自分の欠点を見つけられると、
その欠点を見つけた人は、
人は、敵のように思ってしまう。
本当の敵は、
その欠点をもっている、
自分本人だというのに...
で、話はそこで
終わってしまえば、
何のことはないけれど、
いつまでも、いつまでも、
思い込んでしまった敵を相手に、
憎悪やら、憎しみ、恨みを抱いて、
生きていこうと思う人もいる。
そして、
その欠点を見つけてくれるのは、
だいたいにおいて、
身近な人間だったりするから、
家族、親、子、兄弟、姉妹に対して、
その憎しみとかのマイナス感情を
ずーっと抱いたまま、
人生を生きようとすると、
不幸がどんどん重なってくる。
身近な人間、
いつも会わなければいけない人間に、
そんな感情を抱き続けていて、
幸せなわけがない。
敵か、味方か。
そういう見方しかできない人間は、
損してしまうように、世の中はできている。
それは、きっと、
損か、得か、という見方にも通じる。
人に対しては、
敵か、味方か。
物事に対しては、
損か、得か。
この2つしか測れないモノサシしか
持っていないようじゃ、
人生は不幸だなぁ。
わが子らが、
そんなふうに育っていないか、
ふと考えてしまった。
わたしも、損得勘定が得意だったりするからね。(笑)
人の話のなかに、
すべてウソしかない、
ってことはまずない。
ちょっとウソがあるから、
相手に信じられやすい。
そして、
そのちょっとしたウソを
うまく入れられる人が、
本当の「うそつき」だけれど、
最初から最後まで、
すべて本当のウソを入れて、
突き通そうとする人は、
本当の「うそつき」にはなれない。
うそっていうのは、
話のなかや、その人自身に、
ゆがみをもたらすから、
だいたいバレちゃうんですよね。
ウソの部分が
核心であればあるほど、
ウソをついている側は、
そこに思いが集中して、
話をしてしまう。
すると、話に、
?
というゆがみを感じられて、
そこを問いただされているうちに、
ウソが暴露してくる。
そうでない場合でも、
ウソをつく人間は、
それを突き通すために、
また、後になって、
別のウソをつくことになって、
それを重ねるたびに、
ウソの自分を演じているわけだから、
自分の内面が
ゆがんでくる場合もある。
さらに、
そういうウソをつくのが、
上手になって、
なかなか、バレることが少なくなった人間は、
知らず知らずのうちに、
「まっすぐなところ」、
「日の当たる場所」なんかを歩けなくなって、
逃げているような生き方すらするかもしれない。
おかしい、と思われることが多くなり、
実際、そのおかしさを自分でもわかってくるから、
ますます、ゆがんだ生き方になっちまう。
本当のなかに、
絶妙に混ぜ込んだウソ。
バレることはないかもしれないが、
自分だけは分かる。
それを自分が背負って生きる、
っていうのは、けっこう辛いことなのだ。
ウソなんか、つかない方がいい。
自分が苦しくなるだけ。
それが分かっていても、
人は、ウソをついてしまう。
因果な生き物だね、人間は。
自分の思いどおりにするか、
相手の思いどおりにさせられるか。
0か、100かで考えれば、
そういうことなんでしょうけど、
カケヒキ、交渉は、
どこまで歩み寄れるかが、
やっぱり、ポイント。
自分の思いばかりを、
100%通そうとすれば、
当然ながら、
話はほとんど進まない。
相手の思いを
100%すべて飲み込もうとすれば、
その時か後になってから、
苦しくなる。
だから、ちょうどいいところを探す。
もし、それが見つからないようなら、
交渉しない、カケヒキなし、
という結論を出すしかない。
もしも、幼い頃から、
こういうカケヒキを数多く、
こなしていれば、
大人になったときにも、
そういう状況に慣れやすい。
しかし、
そういう経験なく、
大人になってしまうと、
カケヒキの場面で、
意外と簡単に負けてしまう。
あるいは、
コロッと自分の意見を
変えてしまったり、
交渉決裂の場面ばかりが
増えてしまうことだろうな。
交渉決裂、
っていうことも
あって悪くない。
けれど、そればかりしかない、
っていうのは、なにか、
交渉が下手だというイメージに
なりかねない。
かといって、決裂はしないけれど、
相手の要求ばかり飲まされて帰ってくる、
っていうのは、芸がなさすぎる。
日本人は、あ・うんの呼吸で
通じ合うようなことが、
美徳として語られるけれど、
そんな呼吸は、実際のところ、
外人に通じないどころか、
価値観の違う日本人同士の間にだって、
通用しない。
あまりにもカケヒキ上手な子供は、
かわいげがないけれど、
子供の頃から、そういうカケヒキに
慣れていたほうがいいのは、
今の時代には必要かもしれないな。
あの人には、
かなわないな、
って思える人に出会うことは、
悔しいことだけど、
嬉しいことですね。
誰にも負けない、
っていう状態は、
あんまり良くない。
自分っていう人間が、
どんどん小さくなってしまう。
たとえば、
新しい職場を探すとか、
新しい学校を探すとかしていて、
「ここには、自分入る資格ないな」
って思えるところがあると、
自分の実力がわかってきて、
何をがんばればいいか、わかるから。
もちろん、
がんばる気にならなければ、
しょうがないことですがね。
でも、人によっては、
「かなわないところ」を、
ぐるっと遠ざけて、
あるいは、遠回りして、
そういうものにふれないように、
って生きる方法もある。
かなわないことから
逃げられると、
精神衛生上は、
けっこういい。
今の自分じゃダメだ、
っていう感情を抱くことないから、
あんまり、ストレスがないだろうし。
けどね、
そういうことは、
そんなに長く続かないんですよ。
避けて通っているつもりが、
いきなり、自分の生活に、
グイっと入り込んでくることがある。
かなわない「実物」だったり、
その「情報」だったり...
