思う時間が、ちょこちょこあったりする。

人間は、消えることが怖いんでしょうね。

自分の存在でも、自分が作ったものでも何でも。

きっと、書いたことを読み返すことなんて、
そう何度もないだろうけど、
「消えた」という事実があるだけで、
読み返すことなどない文章のことが、
急に、思い出されてしまう。

消えた、という事実だけで、
何か、ぽっかり穴が開いてしまう。

これは、きっと、離婚みたいなことに似ているかも。

当たり前のように、奥さんがいると思って、
ないがしろにしていても、
離婚という言葉を出されたとたんに、

それだけはイヤだ、と思う男心。

だったら、そうなる前に大切にしろよ、
と思うのですが、そうなるまで、気づかない。

消えそうになったり、消えたことに気づくまでは、
当然あることの大切さが分からない。

人間は、消えることに弱いのです。

2009年5月16日

敏感という問題

生きていれば、というか、
世の中どこにいても、

必ず、「問題」と呼びたくなるようなことは、
起こるわけで、

ささいなことまでも、
問題と呼び始めたら、
本当に、この世の中は、
問題ばかりになっちまう。

そういう中で、
問題の本当の姿を見ようとしている人は、
ふつうであれば、気づくもんだ。

一番の問題は、
「何を問題とするか」
ということだ、と。

逆に言えば、
問題にする必要のないこと、
問題にしちゃいけないことを、
「問題」にしてしまうと、
時間のロスばかりが生まれる。

あらゆることに、
敏感すぎると、
問題ばかり発見して、

その問題を解決するための
時間も、労力も、頭の回転も、
なくなってしまうというわけ。

人によってそれぞれ、
敏感になってしまう事柄、
鈍感でいられる事柄が違うから、

本当に、あらゆることに敏感だ、
という人はいないと思う。

自分のお金が減ってしまうことには、
とてつもなく敏感だけど、

他人のお金がどうなろうと、
他人のものを壊したり、痛めたりしても、
なんとも思わない、鈍感だ、
という人は少なくない。

わたしにも、心当たりある。

ふさわしい敏感さ、
ふさわしい鈍感さ、
こういうものを身につけた人間で
ありたいもんだ、と思うのだが、
道のりは、なかなかキビシイ。

2009年5月14日

つながりたくない

ケータイやパソコンで、
世の中や人に、かんたんにつながる、
こんな時代にこそ、

つながりたくない、
という願望が出てきても、
不思議じゃない気がする。

つながっていないと不安でしょうがない、
という気持ちがある反面、

つながっていすぎて疲れている、
っていう気持ちを持っている人も
少なくないだろうなぁと考えるから。

わたし自身、そうだった。
ケータイで、どこへ行っても、
呼び出されるっていうのは、
かなり、しんどい。

これから、集中するぞ、
っていうときも、ケータイの呼び出し音がなる。

メールの着信音が鳴れば、
今すぐ返事を書かなくてもいい内容だと
予想はできても、ケータイを開いて見てしまう。

見てしまったら最後、
ちょっとの時間で出来るんだから、
と思って、返事をすぐに出すことになる。

こっちからの返事がすぐに届くわけだから、
相手が、かなりルーズな人でない限り、
返事はまたすぐにやってくる。

着信音が鳴れば、
また開かずにはいられない。

うーん、
ちょっと、つながらなくてもいい場所、
っていうのはないだろうか。

そんな気持ちがないわけでもない。

けれど、つながらなかったら、
自分だけが世界から取り残されてしまうような気がして、
ケータイの電源をオフにすることも出来ない。

マナーモードにしていても、
ケータイが震動すれば、気づかずにはいられない。

ああ、自分では、どうやっても、
つながりを切られそうにない。

つながらなくても安心できる場所はないか。
そんなことを思っている人、いませんか?

いないかなぁ...

私の妄想かなぁ。

2009年5月11日

見る人、やる人

ただ見ているだけで、
自分の思い通りになる、
っていうような経験をした人は、

きっと、ただ見ているだけで、
いつも、思い通りになることを
期待するようになるでしょう。

それは、
本当に、ただ見ている、
というわけでなく、

自分がもっている才能の、
ほんのちょっとを引き出すだけで、
うまくいったり、
すごくほめられたり、
勝ったり、成功したり、
というようなもので、

本人にしてみれば、
「ほんのちょっとの努力」で
得られたような果実みたいなものも、

ある意味、
何もしていないで、
ただ見ていた、ような感覚に
なるんだろうと思います。

そういうことに慣れてしまうと、
必死になる自分をおかしく感じたり、
恥ずかしいとか、失敗に感じるかもしれない。

「観察者」になっちゃってるんでしょうね。

一方、努力しないことには、
才能でも、欲しいものでも、
何も手に入らなかった人は、

きっと、とりあえず、
やってみること、
何が何でも必死に取り組んでみることが、
当たり前の感覚になっている。

自分が何もしないことには、
何も始まらないことを知っているから。

こういう人は、
必死になることを恥ずかしく思うことも
ないだろうし、
がんばる自分に違和感も感じないでしょう。

いつも、「冒険者」だろうから。

「観察者」と「冒険者」の2つの性格があって、
どちらがいいとか、どちらが悪いかなんてことは、
いえないと思う。

それぞれの性格において、
どういう生き方をしたら、
自分の力を引き出せるか、という違いが、
そこにあるだけ。

いろんな人を見るにつけ、
そんなふうに思います。

2009年5月 4日

壊したくなるもの

きっと、若い人たちにとっては、
この世に壊したくなるものは、
数え切れないほどあるんじゃないだろうか。

そんなふうに思う。

いくらか歳を重ねて、
守りたいものが出てくると、
そういう気持ちを忘れがちになるけど、

そういえば、
こんな気持ちで大人の守りたいものが、
若い人たちにとっては、
けっこう迷惑なことで
どうにかして壊したいものになりうるかもな、
なんていう気がする。

大人たちは、
ものすごく重要なものを
守っているような気がしているけれど、
若い人たちからみれば、
たいしたことのないものを
守っているようにしか見えないだろう。

だから、壊したくなる。

壊されそうな気がする方は、
ますます、守りたくなる。

壊すことがなかなか難しいものの一つに、
家族関係というものがあるでしょう。

家族関係は、
その家その家で
少しずつ、あるいは、ものすごく
違うのが当たり前。

家族に不満のある人が、
他と比べ始めたら、
なんとかして壊したくなるに違いない。

わたしも、そういう人間の一人
だっただろうなぁ...

しかし、子供には、
なかなか壊せない。
変えられない。

自分が壊れて、
それによって家族全体に影響が及び、
家族崩壊する方法しか
残されていないような場合でさえあるだろう。

でも、自分が壊れてしまっては、
元も子もない。だから、悶々と
ストレスを抱えたまま生きて、
そのまま大人になっていく。

そして、自分こそはと思い、
壊したくならないような家族を作ろうと目指して、
自分の子供から見れば、
壊したくなるような家族を作っていたりする。
なおかつ、かたくなに、それを守ろうとする。

難しいものだ。

一方が守りたいもの=もう一方が壊したいもの。

なかなか、うまくいかない。

いろんなトラブルメーカーさんを見るときに、

「この人は、何を壊したいんだろう?」

ふと、そんなことを思う最近です。

2009年4月30日

生もの

人間は、生ものです。

あらためて、そう思うのだけれど、
そういうことを忘れていることが多い。

焼肉屋さんに行って、
入り口付近に、
今日のお肉は~

123456789号

みたいに、トレーサビリティの番号があったりすると、
おお、新鮮だな、とか思って、
生ものであることを実感するんだけど、

人間は、それ以上に、
生ものなんですよ、きっと。

わたしたち人間自身が、
触れるもののなかで、
一番、生ものなんじゃないだろうか。

でも、生ものだ、
という感覚を忘れていることが多い。

それに気づかされるのは、
その「生もの」がもっている情報が、
刻一刻と変わっていくこと。

人間関係であれば、
一人一人の気持ちが変わっていく。

ビジネスや商売であれば、
嗜好や好み、興味が、
いつも同じとは限らない。

スポーツなどであれば、
作戦も変われば、
その日その日の調子も違ってくる。

そういう生ものの情報をちゃんとつかんで、
対処しないと、
うまくいくものはうまくいかないし、
勝てるものも勝てないし、
売れるものも売れない。

「以前は、これでよかったのに...」

「わたしは、この方法でうまくいってきた」

「新しいことはやりたくない」

生ものとつき合うためには、
こんな感じではいけないのだ。

一番の生ものと、
どう付き合ったらいいか。

人間のテーマかもしれませんね。

2009年4月27日

たいしたことない

そんなにたいしたことない失敗について、
ものすごく恐縮して、

「とんでもない大失敗で、
 とてつもない迷惑をかけてしまって、
 ごめんなさい! 申し訳ありません。」

というような感じに謝られたら、
80%くらいの人が、

「いやいや、そんなに恐縮されなくても。
 たいしたことじゃないですから...」

と言ってくれるじゃないでしょうか。

ところが、
その同じことでも、

「あ、それくらい、
 たいしたことないでしょ。」

と、少しも謝る気がないとなると、

「おまえ、もう少し、別の言い方があるだろ。」

なんて思われるはず。

それくらいで済むのであればいいけど、

「ちゃんと謝れよ。」

「いや、そんな必要、感じないし。」

「なに、言ってんだ? このボケが!」

「は? 何、キレてるの? そんなことで...」

みたいな泥沼にハマってしまうことすら、
ありえます。

わたし自身、自分のモノサシで、
相手の損害を計り勝ちな人間なので、
注意しなくちゃいけないな、と思います。

誠意という言葉を使っちゃったとたんに、
「誠意」でもなんでもなくなる気がして、

あんまり使いたくないのですが、
やっぱり、誠意なんですよね。

それは、お互いが、
誠意という言葉を使わなくても、
それを見せられる、
あるいは感じられる空気にしないと、
ダメだ、ということだろうと思うんです。

一般人であれば、
笑い話で済まされるような話ですが、
SMAPの草彅剛さんは、
誠意をもって、いじめ好きなレポーターたちの質問に、
ちゃんと答えていたと思います。

きっと、
「なんで、こんなことまで
 聞かれなきゃいけないんだ?」
というような心の奥の声もあったんでしょうけど、
よく、がまんしていたように見受けられました。

いつ、復帰できるかな、彼は...

2009年4月23日

草なぎさん

大の酒好きとしても知られる、
SMAPの草彅剛さんが、
公然わいせつ罪で逮捕された、
というニュース。

ちょっとビックリ。

過去に、同じSMAPの稲垣吾郎さんが
違法駐車をとがめられて警察官の制止を振り切り
逃げたというニュースで、6ヶ月ばかり
謹慎生活を送ったことがありますよね。

また、同じようなことになるかな、
という心配が募ります。

でも、自分が裸になっただけの話で、
ちょっと安心しました。

安心しちゃダメかもしれませんが、
若い女の子に手を出したとか、
麻薬とかでなくて...

もちろん、午前の3時くらいに、
大騒ぎされた近隣の人々にしてみれば、
えらい迷惑だったことでしょうが。

憎めない草彅剛さんのことを考えると、
仕事か、人間関係か、何かは分かりませんが、
はじけちゃって起こしてしまった、この事件?

この機会に、ちょっと休んで、
元気になって帰ってきてもらいたい。

がんばってください、草彅さん。

でも、一人で裸になっていた、
っていうニュースですが、
いっしょにいた人々もいたのでは?

どうにも止められない、彼の騒ぎっぷりに、
みんな、逃げちゃったのかな。

今後、禁酒することは考えたほうがいいかも。

2009年4月18日

言ったあと、言わないあと

コミュニケーション、っていうのは、
いろいろなタイプがあるんだろうと
改めて思う。

何かを言ったあと、
何かを言わないあと。

そのあとに、どう考え、
どう感じさせられて、
どう動くか...

ここまですべてが
コミュニケーションなのだ、
と思います。

大切なことは、
何かを言ったあと、あるいは、
言う前から始まっているのでしょうけど、

その「言う」ということは、
コミュニケーションの中で、
最も大切なことなはず。

しかし、その「言う」っていうのを、
何もやらないで、頭の中で、
勝手に完結しちゃっている場合もある。

こう言ってしまいたい、
けれど、それが受け入れられそうにない、
となれば、最初から何も言わない、
みたいな感じです。

それで、次のシーンに、
心が移っていればいいのですが、
実際は、そこに、じーっと心を置いてしまっている。

結局、完結していないのです。

だったら、思っていることを言ってしまって、
ほかの人々の反応を見たらいいじゃないか、
と思うのですが、

頭の中で完結してしまいたい人間ほど、
だんだん、心のひきこもりになって、
他人の反応を信用できなくなっていたりする。

「言ったあと」というコミュニケーションが何もない。
存在しないから、コミュニケーションそのものが
成り立っていない。

そうなれば、その人間は、
成長することが難しいかもしれないのです。

うーん、時々、私も、
頭の中で完結しちゃいたいこともあるので、
そういうコミュニケーションしちゃっているかもなぁ。

どう思われてもいいから、
何か「言ったあと」というのをつくるべきなのでしょう。

それで、自分のことを知ってもらい、
自分にも、他人にも、自分の扱いが
分かるようにしたほうがいい。

コミュニケーションっていうのは、
自分を扱うことかもしれませんね。

2009年4月15日

みんな、がんばってる

インターネットのおかげで、
自分の身のまわりでがんばっている人だけでなく、
いろんなところでいろいろとがんばっている人の存在を、

もっと身近に、もっと詳しく、
知られるようになった気がします。

もちろん、インターネットがなかった時代でも、
テレビや雑誌、新聞などのメディアでも、
そういう人々は紹介されていたと思いますが、

あくまで、メディアのフィルタというものを
通してしか、伝わってこない。

しかし、インターネットは、
自分から検索をしていって、
自分で見つけ出して、
知ることができる。

へぇ~、こんなことを、
そんなにがんばっている人がいるんだぁ。

そういうことに気づいて、
2つの違った感情が生まれる可能性を
知ります。

一つは、
今までは、自分だけががんばっているように
思っていたから、そういう事実を知って、
井の中の蛙状態だったことに、ちょっとショックを受ける。

もう一つは、
まだまだ、自分のがんばりは足りないから、
もっとがんばってやろう、と目標がハッキリしてきた状態。

どちらにしても、
「みんな、がんばってる」
という事実を知ることは、
悪くないと思うんです。

一時的なショックを受けようが、
喜ぼうが...。

勝間和代さんの言葉に、
こんなものがあります。

「世の中全体では、どこかで、
 必ず誰かが勉強していますから、
 社会はだんだん賢くなっていきます。
 そうすると、自分が勉強しないと、
 相対的に社会に置いていかれるのです。」

まったく、その通りなんです。

そういうことを知る上でも、
インターネットはとても価値がある。

ゲームとかだけに、
ハマっている場合じゃない。

2009年4月12日

三毒追放

怒らない、
妬まない、
愚痴らない。

勝間和代さんの提言するキャンペーン?です。

わたしの生活のなかにも、
この3つが入り込んでくることが多いので、
このキャンペーンに参加しようと思っています。

でも、これがなかなか手強いんですよね。

まず、一人でも、
嫌な人のことを心に思っちゃうと、
頭の中が、カッカしてきてしまう。

今度は、こう言ってやろう、
ああ言ってやろう、
もし、こう言われたら...
と考えるだけで、
もう怒り全開みたいな感じになる私です。

なんとか、そこから逃れて、
自分の目標に向かおうとすると、
すでに、その目標を達成した人や、
成功した人が目の前にちらついてくる。

自分にはない才能なんかが見えてきて、
うらやましく思えて、

もしも...

なんて考えないわけでもない。

妬みですな。

それを口に出してしまえば、
愚痴になってしまうから、
何も言わないようにしているのですが、

ふとしたときに、
口から漏れてしまう。

口というのは、
なかなかコントロールの難しい場所です。

でも、この三毒を追放して、
自分の人生に意味のあることに
考えと思いを集中させないことには、
自分の人生は、良くなっていかない。

これを心に銘じて、
三毒追放をがんばるのです。

がんばるぞ!

2009年4月 9日

手っ取り早く

何事も、手っ取り早く
済ませたいと思う人間ですが、

手っ取り早いと思っている方法が、
一番、手っ取り早くないことが少なくない。

特に、人間関係。

誰かに、何かを頼みたい、
誰かといっしょにやりたい、

という願望があるなかで、

自分の口から本人に伝えて、
それがOKになれば、
一番手っ取り早い。

相手の方が、
初対面の人だろうと、
どんな人間だろうと、
分け隔てなく、話を聞いて、
判断してくれる人なら、
それでいい。

しかし、世の中は、
そうじゃない人の方が多い。

なんの下心もない申し出だとしても、
初対面の人から、いきなりアプローチされたら、
なんか、気持ち悪く思われることは少なくない。

教えてもいないのに、
メールアドレスにメールが来たら、
びっくりすることは間違いない。

しかし、メールの簡単さに慣れた私なんかは、
そういう感覚に相手も慣れているだろうと思って、

「手っ取り早く」やろうとして、
度々失敗する。

やっぱり、通すべき人を通してやった方が、
ちょっとの時間はかかるとしても、
結果的に、手っ取り早いこともあるのだ。

うーん、難しい。

悪気はないのだが、
自分の思い通りスピーディに
事が運ぶことばかりを、
自己チューで考えているからだろうね。

自分は、自分の思う方向にすぐ動けても、
他人は、自分の思う方向にすぐ動けない。

こういう基本を、ネットだけにふれていると、
忘れてしまうんだよなぁ。

まだまだ、子供だなぁ、と自分を思う。

2009年4月 8日

50%の確率

確率というのは、
あくまで過去のことについての
結果をパーセントで表したことなので、

未来について、
絶対に、その確率で起こる、
ということは言い切れない。

まして、確率が50%くらいで、
微妙なところにあると、

いや、確率30%で
負け越しているとしても、

願望的な見方が入ってきて、
気分的には、70%の確率で
物事を見てしまう傾向が
人間にはあるように思います。

現実的には、
30%、50%の確率なのに、
70%の確率で物事を見てしまうと、
どうなるか。

だいたいは、ガッカリする羽目になります。

プラス思考だったんだから、
悪いことじゃない、という見方もありますが、

ただ、願望的に見ているところに
問題がある。

現実が50%くらいと分かっているのなら、
その50%を活かすための方策を考えなくてはいけない。

勝負であれば、
半分は勝って、半分は負ける。

行動であれば、
半分は成功して、半分は失敗する。

予想であれば、
半分は当たって、半分は外れる。

こんな状況に、どんな糸口があるか、
見つけるのって、大変だなぁと感じます。

50%ですからね。

現実は、キビシイです。

2009年4月 1日

最大のウソ

エイプリール・フールの今日。

何か大きなウソをつきたい、
と考えてみたものの、
ウソのレパートリーが少なくて、
何も浮かんでこない悲しさ...

