人間が、間違いなく、
小さいんでしょうね。
勝ち負けなんてものが
本当にあるかどうかも
分からないのですが、
他人がうまくいくことを
応援すればいいときに、
やっぱり、
「うまくいくな!」
なんて思ってしまうことが
ある自分に思います。
この人が、
ここで失敗してくれたら、
自分の勝ちだ、とか、
そうなれば、
自分が楽になれる、とか、
そういう時に、
他人を応援するっていうのは、
難しいもんです。
それくらいの器しかないから、
それくらいの成功、成長しか
手に入れられないのでしょうけど、
本当に、他人を応援できる人は、
エライなって思います。
間もなく始まる、
2010バンクーバーオリンピック。
スキー、スケートなどは、
自分のベストを出せるかどうかで、
勝敗が決まるところもありますが、
ライバルが失敗することで、
メダルの行方が決まる、
というのも事実です。
フィギュアスケートなんかで、
最初に、自分がそれなりにうまく滑れて、
あとで、ライバルが演技するというシーンにおいて、
もしも、ライバルのベスト記録が出されてしまえば、
負けるなんてことが分かっていたら、
失敗しろー!、
うまくいくなー!
なんて、心の願いが浮かんでこない
もんなんでしょうかね。
微妙な、心の状態であることは、
たしかだと思います。
もちろん、圧倒的な強さを見せつけられれば、
ああ、この人はすごいや。
かなわない!
という気持ちになるでしょうけれど、
ちょっとした違いで、勝敗が決まる、
と分かっているときには、
相手の、ちょっとしたミスが
ありがたかったりするかもしれない。
金メダルか、銀メダルか、
あるいは、メダルがあるか、ないか、
というシーンで、
ライバルのベストを応援するのって、
やっぱり、難しいと思ってしまう。
人間、ちっちゃいかな。
これじゃ、まだまだだ。
今は、
ちょっと黙っておこう、
という選択をするときに、
人は、
面倒くさいから黙ることもあれば、
黙っていた方が得そうだからということもある。
観察するために黙ることもあれば、
訳がわからなくて黙ることもある。
黙っているときに、
その人が発しているメッセージは、
しゃべりたくない、
と単純にとられがちのことも
あるけれど、黙るには、
いろいろな種類があるもんだな、
って思います。
そして、
コミュニケーションにおいて、
この「黙る」という選択を
上手にできる人は、
人のことを理解し、
人に理解されやすいという気もする。
ずーっと黙っているわけでもない。
かといって、ずーっとしゃべっているわけでもない。
必要なときに、
「黙る」ことができる。
これって、けっこう大切だな、
と思う。
人は、しゃべるようにできていて、
黙るようにもできている。
だから、
この2つを使いこなして初めて、
「人」になれるんじゃないだろうか。
使いこなせないうちは、
いろんな問題があるんだろうな。
私の前にも、そういうわけで、
いろんな問題がありそう...
なくした、
という事実に、
かなりガッカリする人間(自分)だ、
ということを、今まで知らなかった私。
昨日は、
妻といっしょに買い物に行ったのですが、
何を買うかを話し合って書いたメモが、
買い物をしている途中から、
なくなった、と妻が言うのです。
時々、私も、
その紙をあずかって見ていたりしたもんだから、
私が返さなかったのかな、
それとも、妻がどこかに落としてしまったのかな、
なんて考え出して、
ああ、せっかく、書いたのに、
という気持ちがもたげてきたら、
なんだか、ちょっと情けなくなった。
ちょっとしたメモ用紙なんですけど、
それを書き出すために、
けっこう話し合っていたもんだから、
それだけのショックが湧いてきたんでしょうね。
今思えば、たいしたことないのですが、(笑)
買い物に夢中になって、ちょっと楽しかった分、
ガッカリ感も強かった感じです。
そうかぁ、俺って、
こんなことで、こんなにガッカリするんだぁ...と。
やっぱり、
「なくしたものへの執着」
が強いという性格なんでしょうね。
何をなくするかで、反応も違うでしょうけど、
なくなった、
しょうがない、
じゃあ、どうしようか?
という考えにたどり着く前に、
どうして?
どこで?
なんで?