避けてきた、逃げてきたわけですから、
きっと、その時の驚きは、とてつもなく大きい。
かなわないことに慣れていない、
免疫がついていないということは、
けっこう大変です。
エレベーターを見たことのない田舎者が、
初めてそれに乗るようなもんです。
「なんで、こんなことに耐えられるんだ?」
ってね。
かなわないことを見つけましょう。
そして、それに向けて、がんばりましょう。
それが、人間の成長する一つの道だ。
お墓参り、お寺参り、
このお盆の時期は、
行くところが多い。
ついでに、
20歳を迎える人々は、
田舎に帰省してきたときに、
成人式なんていうものに
行ったりもする。
どこかに行く、
ということは、
誰かに出会う、
ということであり、
それが
生きている人か、
亡くなった人かは、
それぞれ違ってくる。
出会いたくなければ、
行かなければいいし、
行ったとしても、
必ずしも目当ての人と
出会えるとは限らない。
そして、
人は、誰かと出会うとき、
その人と出会ったことにするかどうかを、
また、心のなかで選んでいる気がする。
出会ったことにしないなら、
しばらくして忘れる。
いろんな出会いのなかで、
その人を心のなかに
受け入れなければ、
出会いは成り立たない。
どこかで、避けていれば、
心の中にも残らない。
亡くなった人のことを、
このお盆の時期にしか
しっかり思い出さない、
ということは、
亡くなった人にとって
どれだけ悲しいことか、
あるいは、
どれだけ気楽なことかは、
分からない。
思い出して欲しくない相手もいれば、
必ず思い出して欲しい相手もいるだろう。
生きている私たちにだって、
思い出されたい相手もいれば、
思い出されることさえ気持ち悪いと
思えるような相手だっている。
出会う、
心のなかに受け入れる、
思い出す。
人は、そういう感情を通して、
人とのつながりをつくっているんだろうな。
それほど、つながりを求めない私ですら、
自然と、そんなものをこしらえている気がする。
今日で、とりあえず、
お盆の雰囲気は終わり。
今日は、誰と出会えるかな。
そういえば、先日あった七夕祭りで、
あまり会いたかったわけじゃないけど、
会うだろうなぁっていう人と、
やっぱり会った私だった。
だいたい、1年ぶり...
会うもんなんですね。
でも、会ってみれば、
それほど嫌な気持ちになったわけでもない。
なつかしさが、勝っていたな。
人の出会いの空気は、
時間とともに変わっていくもんだと思った。
便利な生活に慣れたときに、
その便利な理由になっていた機械とか、
システムが壊れてしまったら、
その前の生活に戻らなければならない、
っていうことになる。
たとえば、
湯沸かし器が壊れたら、
ガスコンロで湯を沸かすことになるだろうし、
それが壊れたら、
湯沸しポットとか、
電熱ヒーターで沸かすのかな。
それが壊れたら、
やっぱり、火を起こすしかない。
電子マネーなんていうものを
これまでは使ってこなかったけれど、
便利そうだから使ってみようか、
と思ったときに、
そのシステムが壊れたりしたら、
どうなるんだろう、って考えた。
もちろん、
世の中すべてが
電子マネーで動くことには
ならないだろう。
現金は、きっと
何らかの形で残ることは
間違いないし...
だとしても、
電子マネーに慣れると、
「なんだ、お金って別に要らないんだ」
みたいな感覚になることも考えられる。
結局、お金という概念があれば、
人間は、物々交換の仲介役として、
経済を動かすことができる。
だから、お金はなくとも、
電子マネーや、預金残高を盗むことが出来れば、
お金を手に入れられたりもするんだよな。
(実際は、かなり高度で難しいだろうけど)
便利になるのは、生活にいい。
けれど、便利になりすぎると、
何か、やらなければいけないことの基本すら、
忘れてしまうことにもなりうるかな。
あんまり、便利すぎる生活にならないよう、
ちょっとは、考えておいたほうがいい時代に思います。