ウソをつくっていうことでさえ、
練習していなければ、
そう簡単につけないんだな、
と思わされます。

うそつき。

その言葉を考えると、
誰にも、一人、二人くらいは、
思い浮かぶかもしれない。

私は、1,2,3,4人くらいからな。

ちっちゃなウソをつく人、
家族に借金を隠していた人、
怠けるために仮病を使う人、
本当の気持ちを隠すために理論武装する人。

ウソのスケールに違いこそあれ、
その人たちのウソは、
1つ1つが、やっぱり、見抜きにくい。

あとで考えてみれば、
そっかぁ、あれもウソだったか、
ということに思い当たります。

ウソは、後の行動で分かってしまう、
ことになっている。

だから、出来れば、
ウソをついた瞬間ばかりでなく、
後の行動までちゃんと考えて、
ばれないようにしないといけない。

そういう自分も、
きっと、ささいなウソは、
いつもついているかもしれないが、

後の行動でバレバレのことが多い。

今日は、最大のウソがつけるかな。

2009年3月30日

ちょうど真ん中

何か物事の力とか、レベルを
見せるための数字として、

「平均」というものがあるけれど、
実は、それでは、まったく何も
分からないときもある。

よく、公務員の給料の平均なんかが、
ニュースで報道されたりするんだけど、

「へぇ~、そうなんだぁ」

くらいの印象しか受けない。

先日から話題になっている、
ブログ市長が公表したような、
公務員全員の給料額なんかがあると、

「え?そんなにもらっているの?」

とか、もっと踏み込んだ印象が出てくる。

しかし、その全部のデータが、
すぐに読み終えられるくらいの量ならいいが、
そうでないとなると、全体を把握するのは、
面倒くさい。

でも、平均だけでは、分からない。

そんな時に、何を見せてもらえたら、
ちょっと分かるようになるのか。

平均の他に、最低の数字と、最高の数字を
見せてもらったら、見えてくるかもしれない。

maxminグラフ

こんな感じかな。
平均が5、最高は8、最低は4...

これが、勉強なんかでいえば、
がんばれば、すごい点数を出せるけれど、
ふつうは、そうでもないみたいな印象になる。

もし、平均の5しか、見せられていないと、
その「がんばれば」というシーンが
想像できないということになる。

うーん、やっぱり、
平均では、見えてこないことが多いんだな。

平均だけを見て、喜んだり、
悲しんだりしていてはいけないな、って思う。

2009年3月25日

喜んでいい?

2億6千万円、日本が、
WBCで獲得した賞金額です。

これ、どうやって、
原監督、イチローなどの選手、
組織の日本野球機構と
分けるんだろう?

なんて考えました。

自分がもらえる賞金でもないのに、
そんなことを考えちゃいます。

そしたら、
日経BPサイトを見て
ちょっと分かったことが...

アメリカは、6億円近くもらえるらしい。

というのは、このWBCそのものが、
アメリカの大リーグ機構で企画した「ビジネス」だから。

なーんだ、そういうことか?

という思い始めたら、
この2億6千万円の分け方よりも、

アメリカの頭の良さが、
さらに大きなニュースに見えてしまった。

アメリカという国は負けたけど、

最後の決勝打となったイチローにしろ、
MVPを獲得した松坂にしろ、
アメリカの大リーグで活躍している(育てた?)選手でしょ?

みたいな、大きな余裕です。

「負けるが勝ち」、
「名を捨てて実を取る」、
「花より団子」、

こんなことわざも浮かんできますが、
がんばった日本と韓国には喜ばせておいて、

アメリカも、ちゃんと喜ぶところがある、
というビジネス。

うまいなぁ、一枚上手です。

2009年3月14日

昔のものは負ける

新しいパソコンを使い始めて、
だいたい1ヶ月が経った。

昔買ったソフトで
使えないものが出てきて、
ちょっと不便と思ったが、
かえって、それでよかった、
と思うことの方が多くなってきた。

その1つが、
メール送受信ソフトのOutlook2000。
(オフィス2000のセットで買ったから、2万円くらいだったかな?)

新しいパソコンに付属されてきたのは、
Windowsメール。(これは無料)

気持ち的には、
2万円も出して買ったものだから、
そっちの方が高機能に思える。

しかし、実際に使う機能は、
そんなに高機能である必要がない。

Windowsメールを使い始めて、
思ったのは、機能は多くないけれど、
自分が使う部分については、
昔のもの(Outlook2000)より
断然、性能がいい。勝っているということだ。

たとえ、有料で買ったものでも、
今の無料のものにはかなわないところがある。

この発見は、大切だと思う。

せっかく自分が買ったんだから、
という呪縛にとりつかれて、

今の無料のものをバカにしていると、
損をすることもあるということだ。

わたしは、ちょっとバカにしていた。

うーん、無料をバカに出来ない、
今の安いものをバカにしちゃいけない。

会計では、年数が経てば、
資産の価値が落ちていく、
という減価償却という言葉があるけれど、
その意味を確認した気分になったよ。

2009年2月15日

新しいパソコン

4年ぶりの新しいパソコンです。

うーん、やっぱり、
新しいものはいい。

新しいものが目の前にあるだけで、
なんか、心が明るくなる。
楽しくなる。使って何かをしたくなる。

こういう気持ちは、
悪くないなぁと思うわけです。

だからといって、
いつも何かと新しいものを
買い求めていると、

財布と環境に悪いわけで、
ほどほどに、新しいものを
欲しくなれるよう、
自分の心をコントロールしているところです。

ただ、パソコンのようなものだと、
新しいと、ちょっと困ったことが起きる。

起きないかなぁ、と思いながら、

あるいは、起きたとしても、
たいしたことないだろう、
とちょっと「前向き」に考えて、
新しいものを求めてみれば、
やっぱり、困ったことが起きる。

昨日、やっと到着したパソコン。

早速、9年間近く使ってきたソフトを、
次々とインストールする。

使えるのは当たり前と思いきや、
使えないものが出てくるんですよねぇ。

この、Windows Vistaめ!

そんな強情な態度をとるんじゃない!

そう思って、いろんなことを
やってみるんですが、
やっぱり、使えそうにない。

一番困ったのは、
メールソフトのOutlook2000という代物。

そうなんです。
2009年にもなっているのに、
2000なんていうバージョンを
使っていたんです、私は。

というか、使えちゃっていた。
何の問題もなく...

新しい機能には、
それほどの興味なく。

ウィルスなどの脅威には、
必要な対策をキチンとして、
使えていたのです。

もうひとつは、会計ソフト。
これにも困った...

どうしたものか。

情報とお金。

今の世の中で、
けっこう大切にされているもの。

逆に言えば、そういうソフトの進化が、
一番速いということなのかなぁ。

いずれにしろ、まいった、まいった。

2009年2月13日

一言に揺れる

人は、勝手なことを言っていい。
どんなことを言おうと、
自分がその一言の責任を
負うつもりであれば、
何を言っても、ゆるされる。

ゆるされると言ったが、

言っていいだけであって、
言った後の結果が
何でもゆるされるとは限らない。

鶴の一声、という効果で、
それまで、いろいろと議論されていたことが、
その一声、一言だけで、
ガラッと流れが変わることがあります。

議論の空気が消えて、
一気に、その一声に流れていく感じです。

昨日、ある方が、こういった。

「怒るというより笑っちゃうくらい、
 ただただあきれている」

これを言ったのは、小泉さん。
これを言われたのは、麻生さん。

ググッと、流れが変わる気配を感じます。

今まで黙っていた人が、
声を出しただけに、そんな感じだ。

しがらみの多い人の言葉は、
意味不明な、コロコロと変わることが
多いけれど、

もう失うものが何もない人の言葉は、
竹を割るように、スパッと切れて、
迷いがない。

実際、どちらが正しいかなんてことが、
その時点で分からないとき、
みんながしがらみにウンザリしているときには、
スパッとした言葉の方に、共感が集まるだろう。

見放された方は、どうするか。

潔く去るか、それとも、
最後の最後まで、メチャクチャにして、
ぶち壊したまま、滅び行くか。

滅び行くのかなぁ...

2009年2月12日

目的意識がない

なにかと責めるための言葉として、

「目的意識がない」

なんて言われたりします。

危機意識がない、
協調意識がない、
未来意識がない、

いろんなことが言われます。

きっと、そういうことを言われることの多い、
若い者からすれば、

そういうおまえは、どうなんじゃ?

と思っているかもしれません。

考えてみれば、
それはその通りであって、
若い者を責めながら、
イライラしている自分っていうのは、

なんか、その若い者が、
そのまま生きながらえたら、
なってしまう人間のようにも、
自分には思うわけです。

そもそも、
目的意識とか、
危機意識とか、
協調意識とか、
未来意識とか、
そういう意識なんて、
限定して存在しているものじゃあなくて、

ただ、どう生きたいか、
っていう意識だけが、
ハッキリでも、ボンヤリでも、
あるだけだと思うんですよね。

若い者を叱っている自分に、
どんな目的意識があるのか?

叱ったり、責める暇の使い方が、
自分のどんな意識に合致して、
それをしているんじゃ!?

みたいな自問も出来るわけでして、
自分の人生を生きる意識が、
まだまだ、あいまいだから、

他人の生きている意識にも、
腹が立ってくるのでしょう。

そんなふうに思います。

まず、自分がしっかりせよ、
と自分に言い聞かせて生きる人が増えなくちゃ、
いけないでしょう。

ハローワークで仕事を探していた若者に、
麻生首相が夢を語っているシーンが、
去年の暮れだったかに、報道されていました。

うーん、あれが、大人の象徴だったら、
自分は、あそこから離れないといけないな。

2009年2月 7日

記憶は、都合に合わせる

記憶というのは、
ホントに、いい加減なものだと
感じます。

怖いと思っちゃえば、
それほど怖くなかったはずのものでも、
何かしら、不可解なものだった、
という記憶だけが残っている。

もしくは、そういうふうに、
思い込んで、記憶を引き出してしまいます。

「そうだったなぁ、
 あんな感じだったから、
 絶対に怖いよなぁ、強いよなぁ。」

みたいな感じです。

一方、
たいしたことない、
と思いたければ、

自分の方が優れていた、
自分の方が強かった、
自分の方が成功する、

という記憶が残っています。

たとえ、過去の現実のなかでは、

「とてつもなく、強かった。
 怖かった。歯が立ちそうになかった。」

という印象を持っていたとしても、
なんとかして、頭の中は、
記憶を変えてくれます。

多分、あの時には、
ちゃんと見ていなかったんだよ、
先入観で見てしまったんだよ、

みたいな感じです。

良くも悪くも、
記憶は、自分の都合に合わせて、
変化するんです。

しかし、その記憶を、
あとの分析などのために、
記録していると、話は違います。

映像に残しておくとか、
文字として残しておくとか。

いずれにしろ、
人間が、記憶を頼りに、
何らかの行動を始めるのは、
どこかしら、危なげなのです。

もっと確かな記録を
つけておきましょう。

自分のためですから。

2009年2月 1日

新しいことがない

日々、当たり前に生きていて、
新しいことがない、
って感じるのは、

自分が鈍くなったか、
世の中が活気づかなくなったか、
そのいずれかだと思う。

今この時代について言えば、
世の中の活気が少なくなったのも
事実だろう。

「危機」という言葉に
ビビりながら、
「守り」にばかり集中していると、
間違いなく、新しい刺激を生み出すことを忘れる。

世の中に、刺激を与えるって大変なんだなと思う。

それ以上に、刺激を与え続ける、
っていうことは、もっと大変だろう。

去年で、サザンオールスターズの活動休止になった。
長い間、ヒット曲を飛ばせるっていうことは、
刺激を与え続ける存在であったから出来たこと。

そういえば、最近名前が聞かれなくなったな、
と思っていたチヤゲ&飛鳥も、
活動休止を発表した。

ドラマ「振り向けば奴がいる」にて、
「YAH! YAH! YAH!」
のヒット曲を飛ばしたり、
すごい引っ張りだこの時代があった彼らも、
求める音楽性の違いで、休止の判断をした。

サザンや、チヤゲ&飛鳥に、
育てられた世代にとっては、
なんか寂しいし、

そういう人々をも苦しめる時代に
なったんだろうなぁ、と思わされます。

先の見えない時代には、
何を求めればいいのか、
答えが分からなくなる。

逆に言えば、何を求めてもいいことかもしれない。

そうなると、自分の求めたいことの主張が、
仲間同士のなかでも、入り乱れて、
一致することなんてなくなるだろう。

何を求めても、何が正解か、
しばらくの間は分からないから。

両者とも不正解、という場合もあるわけだし...

新しいことが生まれなくなる時代。
生み出すのが大変になる時代。

少子化っていうのも、
なんか、こういう時代の象徴にさえ
感じられます。

うーん、やっぱり、
子供が増えなきゃいけないな。
誰か、産んでください。

2009年1月30日

限られた文字数

限られたものが、
とてもありがたい、
と思うことがあります。

限られていないものよりも、
すごく意味があるような。

雑誌なんかを読んでいると、
限られたスペースに
削られて削られて選ばれた文字だけが、
ピッタリはまるように並べられている。

そういう文字を読むのが、
なんとなく価値ある、
と思えるようになってきた。

年かな。

無制限に、だらだらと、
こんなふうにブログに書ける、
という時代も悪くない。

だからこそ、
限られたスペースに
並べられている文字数が、
とてもありがたく感じるんだろう。

限られた予算、
限られた時間(命)、
限られた仲間、
限られた何か。

そういうもので作られたもの、
そういうもので作ろうとしているものが、
価値がないわけがない。

人間は、どうだろう...

いくらでも金をかけるから、
と言って育てられた子供と、

これしか金をかけられないから、
とお金と時間のありがたみを
感じながら育てられた子供と。

傲慢になったり、
卑屈になったりしなければ、
何かしらの制限をもっている方が、
それをありがたがって、
時には突き破るために、
がんばることだろうなぁ。

わたしも、子供たちに、
欲しいものすべてを与えられるほど、
持っている人間じゃない。

限られたものしか与えられない。
そのなかで、どんなふうに育っていくか。

与えられないことを悔やんだり、
恥ずかしがることなく、
楽しみに眺めるのも悪くないと思った。

限られたもので作られたものは、
きっと、面白かったり、美しかったり、
素晴らしかったりする。

そう信じたいものです。

2009年1月26日

新しいことタイム

景気が良くないとか、
時代が悪くなるとか、
そういう時には、

気持ちのいい新しいことが、
ないからなんだろう、と思う。

みんなが買いたくなるものが
出てこないと、お金は動かなくなる。

みんなが出かけたいところがなくなると、
人の動きもなくなる。

みんなが見たいと思えるものがなくなると、
目を開けることもなくなる...
なんてことはないでしょうけど、

関心を引き寄せるには、
「新しいこと」が必要。

古いことでさえも消化しきれていないから、
ってことで、新しいことを遠ざけていると、
新しいこと拒否反応が身についてしまう。

そのうちに、
自分にすら飽きてくることに...

だからと言って、
マスコミの思うままに誘導される
週刊誌やワイドショーで紹介している
「新しい噂」や「新しい話題」にだけ
動かされるんじゃなくて、

自分から見つけようとする
「新しいこと」が必要だと思います。

わたしは、そういうことを見つけようとする時間を、
「新しいことタイム」と呼んでいます。

大人になると、
そういうことがなくなる場合も
あるんですよね。

波乱万丈の人生とか、
この不景気な時代にこそ、
そういうものがありそうなのですが、

安定を求めてしまうと、
そこから逃げるだけの生活に
なってしまうことも...

子供とかであれば、無条件に、
新しい知識が目の前に広げられて、
それに食いつく「新しいことタイム」が
あるんですが、大人はねぇ、

自分で見つけ出そうと
しなくちゃいけない。

新しいことタイム、
とってますか?

2009年1月20日

尻切れCM

クルマのドライブをしていて、
飲酒運転をしないように
呼びかけるCMが流れた。

最初は、女の子の声で。

「お父さん、
 お酒を飲んだら、
 運転はダメダメ。」

次に、お父さん役の声が...

「大丈夫。
 俺はプロのドライバーだ。
 ・・・」

へ?

続きがあると思って、
耳を傾けていたが、
そこで終わって、
飲酒運転をやめようという呼びかけ。

大丈夫、プロのドライバーだから、
酒を飲んで運転するなんてことはない、
という意味合いだったのでしょうが、

私には、どうしても、

プロのドライバーだから、
酒を飲んで運転しても大丈夫だよ、

という印象が残ってしまったのです。

考えてみれば、
大丈夫という言葉は
日本語として、
けっこう微妙な言葉。

「(そんなことしないから、)私は大丈夫」
「(そんなことしても、)私は大丈夫」

正反対になってしまう。

「(そんなもの買いませんから、)いいです」
「(それ買ってあげても、)いいです」

これも同じだ。

「(そんなことしていただかなくても、)けっこうですよ」
「(それをしていただいても、)けっこうですよ」

こんな感じもある。

きっと、使う日本人そのものが、
あいまいな表現が好きで、
相手に嫌われないで、
(美徳とすれば、不快な思いを与えずに)
断ろうとするから、そうなんでしょう。

そんな言葉を、
飲酒運転をやめさせようというCMに
引っ張り出してきた制作担当者は、

飲酒運転をしたがっている人か、
飲酒運転をしている人へ思いやりを示したのか、
そのいずれかかもしれない。

そんなあいまいじゃ、いけないと思うんですけどね。

飲酒運転ドライバーが運転するクルマは、
とてつもない凶器なんですから。

2009年1月18日

一人で変える

これを変えたい、
生きていれば、
そう思うことはしばしば。

変えたい対象が
自分であればいいのですが、

自分以外のもの、
他人とか、組織とか、世の中だったりすると、
話は大きくなるわけで、

だいたいは、変えようとがんばった後で、
自分の無力さを感じます。

先日テレビで見た映画「L Change the world」に
あった言葉。

どんな天才でも、一人では、
世界を変えられません。

(英語)
No matter how gifted, you alone,
cannot change the world.

一匹狼で動きたがる私でも、
このような言葉を実感することがあります。

一人では変えられない。

いっしょに変えようとしてくれる仲間が必要。

そして、その仲間がいない時には、
その仲間を育てるまでに、
けっこうな時間がかかったりするもの。

仲間の予備、
と言ったら変な表現かもしれませんが、

才能があって、
飲み込みも速い仲間であれば、
あまり苦労もしませんが、

必ずしも、そういう仲間ばかりとは限らない。

仲間が少なくて、
なおかつ、育てるまでに
時間のかかる場合もある。

大げさな話、
一人一人丹念に育てないと、
ちゃんと育ってくれない...

どこに力を注ぐか。

何かを変えようとする時には、
結局のところ、そういうことだと思います。

どこに力を注げば、
効果が表れるか、
何かが変わっていくか。

変えようとする時には、
力の配分が大切なんですよね。

力にも限りがありますから。

2009年1月14日

ちょっとの現実

知ってる、知ってる、
とは言っても、

他人の現実をすべて
知っているわけじゃあない。

ちょっとの現実しか
知っていないのが事実。

その中で、
他人のことをあれこれ
言ったりするのが人間だから、
しょうもない。

そのしょうもない人間の一人である私も、
人のことをあれこれ言っては、
説教みたいなことを始めたりもする。

「人のよしあしをいう者の言葉は
 おいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ。」
 (旧約聖書 箴言26:22)

現実をすべて知ってしまえば、
何も言うことがなくなるかもしれない。

すべて知らないからこそ、
知らないところに想像力が働いて、

ああいうことをするんだから、
きっと、こういうことを考えて、
その結果、あんなことになったんだよ。
ダメなことだねぇ...