という問いが堂々巡りしてしまうんです。
やるべきことは、
これから何をするべきか、
ということなんですけどね。
それが分かっていながら、
その準備に時間をかけることが多いから、
そうなってしまうのでしょう。
ちょっと、準備マニアかもしれないな。
って思いました、自分のことを。
子供が仲直りするまでの時間と、
大人が仲直りするまでの時間は、
けっこう違うような気がする。
娘たちからは、
いろんな仲直り談を聞く。
学校では、
いろんなケンカがあるのでしょう。
それは、そうだ。
人間と人間がともに生きていれば、
そんなズレがないほうがおかしい。
ズレばかりがある日常だろうし、
みんなみんなが、そのズレに
うまく対応できるわけじゃない。
私だって、その一人だ。
子供の頃に、
仲直りまでの時間を短くする練習を
していないと、
大人になると、なおさら難しくなる。
「謝ってよ」と言って、
「ごめんね」と言えるか。
だって、あんただって、
悪いじゃん、となってしまえば、
後は、お互いの欠点を
過去にさかのぼって言うばかり。
子供のころの兄弟げんかで、
部屋に、境界線を引いてから、
60歳になって、一方が死ぬまで、
ひと言も口をきかなかった、
という実話もあるようだ。
仲直りは、一つの技術。
子供の頃には、
ごまかせる要素が
いろいろあるだけに、
うまくいくが、
大人になってしまえば、
記憶も、言葉も増えているから、
なかなか、そうはいかない。
知恵や経験も増えているわけだから、
もっといい選択肢を選べるはずなのに、
大人が選ぶ選択肢のほうが、
ややこしいことをわざわざ選んでいるように見えて
仕方ないこともある。
ややこしいことをわざわざ選ぶ。
大人って、ホント、そうだよなぁ...
早起きが、
苦にならない人、
早起きが、
ものすごく苦手な人。
世の中の人々を、
この2つだけに分類するとしたら、
わたしは、間違いなく、
早起きが苦にならない側に
含まれる。
自分でも、
不思議なくらい、
苦にならない。
自然に、起きてしまうから、
しょうがない。
夜更かししたり、
体調が悪くなければ、
遅くとも、5:30には起きている。
(ふつうは、4:30~5:00の間)
それだけ早く、
起きて、何か世の中のために
なっていたかといえば、
自分の自由時間が増えて、
自分で楽しんでいただけのことで、
それじゃあ、あんまり意味なかったのかもしれない。
今週は、その早起きの時間を利用して、
朝食づくりの手伝いをしている。
30分ほどの手伝い。
今朝は、4:30頃に起きていたから、
その時間から、30分ほど使っても、
なんのことはない。
十分に、自分の時間が残ってる。
電子レンジで、おひたしをつくって、
ガスコンロでは、豆腐とネギのみそ汁を作り、
おひたしの上に、ちょっと飾りのようにおく、
炒り卵を、フライパンでつくって、
あとは、納豆を用意するだけだった今朝。
今朝は、-6℃という気温だったから、
あたたかいみそ汁を飲ませて、
娘たちを学校に行かせられることが、
なんだか、嬉しかったです。
早起きの時間を、
こんなふうに使えば、
ちょっとは、家族のためになって、
家族が1日元気に過ごせれば、
その家族から何かしらエネルギーを
もらえる人たちもいるかもしれない。
わたしも、朝食をちゃんと食べたから、
今日も1日がんばるぞ。
めったに、
かわいそうなんて、
思われることのない私ですが、
(きっと、だいたいは、傲慢に見えるでしょうから...)
たまーに、
かわいそうと思われることがあります。
そんなときには、
言葉でも、助けられることでも、
やっぱり、嬉しかったりします。
いつもいつも、受けられるものじゃないから、
ありがたいのでしょう。
そういうものがありがたくなって、
あるいは、病みつきになって、
いつも欲しいなぁと考えて、
「あわれみ」乞いを始めたら、今度は、
かわいそうと思われなくなるだろうなぁ、
って思います。
いつも強気な子供でも、
涙を見せたりすると、
かわいそうだな、なんて思われます。
なかなか見せない涙だからでしょう。
でも、いつも、
泣いてばかりいたり、
騒いだり、駄々をこねるばかりの子供だと、
見せられる涙は、ちょっと面倒くさい。
子供ばかりでなく、
きっと、女性についても、
そうだろうなぁ。
かわいそうと思うのは、
ある意味、自分が優位に立っている気持ちから、
出ていること。
相手からのそういう気持ちを受け入れるためには、
その人より下位に位置している自分を
認めなくてはいけません。
だから、かわいそうなんて思われるなんて、
不愉快だ、不本意だ、失礼だ、などという人もいるでしょう。
自慢でも何でも、
相手が優位な思いからとか、
ちょっとした「上から目線」でものを言うとか、
それを受け入れられるには、
本当に謙虚か、依存心がないとできないんでしょうね。
私は、どっちだろう?