みたいになる。

もっと踏み込めば、
人は、現実のすべてを
知りたいわけじゃなくて、

話題として、好奇心を満たす何かを求めて、
他人の現実をちょっとかじりたいだけかもしれない。

ちょっとだけ知ることは、
けっこう楽しいことなんだよね。
飽きたら、次のことを知ればいい。
だから、面白く感じていられる。

すべてを知りたいわけじゃない。

ちょっとだけ知りたい。

そういうことから知ったことで、
すべてを語ろうという気分になる自分。
なんて、傲慢だ、と思います。

気をつけなくては...

2009年1月 7日

知らないことがない人間はいない

年末年始で、
ニュースの話題になった
派遣村。

「偽善だと言う人もいた。
 僕は人のためというより、
 自分がやりたくて来たんです。」

と言ったボランティアの青年もいれば、

「本当にまじめに働こうとしている人たちが
 集まっているのかという気もした」

という発言で、ごめんなさい、
をしたお偉いさんもいた。

人は、だいたいにおいて、
何を発言するにしても、
何の行動を起こすにしても、

100%分かってから
それを言ってる、始めている、
なんてことはない。

必ず、何かを見落としていたり、
何かを知らないまま、やっている。

言ってみて、やってみて、
足りなかったことが分かってくる。

だから、私なりに思うのは、
無責任でも何でも、

自分の思慮不足を自覚するためには、
何でもかんでも言ってみたほういい。
思ったことを口にした方がいい、とも思う。

そうすれば、
その足りないところを、
誰かが教えてくれたり、
批判してくれるから、

慌てて勉強をすることになる。

勉強をすれば、
本当に近いことが分かってくる。
そして、賢くなれる。

もちろん、何も言わなければ、
知らないことが知られないで、
自分の体裁は保たれる。

その代わりに、
本当の意味で身に染みるほど、
学べないかもしれない。

余計なことを口にしてみて、
恥をかいてみて、
何か言葉を発することの責任を
重く感じてみて、
その後から変われる。

もう二度としゃべらないぞ、

と殻にこもることもできるだろうけど、
私のように、そんな決心なんぞ、
数時間でぶっ飛んでしまうおしゃべりには、

やっぱり、しゃべって、
恥知らずな無様を見せることになって、
勉強していかなくちゃいけない。

言葉にも、致命傷というものがあるだろうけど、
そんなことに近い失敗も何度かやることだろう。

それでも、学ばないよりはいい。

そもそも、
知らないことがない人間なんて、
どこにもいないんだから。

2008年12月21日

女装する女

女装する女という本が、
今売れ始めているようで、

女装する女?

と素朴な疑問をもった。

助走とか、
除草の間違いじゃないか、
とも思ったが、

どうやった、
そういう間違いじゃないらしく、

男化している女だから、
女装することを話題にできる、
ということらしい。

男化?

ヒゲが濃いとか、アタマの毛が薄いとか?

そこまでいってしまったら、
もう、女の魅力から遠ざかってしまいそうで、
かなり怖いが、

考え方や行動が
男化している女性だとすれば、
思い当たる顔も浮かんでくる。

本来は、男がもっている本能に近いものを
もっている女性。

なかでも、
建て前にこだわった
「ものの言い方」をする女性に対して、

私の場合は特に、
男っぽさ、男っぽい社会の臭いを感じてしまう。

せっかく、女性と面と向きあっていて、
そういう空気は感じたくないのに、
そういうもんだから、
ガックリ来てしまう。

「ああ、この人も、
 男社会に染まってしまったかぁ...」

そうなれば、たしかに、
女装する女、っていう言葉も、
ピッタリ来る。

この本はまだ読んでいないけれど、
女装する女がいれば、
男装する男もいるだろうなぁ。

どちらかというと、
男社会っぽいものを嫌う私は、
その「男装する男」かもね。

商業主義に利用されすぎて、
なりふりかまわなくなっている女性も、
女装する女の仲間かもね。

本当の女性を見ていたいものです。

2008年12月19日

重い荷物で新年スタート

2008年も、今日を含めて
あと12日となりました。

気持ちよく終わって、
希望をもって明るく新年を迎えたい、
こういう時期に、
日本国内では、キビシイ現実が
ニュースで知らされます。

こんな様子じゃ、
日本という国のパワーが
ダウンしているイメージを
もたれてもしょうがないことでしょうが、

それ以上に、
アメリカという国のパワーには
信頼がないような感じです。

どんどん、
円が高くなって、
どんどん、
ドルは安くなっている。

もう、1ドルで、
日本で売っている100円のものは
買えなくなりました。

90円のものも買えません。

88円とかそういうものしか買えません。

アメリカという国の大変さが、
感じられます。

来年になれば、
オバマ新大統領が誕生します。

ブッシュ大統領は、
とんでもない「置きみやげ」を
残していってくれるな、
という感じがします。

日本においても、
仮に、麻生首相が去って、
民主党の小沢代表が
総理大臣になったとしても、

スタートから、
とんでもない「重い荷物」
を負わされることになるでしょう。

でも、世の中、大変だ、大変だ、
っては言いたくありませんね。

「こんなことは、当たり前だ」

と言いながら、元気に生きていたい、
と思います。

問題が何もなくなることを
期待するから、疲れるのです。

当たり前だと思っていれば、
ささやかな幸せにも気づける。

元気に生きましょう。

2008年11月 7日

自分でやること

常日頃、
自分のことは、
自分でやりなさい、
と教えている父親が、

妻ばかりに、
何もかもお任せ状態であったら、
説得力も何もあったもんじゃない。

昨日、次女の通学用自転車が
パンクをしまして、まだ、
買って半年くらいなのですが、

長女の自転車は、
買って1年半も経っているのに、
1度もパンクをしたこともないことから、

「おまえの乗り方が乱暴なんだよ」

と、私から責められた次女でした。

自転車屋さんに、
パンク修理を頼もうか、
と自転車を載せて、
街をウロチョロしたのですが、
部活動帰りで、
夕方6時を過ぎているせいか、
どこも閉店している。

さて、困った...

初めてのことだが、
自分でやってみるか、
と思い立ち、

ホームセンターに行きました。

パンク修理キットなるものが、
存在することは以前から知っており、
それを、早速購入。198円。

帰ってきてみて、
空気は抜けたけれど、
タイヤが外せない。

はて?

こんな時に、インターネットは、
本当に便利です。

タイヤレバーというものがないと、
タイヤを外して、中のチューブが
取り出せないことを知りました。

またまた、ホームセンターへ。
タイヤレバー3本入りで、300円。

タイヤレバーを使うと、
あっという間に、タイヤが外れました。

あとは、インターネットと、パンク修理セットに
書かれている手順どおりに、シャカシャカと作業。

娘たちの卓球ラケットに、
ラバーというゴム製シートを貼る作業に、
どことなく似ているな、と思いながら、
30分ほどで仕事が終わりました。

自覚をもたせるために、
合計498円は、次女の小遣いから出させ、

なおかつ、私の作業料は、
今度の週末に、
チョコと、チョコパンをおごってもらうことで、
さらなる自覚を、身につけさせました。

これくらい、財布に響けば、
ちょっとは、自転車にやさしい運転を
することでしょう。

自転車屋さんに行けば、
800~1,000円はとられるパンク修理。

修理キットは、すでに買ったから、
またパンクをしても、
父親に300円もおごれば、
修理をしてもらえる。

安いもんでしょう。

自分でやる、自覚する、自己責任。

親も、そういう考え方で行動しないと、
子供にも、伝わらないでしょうね。

そんな気がしました。

2008年11月 4日

5億でも足りない

今朝のテレビ番組は、
小室哲哉さんの詐欺事件ニュースで、
報道が埋めつくされているかのよう...

大阪地検に連れて行かれる写真には、
一世を風靡した当時とは、
まったく別人かと思えるようなイメージさえ
感じられます。

5億円にものぼる詐欺事件。

普通の人であれば、
5億円も投資してもらえるようなことはない。

他人から5億も引き出せる才能すら、
感じてもらえないだろう。

小室さんだから出来たこと。

彼の才能というもので、
5億円を引き出せた。

けれど、その5億でも足りないほどの借金を
抱えてしまったから、5億円の詐欺なんてことが
必要になってくる。

5億でも足りない生活。
人には、そういう生活が
あるのだろうか。

もちろん、事業を始めようとしたら、
5億でも足りないことはありえるだろう。

それを借り出すためには、
普通は担保が必要だ。

彼にとっては、
その担保が彼の才能だったろうし、
その彼の才能で生まれた著作権とか
だったんだろう。

けれども...

うーん、彼の音楽を気に入って、
聴いていたことがあるだけに、

逮捕された今でも、
その音楽を否定しようとは思わないが、

「なんで、そういうことになってしまったんだろう」

と思ってしまう気持ちは、
ぬぐい切れない。

落ちぶれた、と思われたくない見栄?

彼が住んでいたマンションに、
事務所を構えていた会社と交流のあった時がある。

その会社の方いわく、
「パーティが開かれる時には、
 かなり騒がしくする人々だった。」と。

どこから、歯車が噛み合わなくなったのか。

彼と同じレベルの成功もないだろうし、
失敗もないだろうけど、
考えさせられる出来事には
違いありません。

2008年10月30日

飽きることの大切さ

飽きっぽいことは、
情けないことだと言われることが
多いのですが、

飽きることは大切だな、
って思います。

もし、人間に飽きることがなければ、
一度食べたものを気に入り、
気に入ったならずーっと食べ続ける。

面白いと思った小説家の小説を、
次々と読み続け、新しいものを
探そうとも思わない。

受験勉強とは言え、
何度も何度も復讐をしても、
飽きることもない。

ってな具合になるんじゃないでしょうか。

そんなことでは、
新しいものに好奇心が向けられることがない。

だから、新しいものも
生まれないことだろうなぁ、
って思います。

それじゃ、経済の活性化もないだろうし、
人間というもの、社会や科学技術の進化も
なくなることでしょうね。

「飽きる」という感覚は、
必要欠くべからざるものとして
与えられたものだと思われます。

飽きることっていうのは、
生きるうえで、とっても大切だ。

どんどん、飽きよう。
そして、どういうところで飽きたか、
どんな理由で飽きたか、
っていうのが分かれば、

何かしら生きることのヒントに
なるだろうなぁ。

ものをつくったり、
アイデア勝負の世界で
生きている人にとっては、
特に大切なことでしょう。

飽きる、を馬鹿にしちゃいけない。

2008年10月28日

頭の使い方がいい

頭はそれほどいいわけじゃなくても、
頭の使い方がいい人が、
頭のいい人をだますことはありえる。

その頭のいい人は、
頭の使い方がいいわけじゃないから、
そんなふうにだまされるんだろう。

なぜか?

頭のいい人は、
記憶がいいとか、理解がいいとか、
そういうことが得意なんだと思う。

一方、頭の使い方がいい人は、
頭がよくないと分かっているから、
少ない記憶と理解の中で、
どうしたらうまくいくかを
必死に、あるいは楽しく考えていたりする。

頭のいい人の中には、
どうしたらうまくいくかを
必死に考える必要がなかった、
という人が多いかもしれない。

だから、今知っていること、
今理解していることに縛られて、
そうこうしているうちに、
だまされてしまったりする。

頭がいい、その上、
頭の使い方もいい、となると、
まず、太刀打ちできないだろう。

頭がいいだけの人と、
頭の使い方がいいだけの人と、
どちらが手強いかと言えば、

やっぱり、実戦向きの
「頭の使い方がいい」方でしょうか。

人と付き合う時には、
そういう人には注意した方がいいですね。

頭がいいだけの人は、
ホメ殺しておけば、
無害になってしまうことも多いですから。

頭の使い方がいい人になりたい。
まるで、金儲けのうまい人になりたい、
みたいに聞こえるかもしれませんが、
たしかに、それに近いのかも...

2008年10月25日

100円、500円

ふと思う時があるんだけれど、
小さい頃に、

「この100円で何を買おうかな」

と思っていた感覚が、今は、

「この500円で何を買おうかな」

という感覚に変わっているなって。

今も昔も、
1円、5円じゃ、何も買えない、
っていうイメージはある。

でも、そっかぁ、
たしか、駄菓子で「5円チョコ」って、
穴の空いたチョコレートがあったな。

今は、見かけないかな。

って思って、調べてみたら、
あったよ、これ。

5円チョコ

まだ、発売しているようです。
チロルチョコ社にて。

でも、わが家の近くでは、見かけないなぁ...

そういえば、北京オリンピックで体操銀メダリストの内村選手の
好きなチョコ「ブラックサンダー」も、見かけたことがない。

売っているエリアと、売っていないエリアがあるんだろう。

って、話がそれてしまいましたが、
10円でも、10円ガムくらいしか買えないから、

やっぱり、子供の頃には、

「この100円で何を買おうかなか」

ってことになっていたと思う。

それが今は、500円というわけで、
わたしの場合の選択は、2つに分かれる。

共通しているのは、
間もなく、消えるもの。

1.食って、胃袋の中に消える
2.雑誌を買って、情報を得たら、捨てる

それなりに、うまいもんも食える。
500円の菓子パンとか、ケーキっていったら、
それ相当でしょう。

500円くらいの雑誌だって、それなりにある。

だいたい、雑誌は、500円を超えたら、
「雑」じゃなくて片足を「本」に突っ込んでいるんじゃないか、
と思うところがある。

大げさな発想だけど、
500円で作れない雑誌は、
ニーズが狭まっていたり、特化されたりして、
500円では成り立たないわけですから。

もちろん、それを1,000円にアップさせることも、
悪くないですが、世の中を知るためには、
500円がいいんじゃないかな、と思うんです。

500円の可能性も楽しみたいし...

今日は土曜日。
500円で何が出来るかな。

2008年10月19日

ポイしないでください

先週の名言というか、
迷言は、これじゃないだろうか。

「ポイしないでください」

「グラビア界の黒船」と称される女性の結婚発表にて。

日本語がそれほど上手ではないと言え、
結婚と妊娠を発表してからすぐ、
この言葉が出てくるあたりに、

ちょっと不思議な印象を感じた。

「ポイしないでください」

私は好きな人と結婚するけれど、
皆さんは、私のことを好きでいて!
捨てたらイヤだよ!

っていう、なんとなくわがままなリクエスト。

自分は誰でも好きになっていいのに、
他の人には、自分のことだけ好きでいてもらいたい?
っていうことかな。

仕事柄、独身でないと成り立たないものって
あるように思います。もしかしたら、
グラビア界っていう仕事もそれじゃないでしょうか。

だから、独身でなくなった瞬間に、
その仕事を辞めるか。

独身になる前に、うまい具合に、
別の路線に切り替えるのを成功させるか。

そうでないといけない気がします。

雑誌「anan」では、
キムタクが15年連続の「好きな男」に選ばれていたけれど、
彼は、結婚しているのに、そういう魅力を持っているってことでしょ。

別に、

「ポイしないでください」

という発言もなかったし、

「好きでいてくれ」

というリクエストもなかった。

自然に、15年好かれているということだろう。

そして、そういうポジションを築き上げている。
尊敬します。

芸能界やグラビア界という世界では、

「ポイしないでください」

という言葉は、きっとミスマッチ。

その願いは、ファンの皆さんの心に、
聞き届けられるんでしょうか。

今回は、面白ネタということで、
芸能ニュースに取り上げられたんでしょうけど...

2008年10月 7日

なりすまし

このサイトには、
いい言葉カードというものがあって、
お気に入りのいい言葉を、
自分宛て、もしくは友人宛てに、
送ることができるようになっています。
(映画「ペイ・フォワード」からヒントを得て作りました)

ただ、この機能は、
会員登録した人だけとか、
その他のややこしい制限などもなく、
「自分の名前」「自分のアドレス」「相手のアドレス」を
入れるだけ、場合によっては、「自分のメッセージ」を
付け加えるだけで、送ることができます。

となると、こういうことも出来るわけです。

嫌いな人のアドレスに対して、
存在しない人やアドレスになりすまして、
(あるいは、自分以外の誰かの名前、アドレスになりすまして)
説教や批判の言葉を送ることもできます。

そういう使い方をされる可能性は、
インターネットの性質上、いつもあるわけで、

このサイトのいい言葉カードに限らず、
嫌なメールが送られてきたり、
自分のメールアドレスが悪用されないためには、

信用できない人には、
メールアドレスを教えない、
という方法しかないことになります。

あるいは、ある時から、
信用出来ると思っていたのに、
そうじゃなかったと分かった時には、
自分のメールアドレスを変えるなどして、
信用できる人にだけ、再度教えるなどの
対策をとらなければいけないことになります。

とても、面倒くさそうな気もしますが、
インターネットやケータイで、メールアドレスを使う、
ということは、そういう必要性が常にあると考えた方がいいです。

わたしのコラムに、
以前も書きますが、
私の元にくるゴミメール、SPAMメールは、
毎日5000通ほどでした。

最近は、法律改正があったせいか、
2000通以下に減りました。
それでも、まだまだ多い。

しかし、私は、
そういうことは覚悟しているので、
面倒くさいとは言え、メールアドレスは
変更するつもりはありません。

おそらく、私に「なりすまして」
ウィルスによってメールが送られているケースも
あることでしょう。

そういう面倒くささを覚悟の上で、
インターネットやケータイにつながっているか。

それとも、面倒くさいから、
やっぱり、インターネットやケータイにつながることを
やめるか。

そういう選択から始めて、
インターネットやケータイを使った方がいいと思います。
さまざまな技術が開発されて、
ネット社会が進化したとしても、
きっと、迷惑なことをする方法も
進化していくことでしょうから、しょうがないのです。

2008年9月25日

訳の分からないことをする人間は、
どこにでもいるもので、

この期に及んでも、
まだ時代に逆行しようとする「北」の上層部の人々。

また、核施設の封印を解いたとか。

怖いですね...

核兵器が本当に使われたら、
みんなの生活はメチャクチャです。

メチャクチャになったものを
支配したような気になったところで、
何の得になるというのでしょう。

もちろん、交渉カードとは思いますが、
国の内部は貧困にあえいでいて、
国力と呼べるものが本当にあるかどうか、
分からない「国」という建前のために、

残り少ない資源なり、財源を、
そういう核施設に回そうとする体制。

いつ、それが壊れるのか。

それは内部から壊れるのか。
外部からの圧力で壊れるのか。

今なお、分かりません。

しかし、自分たちのレベルも分からず、
また、他のレベルも分からず、
ただ疑心暗鬼になって
刃物を振り回そうとしている存在のように見えて、
どこかしら、かわいそうな気もします。

とは言え、その持っている刃物が、下手すると、
とんでもない武器である可能性もあって、
怖くなる気持ちさえ出てくるのです。

人口2,300万人あまりの北朝鮮。
そのうち、キチンと生活できているのは、何万人か?
国力として計算できるのは何万人か?

すぐ近くの国だけに、
核兵器をもっている国だけに、

近所のわがままな幼稚園児が
ピストルを振り回しているような感じで、
危なっかしい印象はぬぐい切れません。

2008年9月 5日

人と人をつなぐ仕事

新しい商品をつくる、
新しいサービスをつくる。

世の中は、どんどん、
そんな新しいものが
増えていっています。

新しいものが増えると、
好奇心でそれを買い求めたり、
利用したりする人がいてくれる。

最初に買い求めて
満足してくれた人がみんな、
口コミとかで宣伝をしてくれたら、
そのものは、どんどん広がっていくだろう。

しかし、なかなか、そうはいかない。
よっぽどパワーのあるものじゃないと、
口コミの伝達ラインには乗らない。

そうなると、
「仕事」として伝達してくれる人の助けが
必要になってくる。

伝えたい人と、
伝えられたら喜ぶかもしれない人の間に立って、
人と人をつなぐ仕事。

それが広告っていうものだろうなぁ、
っていうことを、最近、実感するようになってきた。

きっと、いい広告に出会って、
なるほどな、って思うことが増えてきたからだろう。

しかし、そうじゃない広告もあるのが現実。

悪い商品やサービスと分かっていて、
それにつなげようという「広告」の存在...

人々に、免疫があって、
そういうものにだまされないだけの知識や知恵が
あればいいんだけど、みんながみんな、そうはいかない。

良くない広告があるからといって、
決して、広告というものはなくならないと思う。

人と人をつなぐ仕事は、
いつの時代も、必要だ。

どこかにいる誰かに伝えるためには、
広告っていうものがないと、
可能性を見つけられない場合が多いだろう。

そして、人と人をつなぐために、
何か新しいものを作る人も出てくる。
そうしないと、人と人をつなぐ「存在(仕事人)」として、
認めてもらえないっていう現実もあるからだ。

新しいものを作るのも、
人と人をつなぐっていうのも、
大きなチャレンジのある時代です。

2008年8月27日

無料ですが送料だけ?

こんな世の中になれば、
怪しい商売は、
数限りなくありそうな気がします。

「毎月、無料で差し上げます。
 ただし、送料980円のみ、
 ご負担ください。」

などという文章が、
目に止まりました。

昨晩、うちの妻が枝豆をゆでてくれて、
それを冷ますために広げた新聞広告チラシの文字です。

定価は、17,000円とあります。

どうやって、17,000円の定価のものを、
毎月、差し上げるのか。
それも、980円だけで?
という話です。

サンプルとか、試供品なら、話は分かります。

だから、逆に考えると、こういうことだと思います。

おそらく、製造原価が300円程度のものなのでしょう。
(いや、もっと安いかもしれない)
送料も、300円程度?

となれば、利益は、380円。

これをいくら売れば、儲けにつながるかは、
分かりませんが、そういうことじゃないのかなぁ、
と考えてしまいます。

わたしの古い頭の中での考えかもしれませんが、
どうも、納得いかない広告でした。

毎月、無料で差し上げる?

何のために?

利益を出すのが会社でしょ?
広告チラシだってタダじゃないでしょ?

うーん、分からない。
こういうチラシは、ホントに不思議で、怪しい。

2008年8月17日

集まるところ

お盆が終わって、
田舎に集まっていた人々が、
さーっと散っていく。

もし、人の移動する状況が
グーグルマップなどで見られたら、
けっこう面白いだろうなぁ、って思う。

実際、多くの人が持っているケータイからの信号を、
地図上に、プロットしていったら、
そんな移動図なんか、すぐに出来そうな気がする。

それに付随して、
お金の流れる図なんかも
面白いかもしれない。

もしかしたら、
そのお金っていうのは、
日本からどんどん流れ出ているかもしれないし...

お金は、そのお金が増えるところに、
流れていくものです。

つまり、仲間同士で、
増えていけるところに、
お金は集まるという習性がある。

人も、ちょっと似ていて、
人が集まるところに集まる習性、
っていうのがある。

もちろん、それに反して、
人の集まらないところに
集まる習性の人もいますけどね...

そういう人が持っているお金は、
孤立することになるでしょう。

という例外は別にして、
お金は、お金を増やしてくれるところに、
集まる習性があるのは、きっと事実。

財政難の地方に、
このお盆期間中に、
多少のお金が落とされていって、

次の正月までに、
また少しずつ、どんどんと、
都心部に、お金が流れていくことでしょう。

そして、お正月に、
帰省客とかといっしょに、
お金がついてくる。

こういう縮図を考えると、
見えてくるものがありそうな気もします。
私には、あんまり見えませんが...笑

何かが集まるところでは、
何かが増えている。

目に見えない場合もあるかもしれないが、
何かが増えている。

それが、ゴミだったら、
ちょっとイヤですがね。

2008年8月 7日

イヤなサイト

いいサイトを作ろう、
と思っています。

これからも。

参考になる情報を見つけました。
gooランキングより引用。

「こんな個人サイトはイヤだ」ベスト20
1位:画像が多くて、重い
2位:ポップアップがどんどん開く
3位:アフィリエイトバナーがたくさん貼られている
4位: 「準備中」「作成中」のコンテンツだらけ
7位:リンクが切れているところが多い
9位:トップページからFlash
10位:目に優しくない背景色(黄色や赤色など)
14位:ブラウザのサイズを勝手に変えられる
15位:サイトを見ても何を伝えたいかがわからない
20位:個人の顔写真、タレント写真など無許可の画像を掲載

「こんな企業サイトはイヤだ」ベスト20
1位:情報が数ヶ月間更新されていない
2位:画像が多くて、重い
3位:「準備中」のコンテンツだらけ
5位:トップページからオールFlash
6位:ポップアップがどんどん開く
10位:問合せ先が明記していない
11位:サイトを見ても何を伝えたいかがわからない
13位:ブラウザのサイズを勝手に変えられる
16位:目に優しくない背景色(黄色や赤色など)
18位:公式ブログがスタッフの内輪ネタばかり

見比べてみると、
個人サイト、企業サイトとも、
似ている内容があります。

考えてみれば、
見る側の人間にとっては、
個人サイトだからということで、
いくからハードルを低くすることはあっても、

そのサイトから情報を探していることに
代わりはないわけで、同じクレームが
発生するのは分かります。

個人サイトについて、
20位:無許可の画像を掲載っていうのは、
歯止めが利かない状態になっていますね。

ジャニーズ系の画像は、
かなり規制されていますが、
それでも出回っているのが事実。

それ以外の方々の画像となれば、
もう、キリがありません。

芸能人という商売柄、
注目されることが、1つの目的でしょうから、
そういう現象も起きてくるんでしょうね。

まったく止めることなんて、
まず出来ないことかもしれません。

企業サイトについて、
18位:公式ブログがスタッフの内輪ネタばかり
っていうのも、微妙なところ。

とんねるずのテレビ番組なんか見ていると、
けっこう、内輪ネタがあったりします。
それと同じノリで、一般人がやっちゃうと、
つまらない。

芸能人の内輪ネタだって、
つまらないラインのギリギリですからね。

このイヤなサイトのランキング、
刺激的で、勉強になります。

もちろん、自分が感じていることを、
そのまま、代弁してくれているようなところも
ありますがね。

そして、何より、
サイトをつくるときに、
自分が一番気をつけなくちゃいけない。

2008年8月 5日

二度と手に入らない財産

世の中には、
いろんな財産があって、
一度手放しても、
また手に入るものもあれば、

一度手放したら、
もう手に入れるチャンスのないものもある。

わたしの経験にはないけれど、
災害や戦争で、財産を手放さざるを得なくなって、
命からがら逃げて、新天地でまたがんばって、
財を築いたなんていう人は、現実に居るし、
彼らは、とても、たくましい人たちのようだ。

お金や土地、財産を失ったら、
もうどうしようもないと考える人もいるようだが、
それらについて言えば、
どうやら、そうじゃないらしい。

じゃあ、一度手放したら、
二度と手に入らないかもしれない財産、
って何だろうか?

わたしは、その財産の一つに、
好奇心というものを入れたいと思っている。

なんの財産をもっていない人でも、
好奇心という財産だけは、
持つことがきる。

しかし、心がだんだん鈍くなって、
いろんなことに驚くことが少なくなり、

安定を求め始め、
またその安定が手に入ったり、
逆に手に入らなくてがっかりすると、
好奇心を忘れることが多くなる。

「興味の幅が広がらず、
 同窓会に行きたくなったり
 昔話をしたくなったりしたら
 成長が止まった証拠です。」
 (船井幸雄)

好奇心がなくなると、
興味の幅が広がることはありません。

その好奇心のために、
自分の時間を使う(投資する)ことも
なくなるでしょう。

好奇心のゆえに、
忙しくなりすぎるのは、
ちょっと大変ではありますが、
この好奇心という財産、
手放さないようにしなくちゃいけないな、
って思います。

2008年8月 3日

迷惑メールが減る

迷惑メールに対する罰金額が、
法律によって

100万円以下 → 3000万円以下

と引き上げられるなどの罰則が強化され、
間もなく、施行されるようです。

おそらく、11月末までには...

そのせいか、
私のメールボックスに、
1日5000通ほどきていた迷惑メールが、
今は1500通ほどに減ってきています。

これは、かなり助かりますね。

時間のロスが少なくなりました。

罰金100万円なら、
ちょっとしたリスクを背負って
やることが出来たでしょうけど、

罰金3000万円となると、
リスクどころの話ではない。
それだけの利益をあげられるのならともかく、
そうでないとしたら、うかつには手を出せないはず。

ごみメール、迷惑メールの発信者には、
とても痛い法律の誕生でしょう。

それでも、しばらくすれば、
何らかの抜け道が見つかって、
再燃する可能性もないわけじゃありません。

コストがほとんどかからずに、
大量の広告メールを発信できるという
インターネットというシステムは、

そういう輩にとっては、
この上ない便利なものだったのでしょう。

しかし、そういう道が閉ざされつつある。
探るべき道は、3つ。

1.広告費用をかけて、公にされている場所で発信する。
2.これまでとは違う、真っ当な道を探す。
3.違法スレスレの別の抜け道を探す。

今までお金をかねないで出来ていたことに、
お金をかけるなんていう発想はバカらしいでしょうね、
だからは、1.はやりたくない。

じゃあってんで、2.を決心し他の仕事を探すか、
って言えば、そんなことが出来るんなら、
最初から、ごみメールなんか発信していない。

となれば、やっぱり、
3.へ進んでいく可能性は大。
なかなか足を洗えないというわけです。

ともあれ、今は、
迷惑メールの発信を控えている。

そういう法律の誕生を知らない人たち、もしくは
知っていながら大丈夫と高をくくっている人たちだけが
今も発信を続けているという構図かもしれません。

どうなるかな、迷惑メールの数は?

2008年8月 2日

偶然を追いかけて

なんでもないことが、
ふとしたきっかけで
気になることがあります。

今朝、フィルタを通した飲み水を
ペットボトルに移している時に、
人間って、水なしには生きていけないんだよなぁ、
って思いました。

でも、その水でも、
この体が埋もれるくらいに
大量にあるところでは、
身の危険となる時もある。

体の中にある水は、
60~70%くらい。

お年寄りになると、
50%くらいに下がるそうだ。

水があって生きていられるこの体。
水が、体の中を巡って、
この人間という生き物を生かしている。

こういうシステムは、
偶然に出来たのか。
ふと思ったりする。

偶然にしては、
出来すぎな体ではないか。

体に必要なもの、
体の中の器官が、
絶妙なコンビネーションで
関わりあっている。

ちょっと乱れれば、
病気になったり、
体調不良になったり。

仮に、そうなったとしても、
ある程度のところまでは、
体自身が自分でそれを復旧させようとする。

やっぱり、出来すぎな体だ。

この体の中に、
偶然を見つけようと追いかけても、
なかなか見当たらない。

たとえば、
水の上に浮かんで
スイスイと進むアメンボ。

あんな生物が、
長い年月を過ごしていけば、
こんな体を持つ人間に進化するのかな。

ちょっと程遠い気がする。

だったら、サル。
長い年月に、いろんな作用が働いて、
進化を遂げれば、こんな人間になれるかな。

うーん、近いけれど、
なんか、意図的な操作とか、
手が加えられない限り、
それも難しい気がする。

偶然だけで、
偶然が千回くらい重なって、
突然の進化があるんだろうか。

いろんな偶然が、
世の中にあって、

偶然と思われていることの中には、
何かしら、必然的なこともあって...

結局、偶然は見つからない。

そこには、見つけた意味か、
与えられた意味があったりする。

偶然を追いかけるのって面白い。
それが、必然に巡りあえたりするからだろうね。

私が、今日、こんなふうに生きているのも、
偶然か、必然か。今は分からないけれど...

2008年7月22日

雑誌の積んどく

雑誌を定期的に買うことなどなく、
欲しいと思ったときに、
その雑誌を買っていると、

時々、欲しい雑誌のタイミングが重なって、
机の上が、積んどく状態になります。

今が、ちょうど、そんな感じ。

まず、ビジネス誌。
そして、技術専門誌。
さらに、卓球の雑誌。

もう読み終わったけれど、
読みたいと思ったフリーペーパー誌もあった。

本気になって読むとしたら、
1日かかってしまいそうです。

けれど、今週のスケジュールに、
待ち時間があることとか、
列車での移動時間も予定されてるので、

その時に、だいぶ読み進むことでしょう。
きっと、2冊くらいは完読かな?

そういう時は、退屈になりがちな、
待ち時間、移動時間っていうのが、
かえってありがたく、
楽しみになってきます。

ノートPCを取り出して、
仕事を始める人も少なくないですが、
細切れの時間で仕事に集中できる人間でないので、
どうも、そういうことができません。

それよりだったら、雑誌というだけに、
細切れの時間に、チョコチョコと読めるものの方が、
性に合っています。

いずれにしろ、
今週中に読み終わらないと。

もたもたしていると、
次に欲しい雑誌を
見つけてしまうかもしれないからね。

移動時間が楽しみです。

2008年7月17日

動機をイメージする

テレビ画面から流れる事件が、
どんなに悲惨なものだとしても、

その犯人の動機は、
たいしたことがないというケースは
少なくない。

たいしたことがない、
と書いたのは、あくまで、
こちらの主観的な意見であって、

犯人本人の主観的な意見では、
この上なく、たいしたことがあったから、
そういう犯行に及んだのだろう。

だからと言って、後で後悔しないわけじゃない。

だいたいにおいて、
動機の大きさは、
事件の大きさに比例するように思うけれど、

必ずしも、そうとは限らないということだ。

テレビや新聞に目を向けなくても、
わたしたちの身の回りでも、
事件は何かしら起きている。

私の身内、隣近所、娘らの学校においても、
新聞をにぎわすほどのことではないが、
いろんな事件がある。

笑えることもあれば、
笑えないこともある。

笑えないことについては、
ふと、動機を考えてしまう。

どうして、そういうことが起きたんだろう...

そこまでするような動機があるとしたら、
きっと、相手と人間関係として何かあるはずだ。

となると、こんなことかな?

みたいに、素人の推理が始まる。
もちろん、答えは分からない。

犯人の心のうちを、
すべてを読み解くことなど
出来ないからだ。

仮に、犯人の口から、動機を聞き出したとしても、
犯人が、自分の思いをすべて言葉に出来るとは限らない。

言葉に出来ないものを抱えている可能性だってある。
だからこそ、事件が起きたりする。
抱えているものをすべて言葉にして、
それを受け入れてくれる人がいてくれたら、
いくらか事件は減るかもしれない。

でも、世の中に、
そういう受け入れてくれる人たちは、
どんどん少なくなってきている。

みんなが慌ただしいのだろう...

そして、事件が起きた時にだけ、
犯人は、自分の動機に興味をもってもらえる。
ホントは、事件を起こす前に、
興味をもたれたらいいことだったろうけど。

世の中は、残念なことばかりです。

2008年6月29日

生活リズム

生活リズムが
崩されない日々は、
安定していて、
心地いいような気がするけれど、

あまりにも崩されないと、
ちょっと退屈してくるのも事実。

生活リズムが崩れるようなイベントや、
出来事があって欲しい、
と願い始める。

そして、そういうことが起きたり、
実際にあったりすると、
やっぱり刺激的だから、
生活リズムの乱れを感じながらも、
興奮して楽しんだりする。

ちょっと思ったのだが、
生活リズムというのは、
リアルな生活にあることであって、

ネット上の生活には、
ないことなんだなぁ...と。

ネット上に入り浸って、
乱れるのは、リアルな生活の方であって、

「自分のネット上の生活が乱れた」
なんてことを言う人は、まずいないだろう。
聞いたことがない。

リアルな生活においては、
いつも通りのスケジュールで行動が出来ることが、
生活リズムの乱れていないことになる。

そこに、寝不足、体調の悪さ、イベントの有無、
気分の乱れ、事件などがあれば、乱れる。

しかし、もし、
ネット上の生活で乱れるってことがあるとすれば、
それは、情報が発信できなくなる、
っていうことだろうな。

これは、パソコンの前にも座れない、
ケータイのボタンも押せないほどの体調でない限り、
できること。

そして、情報っていうものは、
生活リズムの乱れがあればあるほど、
ネタになって発信できることになるだろう。

ネット上の人間としての存在が、
ますます濃くなるにつれて、
私たち人間は、これまでより
生活リズムを気にしなくなるかもしれない。

かえって、生活リズムが崩れるような何かを求めて、
生きていくことが多くなるかもな。

わたしには、その「気」があるような感じがする。
好奇心旺盛な人間だから。

2008年6月24日

記念の写真

いろんな写真や映像を
撮ろうとするけれど、
その中で、本当に
記念になる写真っていうのは、
あまり多くはないと思います。

で、写真家とか、
カメラマンでもない限り、
思い出に残る瞬間ほど、
思わず見入ってしまって、
シャッターボタンを押すどころか、
カメラを持つことでさえ
忘れていたりするものです。

だから、結局、
無難な集合写真が
出来てしまうだけになる。

わたしの撮る写真は、
いつも、そんなものばかり。
われながら、残念...

もちろん、その集合写真でも、
十分な記念にはなりますが。

ただ、出来るだけ自然な姿を撮りたいから、
並ぼうとしている姿から撮ろうと思っています。

キチンと並んで、笑顔をつくって、
みんながこっちを見ている様子は、
ちょっと、わざとくさいというか、不自然。

記念写真のための記念ポーズになっている。
それよりだったら、
自然なポーズで撮られた写真の中から、
記念に残る1枚が出てきて欲しい、
と思うわけです。

幸い、デジカメがあるおかげで、
ほぼ無限に撮影してもいい環境のなかで、
これはいいという写真を選べる。

デジカメって、やっぱり、
便利だなぁ...って思います。

ただ、それでも、
絶好のシャッターチャンスを逃すと、
代わり映えのしない写真ばかりが
増えるわけですがね。

思い出の瞬間をよく見たい、
けど、
思い出の写真もうまく撮りたい。

バッティングしてしまう願望かもしれませんね。

2008年6月 7日

10%以下が好き

何かをすれば、
その結果は当然こうなる。

っていうようなことばかりが、
生活のパターンになってしまうと、

あえて、その当然がない、
ようなことをやってみたくなる。

ギャンブルにハマってしまう人間の心理は、
そんなもんだと思います。

お金には全く困っていない
ように見える芸能人とかが、
競馬にお金を賭けたりするのは、
馬が好きな場合もあるだろうけど、

その確率の低さが、
魅力的なんだと思う。

てきとうに数字を言うならば、
10%以下の確率。

50%の確率は、
安心を与えてくれるけれど、
興奮は、ちょっと少ない。

10%以下っていうのは、
けっこうな興奮がある。

私も、当たり前の生活に慣れると、
そんな10%以下に魅力を感じます。

ものすごい何かの「得」が、
100%の確率で自分の手に入るのも、
悪い気はしないけれど、

ちょっとした「得」でもいいから、
10%以下に挑戦してみることが
自分を楽しませてくれる。

どうしたら、手に入るんだろう、
どうしたら、予想できるんだろうって。

考えたり、調べたり、
ネットや雑誌で情報を探したりしながら、
10%以下の確率を楽しむ。

それだけでも、十分に楽しい。

世の中には、特に、
インターネットの世界には、
「無料」って言葉がはびこっているけれど、

みんなに無料よりだったら、
先着100名とかに無料だ、

ということの方が、
手に入れたい気持ちが
強くなってくる。

10%以下が、意外と好きになる。

ただ、勝つとか、負けるとかの話は、
10%以下になると、やる気が失せる場合もあるかな。

今日の、10%以下は、
何だろう...