プロの人が、
言い訳をする姿は、
きっと、みっともない、
というふうに見えるだろうけれど、
本当のプロの言い訳は、
もしかしたら、かっこいいかもしれない。
たとえば、
「言い訳しません」
と言葉を発するだけで、
おぉーー、さすが、
ということになって、批判の矛先が
下げられるかもしれないから。
でも、言い訳しません、
っていうことが、
その追求から逃れる
一番の言い訳かもしれないですからね。
そういうことが、
多くの人に知られてくると、
毎回、
「言い訳しません」
という言葉は使えなくなる。
「また、言い訳しませんで、済ませる気か!?」
という批判されることだって、
ありえますからね。
プロじゃない人は、
言い訳と分かることを、
ぬけぬけと言ってしまう。
プロの人は、
言い訳と分からないことを、
するっと言って、矛先をかわし、
その言い訳が進化している。
いずれにしろ、
プロは進化しているんだと思います。
言い訳のプロになりたい、笑。
世の中には、
マーケティング戦略の一環として、
「無料」というものが
なんだか当たり前になってきている。
そういう自分も、
知らず知らずのうちに、
無料病になっていたな、
というのを感じました。
たとえば、
無料の条件を自分でよく調べずに、
申し込んで、あとになって、
自分が、その無料に該当しなかった、
ということが分かったとき、
怒るべきは、自分なのに、
その条件の「書き方」「伝え方」が悪い、
と怒るのだ。
その心情は、私も理解するが、
読めば、ちゃんと書いてあることでも、
そういうふうな言われ方があるわけだから、
そもそも、伝える、
というのは難しいのです。
まして、相手の期待がふくらむように、
書いてあることだと、
自分には関係ないことなのに、
勝手に期待をふくらませてしまう人々が
いるのも、よくあること。
そういう人は、
無料病にかかっているから、
生きていく時には、
注意しないといけないですね。
自分の子供には、
給食費を払わずに、
無料で給食を食べさせていながら、
自分の働きが「ただ扱い」されると怒る人。
そもそも、無料のものなんて、
そう、めったにないのだ。
誰かが、どこかで、
そのコストを負担してくれているだけ。
感謝する気持ちがないと、
無料のものをもらう権利はないんじゃないか、
そんな気がする昨今です。
自戒もふくめて、そう感じました。
ネットにつながっていると、
誰がなにをしているか、
がリアルタイムで分かってきます。
リアルタイムという表現は、
大げさかもしれませんが、
自分がやってみようと思っていたことを、
すでにチャレンジして、
成功した人、失敗した人がいる、
という事実に出くわします。
ああ、すごいなぁ、
という感動とともに、
自分が思いついたときには、
これは、いい思いつきだぞ、
と考えていたことでも、
いやいや、上には上がいるな、
という、ちょっとしたガッカリ感も
味わうわけです。
そして、自分って、
時代遅れかなぁ、という感じも。
その時代遅れ、
という現実か、妄想か、
分かりませんが、
それに、ちょっとぶちのめされたときには、
時代遅れをあきらめるために、
休んでしまうことが大切だなぁ、
って思うんです。
あるいは、早々に寝てしまう。
ひと晩、寝てしまえば、
さらに、時代遅れになってしまう
かもしれませんが、
その方向ではあきらめることにして、
また、別の思いつきを考えることにする。
そのための気分転換として、
寝てしまうっていうのがいい。
睡眠時間を削って、
追いつこうとしても、
追いつけるもんじゃないことも多い。
新たな方向を見つけるためにも、
寝てしまう。わざと時代に遅れて、
誰も通っていなそうな別の道を探す。
時代遅れは、悪くないのだ。
そういえば、そんな歌もあったな。
きっと、その歌さえも、時代遅れだ(笑)
あと、3日で終わるから、
ガマンしよう、みたいな「心のごほうび」で、
乗り越えられるものがある。
その、あと3日が、
あと1週間になったり、
あと1ヶ月になったり、
あと半年になったりすることもあって、
人がガマンするものの期間は、
人それぞれですが、
ガマンの秒読みが明けたときには、
ほんとうに解放感に満たされます。
時には、秒読みの間に、
ガマンするような苦痛が全くなくなり、
楽になること、逆に楽しくなることもあります。
何事も、最初の「ガマン」と印象が、
ずーっと続くとは限らない。
どこかで、気持ちは、
変わる可能性がある。
いずにしろ、
ガマンは変わっていく。
インターネットで買い物をする際に、
必ず、パスワードを要求されるものですが、
いろんなサイトを利用しているうちに、
しばらく利用していなかったサイトの
パスワードを忘れることがあります。
その際、
パスワードを再設定するか、
パスワードを再送信してもらうために、
自分だけが知っている質問の答えを
尋ねられたりするのですが、昨日も、
ちょうど、そんなシーンになりました。
その質問は、
人生は?
というもの。
うーん、しばらく、
その答えが思い浮かばない。
かれこれ、5年?、8年?ほど
使っていないサイト。
その時、人生をどう思っていたかな。
ためしに、
試行錯誤
と入れる。
ブー。
なんだろう?
じゃあ、
楽しい
かな。
ピンポーンだった。
ああ、当時は、単純に、楽しかったんだろうな。
あるいは、プラス思考で、そう思うようにしていたのかな。
今は、試行錯誤が、本音な私なのでしょう。
ガマンは始まったばかりか、
間もなく終わるところか、
分かりませんが、
必ず、終わるときが来るのです。
そればかりが、救いです。(笑)