2008年5月21日

愛したことを忘れないで

中国四川省で起きた地震。

大災害には、
必ずといっていいほど、
美しい話が耳に入ってきます。

命がけの行動が、奇跡を生むのでしょう。

産経新聞で発信したニュースなので、
たしかな情報と思いますが、
こんなニュースが報道されていました。

最大被災地の一つ、
四川省綿陽市北川(ほくせん)県で、
地震発生翌日の13日、一人の女性の遺体が
四つんばいになった格好で発見されました。

遺体は倒壊した建物に圧迫されていたので、
救援隊は、まだ助かる見込みのある人を探すべく、
立ち去りかけたのでしょう。
けれど、一人の隊員が、何となく気になり、
ふと遺体の下のすき間に手を差し入れたところ、
温かいものに手がふれました。

「赤ちゃんが生きている!」

救援隊員が叫び、救出作業が再開されました。
生後3~4カ月とみられる無傷の男の赤ちゃんが
毛布にくるまれて引き出されました。

救援隊員が母親の体を調べると、
手に握られた携帯電話の画面に、
1行のショートメールが...

「赤ちゃん、もし生き伸びてくれているのなら、
 私があなたを愛していたことを絶対忘れないで...」

救援隊員も思わず涙を落としたといいます。

名も知らないお母さんへ。

あなたのおかげで、
あなたの赤ちゃんが助かりました。
奇跡が起きたのです。

まだまだ、あなたの愛情を
必要とする時期だったでしょうけど、
自分が生き残れた奇跡について
分かるようになったら、

ほかの人以上に、生きることの意味を
かみしめる人間になってくれることでしょう。

そう願います。

被害の状況や、情報の混乱、
救援のはかばかしくないニュースなどを聞くにつれて、
私の気持ちも、マスコミに扇動されかけていましたが、

このニュースを聞いて、中国人という人々に、
「生」の人間性を感じることが出来ました。

ありがとうございます。

2008年5月 1日

書いて、書いて、書いて

書くことが仕事だと、
書いて、書いて、書いて、
っていうことが普通になる。

しかし、
書くためには、
何も座っていなくちゃ
出来ないってことでもなくて、

書くためには、
かえって動いてみないと、
書けないってことが分かってくる。

そもそも、座っているだけじゃ、
ネタは浮かんでこない。

なんか、頭がかゆいな、
なんか、腹減ったな、
なんか、鳥がさえずっているな、
なんか、遊びたいな...

そんな「なんか...な」を
いくら思ったところで、
何にも書けない。

って、ここまで書いてきているけど、
このまま続けたら、きっと、
中身のない文章になってしまう。

その「なんか」を、
ちょっと体で動いてみて、
リアルな何かをつかんだ時に初めて、
意味のあることを書けるんじゃないかな。

と書いてはみたのものの、
意味のあることを書いているかな、
という気もしてくる。

ブログという文章世界が登場してから、
意味のあることじゃなくても、
書いてもいいような雰囲気があって、

わたしも、それに便乗して、
どんどん、意味のないことを
書いている気もする。

ある意味、適当?
中途半端

その実態は、どうでもいいとして、
書いて、書いて、書いていくことが、
生きていることの証になっているような気がする。

そのうち、

なんで書けないの、あなたは?

なんて責められるシーンも
出てくる時代が来るんじゃないでしょうか。

かなり以前のコラムに書いたけれど、
学生が就職活動をする際には、
自分のサイト、もしくはブログのアドレスを
記入する欄が出てくるんじゃないかな...

あまり勝手なことを書いていると、
面接で突っ込まれたり、

反対に、あたりさわりのないことばかりを
書いていれば、個性のない人間と判断されて、
アピール・ポイントが下がり、

そんな時代は、もうそこまで
来ているんじゃないでしょうか。

その頃には、
セキュリティも万全になりすぎて、
匿名という存在すらなくなって、

ネット社会も、ほぼリアルな社会と同じように、
実名で存在する社会になるのではないか、
という想像すら浮かびます。

書いて、書いて、書いて。

そんな時代が来たら、
誰も彼も、頭の中では、
ネタ探しに忙しいだろうなぁ。

2008年4月15日

電話は3回まで

営業などの仕事をしている人は、
足を運ぶことも多いだろうけど、

電話をかけることも間違いなく、
多いことだろうと思う。

会いたいなぁ、
と思っている人に、
何度電話をするか。

もちろん、どうしても会いたい人ならば、
何度でも電話をすることだろう。

つなげてもらえるまで、
話が出来るようになるまで。

しかし、
営業ともなれば、
嫌われることもあるから、
電話だけで何度も何度もということは、
現実的に無理がある。

電話もかけるけれど、
足も運びながら、
顔を覚えてもらって、
なんとかチャンスを作る。

どうしても会いたい人ならば、
それくらい心意気でがんばれるはずだ。

しかし、そこまでの思いはなく、
なんとなく「会いたいなぁ」
と思っているだけの相手には、

とことん頑張る気持ちっていうのも、
高まってこないだろうと思う。

私の場合は、
3回までがんばることにしている。

ただやみくもに、3回かけるのではない。
話ができるだろうことを確認しての3回だ。

それでも、つながらなければ、
縁がなかったとあきらめる。

昨日、ある方に相談をしようと、
朝の9:30頃に電話をかけた。

来客中とのこと。
いつ頃電話をかけたら、
お話が出来るか、と尋ねたら、
11:00だったら大丈夫でしょう、
とお返事をいただいた。

11:20頃、
2回目の電話。

まだ来客中とのこと。

了解しました、
午後は、お出かけの予定とか
ありますか?

ない、との返事。

午後一は、忙しいかもしれないから、
ちょっと間をおいて、
13:40頃に、3回目の電話を。

今度は、会議中。

はい、あきらめました。
縁がなかったと思うことにしました。

その方に相談をして、
助言をうかがいたかったのですが、
別の方法でアイデアを探すことに。

すると、第1のアイデアが、
15:00頃に降り注いできました。

仕事も終わって、ごはんも食べて、
お風呂に入っている8:45頃に、
今度は、第2のアイデアが。

さらに、さらに、
そのことをよくよく考えて眠り、
起きた朝5:00頃のこと。

第3のアイデアがやってきました。

求めれば、やってくるものです。

その方に電話をしようという心の準備が、
一番のきっかけだったのかもしれません。

自力で、なんとか頑張ろうとする性格の私が、
人に助言を求めようという決心をしたのは、
よほどのことですからね。

そのよほどの決心が、
新たな展開に導いてくれたのでしょう。

それら3つのアイデアが、
これからどうなるかは分かりませんが、
ちょっと、ワクワクしている朝です。

2008年4月 6日

趣味の違い

趣味(嗜好)が違うと、

えー、なんで、そんなものに?

なんて思いがちですが、
何か新しい、自分にはない発見をしたい時には、

嗜好の違う人に、
くっついて行ってみた方がいい。

もちろん、犯罪っぽい異常な嗜好には、
ついていかない方がいいのは当たり前だけど、

そこまでいかない嗜好には、
なんとなく、面白い発見があったりする。

そして、思わず、
ああ、そういえば、
自分もこんなことが好きな頃があったなぁ、とか、
これは俺も知っている、とかの発見に
出会ったりもする。

そういうことに出会えるのは、
やっぱり、嗜好の違う人に
くっついていった時に起こる。

一人の人間自体、
いろんな嗜好をもっていると思うから、

共通の嗜好もあれば、
まったく合わない嗜好も持っていたりする。

たとえば、食べ物の嗜好は同じだけれど、
読む本の嗜好は違うとか…

恋人でも、夫婦でも、
そんなことは当たり前。

そういう嗜好があるのに、
何でもカンでも相手に合わせて、
話が合う~~~なんて振りをしていたら、

お互いに疲れるか、
お互いに必要性を感じなくなって飽きることだって
あるだろうなぁ。

年を重ねると、
嗜好の違う人といっしょに行動するのが、
ますます面倒くさく感じると思います。

だって、普通は、
世界がどんどん絞られてきますからね。

子供の頃から、
大人になるまでは、
世界がどんどん広がって、
いろんな嗜好が身についてくる。

大人になって間もない頃も、
好奇心が旺盛であれば、
ますます広がる。

けれど、
好き嫌いがハッキリしてくる頃から、
世界が絞り込まれてくる可能性は、
少なくない。

絞り込まれる時期が早ければ早いほど、
他人の嗜好を受け付けられるなくなるのも
早いかもしれない。

受け付けられなくても、
理解できるくらいの器があればいいんだけど、
そうはいきませんからね。

嗜好の違いのある人と付き合う。
これって、大切なことかもしれませんね。

2008年4月 5日

使う目的が見つけられない

使い方は分かるけれど、
目的が見つけられない、
というものがありえます。

買ったり、
利用の申込をしたまま、
放っておいているものには、
そんなものがあるでしょうね。

わたしにとっては、
それがmixiでした。

せっかくお誘いいただいたのに、
あんまり利用していないのが実際のところ。

だからといって、
やめる気もない。

mixiをやる暇がない、
なんてことも言いたくない。

もちろん、朝から晩まで、
どっぷりと浸かっているつもりも
ありませんけれど…

最近、ちょっと目的を見つけました。

自分が関心をもっているものだけについて、
インターネットなどを利用するのが、
わたしのこれまでの使い方でしたが、

「この人は、どんなことに関心があるんだろう…?」

っていう見方で、
mixiを利用することに
気づいたわけです。

当たり前といえば当たり前ですが、
なんていうか、
ビジネスや商売、儲けだけを考えていると、
目先の情報だけにとらわれがちで、
「自分の関心」の延長上でしか、
ものを見られないことがあるんですよね。

けれど、
「他人の関心」はどうだろう?
って見ることは、
関心のネットワークになって、
それが自分の関心になることもある。

友達の友達は、友達だ、
に必ずしもする必要はなくて、
関心だけをもらうっていう方法もあるんですね。

mixiって、そういう使う目的にも出来る。

mixiが始まって間もない頃に、
マニュアル本なんかも買って、
ひととおり分かって参加したはずだったんだけど、
そういうことには、
考えが及ばなかったなぁ。

インターネットを、
ビジネスのツールとしか
とらえていなかった証拠でしょうね。

他人の関心ごとに、
いつまで関心がもてるか、
分かりませんが、
今のところは、けっこう面白いです。

世の中には、いろんなものがあるもんです。
ホントに…

わたしのmixiは、以下です。
»mixiのShuへ

2008年3月25日

あこがれのsafari

Macが故障して、
Macにふれられなくなって3ヶ月。

なんとなく、寂しいです…

ところが、ちょっと嬉しいことが。

くわしくは分かりませんが、
音楽プレーヤーiTunesなどの
アップル社ソフトをインストール人に、
自動通知が来ているんだと思うのですが、

Mac版しかなかった(と思っていた)safariという
インターネットのブラウザソフトが
Windowsでも使えるようになった。

早速、ダウンロード&インストール。
で、その画面がこれ。

safari.gif

なんとなく、おしゃれです。

シンプルで、スッキリしていて、
上部のメニューバーの色がメタルカラーで、
味気ない感じもしますが、

あのiTunesのイメージに近くて、
デザイン的には好きになりました。

じゃあ、使ってみるか、
となると、やっぱり、まだ、
Microsoftのインターネット・エクスプローラーの方が、
私は使いやすい。

画面チェックのために、
Firefoxもたまに使いますが、

それと同じで、
画面チェックのために、
このsafariも時々使うことになるでしょう。

試してみたい方は、どうぞ。
»safariのダウンロードページ

2008年2月16日

バージョンアップ

何かをバージョンアップすると、
ちょっと気持ちが嬉しくなります。

新しいものと付き合うのは、
何事も楽しい。

でも、バージョンアップしたのはいいものの、
それについていけないこともある。

すると、どうなるか。

ついていくために、
ちょっと「勉強」しなくちゃいけない。

調べたり、それに合わせるために、
何かを変えたり…

そういう時間を楽しい、
という人もいれば、

そういう時間がもったいないから、
バージョンアップはしない、
という人もいる。

たとえば、私は、昨日、
パソコンのインターネットエクスプローラを、
バージョン「6」から、バージョン「7」にアップした。

こういうものは、すでに、
かなり高機能になっているから、
バージョンアップするのもよし、
しなくても問題ない、
というレベルに感じる。

それなのに、
バージョンアップしてしまうのは、
「最新版」への好奇心だ、
憧れとでも言おうか。

それに、タダで出来るからね。

もし、これが有料だったら、
きっと考える。

その証拠に、
毎年のようにくる「他のソフトウェア」の
バージョンアップのお知らせには、
見向きもしない。

今のやつで、まったく十分だ、
って思うからね。

でも、タダだから、
バージョンアップしてみようかって
いう気分になる。

その代わり、覚悟は必要。

きっと、分かるまで、慣れるまで、
時間がかかるな、という…

しかし、覚悟が足りなかった、
と思うこともある。

今回のバージョンアップは、
まさに、そんな感じ。

けっこう変わっていました。

覚悟が足りなかった分、
ちょっと「勉強」が必要でした。

何を使って、何を使わない、
これは、どういう使い方をするか、
頭の中での整理が続きます。

バージョンアップ、
覚悟がないと、怖いことですねぇ。

まだ、バージョンアップされていない方、
覚悟をされて、お試しください。

2008年2月13日

知らないことが幸せ

たとえば、子供がひきこもりになって、
勉強のため、世の中を知るためと言って、
一人部屋とネットにつながっているパソコンを
与えたとしたら、もうアウトじゃないか、と思う。

それが、男の子だったら、特に。

ネットだけにつながっていると、
それだけでも、
世の中、社会を生きているような錯覚を
もつ可能性がある。

自分は、世の中を知っているんだ、みたいな。

わたしも、仕事柄、
そういうことに浸っていると、
そんな錯覚に陥りそうな感覚をもつ。

けれど、幸い、
そんなことばかりに浸っていられない環境がある。

またもや、大雪になりそうな天気予報。
今朝も、積もった雪を、
運動がてらに雪よせしていた。

そんな現実社会を感じれば、
ネットだけではない社会を実感できる。

しかし、子供が引きこまれるままに、
引きこもらせて、一人部屋とパソコンを与えていて、
そういう家の仕事を何もさせないとしたら、
その上、上げ膳据え膳をしたら、
もう完璧にアウトだな。

もちろん、そういう世界において、
すんごい才能を発揮できる人がいることも
否定はできない。

しかし、90%は、
きっとダメになるような気がする。

ネットの深い世界を知ることは、
置かれている状況によっては、
不幸になるかもしれないから。

検索エンジン1つをとってみても、
ヤフー、グーグル、そして、中国から来た百度。

どうやら、百度は、無法地帯みたいだ。

中国製ギョウザどころの毒じゃないものを、
子供たちに撒き散らす可能性もある。

もちろん、今の段階では、
中国製ギョウザが「クロ」と
決まったわけでもないですが…

一人部屋に引きこもって、パソコンで、
外の世界にある「無法地帯」ばかりを
行き来していたら、
どらえもんの「どこでもドア」並みの旅が
出来た感覚になるだろう。

無法地帯には行っても、
カラダそのものは傷つかない。

心に、毒を溜めこむばかり。

そういう事実を知らないで、
親が子供をそのままにしていたら、
本当にたいへんですよ。

一人部屋とネット接続のパソコン。
すでに与えてしまった親は、
考えるべきだと私は思う。

知ったことをちゃんと理解できないうちは、
知らない方が、絶対に幸せだ。

2008年2月 6日

大統領になりたい

日本で総理大臣になりたい、
っていうのと、
アメリカで大統領になりたい、
っていうのは違うんだなぁ…

と思います。

マスコミが注目しているせいか、
以前よりも、英語サイトが分かってきたせいか、
今回の大統領選は、

USATODAYとか、NYTimesとか、Heraldとか
のサイトのRSSをサラーッと読みながら、
リアルタイムで様子を見ています。

RSSは、便利だなぁ、
って改めて思います。
(RSSって何?という方は、»Wikipedia RSSにて。)

ちなみに、わたしが使っているRSSリーダーは、
これです。»Headline-Reader Lite

すべての文が表示されるわけでなく、
タイトルと概要だけを、ポッと見せてくれます。

それが重宝するんですよね。

読みたい情報の周りに、
大きなタイトルやら、広告やら、
大量な情報がちらついていると、
なんとなく、集中できない。

しかし、RSSリーダーで見ていると、
パッと、読みたい情報だけが目に入る。

そして、もっと読みたければ、
クリックすればいい。

もう1ついいのは、
英語サイトの文章は、
日本語よりも、
記事の最初の部分に
「結論」っぽいものが出てくること。

だから、最初を読むだけで、
ざっと分かる。

大統領になりたい人達の様子、
それにともなうアメリカ人の支持率、
などがリアルタイムに伝わってくる。

国民が直接投票で選ぶ大統領は、
国会議員の投票で選ぶ総理大臣と違って、
当たり前。

アメリカが、
あんなにお祭り騒ぎになるのも、
分かります。

やっぱり、人気投票ですからね。

そして、それに自分も参加ができる。

わたしも、オバマ候補に
1票を投じたいくらいです。

2008年2月 2日

また、変化が来る

インターネットの世界でも、
また、変化が来るかもしれない。

そんな予感のするニュースが、
昨日2つ。

1つは、
グーグルの減益。

もう1つは、
マイクロソフトがヤフーに買収提案。

うーん、時代は変わっているなぁ…
と一人で思っていた。

もちろん、現実として、
マイクロソフトがヤフーを買収できるかどうか、
なんてことは、分からない。

以前にも、そんな話があって、
破談したというから…

けれど、そういう話が必要になってきたことに、
時代の変化を感じるわけです。

どうなるんでしょう、この話。
ホントに、興味があります。

人にも、組織にも、
変化が必要だと思えば、
ちゃんと変化をができる人達がいます。

古い体制を守ろうとなんかしない。

もちろん、古い体制にも、
間違いなく「良いところ」があるから、
なかなか手放せないという場合もある。

すべてにおいて、そうとは限らないけど、
「良いところ」が何もなくなって初めて、
慌て出す人達もいる。

踏み出してみて、
なんか自分の気に入らない感じになりそう、
と思った瞬間に、後戻りを考え出す。

後戻りっていうのは、
だいたいにおいて、
「やっぱり、戻ってよかった」と思わせる。

けれど、その寿命は短いもの。

踏み出そうと思った原因があるのに、
戻ってから、それに目をつむるわけだから。

リスクは、けっこう高いと思う。

踏み出すリスクも高いけど、
後戻りのリスクはもっと高い。
これは、間違いない。

わたしも、ちょっと踏み出したことがある。
リスクも覚悟した。けれど、ちょっとつまずいた。

つまずいて、冷静になって考える時間ができた。
また、踏み出そうと思っている。

負けないぞ!

2008年1月31日

あなたの子供が出来ました!

ごみメール、SPAMメールのタイトルは、
バカらしく、また低能っぽいところもあって、
飽き飽きしていましたが、

久々に、ドキっとするメールが来ました。

「あなたの子供が出来ました!」
というタイトルです。

俺? 俺の子供?

そのメールのタイトルを見て、
うちの娘らも、ウケていました。

でも、下手したら、
そんなことが現実になる「おかしな時代」も
来るかもなぁ…

という気もしました。

いや、子供の出来ない人達にとっては、
真剣な話に違いないので、
あまり不真面目なこととも言えない。

たとえば、今の時点で既に、
牛の精子などは売買が許されていて、
かなり高額なものもあるらしい。

そこに、人間についても、
優秀な人のものを売買するなんて
ビジネスが出てきたら、まったくメチャクチャな話になる。

結婚はしたくないけど、
優秀な子供が欲しい、なんていうニーズも
叶えられてしまう。

そして、ある時、突然、
「あなたの子供が出来ました!」
なんてメールが来ても、
何の驚きもない時代…

ああ、また、自分の子孫が増えた、
なんて思う男性がいたりするのかな。

売れるものと、売れないもの、
なんていうものも出てきて、
そこでも格差社会。

世の中、隅から隅まで、
格差が広がっちゃう。

科学技術が、
人間関係までも変えてしまう…

うーん、そこまで来ると、
さすがに、それでいいのかな。

って思ってしまう。

ともあれ、今の時点では、

「あなたの子供が出来ました!」

っていうメールが来て、
本当にドキっとして焦る人も
いるかもしれないね。

万が一、そのメールに引っ掛かって、
お金をふんだくられる人もいるのかなぁ…

身に憶えのあることをしている人は、
いろんなことに怯えなくちゃいけなくて、
たいへんだね。

2008年1月26日

久々の物欲

久々の物欲です。

Macが壊れて、
新しいMacを猛烈に欲しくなると
思っていたのですが、

Macがないことになれてきました。

今日、ふっと湧いてきた物欲は、
「ETC」です。

高速道路の自動支払機とでもいうでしょうか?

なんで、急に欲しくなったのか、
というと、ETCを車に取り付けていると、
6:00~9:00の高速道路代が、
50%割引になると知ったからです。

きっと、ご存知の方は、
もっと以前から知っていたことでしょう。

けれど、わたしは、
昨日初めて知った。

そして、もう1つおいしい話を知ったのです。
今、NEXCOという会社のETCカードを契約すると、
そのETC車載器が0円で、
取り付け費用だけで手に入る、とのこと。

なにゆえ無料かと言えば、
ETCカードの契約、つまり、
クレジットカード契約をさせることが出来る、
というメリットが、NEXCO社にあるからでしょう。

タダになる代わりに、
クレジットカード契約をさせられる。

年会費は、
年に1度だけカードショッピングをすれば、
無料になるので、それほどの負担はないのですが、

やっぱり、タダということが、
ちょっと怖かったりします。

けれど、ETC車載器が0円というのは、
なんか魅力的な気がする。

今、いろいろとインターネットで調べているところです。

どんな方法がお得か。

でも、ふと思いなおしました。

6:00~9:00という時間帯は、
娘らの卓球大会とか、
そのほかの移動の際にも、
「行き」のためにはちょうどいい。

しかし、帰りは、
半額にならないということ。

うーん、お得感が、
ちょっと薄くなるなぁ…

まさか、節約して、
帰りは、高速道路を使わない、
なんてことをしたら、
かなり疲れるだろうからね。

明日、あさっての週末は、
ETCの物欲のために
いろいろと調べることになることでしょう。

どうするかな?

2008年1月19日

誰にしゃべってるの?

ブログっていうものは、
誰にしゃべっているか分からないまま、
どんどん書いていたりする。

不特定多数の人が見ることを
覚悟の上で書いているつもりが、
見てもらっては困る人に、

万が一見られてしまった時に、
さあ、たいへんだ。どうなるか?

あの人は、
インターネットとか、
ブログとか絶対に興味ないはずだから、
大丈夫なんて高をくくっていてはいけない。

しかし、そういう書き方も、
ある意味、面白いんですよね。

絶対に見られることのない人を想定して、
書くことっていうのは…

一方、絶対に見て欲しい人を想定して書くのが、
ビジネスとか商売でのサイトやブログ。

見て欲しい人に届かなければ、
意味がない。

しかし、意外にも、
「たくさんの人に見て欲しい」
という漠然とした思いで書くことによって、
誰の心にも届かないメッセージが出来ていたりする。

それよりだったら、
好きな誰かに向けて書いたブログとかの方が、
かえって、共感を受けるかもしれないのに…

私は、このブログを誰に向けて、
書いているんだろう?

自分の心を整理するために書いている時があったり、
日常のことを書いている日もあったり、
ちょっとメチャクチャな時もあったり、
いろいろあるけれど、結局は、
自分のためになっている確信だけはあるんだな。

絶対に見てほしくない人は、
誰だろう?

娘の学校の先生とかかな。

こんなレベルの低い親だとか思われて、
娘に迷惑をかけることが起きないように願う。

そして、今日もまた書いている。
どうやら、今日は2300日目らしい。

よくやってるぜ。

2008年1月18日

新聞を読む時間

新聞を読む時間がない、ということが、
どういうことになるかと言えば、

落ち着いた情報が、
自分に入ってこない、
ということだと思う。
(と思っていた…)

速い情報は、
テレビや、
ラジオで入ってくる。
(と思っていた…)

けれど、
落ち着いた情報っていうのは、
紙面で入ってくることが多いはず。
(と思っていた…)

そういうことで、
新聞を購読していて、
読んでいたつもりが、

最近では、インターネットでも、
落ち着いた情報が入ってくる。
なおかつ、速いのだ。

となると、新聞を読む理由は、
もっと他のものになる。

画面よりも、読みやすいとか。
ぱっと開いて、ぱっと読めるとか…
紙面を開いたことによって、
見るつもりのなかった情報、広告も
目に入ってきて、刺激になる。

たしかに、電子辞書と、紙の辞書の違いも、
そういうことなんですよね。

電子辞書っていうのは、
ハッキリとした調べる意識や目的がないと、
使い道がない。

ぱらぱらめくって、
言葉を探すということは出来ない。

けれど、紙の辞書なら、
それが出来るんです。

ぱらぱらとめくって、
ふと目に止まった言葉に、
「へぇー」と面白がることも。

しかし、世の中が、なんていうか、
そういうふうに余裕をもちながら、
「目を投じる」とか「目を放つ」ということが
出来なくなるほど暇がなくなったら、

本当に、新聞なんか見てられないな。

余裕がないと、それは出来ない。

目的とすることがある時だけ、
振り向いて、それが終われば、
すぐに背を向ける。

そういうことだけの生き方をしていたら、
かなり、偏った考え方になりそう。

うーん、新聞を読む時間がなくなってきた私、
今こそ、そういう余裕をもちたいなぁ…

でも、この大雪が、仕事を増やすんです。

2008年1月13日

リズム感

パソコンを初めてする人の中に、
マウスのダブルクリックを
苦手とする人がいたりするのは、なぜか?

パソコン教室で、
教える機会がけっこうあったので、
いつもそんなことを考えていた。

ノックするように、と言いながら、
生徒の机をトントンと叩いてみせて、
リズムを伝えると、
分かってくれた人もいた。

しかし、それでも分からない人が多い。

オルガンを弾くように、
べたーべたーと強くクリックしているうちに、
ダブルクリックのリズムじゃなくなる人。

早く2回クリックしなきゃいけないってことに
ばかり気が奪われて、マウスに力が入らない人。

2回クリックしているつもりが、
指があがっていないで、
クリックしたまま、
うんうんと力を入れているだけの人。

リズム感っていうのは、
センスの問題のようで、
なかなか難しいんだなぁ、
と思って眺めていた。

それでも、ダブルクリックくらいなら、
何度も何度も感覚をつかむように
練習をさせていれば、
覚えられること。

それが、ダンスやスポーツのリズム感となると、
もっと長時間のことになったりするから、
かなりの練習量や慣れが必要になるようだ。

人生、何事もリズム感。

どういうタイミングで、
力を入れるか、力を抜くか、
ステップするか、ジャンプするか、
動くか、走るか、
攻めるか、守るか。

そんなことのくり返し。

そして、
自分だけの問題でなく、
相手があったり、
音楽があったり、
流れがあったり…

そういうものに合わせなくちゃいけない。

リズム感のある人生にしたいものです。

センスあるかなぁ、私は。

2008年1月 2日

カンタンな言葉

「1名の方が死亡しました」

新年早々から、
残念と思えるニュースが
流れている。

死亡という言葉は、
テレビからのものとしては、
ふだんから聞きなれているから、
なんていうか、
あっさり聞き流してしまっている。

この時期に、
冬山に登るからには、
それだけのリスクは
覚悟しているだろう、
っていう人もいる。

たしかに、それはその通りだとしても、
身内でない者の耳には入る
「死亡しました」っていう言葉と、

身内の者の耳に入る
「死亡しました」っていう言葉は、

まったく違うだろうなぁ…

たとえ、同じ人が同じ声で
言ったとしてもね。

言葉は、カンタンに情報を伝えられるものだけど、
感情を伝えることには、工夫が必要だ。

わざと、感情を伝えない言葉を
選ぶ時もある。

感情を伝えてしまえば、
その感情に反発してしまう人たちを
敵に回してしまうから。

だから、ニュースの言葉は、
あっさりと聞き流される言葉なんだろう。

ほんのわずか、または、ごく一部の人々だけが、
そんなカンタンな言葉で済ませないで欲しい、
と思うかもしれない。

そういうことは、きっと、
しょうがないとして、
言葉は選ばれている。

ニュース、マスコミは、
それでいい。

しかし、顔をよく合わせる人同士の間では、
感情のない言葉は、嫌われやすい。

と同時に、感情を入れることによって、
やっぱり、嫌われることも少なくない。

カンタンな言葉ほど難しい。

言葉に注意しないといけないなぁ…

2007年12月17日

話題に事欠かない

先々週は、
お孫さんといっしょに
事件に巻き込まれた女性の話。

先週は、
今年の漢字「偽」と、
福田総理の発言について。

今週は、
佐世保で起こった
銃乱射事件について。

世の中は、
ホントに話題に事欠かない。
という気がする…

そして、当事者でない私たちは、
古い話題から、順番に忘れていってしまう。

そういうことについては、
人間の性(さが)ゆえ、
申し訳ないとしか言いようがない。

人一人を見ていれば、
話題なんか、間もなく尽きるだろう。

話題性のある人でさえ、
数週間もともにすれば、
「話題性のあること」に慣れてしまうかもしれない。

そうして、次の話題に、
私たちは、惹かれていってしまう。

世の中は広いから、
人一人だけを無理して
見つめている必要はない。

心の惹かれるまま、
話題の波に乗っていれば、
いつまでもサーフィンできる。

自分自身について、
大きな「悲しみの話題」が起きるまでは、
そんな感じかもしれない。

実際に起きてみれば、
世の中の関心が
いとも簡単に流されてしまうことに
気づかされる。

それまでの自分も、
それと同じように流されていたことに気づく。

けれど、気づくなら、まだいい。
それに気づかずに、世の中を憎むようになったら、
まだ、学びが足りない。

流されていた自分に気づいて、
忘れちゃいけないこともあるな、
って思わなくちゃいけないんだろう。

世の中は、
話題に飛びつき、
まもなく飛び去っていく。

残されるのは、
偏見ばかり…ということが少なくない。

明日、または今週末、
はたまた来週には、
どんな話題に飛びついているだろう、私は。

2007年12月16日

フレンチトースト、カメラ

テレビ、映画、小説、インターネット、ラジオ…

見るもの、読むもの、聴くもの、
いろんなものが私たちを取りまいていて、
今やっていることとは違うこと、違う世界を、
自分の「今」に持ちこんできてくれる。

そうそう、iPodも、
そのひとつだにゃ。

Podcastで、自分のお気に入り番組を
持ち運べる。お気に入りになる前の
聴こうと思っている番組も、持ち運べる。

本当に、便利な時代だ。

どんどん、
自分の「今」に、別のものを
突っ込んできてくれる。

私のお気に入りラジオドラマがあって、
何で気に入っているのか、
自分でも分からなかったけれど、
もしかしたら、その中にしつこく出てくる
「フレンチトースト」のせいかもしれないな、
と思えてきた。

「牛乳と卵をたっぷり染み込ませた
 フレンチトーストをお願いします。」

こういうセリフだ。

土曜日の昨日、
家族みんなでお買い物。

ふと私の頭に思い浮かんだフレンチトースト。
最近、よく聴いているから、なおさら。

自宅には、食パンはある。
牛乳も、卵も、マーガリンもある。

欲しくなったのは、
メイプルシロップ。

好きなんだなぁ…これがまた。

食品売り場に行って、
シロップを見つけ出して、
買い物かごに入れた。

家に着くまでの時間が楽しみとなる。
子供らはクリスマス・プレゼントを買っているらしい。
それを待つ間は、本屋にいることにする。

頭の中には、
フレンチトーストを作るイメージが
出来上がっている。
何度も何度もくり返して、
ほんのり甘い香りまで漂っている。

そこへ、ふと、
カメラ雑誌が目に飛び込んでくる。

娘らの卓球大会において、
一眼レフの写真を撮って
送ってくれた友人の顔が思い出された。

いい写真だった。
私のコンパクトデジカメでは、
瞬間をつかめないけれど、
一眼レフだと、
きれいに瞬間写真を撮ってくれる。

ああいう写真は、
やっぱり、一眼レフだろうなぁ。
室内スポーツだから、なおさら。

フレンチトーストのことも忘れて、
その雑誌に見入った。

本屋さんも、自分の「今」に
突っ込んでくるものがいっぱいあるわけだ。

突っ込まれて、左右されるうちは、
まだ好奇心がある証拠だろうなぁ。

左右されないことも大切だけれど、
左右されなくなったら、
反応の悪い人間になるだろうなぁ…

そんなことを考えながら、
自宅に帰ってからは
フレンチトースト作りにいそしんだ。
せいぜい10分くらいのことだけど。

家族みんな、おいしいと言ってくれたよ。
私にとっては、メイプルシロップが
やっぱり美味だった。

2007年12月 9日

7年間、お世話になったMac

もう骨董品レベルかもしれない、
スケルトンのiMacが、
昨日まで、なんとか
動いていました。

しかし、どうも、
何度も何度も、
動きが止まるなぁ、
と思っていたら、
どうやら、壊れたようです。

寒いから、
調子が悪いのかなぁ、
と思って、何度も、
電源をオンしようとするのですが、
とうとう、うんともすんともいかない
状況まで来てしまいました。

思えば、7年間。
よく働いてくれたと思います。

私も愛着をもって、
使い込んでいました。

使い込んでいたがゆえに、
寿命も来たのでしょうが…

Macというモノは、
使い込めば使い込むほど、
そのクセとか、
フリーズしやすいポイントとかが、
分かってくるもので、

そう、Macは、
やっぱりフリーズしやすい。

Windowsに比べると、
その頻度は格段と高い。

それでも使わずにはいられない。
使いたくなってしまう存在。

なんでしょうね、これって。

私の次女みたいな存在かもしれない。
やること、なすことが大胆で、
うまく成功することは少ないけれど、
「らしい」ことをしてくれる。
それが、むしょうに気に入っている。

そんなとこでしょう。

出来の悪いモノに、
そんな愛着をもっている私自身に、
ちょっと不思議な思いを感じます。

普段の生活では、
かなり完璧なモノ、人を
探す性質(タチ)の私です。
それが、こんな出来の悪いMacに、
7年間も付き合ってきたなんて…

愛着さえもてれば、
そんな付き合い方も出来るんだ、
っていう発見です。

そっかぁ、愛着かぁ。

でも、持とうと思って、
あらゆるものに持てるわけでも
ないでしょうからね。

そういうものをまた見つけたい、
と思います。

でも、また、Macを買いたくなるかな?
やっぱり、もっと出来のいいものが
欲しい気もします。

2007年12月 4日

クリスマス・ケーキ

スーパーも、デパートも、
ショッピングモールも、商店街も、

クリスマス・ケーキ注文のお誘いが
大々的に行われている。

それに加えて、
今は、インターネットでも、
楽天市場などを見れば、
クリスマス特設会場がオープンしていて、

私は好きだから、
クリスマス・ケーキのバナーに
目がいってしまいします。

実店舗の場合、
実際の見本があると、
「おいしそう」とか感じて、
注文する気も起きますが、

チラシに、ただ、だらだらと
ケーキを並べられている店舗だと、
なんとなく、注文する気が湧きません。

もちろん、
もともとから、
おいしいという評判があって、
最初から注文する気があれば、
話は別でしょうが、

ところが、ネットは怖い。
見せられるスペースは、
ほぼ無限ですから、
全体写真から、アップの写真、
ケーキの切り口、
おいしそうに見える写真、
それに、読ませる文章…

これでもか、これでもか、
と想像をかきたててくれます。

まいりしました…

そこに、楽天市場でのランキング結果なんか、
表示されていると、

「へぇー、そんなに売れているくらい、
 おいしんだ。」

と思わずにはいられません。

思わず、「買い物かごに入れる」と
クリックしてしまいそう。

けれど、写真だけの怖さは、
商品が届いた後に、
訪れることが多いんですよね。

思っていたよりも小さい、
言われていた味ほどじゃない、
なんてことになる。

なんだ、近所のお店で買ったほうが
おいしかったんじゃないか、
っていうことも。

もちろん、すべての商品に
当てはまることではないでしょう。

そんな警戒心をもちながらも、
楽しく、クリスマス・ケーキを
探しているところです。

イブに食べて、
クリスマスにも食べて、
なんていうことも出来るかもしれませんが、
せっかくダイエットできた体重を戻さないためにも、

ホントにおいしいケーキを
家族みんなで楽しく食べたいものです。

どれを食べようかな。

2007年11月26日

記憶にございません

記録に残っていても、
記憶にございません、
ということが出来る。

記録に残っていないものなら、
堂々と、記憶にございません、
ということができる。

そのような無責任な答えで、
申し訳ないと思わないか、
と問い詰められれば、

記憶にないから、
コメントのしようがありません、

と逃げられる。

「おまえは無責任だ!」
と言われるのは、
「おまえの責任だ!おまえのせいだ!」
と言われるよりは、気が楽。

もちろん、無責任のレッテルを貼られて
苦痛がまったくないわけじゃないけど、
責任をとらされて、大損することに比べれば、
そんな苦痛は耐えられる。

面の皮が厚くなると、
そんな度胸も座ってくる。

記憶にない?
本当に、そんなことがあるだろうか?

他人の記憶については、
そんな疑いがもたげてくる。

しかし、私自身、
自分の記憶について考えてみると、
最近は、

「え?そんなこと言ったけ?」

みたいなことが多くなってきた。

なかには、
そんな記憶の弱さに便乗して、
「記憶にございません」
と言いたくなる時もある。

そんなことを思えば、
自分の記憶を疑わず、
他人の記憶ばかりを疑うのも、
どこかしら違うような気がしてきて…

記憶のせいにする気持ちにも、
どことなく共感を覚え始めます。

しかーし、
人は人、自分は自分。
他人に厳しく、自分に甘く。

記憶にないで許されたら、
世の中、どんな悪者も、
胸を張って生きられる。

うーん、いい世の中だ。
やっぱり、日本は平和なのかも…

2007年11月24日

絵を描くように…

最近、ちょっと
写真にハマるようになってきて、
心の中では、
絵を描くような感じに、
構図を探して写したい、
と思っているけれど、

その絵に描きたくなるような構図を
見つけるのが、まず難しい、
ということに、今さらながら気づいた。

そして、この雪の降る時期、
どこを見ても、「雪のある光景」に
それほどの違いもなく、

と見えてしまう。

けれど、きっと、
違いが分からない私のせいなんだろうなぁ、
とも思ったりする。

雪景色を撮るのが好きな人には、
どこに行っても、あるいは、
どこを見ても、絶好のシャッターチャンスを
見つけられるかもしれない。

あらためて、
違いの分からない自分が
情けない。

きっと、都会に住んでいて、
都会の喧騒に慣れてしまった人は、
そういう光景を味気ないと
感じるかもしれない。

そういうことを自覚して、
なんとなく感覚がつかめてきたけれど、
やっぱり、
その絵が描きたくなるような構図に、
なかなか出会えない。

そうか、動くものがないからなぁ、
と思って、
ちょっと動くものも探したりするけれど、
それもうまくいかない。

寒くなった季節にも動いているのはカラス。
どこにでもいるものだと思っていたけれど、
そんな時に限って、
ちょうどよく、飛んでくるわけでもない。

寒くなると、人通りもまばらになる。

無機質に思える車ばかりが、
すらすらと通っている。

そんな光景を見ていると、
田舎っていうのは、都会よりも、
かえって、人間ぽくないところかも…
なんて考えたりする。

そっかぁ、そういうふうに感じる光景を
そのまま、「絵」にしてみればいいのかぁ。

写真に撮ってみればいいのかぁ、
と悟ったようなことを思ってみても、
やはり、まだまだ、いい構図を見つけれません。

写真修行は、今日も続きます。
デジカメの取扱説明書を見ながら…

2007年11月16日

憧れは残酷

好きな仕事で、
飯を食っていきたい、
と会社勤めを辞めた人は、
少なくない。

けれど、
そのほとんどが、
きっと挫折をしている。
失敗に、打ちのめされている。

今の学校、友達関係は、
イヤだから、
進学するのが楽しみだ。
きっと、クラスや部活動で
新しい友達ができて、
楽しいだろうと期待をする。
期待をしたい。

実際に進学してみれば、
やっぱり、イヤな友達もいる。
好きになれない先生もいたりする。
進学する以前より問題が
増えてしまったくらいに思える。

一人はイヤだ。
恋愛をして、好きな人をつくって、
結婚して、家庭をもちたい。
結婚すれば、きっと寂しくない。

あわてて結婚したら、
とんでもない相手だと
あとで知った。
せっかく願って結婚したんだからと、
しばらく頑張ってみたけれど、
以前より寂しくなった。離婚…

いろんな憧れがある。
憧れが美しかった分、
それが破れた時には、
とても辛い。

「いい夢を見させてもらった」
と憧れを、消化できれば、
不幸にもならないだろうけど、

残酷だと分かっていながら、
憧れから離れることが出来ない。

なんだろうね…

憧れの魔力かも。

離れると、不安になる。
まだ、そこに居た方が、
自分の人生は大丈夫の可能性があるみたいな…

もう十分、
大丈夫でない状態にまでなってきているのに、
まだ大丈夫だ、と言いたがる。

憧れの怖さは、ここにあるのかも。

もう大丈夫でないのに、
憧れがきれいすぎて、
そこから離れられない。

その下には、
大きな落とし穴が
あるというのに、
それを見ていない。

憧れの落とし穴。
今日も、それに
突き進もうとしている人がいる。

うーん、難しいなぁ。
美しいところにあるだけに、
なかなか…

2007年11月 2日

最後の切り札

久しぶりの人から
電話がくるというのは、
この時勢においては
かなり怪しい。

「久しぶりに、声が聞きたくなった。」

「久しぶりに会って、話をしようよ。」

「ところで、あの人の連絡先、知ってる?」

この問いかけが、
すべて本当であれば、
友情を疑う必要はないけれど、

その先で、
何かを売りつけようとか、
お金を借りようとか、
そういうことも考えられる世の中。

昨日から、ガソリン代など
いろんなものが値上げの様相を
見せている。

病院が倒産したり、
妊婦健診に行かなければいけない人が、
生まれる寸前まで行くこともなく、
飛び込み出産するなど…

お金がないところでは、
たいへんな話を聞くようになってきた。

そんなところへ、
久しぶりの人からの電話。

ちょっとは楽しく感じながら
会話の相手をしていても、
どうも不安になってくる。

なかなか切ろうとしない電話、
探るような質問、
「会う」ことをせがむような話…

「なんで?」と聞けば、
「特別なことはないけど」とにごす。

渋々、しばらく相手をしていれば、
やっと、本題を話し出す。

やっぱり、お金のこと。

そんなに近い知り合いでなくても、
思いついて、電話をかけてきて、
その話を持ち出す。

最後の切り札じゃないだろう。

きっと、最後の切り札と言える人にも、
頼み込んだけれど、相手にもされないから、
見ず知らずに近い人々にまで、
電話攻撃しているのかもしれない。

その証拠に、
いざ、あきらめがつくと、
電話を切るのが速い。

想像できるのは、
また、別の人を思いついたら、
すぐにかけるだろうなぁ、ってこと。

普通は、最後の切り札で
終わりのはずなんだけど、

その先にも、
「当たって砕けろ」
をやらなきゃいけない状況に
なっている。

それくらいの覚悟があるのなら、
そうなる前に、もっとやるべきことが
あったはずなんだろうけど、

アリとキリギリスの話じゃないけれど、
せっぱ詰まるまでは、やっぱり、好き勝手を
していたりするからね。

ある時は、
仕事の依頼の振りをされて、
そこに出向いていったら、
金貸し屋さんまで待っていて、
保証人になってくれるよう
その場で頼まれたりしたこともあったな。

今から4年も前の話かな?

そういう人たちの今は、
もっと厳しくなっているかもしれない。

2007年10月29日

無制限の自由は面白くない

これが出来ない、
あれが出来ない、
それも出来ない。

というような環境で、

「おっ!、これなら出来るかも」

というスキマ、自由を見つけられると、
けっこう楽しい。

それが、自分が一番最初に
見つけたことのようだったりすると、
なおさら。

出来ないこと、
やっちゃいけないことが
あるなかでも、
必ず、「自由」がある。

それを見つけられるのは、
「自由」への渇望が
どれだけ強いかによるんだろうな。

制限があるからこそ、
そのなかに、自由を見つけるのが楽しい。

その自由で、
才能を羽ばたかせるのが面白い。

最近、そんなふうに思えるようになりました。

きっと、何の制限もない、
無制限のなかでは、
自由なんか求める必要ないんです。

そんなものを求めなくても、
困らないから。

渇望するわけがない。

かなり前に見たテレビ番組だったけれど、
体操の団体競技で、
本番は、広い四角四面の競技場で
やるんだけれど、

ある高校では、練習場所が
せいぜい2,3mの廊下幅くらいの
ところしかない中で、
全国大会を目指し練習していた。

毎日毎日、その廊下幅のところで
練習を重ねている。
年に数回だけ、
ちゃんとした広さを持っている高校へ
場所を借りに行って練習をさせてもらう。

練習環境という面で、
すでに不利だけれど、
その環境で出来る限りのことをしよう、
という彼らと先生の姿。

今でも、その時の映像が心に残っているのは、
いろんなことに通用しそうだったからだろう。

私に置き換えてみても、
何か頑張ろうとしていることには、
必ず、制限や不利な面があって、

うらやましがる目で周りを見れば、
ライバルや他の会社や人々には、
間違いなく、いいものが揃っているのが分かる。

自分の能力も含めて、
制限されるものは少なくない。

しかし、その制限の中で、
何ができるか、ということに集中すれば、
意外にも、その環境を持て余すことなく、
いろんなことが出来ることが分かる。

やることがいっぱいあるのだ。

限られた環境の中でさえ、
そんなにやることがあるんだから、
これ以上の環境を与えられても、
活かせない気もしてくる。

そこらへんはどうだか、
分からないけれど、
制限された中で見つけられる自由を、
どう活かすか。

いつも、そして、これからも
出くわす問題でしょうから、
そういうことに挑戦し続けていきたいものです。

2007年10月27日

最高と最低

20歳の若者に、
自分の父親、母親をどう思うか、
と尋ねてみれば、

「最高のお父さん」
「最高のお母さん」

と言う人は、何人いるだろう?

昨日の会見にて、
亀田興毅が言った言葉は、
けっこう価値がある。

「小さい頃から育ててくれたのはおやじ。
 世間では悪く見られているけど、
 世界一のおやじと思っている。」

きっと、この言葉には、
反発もあるだろうなぁ。

親について言えば、
「盲目的に、よく育てたもんだ」
子について言えば、
「世間を知らない子供に育ったもんだ」
という感じ。

自分の親を、
「最高の親」と言ったからといって、
世間知らずとは言えないと思う。

反対に、
「最低な親」と言えば、
世間を知っているわけでもない。

亀田三兄弟のオヤジさんを、
ほめるつもりもない。

きっと、このオヤジさんは、
自分の虚栄心もあって、
子ども達のボクシングを
指導したんだと思う。

勝利への熱い思いは、
子ども達のためでなく、
自分の夢も重なっていただろう。

子供に、自分の夢を重ねることは、
けっこう悪く言われるけれど、

自分の子供なんだから、
そんなことをまったくなくする、
なんて無理なんじゃないかな。

少なくとも、私だったら、無理。
そんなに出来た親じゃない。
ある意味、このオヤジさんは、
私は似ていると思った。

責められるために、
世間に顔を出すよりだったら、

もう顔を出さないから、
責められないで済ます方法を選ぶ。

究極のところ、
自分が有名になりたいんじゃない。

子ども達に、自分の夢を叶えさせたい。
育てたかいもあって、
子ども達自身も、その夢に乗ってきている。

マスコミとか、世論からは、
顔を出して、謝るのが筋じゃないか、
などと言われても、騒がれているのは今だけ。
そんなに時間が経たないうちに、
もっと刺激的なネタが出てきて、
このオヤジさんのことは、きっと忘れ去られる。

実際、そんなにいい親じゃないのは、
自分でも分かっている。

けれど、ついてきた子ども達が、
自分で判断して、今、
「最高のおやじ」だと思ってくれているなら、
それだけで十分だ。

誰が、悪く言おうとも、
自分の子供らに、
そう評価されるということは、
それだけのことをやって、
それだけのことを得させることが
出来たからだと思う。

世間から、周囲から、
どれだけ「いい人」だと評価されても、
自分の子供らに「最低な嘘つきだ」
と言われるよりも、価値がある。

ガッカリさせちゃいけない人を、
ガッカリさせないように生きる、
っていうのは、勇気のいることだから。

2007年10月19日

人を知る面倒くささ、宝探し

インターネットを利用して、
自分が必要とする知識に
たどり着いた時には、
嬉しいものである。

今でこそ、
ものすごい感動する、
っていうことはなくなったけれど、
それでも、嬉しい。

特に、
「こんなこと、載っているかなぁ…」
と半信半疑で調べ始めた時には、
見つけたとたんに、
「ほぉー」とか、「へぇー」とか、
感嘆の声が出てくる。

次々とクリックしていけば、
たどり着けるようなシステム。

それに似たことが、
人についても出来たらなぁ、
なんて思う。

目の前にいる人が、
どういうことを知っているか、
どんな考えをもっているか、

その奥をどんどん見たいと思った時に、
相手の30cm手前くらいに
表示される画面を指でタッチでもしながら、
見ていくことが出来たらいいなぁ。

もちろん、保護された知識、情報が
あってもかまわない。

せっかく出会った人について、
単なる第一印象だけで
それ以上のことを知るチャンスがなく、
別れるっていうのは、なんかもったいない。

それこそ、誤解したまま、
終わるようなこともあるだろうし。

けれど、逆に、
誤解されたままでもいいから、
初対面の人に、それほど知られずに
別れてもかまわないという人もいるだろうね。

知りたい側にいれば、知りたい。
知られる側にいれば、知られたいわけでもない。

だから、現実社会では、
知りたい側の要求と、
知られる側の了承がないと、

「人」について直接知ることはない。

なんか、クリック、クリックで、
いろんなことを知っていくことに慣れてしまった人には、
そういう駆け引きは、けっこう面倒くさく感じるだろうね。

恋の焦りとか、胸ふくらむ感じとか、
ドキドキ、ワクワクなどが好きな人でないと、
本当の意味で、人には興味ないかもしれない。

そんな面倒な感情や葛藤などいらないから、
今すぐにでも知りたい、っていう人は、
結局、何も分からないで終わるのかも…

人を知る、っていうのは、
面倒なこと、言葉をかえれば、
宝探しをするような楽しいこと、
が待っているんですね。

それなしでは、
その先を知ることは出来ないってね。

2007年10月15日

電話かけるか、メール送るか

「契約の申込をします」

という連絡であれば、きっと、
電話だろうが、メールだろうが、
素早い返事があるだろうと思う。

けれど、

「もう解約します」

という連絡には、
なかなか素早い返事は
来ないだろうなぁ…と予想してしまう。

「今、解約なさると、
 かなりの損になりますよ。」

とまず引き止められる。

その引き止めがうまくいかないと、
なかなか、手続きを進めてくれない、
という手段をとる担当者もいる。

さらに、たいしたことじゃないことで、
手続き文書の書き直しを指示してきたり、
急に会えなくなったり…

恋愛でなくても、
「別れ」というものは、
面倒くさいなと感じる。

そういうことが分かっているから、
私も何かを解約する時には、
電話にするか、メールにするか、
迷ってしまう。

電話にすると、
余計なことを言われたり、
じらされたり、
待たされたり、
たらい回しにされたりして、
イライラさせられる気がする。

そこで、メールで
解約の連絡をすることにする。

けれども、
メールを送った後に気づく。
今度は、
いつ返事が来るんだろう、
なんてことに気をもんでいる。

相手が、じらすんじゃないか、
はぐらかすんじゃないか、
とそんなことばかりを考え出す。

つくづく、
「待つ」のが苦手が人間なんだなぁ。
だから、待っている間に、
余計なことを考えて、
想像の世界だけで話をふくらませて、
怒り始めていたりする。

きっと、
相手が望まないことを
こちらから連絡する時に、
ある人は、電話がいい、
別の人は、メールがいい、
なんて持論があるだろう。

それは効果的だ、
という意味合いのほかに、
自分の好みも含まれて
いるかもしれない。

私は、正解は分からないけれど、
相手の望まないことを伝えるっていうのは、
人生で必ずあるシーンだと思うから、

相手の反応を気にするあまりに、
自分の心が乱れることが一番ダメだと思う。

相手がどんな人かによって、
おそらく、反応は違うだろうから、
その反応に対して動揺せず、冷静に、
なおかつ、誤解されることのないよう、
ハッキリと伝える準備が必要。

そういう勇気のない人は、
きっと、どこかで丸めこまれてしまう。

私も、逆の立場だったら、
きっと丸めこもうとしたり、
じたしたりするだろうから、
分からないわけでもありません。

電話でも、メールでもいいけど、
とにかく、冷静にならないと、ね。

2007年10月14日

会いたい、会いたくない

たとえば、
「愛してる」っていう日本語しか
知らないアメリカ人がいたとして、

そのアメリカ人から、
「愛」に飢えている日本人が、
いきなり、真顔で
「愛してる」なんて言われたら、

冗談? 日本語を知らない?
なんか、気味が悪いな…

と笑いながらも、
その言葉について
考えてしまわないだろうか。

日本人の大人で、
「愛してる」という言葉しか
知らないなんてことは、
まず、許されない。
実際に、いないだろうけど。

ただ、そこまでいかなくても、
自分の感情を言い表すために、
限られた言葉しか使わない日本人は、
少なくないはず。

おおげさに言えば、
あらゆることを「好き」「嫌い」だけで
表現する日本人みたいな感じ…

この人は、そういう表現しかしない人、
もしくは、そういう表現しか出来ない人なんだ、
と理解していないと、

言葉一つに喜んだり、
怒ったりすることになる。
言っている本人は、
たくさんの誤解を受けるだろうし。

言葉だけの問題でなく、
心が単純で、
昨日は「会いたい」と言っていた相手に、
今日は「会いたくない」と言ってしまうことも
少なくないだろう。

そういうことを、
日替わりランチのように、
毎日くり返す。

普通の人なら、
付き合いきれなくなる。

付き合ってくれる人がいなくなると、
やっぱり、必然的に寂しくなる。

寂しくなるから、
ちょっとした出会いで、
親切にされたり、
話が盛りあがると、
相手のことを気に入る。

そして、
「また会いたい」となる。

そんな単純な言葉に、
相手も喜んでくれて、
次の日に会ってみれば、

慣れ始めた自分の思い通りには、
動いてくれない、
甘やかしてくれないことに気づく。

相手は相手で、
ちょっと親しくなっただけで、
過剰に甘えられて、
重くなってくる。

そんなところに、
「もう会いたくない」と言われる。

ちょっと不快になるけれど、
「ああ、そうですか…」
と距離を置いてみれば、
かなり気楽な気分になったことに気づく。

お互いにとって、
ちょうどいい距離を保てない人間は、
ちょうどいい言葉も、きっと見つけられない。
そんな言葉があると知らないから、言えない。

何も難しい言葉を知っておく必要はないけど、
自分の気持ちに近いものを表す言葉を知ることは、
人間関係をスムーズにする。

かといって、
ウソっぽい言葉、表現だけを覚えだしても、
あまり意味がない。自分がスッキリしない。

自分と相手の間に、
ちょこんと置いた時に、
そうだよねぇーと思える言葉。

そういうものを見つけられる人間に
なりたいものだなぁ、って思います。

2007年9月20日

気の抜ける返事

携帯メールは、
要点のみを短く、なおかつ
ズバズバとやり取りするから、

気心しれない相手とは、
あまり続かないだろうと思う。

しかし、パソコンのメールは、
それとはまた違う。

けっこう長いメールのやり取りとなる。

その中で、率直な意見を、
いろいろと言ったりもできる。

そのやり取りをまとめたりしたら、
それだけで、いい企画書とか、
レポートが出来る場合だってあると思う。

しかし、こっちが、
真剣に言ったことに対して、
返事がいまいちだと、
かなり気が抜ける。
そして、何も発展しない。

たとえば、こんな感じの返事だ。

「こんばんは。
 先日はありがとうございました。
 また、たいへんお疲れさまでした。

 さて、ご意見をいただいた件については
 いろいろと考えているところですが、
 いい結論が導き出せるようにと考えているところです。
 率直な考えや意見をいただき、ありがとうございます。
 またお気づきの点がありましたら、よろしくお願いします。」

自分の意見を言うってことを、
100%相手のためだとか
恩着せがましくするのは、
ちょっとズレていると思うが、

意見を言った後の返事が、
こんな気の抜けたものだと、
考えたこと自体アホらしく思えるのは、
当然といえば当然な気がする。

あれは、
自分の考えを整理する練習に、
考えたことなんだと
自分を納得させる以外に
方法がないケースもあるだろう。

考えて、意見を送り、
気の抜けるような返事をもらい、

また考えて、意見を送り、
同じように気の抜ける返事をもらう。

そんな繰り返しに
付き合っているのは、
やっぱり意味がない。

考えの整理の練習だったら、
ほかのいろんなことで
なんとでも出来る。

やり取りを濃くしたいとすれば、
メールという手段が無理なら、
顔を合わせての手段に戻るしかない。

メールでやり取りできるくらいの仲、
と言えるか、
メールでやり取りできるだけの仲、
と言えるのか。

ワタシ的に言えば、
メールって、やっぱり楽ですから、
メールでやり取りできるくらいの仲だと、
気楽ですね。

顔を合わせないと、
話がまとまらない関係ばかりが増えると、
身が持たない気がします。

面倒くさがりなんでしょうか…結局のところ。

2007年9月 9日

過去をふり返りやすい

私たちには、
ふり返るべき過去っていうものが
あるけれど、

ふり返り方が分からないと、
うまくない反省をしたりする。

反省しなくていいところを
一生懸命落ち込みすぎたり、

追及しなくていいところを
しつこくしたり、と。

ピントがズレるわけだな。

過去をちゃんと見つめたい。

そういう意味では、
便利な時代に生きていると思います。

デジカメとか、ビデオカメラとか、
パソコンとか、ケータイとか、

すぐ、その場で、1分前、1時間前とかの
過去をふり返ることが出来る。

そこで分かるのは、
頭の中で思い描いていたのとは、
まったく違う過去だったりもする。

そっかぁ、こんなことだったんだ。

自分のことでも、
そんなふうに気づかせてもらう。

たとえば、スポーツとかの記録であれば、
頭のなかでは、多分、こういうことが
ダメだったんだろうなぁと反省していても、

ビデオカメラの映像では、
その点は大丈夫で、
ほかのポイントでのミスが
見つかったりするもの。

頭の中の予想っていうのは、
感情なども邪魔したりして、
事実と違うことを映すものなんでしょう。

ビデオカメラって、
ありがたいですねぇ。

心の内面までは、
映し出されないけれど、
なんとなく、
そういうところまで
見えてくる気さえします。

そして、自分の感情を含んだ記憶の
「正しくなさ」がよく分かります。

記録には、記憶はかないません。

不確かな記憶に基づいて、
反省したり、喜ぶよりも、

確かな記録に基づいて、
反省したり、喜ぶ方がいい。

いや、喜べるなら、
間違った記憶でも
いいかもしれない。

一時の幸せを味わえて、後々に、
困るような記憶じゃないのなら。

とは言っても、
やっぱり、人間の頭は、
優れた記憶装置なんですよね。

別に、電力も要らないし、
CDも、カードも、どんな媒体も要らない。

インパクトさえあれば、
記憶されている。

その記憶装置と、便利な記録機器を使って、
「ふり返るべき過去」をうまく利用したいものです。

2007年8月28日

TVCMの「検索」ボタン

テレビCMを見ていると、
最後のシーンあたりで、

検索キーワードと「検索」ボタンが
出てきて終わるというものを
よく見かけるようになりましたね。

けっこう多いです…

テレビの横で、
パソコンをいじりながら、
テレビを見ていたりすると、

思わず検索してしまうクセが
できてしまったのは、
きっと私だけじゃないはず。

さっきは、
「聞いてないよ」
というキーワードで
検索していた私です。

これ、ミスタードーナツのCM。

ちょっと珍しいキーワードを
選んだもんだな、って思います。

たいていは、商品名とか、メーカー名、
っていうケースが多いですからね。

実際、ヤフーで検索してみると、
スポンサーサイトっていう広告の部分に、
ミスタードーナツが1つだけ表示されますね。

グーグルでは、
検索結果とは別に右側に表示される
スポンサーリンクっていう広告の部分に、
同じように、1つだけ表示されるようです。

どういう効果があるでしょうね?

もちろん、
ミスタードーナツのサイトを探して、
アクセスするわけでしょうから、
たいていの人が見つけだすとは思いますが、

インターネット初心者の方のなかには、
見つけられない人もいるかも…

ただ、ミスタードーナツを買う人々自体が、
おそらく、インターネットを使いこなせる世代層と
重なるところもあるだとうと予測されますから、
大丈夫な気もします。

テレビCMで関心をもってもらって、
ネットで詳しい情報を知ってもらう、
というスタイル。

どんどん浸透していくでしょうね。

以前は、ただ、
ホームページのアドレスを表示するだけ
っていうのが多いように思いましたが、

それじゃあ、アクセスは促せない、
というのが現実だと思います。

強烈な関心がない限り、
アドレスは覚えようとしないはず。

きっと、それは、
記憶の問題にすり替えられているから…

けれど、検索キーワードを
覚えてもらおうっていう試みは、
あくまで、興味、好奇心の問題になります。

商品名、メーカー名に
興味を持ってもらうのが
直接的で一番いいと思えますが、

「聞いてないよ」のような検索キーワードそのものに、
興味を持ってもらって、
検索というアクションに移ってもらうっていうのも、
なんかいい気がします。

あとは、それが、いい結果をもたらすか、
それほどでもないか、の違いのみ。

これからは、
検索キーワードそのものが、
いろいろと面白くなるかもしれませんね。

2007年8月17日

Eメール破産宣告

時代遅れな私かもしれません。
Eメール破産、
なんていう言葉があるなんて、
今まで知らなかったのです。

これを読んでいる方の中にも、
そんなお仲間がいたら、
ちょっと嬉しい…

返事をしなければいけないEメールが
溜まっている状態を、
「債務過多」ということにして、

その返事をしなければいけない義務を
すべて免除してもらうために、
「破産宣告」を申し立てる。

「あの返事は、どうなりました?」

という催促が来たら、

「申し訳ありません。
 昨日、私はEメール破産宣告をしたので、
 過去のメールへの返事は免除されています。
 あらためて、ご用件をお知らせ下さい。」

みたいなことを言えるのでしょう。

とは言っても、実際は、
それを認める公的機関もないですし、
それを関係者に告知する手段もありません…笑

それなりの有名人で、
関係者がブログとかを見に来ている場合は、
そのブログに、

「Eメール破産宣告をしました。」

とか書けば、多くの人に
知られる状態にはなります。

そうでもない限り、
Eメール破産宣告なんていうのは、
ささやかな自己主張にしかなりえない。

一方が、メール依存症であり、
出すのには何の苦もない人だとして、

もう一方は、律儀な人で、
自分の返事で終わらなければ気が済まない人
だとすると。

事態は、かなり深刻になると思う。

返事が来ないと、
何度となくメールを送られるし、

それに応えようとするわけだから、
やらなければいけない肝心の仕事にさえ
手をつけることができず、
1日を終わると、何も終わっていない、
みたいなことさえあるだろう。

そういう人には、
Eメール破産宣告よりも、
メールでのコミュニケーションが
向かないと判断した方がいいと思う。

メール自体の使用禁止措置、
もしくは「気にしない」「執着しない」
などの思考訓練が必要だろう。

車の運転には、教習所があるけれど、
お金の使い方を教える機関がないように、
メールについてのそういう機関もない。

だから、経験と情報を自分で得て、
学ぶしかないんだよね。

そう考えると、
「Eメール破産宣告」
っていう事態に陥るのも、
一つの経験として
悪くはないでしょう。

あとは、それが
再び起こらないように、
気をつけるばかり。

とりあえず、
私にはそういう破産の心配はないけれど、
SPAMメールによる時間の無駄遣いだけには
相変わらず困っています。

ソフトを導入すると、
そのソフトの設定に意外と時間がかかる。

それに、SPAMメールも
高度化しているから、
やっかいなものです。

メールっていうものの信頼度は、
これから、どんどん下がってしまう気もします。

どう付き合えばベストか。
いろいろ考えることになるでしょう。

2007年8月10日

かっこうよくない話題

すらすらとしゃべられる男は、
かっこいいと思う。

けれど、内容が内容だと、
そのカッコウよさも、
なんとなく、滑稽になる。

昨日、娘とランチのために入ったのは、
イタリアン。

パスタやピザなどが、
食べ放題ということで
娘のリクエストに応えて入った。

私たちの隣の隣の席に、
カップルらしく見える男女。

男がけっこう大きな声でしゃべっている。
声の質は、そんなに悪くない。

何を話しているかと言えば、
保険の話。ん?勧誘マン?

あまりにも、よく聞こえるから
食べながらも、頭に入ってくる。

けれど、勧誘マンっぽくもない。
じゃあ、保険会社の企画マン?

そうでもなさそう。
同じ話を繰り返し話しているようなイメージ。
相手のの女性は、ニコニコしながら聞いている。

本当に、聞きたくて聞いているのかなぁ…

彼らの隣に座っているご夫婦らしき方々も、
彼の声が気になるらしく、しきりに横を見ている。
彼の話は、止まらない。

しかし、ためにもならない。

思ったよ。

盗み聞きしても、
ためにならない話題って言うのは、
かなりカッコウ悪いって。

それに、だいたいにおいて、
カッコウよくない話題を話している人っていうのは、
そういう自覚がないから、
けっこう延々と話すんだよね。

私たちが食べ始めて、
娘も、食べ放題だからって、
心行くまで楽しんでいたから、
1時間という時間は、
あっという間に過ぎたけど、

その男の話は、
それだけ経っても、
相変わらず保険の話。

間違いなく、恋人同士じゃない、
っていう空気だけは分かった。

人に聞こえるくらい大きな声で話す人間には、
盗み聞き(?)されても、価値のある話をする義務が
あると思うなぁ。

でないと、周りが迷惑だよ。

うるさい!!

2007年8月 9日

逆帰省

今の時代は、
テレビCMでもあるように、
田舎のおじいちゃん、おばあちゃんと、
インターネットを経由して、
顔を見て話したり、
メールをしていたりする家族も
あるだろうなぁ。

実際、どんだけ、あるかはわからないけど…

まもなく、帰省ラッシュが始まるこの時期、
私は、娘の全国卓球大会(団体の部)で
東京に来ています。

いわゆる、逆帰省?

そして、帰りの予定が、
10日の金曜日なので、
バッチリ帰省ラッシュと
ぶつかりそうです。

とは言っても、
ちゃんと予約をとっているので、
まずは、問題なしですが…

子供たちが大会に参加しやすいようにと、
夏休み中の開催だとは思いますが、
帰省ラッシュにぶつけて、
本当に帰省する人たちのご迷惑に
なっているような気もします。

なんか、帰省を邪魔している感じ。
全国から集まって、
全国へ帰って行くんですからね。
帰省ラッシュの混雑を…

誰も、
「おまえら、帰省じゃないだろ!」
なんて怒りもしませんが。

このコラムは、
ネットカフェで書いています。
ごぞんじのマンボー

となりに座っている娘は、
マンガを見ながら、
ニヤニヤしています。

すごいクーラーの効き具合。

汗かいてきたときはいいですが、
朝の涼しい時間にここに来ると、
冷蔵庫に入っているような気分。

でも、クーラーの効かない場所で、
汗だくになって働いている人を思えば、
申し訳ない。

肝心の試合の結果はというと、
2勝2敗ですから、けっこうがんばっているな、
と思っています。

やっぱり性格。
大舞台でも、緊張せず、
堂々とやっているというか、
好き勝手めくちゃ戦っているというか…

さてさて、今日も、大会の続きに参加してきます。

2007年8月 3日

ウィルスの重さ

7月で、ウィルスソフトの期限が切れて、
さて、どうしようか、と考えた。

考えている間の攻撃が、
心配なので、
30日間無償トライアル版を
インストールして使っている。

さて、どうしようか、
と考えて眺めているものは、
各社製品を使っているユーザーの声。

だいたいが、
「重くなった」
という感想が多い。

「もう、前のバージョンのような軽さはない。」
という表現も…

動きが重くなった、
考えさせられる言葉だ。

ウィルスという存在は、
たしかに怖い。

無防備でインターネットの社会を
すいすいと過ごせるほど、
世の中、甘くはない。

私のように、
サイトを運営していたり、
メールアドレスを公開している人間には、
毎日のように入ってくる大量のメールが、
広告メールなのか、ウィルスメールなのか、
自分で判断していたら、
日が暮れてしまう…

とすれば、セキュリティソフトに
頼るしかない。

しかし、それが重すぎると、
戦場に向かう戦士が、
自分の鎧が重すぎて、
身動きとれないため
闘うことも出来ないようなことになる。

鎧を着て、
身動きできない自分を
想像してみる。
ああ、イヤだ…

けれど、鎧は必要だ。

かといって、
重いソフトに合わせて、
毎年毎年ソフトを更新するたびに、
パソコンを買い替えて
性能をアップさせていたら、
それもキリがない。

そこで考えたのは、
セキュリティソフトの機能を限定すること。
もちろん、コスト的にも安くなる。

無意味な広告メール、スパムメール、迷惑メールを
排除することを、これまでは自動的にやらせようと
思っていたが、結局、手作業の部分もあって、
「何のための自動か」
なんて思うことも多く、この機能は不要と判断した。

便利と言われていて、
手に入れてみたものの、
意外と邪魔なだけだった。

なんていうことは、
世の中に、けっこうあるかもしれません。

今のケータイ電話は、
本当に便利でしょうけど、
はるか昔のケータイ電話は、
そこまでのレベルには
至っていなかったでしょうね。

もちろん、同じ次元では話せないけれど、
結婚すると楽ができると思っていた人の中には、
結婚して、かえって面倒が増えた、
という人もいることでしょう。

楽をしようと便利なものを増やしすぎると、
かえって不便になる。

今回のウィルスソフトを更新するにあたって、
私が感じたことでした。

2007年8月 1日

返事をどこで終わるか

インターネットやケータイで、
メールのやり取りをよくするようになり、
1つの悩みを抱えることになった。
それは、

「返事をどこで終わるか」

ということ。

気軽に、1行でも、数行でも、
書いて送ることができるだけに、
1日に何回も、数十回も、
やり取りが出来る。

電話や対話であれば、
1つ尋ねて、
1つ反応があって、
それに反応があって、
また返事があって…

という一連のつながりが合わさって、
1セットなのだけれど、
メールの場合は、それと違う。

1つ送って、
1つ受信して、
また送って、
また受信して…

というのが、
下手すれば永遠に近いほど、
続けられる。

1つ1つの送受信を1セットで考えていたら、
1日の中で、数十セットもやっている人が
いることだろう。

それが当たり前になっていると、
それに反応してくれない人が、
きっと素っ気なく見えてしまう。

パソコンでも、ケータイでも、
キーボードやボタンを押すのが速い人には、
何の問題もないこと。

しかし、慣れない人、面倒くさい人にとっては、
そういうやり取りのペースが速い人は
苦手な相手になることだろう。

電話であれば、
「分かった」の一言で伝えられることが、

メールでは、
「分かった」と打つのがなんとなく面倒くさい。

でも、相手によっては、
伝えたことをちゃんと分かってくれたか、
確認しないと気が済まない人もいるから

「さっきのメールの内容で、大丈夫だった?」

なんていうメールが、また入ってきたりする。

しょうがなく、

「分かった」とか「了解」と返事をする。

そこで、本当に終われる雰囲気が、
双方で確認出来る感じ…

私個人の意見で言えば、
返事を終わらせた雰囲気にするポイントは、
短いコメントだと思う。

短いと、次につながる可能性も少ない。

長いと、それに反応したくなる。
メールが好きな人は、ホントにそう。

けれど、短いコメントでも通用せず、
どんどん反応してくる人がいるのも事実。

その時は、正直に言った方がいい。

「ごめん、メールを打つの疲れてきた。
 とりあえず、これで終わりね。バイバイ」

ただ、ものすごいヤツもいるかも…

「えぇー!? 終わらないでよ。
 私、楽しいから…」

って絵文字のフルコースなんかで、
メール寄こす人が。

このメール時代、
どこで終わらせるかは、
とっても大切な問題になりそうです。

場合によっては、
相手を不快にせずに終わりを切り出すのは、
ほぼ不可能と思って、
あきらめた方がいいかもしれません。

2007年7月30日

誰が欲しいか

昨日の選挙について、
「安倍総理の大敗」
というような言葉が、
昨晩から見せられたり、
聞かされたりしています。

わたしの亡くなった祖父は、長年、
選挙にたずさわっていた人間なので、
当時の選挙というものは
よく知っていただろうと思います。

わたしは、それを知りませんが、
今の選挙は、変わってきているだろうなぁ、
っていう気がします。

有名スポーツ選手のお父さん、
タレント弁護士、
元スケート選手、
ヤンキー先生、
元サッカー選手、
元アナウンサー、
有名建築士、女優、
エイズ訴訟の原告、
発明家、
レズビアン(同性愛の告白者)、などなど。

知名度のある人が立候補することを
「けしからん」という人も少なくないですが、

わたしは、ある意味、
無意味な言葉をズラズラと並べ立てられるよりも、
わかりやすく伝えることが大切にされる傾向も
出てくるから、いいような気がします。

もちろん、世の中、
単純ではありません。

ただ、誰が立候補するか、
っていうことが、自動的に、
メッセージをもっていることも
ありますから。

分かりやすいのです。

投票する側も、
その人自身が立候補した理由とか、
周囲がその人を推した目的とかも、
見えてきやすいのです。

しがらみとコネで威張りくさりながら、
選挙の時だけアタマをさげるベテラン議員への
反感票を集めるためには、

とりあえず、若い立候補者を立てる、
と言う場合もあるでしょう。

レズビアンを告白(カミングアウト)して、
立候補するというのは、
明確な数字は見えにくいですが、
そういう同性愛者の票を集めたい
という目的があることでしょう。

分かりやすいことばかり求めている日本人は、
バッカじゃないか、とも言う人もいるでしょう。

たしかに、
分かりやすいことばかり求めていて、
自分で何も学ぼうとしないなら、
バカです。

しかし、分かりやすく
伝えることを勉強しない側も、
同じようにバカだと思うのです。

誰に、何を、どんなふうに伝えるか、
ただ、それだけのことを勉強すればいいのです。

そこを重要視しないで、
しがらみとコネだけに頼るのは、
今の時代では難しい…

選挙も、やっぱり商売。

ほぼ完璧な人気商売…

どんな人たちからの人気が欲しいか、
それを集めるためには、誰が欲しいか。

柔らかく考えられないと、ダメですね。

安倍総理は、これから、
どうなさるんでしょうか…?